第6話

 城壁の上で笑い、話す、彩芽とオルデン。

 そんな二人を下から見つけてしまい、オルデンの見せる、自分達には見せた事の無い自然な笑顔に、やはりと思う事しか出来ない。


 月明りの届かない城壁の影で見上げるだけのストラディゴスは、切なさを噛みしめる。

 ストラディゴスの気持ちを表す様に、流れる雲が月の一部を隠し、あたりが雲の影に入る。




 その時、城壁の上で、二人以外の影が動いた様に見えた。

 どう見ても、当直の兵士では無い。


 そう思った直後に、ストラディゴスは気付く。

 城壁の上にいる筈の兵士の姿が見当たらない事に。


 ストラディゴスは、すぐに走り出した。


 オルデンとカードをした時のままの恰好で、一切の武装が無いが、そんな事は言っていられない。

 不審者が二人を狙っているのなら、素手だとしても命を懸けて守らなければならない。

 二人が逃げられればそれで構わないし、素手でも負ける気などない。




 影がストラディゴスの動きに気付いたのか、城壁の上を二人に向かって一気に駆けだした。


「オルデン公! アヤメ殿! 逃げろ!」


 叫ぶも、二人は迫る影に気付いていない。




 音も無く二人に忍び寄った影は、近くにいた彩芽の背中に飛びつくと、そのまま彼女を羽交い絞めにした。

 奇襲に呆気にとられるオルデンは、すぐ我に返り、彩芽を助けようと腰の短剣を抜く。

 しかし、襲撃者の持つ鋭い爪が彩芽の首に当てられ、オルデンは動きを止められてしまう。


「動くにゃ! 領主、武器を捨てて大人しくこちらに来ていただきましょうかにゃ」


 闇に溶け込む漆黒のフードとマントを深くかぶった襲撃者は、女だった。

 顔は良く見えない。


「何者だ!」

 オルデンの言葉に、襲撃者は不敵に笑う。


「アサシンがイチイチ名乗る訳ないにゃ。でも目的は教えてあげるのにゃ。それはあんたの誘拐だにゃ! 恐れ入ったかにゃ!」


 彩芽は、自分を羽交い絞めにする女が語尾に「にゃ」をいちいちつけるので、会話が締まらないと微妙な気持ちになる。

 これは、彩芽の中にある翻訳してくれている何かの言語変換の特性のせいであり、実際の異世界語では地方訛り程度の言葉の違いしかない。


 危険な筈なのだが、危機感が上がりきらない。


 と言うよりは「にゃ」が無くても、襲撃者の言葉は頭が悪そうであった。




「僕を誘拐だと!?」

 オルデンが言うと、彩芽の首筋から一滴の血がこぼれ落ちる。


「この子がどうなっても良いのかにゃ? ディー、お前も動くにゃよ! お前も連れて行くにゃ!」


 ストラディゴスは、階段の途中で動きを止められる。


 何があっても彩芽を助けなければと手だてを探すが、締まりのない襲撃者には、意外にも隙が無い。


 だが、どうして自分のあだ名を襲撃者は知っているのだとストラディゴスは違和感に気付く。

 と言うよりも、声と喋り方に聞き覚えがあった。


「その人はネヴェルとは関係のない客人だ! 放してくれ!」


「お前らが動けないなら、そんなの関係ないにゃ。でも、遊んでくれたから傷つけたくないのにゃ。だから……にゃにゃっ!?」





 瞬間、襲撃者に放たれた鋭い一閃。


 敵味方誰にも悟られる事なく闇に乗じて城壁に上がってきたエルムによる、容赦の無い強烈な槍の一突きが襲撃者のかぶっていたフードを貫いた。


 しかし、手ごたえは無く、彩芽は自分の顔の横に突き出された槍の切っ先に腰を抜かして座り込んでしまう。


 襲撃者は、咄嗟にフードを空中に置いたまま足を広げ、上体を現界まで下げ、身体を地面すれすれまでかがめて、エルムの後ろからの奇襲を避けていた。


 ストラディゴスは、この隙に彩芽とオルデンと襲撃者との間に割って入り、狭い城壁の上で襲撃者はストラディゴスとエルムに完全に挟まれる。


 オルデンが腰を抜かした彩芽に寄り添い、守るように短剣を構え、形勢が一気に逆転した。




「もう来たにゃ!? っていうか殺す気だったにゃ!? こっちは誰も傷つける気は無いのにゃ! 暴力反対にゃ!」


 月を隠していた流れ雲が晴れていき、襲撃者の姿が月明りのもとに晒されていく。


 その襲撃者は、美しい獣人であった。

 黒い獣耳に黒く長いしなやかな尻尾、金色の大きな目を持っている。


 猫の特徴を持った黒髪の美少女である。


 フードとマントの下には、何も着ておらず、全裸だが、恥ずかしがる素振りは一切無い。

 その腰には、不自然な程にゴツゴツとしたデザインのベルトを締めているのが、誰の目にも気になった。


「どこから入り込んだ!」


