第7話

 テレティに着替えを渡され、彩芽が着替えると、アスミィ達と同じデザインの服である事に気が付く。

 囚人服を渡されるよりはマシだが、敵のおそろいの制服を着せるのもどうかと思った。


 ニーソックスにホットパンツにチューブトップ。

 その上にジャケットと、この上なくカジュアルな軽装で、この世界の服の中では、一番性に合っている。




 監禁されて数日、食事は一日二食出るし、アスミィが頻繁に遊びに来るので、そこまで大きな不自由は無い。

 ただ、本当に帰してもらえるのか不安になるが、脱出の手立ては相変わらず思い浮かばない。


 この様な状況になると、元の世界に戻りたい以前に、元いた街に戻りたい衝動の方が強くなる。

 二日しかいなかった街でも、知り合いが出来れば第二の故郷になるのかと、彩芽は妙に納得する。




 コッコッと、扉がノックされた。


「はい、どうぞ」


 部屋にやって来たのは、アスミィでもハルコスでも無く、竜人のフィリシスであった。


「なぁ、散歩に行かないか?」

「え? 外に出ても良いんですか?」

「船の上だぞ。逃げられないだろ?」

「まあ、そうですけど」


「その服、似合ってんじゃん。行くぞ」




 フィリシスとの気まずい散歩。

 ストラディゴスの話では、元カノであり、浮気がバレた時にストラディゴスを本気で殺そうとした相手の一人である。

 その筈だが、少し会話をして分かったのは、男言葉、と言うよりはヤンチャな少年の様な喋りで、壁を感じずに喋りやすい事だ。


「あの、急にどうして散歩を?」

「あんな所にずっといたら身体がなまるだろ。それに、ハルから聞いたけどよ、お前、領主とディーのお気に入りらしいじゃんか」


「ただの友達です」

「ディーに女友達なんて一人もいねぇよ。それより、お前さ、私達の仲間になる気は無いか?」

「無いです」

「即答かよ。ネヴェルに肩入れしてるからか?」

「いいえ。友達がいるからです」

「へぇ、でもよ、そのお友達のいるネヴェルは、もうすぐ落ちるぜ」

「戦争、するんですか」

「戦争? すぐに始まるだろうな。でも、ネヴェルを落とすのは、お前だよ。それからな、戦争はすぐに終わる」

「それは、どういう事ですか」




 * * *





「アヤメ殿、あの時助けられなかった事をお詫びしたい」

「ストラディゴスさん、頭をあげて下さい。ほら、私は大丈夫ですから」


 ネヴェルの城の中庭、無事に戻った彩芽を前に、ストラディゴスは膝をつき、首を垂れた。




 エルムの話では、脅迫状の場所へ行くと、そこには一人オルデンを待つ彩芽の姿があったと言う。


 オルデンが手紙の指示通り一人で近づくと、周囲に潜んでいた傀儡人形の兵士が二人を取り囲み、オルデンを拘束しようとした。

 すぐに、エルムと、ネヴェル騎士団の騎兵隊が駆け付け、二人を確保する事に成功する。


 すると、傀儡人形を操っていたらしき人影がアスミィの時と同じ様に、高圧縮ガスで一気に膨らむ風船を使って空に逃げ延び、それ以上追う事は出来なかった。

 人質になっていた彩芽を助け出した騎士団は、無理な深追いはせず、今朝方、城に凱旋したと言う事である。




 無事に戻った彩芽によって、誘拐事件の首謀者がカトラス王国のズヴェズダー国王と判明し、ネヴェル城内は、今までの戦争は東で行われている事と言う、どこか対岸の火事だった雰囲気が、一気に戦争推進のムードで染まっていく。

 わざと宣戦布告と開戦時期を指定して、油断した隙をついてのネヴェル領主誘拐計画。


 卑怯な敵国へのヘイトは高まり、温和なオルデンでさえ彩芽を誘拐した事への報復が必要だと考え始めていた。




 * * *




 ストラディゴスは鎧で身を包むと、最後になるかもと思いながら、見張り塔へと向かった。

 その場所は、ストラディゴスにとっては、洗礼を受けた教会の様に、特別な場所と化していた。


 それは一つのゴールであり、同時に新たな始まりの場所でもあった。




 見張り塔の頂上で、彩芽と共に見た景色を思い出す。


 フィリシス達がカトラスの手先となって敵対するなら、戦わなければならない。

 戦いの末、殺さなければならない様な事になるとしても、手を下すのは自分の手でやるべきだ。

 その先は、罪を背負って生きなければならないが、どんなに重くても一人で背負うべき物。


 幸せになる権利は、無自覚にも自分で捨てたのだ。




 ストラディゴスも戦う覚悟を決めていた。

 しかし、その覚悟は他の者達とは違う物であった。


 アスミィは、あの時の続きだと言っていた。

 切り捨ててしまいたい過去だが、過去は今更変えられないし、消す事も出来ない。


 ストラディゴスが憎くて四人が敵国についたのなら、その責任を負うべきはストラディゴス以外にありえまい。

 同時に、責任を果たせる者も、ストラディゴス以外にいる筈がないのだ。




 * * *




 彩芽と、最後に一度で良いから、話をしたいと思った。

 どこまでも意志の弱い奴めと自分に思いながらも、ストラディゴスは彩芽の部屋を訪ねる。


 しかし、部屋には誰もおらず、返事が無い。

 オルデンの所にいるのかと思い、足を運ぶ。


 すると、彩芽がオルデンの部屋から、丁度出て来た。


「アヤメ殿」

「どうしたのストラディゴスさん」


 何を話せば良いのか、わからない。

 ただ、声を聞きたかった。

 何か話題は無いかと考え、あの日の夜を思い出す。


「時間は……ありますか?」

「ええ、大丈夫ですよ」


「約束を、果たさせて欲しい」

「約束?」


「あなたに、煙草を送りたい」






 ストラディゴスは、彩芽と共に市場に来ていた。

 海産物、肉、野菜に果物、日用雑貨まで、雑多に賑わい何でも揃うバザールの様な場所だ。


「アヤメ殿、はぐれないで下さい」


 オルデンの様に上手なリードは出来ない。

 それでも、出来る限りのエスコートを心がけ、例の物を売る商店へと到着する。


「何を買うの?」

 彩芽は、興味深そうに、いつもの様に聞いてくる。

 目の前に所狭しと置かれた籠一杯に盛られた乾燥した葉っぱの山は、薬草やハーブの類である。


「このハーブが、このままでは少しスースーしますが好みに合うかと」

「そうなの? あなたを信じるわ」


 ストラディゴスは一つのハーブを買い込み、次は煙草を売っている商店へと向かう。

 彩芽は黙ってついてくる。

 やはり、あの夜の事は覚えていないのかとストラディゴスは思う。




 目的の物を全てそろえると、ストラディゴスは彩芽を連れてベルゼルの酒場の前をわざと通った。


 思い出して欲しい一心での、どこまでも未練がましい行動だが、周囲があの時とは違い日で明るいせいか、彩芽は酒場を見向きもしない。