 エルムが叫ぶと、オルデンがハッと気づく。


「猫に化けていたんだ! 変身するぞ、気をつけろ!」


 ストラディゴスは、襲撃者の姿を見て、思わず叫ぶ。


「アスミィ! なんでお前が!?」

「ちょっとしたお使いにゃ。あと、あの時の続きだにゃ!」


 アスミィと呼ばれた襲撃者とストラディゴスの会話を聞いて、槍が破いたアスミィのフードを壁下に投げ捨ててエルムが叫ぶ。


「その猫女は何だ! 知り合いなのか!」


 エルムは殺気全開のままで、槍を構えたままアスミィに警戒する。

 だが、ストラディゴスの返答を待っている為、攻撃できない。


 すぐにエルムが呼んでいた兵士達が、弓を構えてアスミィを取り囲み、包囲が完成する。


「やばいにゃっ!? やばいにゃっ!? 計画失敗だにゃ!?」


 アスミィが焦った声を出すと、オルデンが質問をぶつけた。


「これは誰の差し金だ! まさかカトラス王国か!?」


「助けてくださいなのにゃ、全部話すのにゃ、お願いだから殺さないでなのにゃ、ほんの出来心だったのにゃ」


 アスミィは観念したと態度で示すが、エルムは警戒を解かない。

 むしろ疑いの目を強めていく。


「ストラディゴス、知っているなら早く答えろ! 命令だ! この女は、一体何なんだ!」


 エルムにキレ気味に再び聞かれ、ストラディゴスは答えづらそうに白状した。


「元カノだ!」


 えっ!?

 と、思わぬ言葉に場が凍り付く。

 続くアスミィの言葉に、場は更に凍り付く事になる。


「嘘つきにゃ! ディーは私が浮気相手だって言ったにゃ! ふざけるにゃ!」


 なぜ、ストラディゴスの元カノもとい、元浮気相手が?


 そう皆が混乱していると、アスミィがオルデンと彩芽をチラリと見る。

 次に、エルムを確認し、ストラディゴスを最後に見ると、命乞いをしていたとは思えない不遜な態度で笑い出した。


「にゃっはっはっはっはっは! さっすがハルハルにゃ! プランBも完璧だにゃ!」


「何が可笑しい、黙れ!」


 エルムが言い終えるより早く、アスミィが城壁の上の凸凹の横を上を、立体的に爪でとらえて蹴り駆け、ストラディゴスの横から通り抜けると、オルデンに向かって行く。


 誰もその動きについて行けないまま、アスミィは直前でターゲットを切り替え、武器を持たず戦えそうも無い彩芽に飛びつくと、再び羽交い絞めにして人質にしてしまったのだった。


 彩芽も含めた全員が、オルデンが狙われたとフェイントに引っ掛かり、判断が一瞬遅れてしまう。

 弓兵達は、味方が邪魔で射るに射れない。


「ディー! お前の元カノも来てるにゃ! カモンにゃ~~~!!!」


 そうアスミィは言うと、腰のベルトからピンを抜き、ワイヤーを力いっぱい引っ張った。

 すると腰のベルトの背部が弾け、中から風船が一気に膨れ上がり、アスミィと、アスミィが捕まえている彩芽の身体を一瞬にして空の上へとさらってしまった。


「バイバイなのにゃ~~~~~~~~~~~~~~~~!」


 と、空に遠のいていくアスミィの声。


 彩芽は、想定外の事態に叫び声の一つも上げられない。

 驚きすぎると、人は叫ぶことさえ出来なくなるらしい。


「アヤメエエエェェーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」


 ストラディゴスの絶叫が聞こえたのを最後に、彩芽の耳には風音以外聞こえなくなった。





 アスミィの腰のベルトから飛び出した風船によって、今もなお急上昇する視界を前に、彩芽は自分の身体をがっしりと捕まえているアスミィの腕を、恐怖から掴む事しか出来なかった。


 今、この腕を放されれば、地面に激突して確実に死ぬだろう。


 彩芽が不安な事を悟って、アスミィが足も巻きつけて、がっちりと彩芽の身体を密着して固定する。


 背中に当たるしなやかな筋肉の感触。

 アスミィの裸体からドレス越しに体温が伝わってくる。

 猫をさわったように少し熱く感じるが、種族の差で基礎体温が高いからであって、今はそれどころでは無い。


「巻き込んじゃって悪かったにゃ」


 アスミィが謝ってくるが、彩芽はそれどころでは無い。

 風の轟音で、まず殆どなにを言っているか分からない。


 その上、風船の強力な浮力で、ネヴェルの街も城も遥か下に遠のき、見張り塔の頂上で見た光景が霞むほどの高い視界に目がくらむ。

 上限の無い逆バンジーみたいなものだ。




「にゃっ! お迎えが来たにゃ!」


 アスミィが片手を放して、空を指さす。


 彩芽は、なに手を放しているの!?