 少し歩くと、そこは彩芽があの夜、煙草を吸った何の変哲もない道。

 あの日、ランタンを拝借した家の玄関には、昼間だからランタンには火が宿っていない。


 ストラディゴスは、立ち止まると煙草の葉を混ぜて、巻き始める。

 それを彩芽は興味深そうに見ている。


 今回は火が必要になると思い、持ってきていたマッチで、煙草に火をつけると、辺りには独特の匂いが立ち込める。

 完全再現とまではいかないが、吸い込んだ煙の効果で、気管が広がって感じた。


「どうぞ」


「えっ!?」


 彩芽は、ストラディゴスが吸った煙草を差し出すと、どうしたら良いのか分からないと言った反応をする。

 覚えていないにしても、あれだけ煙草が好きそうだった彩芽にしては反応がおかしい。


 彩芽は恐る恐る煙草を吸うと、まるで初めて吸ったかのようにゲホゲホと煙にむせた。


「お口に合いませんか?」


 明らかにおかしい。

 そう思って見ると、ストラディゴスは急に違和感を持ち始めた。

 何か、いつもと違う。


「アヤメ殿、その指輪は?」


 彩芽の指には、銀色のシンプルな指輪がはめられていた。

 前に会った時には、そんなものは無かった。


「あ、これは、オルデン公に頂きました」


 彩芽の答えに納得するが、また別の事が気になり始める。


「ピアスは?」


 彩芽は、ストラディゴスの言葉に、確かに自分の耳を気にしたのが分かった。




「いつもしていたでしょう? お父上にプレゼントされたと言ってた」

 ストラディゴスは、自分の耳をさわりながら言う。


 すると、彩芽はこんな事を言った。


「ああ、それなら部屋に置いてきましたよ」






 ストラディゴスは、彩芽を変わらずにエスコートし、城の部屋まで送り届けると、その足でオルデンのもとへと向かった。


 しかし、一足遅かった。

 オルデンの部屋は扉が開いていて、中に入ると先ほど部屋に置いてきた彩芽が先回りし、オルデンを抱えて窓から外へと出ようとしているでは無いか。

 彩芽の腰には、アスミィがつけていた物と同じベルトが装着され、既にピンが抜かれていた。


「誰だお前! オルデン公を放せ!」


「あら、勘が良いと思ったのに、存外鈍いのね。お久しぶり」


 彩芽のそれとは明らかに違う口調。

 ストラディゴスは彩芽に化けているのが誰だか気付いた。


「ハルコス! なんでこんな事を!!」


「アヤメも領主様も、あとで無事に帰すから安心して、ディー」


 そう言うとハルコスは指輪を外す。

 すると服装はそのままに、姿形がハルコスに戻っていく。


「あら、ドレスがブカブカ。自信無くなっちゃうわ」


「俺に復讐したいなら俺を狙えよ!」


「あら、勘違いしてるみたいね。少し自信過剰なんじゃないかしら?」


「どういう事だ!」


「復讐って、浮気の事でしょ? あんなので今さらあなたを責める気なんて私達は無いわよ。アスミィとフィリシスは、特にあなたに未練タラタラみたいだけど。あら、あなたが騒ぐから人が集まってきちゃった。良いディー、南に二十海里(約三十六キロメートル)の海上で待っているわ。せいぜい大船団で攻めて来ることね。こちらにはフィリシスがいる事を忘れないでね。愛してるわ」


 ハルコスはベルトのワイヤーを引くと、オルデンを抱えたまま空へと落ちていく。

 ストラディゴスは、ハルコスから色々聞かされ、何が何だか分からなくなっていた。




 * * *





 ハルコスから聞いたストラディゴスの証言をもとに、作戦が立案されていく。

 エルムの指揮で、総力を挙げてのオルデンと彩芽の救出計画が実行に移されるのだ。


 エルムはストラディゴスの参加も許し、今回はネヴェル騎士団の正に総力戦と言った様相であった。




 すぐに出せる四十隻の船を出し、指定された海域には二十隻のカトラス王国の大型帆船。

 そのどれかに二人は乗っているのか、それとも罠か。

 わからないが、それでも行くしかない。


 両船団の大砲の有効射程距離の外の海上で陣形を整え、交戦しようとした時、敵船の一隻から煙が上がり始めた。

 すると、まだ交戦前だと言うのに、カトラス軍の船が次々と燃えていく。


 その光景を前にして、ネヴェル騎士団は全員何が起きたのか訳が分からない。

 勢いよく燃える帆船には近づけないと、エルムの指示で小舟が出され、周囲の海域が捜索される事になった。


 彩芽の姿を求めて、必死に小舟を漕ぐストラディゴス。


 しかし、彩芽とオルデンはおろか、カトラス軍の一人さえ姿は見えなかった。

 浮いているのは、焦げた傀儡人形の残骸のみ。


 ここまで来て、ようやくエルムは罠の意味に気付く。


「総員、ネヴェルに戻れ!」




 * * *




 同じ頃。

 商業都市ネヴェル。


 城の屋根の上にガーゴイルの様に構えて、眼下の街を威嚇する一人の竜がいた。


 大空から舞い降りたフィリシスの姿に、誰一人として戦いを挑もうなどと言う者はいなかった。

 カトラス船団とフィリシスを倒しに大船団で出て行った筈のネヴェル騎士団は、水平線の向こう側である。


 城の謁見の間には、ポポッチとアスミィの姿。

 オルデンの椅子に座ったポポッチが、ネヴェルの城の役人や使用人達に対して偉そうに何やら命令を出している。


 非戦闘員は、支配者が変わったのが不満だからと言って抗う事が出来るものではない。

 戦場の掟と同じである。


 ネヴェルは、領主とその客人を取り戻す為に散々振り回された挙句、戦わずして陥落したのだった。




 * * *




 彩芽は、と言うとネヴェルの城で一人監禁されていた。



 ハルコスとフィリシスに捕まって連れてこられたオルデンの無事は確認しているが、オルデンが城内のどこに捕まっているかは分からない。

 いよいよ大変な事になったぞと思っていると、部屋を誰かが訪ねて来た。


「どうぞ」


 ノックに返事をすると、入ってきたのはルイシーと呼ばれていた一人のメイドだった。


 ポポッチの指示で、フィリシスがいるのに反抗する者はいないだろうと、使用人達は変わらず働かされていたので、自由に動けた。


「これを着て、今すぐ」


 ルイシーに渡されたのは、揃いのメイド服であった。

 彩芽は急いで着替えるとルイシーに誘われるまま、部屋を出る。


 すると、そこにはもう一人メイドが立っている。

 よく見ると、それはオルデンである。


「オルデン公!?」

「元気そうで何より」

「……結構似合ってますね」

「アヤメ、君も似合っているよ。さあルイシー、計画通りに行こう」



 ルイシーとオルデンに連れられ、彩芽がやって来た場所は、ブルローネであった。


 オルデンの来店に、アコニーが出迎える。


「ヴィエニス様、順調の様ですね」

「そちらの首尾は?」

「問題ないですわ。もう、国中に噂が広がっている筈です」


 彩芽は、会話の意味も分からなければ、状況も分からず、自分がなぜ連れ出されたのかも分からなかった。

 すると、アコニーの後ろから、さらにもう二人が出迎えてくれる。


 そこにいたのはポポッチとテレティであった。

 彩芽は更に混乱する。


「やはりヴィエニスの女だったではないか」とポポッチが笑っている。

「どうも」と、ポポッチを護衛しているテレティがフランクに挨拶してきた。


「久しぶりね、アヤメ」

「あの、アコニーさん、これってどういう……」



 * * *




 アコニーが語り出したのは、この騒動の裏側であった。




 時は三ヵ月前に遡る。


 マルギアスとカトラスの開戦が、両王家の合意で決まり、宣戦布告や開戦の時期が詰められていったと言う。

 長年行われている国境での小競り合いは、ハルコスの説明にもあったように、王家への憎しみをそらすセレモニーとなり果てていた。


 この慣習によって、両国は戦争を止められないでいたのだ。




 一度開戦が決まれば、両国は一戦交えたと言う事実がないと、お互いの王家にプライドがあり引くに引けない。

 血が流れなければ、停戦も休戦も終戦も行われないのだ。


 そこで、マルギアスの大貴族ヴィエニス・オルデン公爵と、カトラス王国のポポッチ・ズヴェズダー第六王子は共通の友人アコニーを介して、似た考えを持っている事を知り、今回の計画を実行する事にした。




 最初に、オルデンをさらい、ネヴェル騎士団を引っ張り出す口実を作る。


 次に、無人の大船団でネヴェルを攻め込むフリをし、カトラス軍をネヴェル騎士団に倒させ、華を持たせる。

 船団は、傀儡人形で操船だけならなんとかなった。

 傀儡人形は、一部の魔法使いが一般的に使う物なので、それですぐに出所がバレる事も無い。


 次に、ネヴェルを表向きに陥落させる。


 これにより、マルギアス王家にはカトラス軍の王都への挟み撃ちと兵糧攻めの危険性を噂で流し武力としてはフィリシスで牽制出来る。

 カトラス王家には、大船団の喪失と船団を沈めたネヴェル騎士団の活躍と、東への進軍をまことしやかに情報を流す。


 情報は、国中どころか国境を越えて存在するブルローネの姫達が、各国のお偉方に流すので、それによって人々は、権威ある人々の共通の認識として、お互いの国に対する抑止力を生み出す。




 後の仕上げは、エルムが時期を見て戻り、フィリシス相手に魔法使いとして一芝居打てば、頃合いを見てフィリシスが撤退する手はずだ。


 後日、ポポッチから名指しで、カトラス軍を破ったネヴェル騎士団を持つオルデンを停戦の大使に指定する。


 表向きは双方に多大な被害が出ている状況が周知の事実となっているので、ポポッチが終戦協定を開戦直後に提言する王族達の汚れ役をやり、今回の戦争は実質的な被害を出さないまま収束に向かわせる。




 これが、計画の全貌である。

 戦争推進派の王家に水面下で楯突く、戦争反対派による一世一代の大芝居であった。


 計画を知っていたのは、十二人。

 主なメンバーは、オルデン、アコニー、ルイシー、エルム、そしてポポッチ一味の五人。


 ルイシーは、国中に散っている元フォルサ傭兵団の傭兵達と今でも連絡を取っており、ポポッチに例の四人が適任と紹介をする役割を担った。


 ポポッチ一味に様々な装置を作り、提供していた人物。

 彩芽と同じ世界から来た、ポポッチの相談役にしてオルデンの憧れの人パトリシアもカトラス王国にいながら計画に大いに貢献した。


 そして、王都の会議に出ているネヴェルの魔法使い、魔法の傀儡人形を提供したサヘラと、ポポッチ一味に変身の指輪を提供したマーゴスも計画に協力していた。




 その入念な計画の中で、大きくイレギュラーな動きを見せたのが、彩芽。

 では無く、彩芽の影響で変わってしまったストラディゴスだった。




 多くの民が苦しむ戦争でも、王家以外に得をする人々がいる。


 それは、騎士や傭兵である。

 彼らは実質的に他人の争いの代理をする事で、富と名声を得る職業なのだ。

 それは、今でこそ平和なネヴェルでも変わる事は無い。


 ストラディゴスは、基本的に戦争は稼ぎ時と前向きな為、戦争を終わらせる計画の頭数には、当初から入れられていなかった。


 彼は、当初の計画では、エルムの指示に従い、他の兵士や騎士達と同様に真相も知らずに、計画に深く関わる事も無い筈であった。

 元カノ達が敵として現れても、ルイシーでさえストラディゴスがここまで苦しむ事は無いと思っていた。


 ところが、蓋を開けてみれば、大芝居の中に台本も無く乱入してしまい、右往左往しか出来ないまま誰の目に見ても酷い目に遭っていた。




 オルデンは、アスミィがストラディゴスの乱入による妨害のせいで、仕方が無く彩芽をさらったあの日、彼も計画に加えるべきか一応迷っていた。

 彩芽を心配する忠臣を、安心させてやりたいと思ったのだ。


 しかし、それを許さなかったのは、ストラディゴスの最大の理解者であるルイシーであった。

 ストラディゴスの変化を機敏に感じ取ったルイシーは、これを好機ととらえた。


 自身の過ちに、どんな形でも向き合う機会があるのなら、ストラディゴスが本当に愛する人に相応しい自分になるには、自分の罪と向き合い乗り越えるべきだと言い切ったのだ。

 ルイシーの提案によって、例の公開事情聴取が行われ、思惑通りストラディゴスは過去のあやまちと向き合う事になった。


 今回の事件は、ストラディゴスにとってしてみれば、過去の自分と向き合う為の試練であった。




「あの、なんでそんな大事な事、全部私に?」

 どう考えても部外者である彩芽に、話す意味が分からなかった。

 しかし、オルデン達には何か考えがある様であった。


「アヤメにも、協力してもらいたい事があってね」


 メイド姿のままのオルデンに、彩芽は新たな計画を聞かされる事になる。




 * * *




 ネヴェルの船団が町に戻ると、城の屋根の上に巨大なフィリシスの姿が見えた。


 自分達が留守の間に、城が陥落していた事実に、騎士団員も兵士達も動揺を隠せない。

 戻る城を失い、城に掲げられたカトラスの旗印を目に、敗北を実感する。


 エルムが船舵のある甲板に上り、深刻そうな顔をして柵にもたれかかった。


「オルデン公……申し訳ありません……」


 エルムの悲痛な表情。

 それを間近で見ていたストラディゴスもまた、自分の元恋人達によって受けた手痛い敗北を受け入れるしかない。


「エルム、俺は」

「ストラディゴス、もうお前を責めたりしない。これは騎士団長である俺の責任だ」

「でもよ……」

「総員、聞いてくれ! これより王都へと向かう! 一度体勢を整え、それから城を奪還するぞ!」


「団長! 竜の手を見て下さい!」

 マストの上で監視していた兵士の声。

 一同が竜の手に注目する。


 エルムが単眼望遠鏡で見ると、竜の手には人が握られていた。


「あれは、アヤメか!? 人質のつもりか」

 エルムは苦虫を噛み潰したような顔をし、苦渋の決断を下す。


「……一時撤退だ! 舵を切れ!」


「待ってくれ!」


 ストラディゴスはエルムに食い下がった。


「なんだ」

「アヤメをあのままにしていく気か!?」

「今の戦力じゃどのみち助けられない。船同士の砲撃戦や白兵戦ならともかく、竜相手に攻城戦を挑む気か。冷静になって考えてみろ。竜に有効な攻撃を出来る者がこの中に何人いる。犬死だ」


「頼む」

「いいや、駄目だ」

「俺が囮になる」

「それで何になる。提案するつもりならちゃんとした作戦を考えろ。無いならお前も船を手伝え」


 船員や兵士、騎士達は、エルムの命令通りに既に船の操舵を始めている。

 ストラディゴスは必死に考えた。

 エルムの言う事は、どれも最もであった。

 それでも、目の前で大切な人が捕まっていて、見捨てていく事など出来ない。


「突っ立ってるつもりか?」

「……りる」

「なんだ、ハッキリ言え!」


「船を降りる」


「そんな事の許可はできない」

「許可なんているか! 俺は一人でも行くぞ!」

「命令に逆らうつもりなら、今すぐ騎士を辞めろ!」

「辞めてやる! そんなもの!」


 ストラディゴスは騎士章を海に投げ捨てると、荒波の中に飛び込んでしまった。

 想定外の行動にエルムや乗組員達が海を見ると、巨人が鎧の重さも物ともせずに陸地に向かって泳いでいる姿が見えた。


「あのバカ」

 そう言いつつも、エルムの表情は少し嬉しそうであった。



 * * *




「来ると思うか?」

「さあ」


 フィリシスの質問に、彩芽は答える。


「来なかったら、どうするよ」

「どうするんですか?」

「元の計画に無いシナリオだからな。知らん」


 彩芽は溜息をついた。


「あの、なんで私なんですか?」

「だから、言ってるだろ、あのエロ巨人がお前にぞっこんなんだよ」


 彩芽は、納得出来ない。




 計画の全貌をアコニーとオルデンに聞かされた彩芽は、計画の仕上げの協力を依頼された。

 フィリシスに捕まって、囚われの姫を演じて欲しいと言うのだ。


 ストラディゴスが自分の事を好いているのは、薄々わかっていたが、ぞっこんと言うのには違和感があった。


 仲の良い飲み友達が、実は自分に片思いだった事を他人に知らされたのだ。

 正直、どうすれば良いのか分からない。


 ストラディゴスの事は好きだが、彩芽の中での好きは、あくまでも友人、良くても親友としてである。

 自分に対して父親の様に接する巨人は、共にいて居心地は良かった。

 だが、それが恋愛感情ではないのはわかっている。


 わかっているのだが、彩芽の中にもストラディゴスに対して、何か思うところがあった様な感覚もあるにはある。

 しかし、それの原因がどうしても思い出せない。


「あの、フィリシスさん」

「フィリシスで良い。なんだ」

「昔、付き合ってたんですよね?」

「ああ」

「今も好きなんですか?」

「このタイミングで……そう言う事聞くか?」


 竜の表情は読めなかったが、聞きにくい事を聞いてくれるなと言う顔をした。


「あ、いや、ごめんなさい」

「……」

「まだ好きなのに、こんな事してて良いんですか」

「続けるのかよ!」

「大事な事なので」


 フィリシスは仕方が無いと話を始める。


「俺は良いんだよ。結局、惚れた弱みってのかな。あいつの好きなようにしてやりたいんだ」

「あの」

「まだ聞くのか?」

「一緒に飲んだ時に、ストラディゴスさん、殺されかけたって言ってたの、本当ですか?」


「ああ、それは本当だよ。あの野郎、俺が一番って言いながらアスミィ達三人と同時に」

「付き合ってたんですよね」

「いんや。寝てやがった」


「想像以上に最低だった!?」


 それは修羅場にもなるわと彩芽は思う。

 だが、それを聞くと別の疑問が頭をよぎる。


「そんなことされて、今でも好きって、ストラディゴスさんのどこが好きなんですか?」

「どこがって、そりゃお前、一言じゃ言えないだろ。顔も好きだし、性格だって、それに、その……身体の相性も……(ごにょごにょ)」


 彩芽は、照れながら話す竜の話を聞きながら、フィリシスの言葉が頭の中のどこかに引っ掛かった。


「お、噂をすれば最低野郎のご登場だぜ」


 フィリシスは竜の口角をあげて凶悪な笑みを浮かべた。





「今頃になって騎士様のお出ましか、遅かったじゃないか」


 フィリシスが、ずぶ濡れのストラディゴスを挑発した。

 ところが、ストラディゴスからは思わぬ返事が返ってくる。


「俺はもう騎士じゃない。フィリシス、頼めた義理じゃないのは分かっている。どうか、その人を放してくれ」

「騎士じゃないだぁ? 一人でのこのこ出てきて、面白い事を言う様になったじゃねぇか。騎士はお前の目標だったろう……そんなに、こいつの事が大事なのか!?」

「そうだ!」


 ストラディゴスの言葉に、フィリシスはイラついた。


「あの時の私よりも……ルイシーよりもか……」

「……」

「答えろ浮気野郎!」

「そうだ!」

「こいつと私の何が違う!」


 フィリシスは、明らかに熱くなっていた。

 まだ未練のある好きな相手との久々の再会。


 ストラディゴスの為にと頭で思っていても、本心ではまだ自分を見て欲しい気持ちは変わっていない。


「アヤメは、俺を救ってくれたんだ!」


 ストラディゴスの言葉を聞いても、彩芽はどの事を指しているのか分からない。


「お前が、お前とルイシーが俺を救ったんだろうが! 俺は、それを返そうと……俺じゃお前を救えなかったって言うのかよ! どうすれば良かったんだ! くそっくそっ……ああぁダメだ。気が変わった。こいつは、自力で取り戻してみな!」


 フィリシスは巨大な翼で飛び立つと、見張り塔の上にとまり、尖塔に彩芽を縛っていた縄を引っかけた。

 塔の頂上では、宙吊りにされた彩芽が「計画と違う!」と文句を言っているが、その声は誰にも届かない。




 ストラディゴスは、やるしか無いのかと巨大な剣を鞘から引き抜く。

 フィリシスが、ようやくやる気になったかと、城の中庭に降り立った。


 イライラする。

 フィリシスは思った。

 胸糞の悪さは、浮気をされた時の方がいくらかマシにさえ思えた。


 ストラディゴスは剣を静かに構える。


 対峙する二人、巨人と竜。

 フィリシスが先に仕掛ける。

 空に飛び上がると上空を旋回し始める。


 城内にいた人々は、ただ一人戻ってきた巨人が、竜と戦い始めるのを見ると、一目散に城下町へと逃げだした。

 その光景を塔の頂上で見ている彩芽は「話が違う!」と叫ぶ事しか出来ない。




 当初の予定では、ストラディゴスが彩芽を助けに来たら、彩芽を助けて欲しければ捕虜になれと言って捕え、四人の元カノに対して謝る機会を作り、そこで計画をバラシて協力させる筈であった。


 ところが、彩芽の見下ろす城の中庭は早くも火の海になり、フィリシスとストラディゴスは本気でやり合っている。


 彩芽は、どうして計画通りに動かないかなと思いつつも、フィリシスが今でもストラディゴスの事が好きなら付き合えば良いのにと思った。


 ストラディゴスも、フィリシスの事が嫌いではないのは、今の状況になる前の態度で分かる。

 一体、こんな自分のどこにストラディゴスが惚れているのだろう。


 彩芽が考えると、思い当たる節が一つだけあった。

 急にストラディゴスが優しく感じた二日酔いの日。

 その直前にあった空白の時間。


 リバースしたあの時、何かがあったとしか思えない。


「そりゃお前、一言じゃ言えないだろ」と言ったフィリシスの言葉が、印象に残った事を想い出す。

 何を、一言では言えないのか。

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