 と、その手を慌てて自分に巻きつけ直す。


 アスミィが「さっきとは逆にゃ」と、城壁の上で抱きかかえられていたのを思い出し笑う。

 声は聞こえないが、背中で彩芽にも笑っているのが分かった。


 それから、アスミィが指さした方を見ると、星空に浮かぶ雲海の中に、何かが潜み近づいてくるのが見えた。




 遠く小さかったそれは、段々と大きくなり迫ってきて、彩芽にはまるで大空の雲の中を泳ぐ巨大なサメかワニが迫ってくる様な、絶望的な光景に見えた。


「紹介するにゃ、彼女がフィリシスちゃんにゃ」


 風の切れ目で、アスミィの声が少しだけ聞こえた。


「フィリシス?」


 雄大な姿で空を飛ぶその竜は、大きさはジェット機ほどもある。


 フィリシス、彼女は彩芽がこの世界に来た時に、遠くの空に見た竜であった。

 黒い身体が夜空の迷彩になり、雲を出ても月明りが無ければ、地上からは空の星が抜けて見えるだけだろう。


 フィリシスと呼ばれた竜は、上昇し続ける風船を目印に、アスミィと彩芽を手でキャッチすると、進路を変えて海の方へと飛んでいった。




 * * *




 ネヴェルから数十キロ離れた南の海上。


 二十隻のカトラス王国船団。

 その旗艦に彩芽は来ていた。




 自分をさらってきた猫人族のアスミィ(もう服は着ている)に主君を紹介される。


「あやめちゃん。カトラス王国の救世主、ポボッチ・ズヴェズダー王子だにゃ」


 ここまでさらわれて来た彩芽は、不信感一杯に「変な名前」と思った。


 赤い絨毯が敷かれた大きな船室。


 部屋の奥には、金ぴかの派手な椅子に座る、横柄な態度の男が一人腰をかけ、彩芽を見ている。

 鍛え抜かれた上半身は裸で、下半身はアラブ系の国にありそうなダボダボのズボンで、金の糸で縫われているのが分かる。

 腰に赤い布を巻いていて、足は裸足である。


 その顔は鼻筋が通っていて、凛々しく、短い金髪をオールバックにしていて、髭は無い。

 燃えるような赤い瞳が絵になる。

 悔しいが、顔だけは中々に彩芽の好みであった。


「ごくろうだったな、アスミィ。で、こいつは何者なのだ?」


 彩芽は、好みなのは顔だけと、手の平を返す。

 そもそも、自分をさらった連中の親玉に対して、好みも何も無い。


「ネヴェル領主の女にゃ。猫好きのいい子にゃ」

「我輩は、領主を連れてこいと言ったよな?」

「言ったにゃ。失敗しちゃったにゃ」

「こいつは領主か?」

「だから、領主の女にゃ。ポポっちはちょっとバカなのにゃ」


 彩芽は耳を疑う。

 自分の仕えている王子に、バカって言った?


 アスミィがポポッチが見ている前で、彩芽に残念な顔をしながら耳打ちをした。


「王子はちょっとバカにゃ。あまり可哀そうな目でみないであげて欲しいのにゃ」


 彩芽がポポッチを見ると、頭が痛そうに眉間を指でつねっていた。

 怒るのかと思ったが、いつもの事らしく六秒ほど我慢している。


「んんんんん……まあ、いい。そいつが領主の女と言う事は、交渉に使うつもりなのだな」


「そうにゃ」


 彩芽は、小さく手をあげた。


「どうぞ」


 ポポッチの横に控えていた兎耳の美女が彩芽に発言を許可した。


 見るからに参謀と言う雰囲気で、長い髪の毛を団子にして後ろにまとめて、眼鏡をかけていて知的である。

 服装は、アスミィと同じ揃いの服で、ボディラインが良くわかる軽装である。

 腰には細身の剣、レイピアをさげていた。


 その左右対称の位置には、やはり同じ格好をしたダークエルフの美女が何も言わずに立っていた。


「あの私、領主様の女でも何でも無いですよ」


 ポポッチは、更に頭が痛そうに眼を強く閉じている。

 六秒ほど。


「あやめちゃん、王子は頭痛持ちだから、気にする事ないにゃ。いつもの事にゃ。でも、ちょっと心配だにゃ」


 アスミィが耳元で囁いてくる。

 彩芽は、色々なベクトルで不安になった。




「それでは……おぬしは何者なのだ?」


「えっと」

 オルデンに異世界から来た事は言わない方が良いと言われた事を想い出し、少し考える。


「木城彩芽っていいます。ポポッチ王子、様。私は……ネヴェル騎士団の副長さんの、その、飲み友達です」


「飲み友達? では、その服は何なのだ? それはオルデン家の紋章にも使われている蒼ではないのか? その色の服を着る事が許されているのは、マルギアス国内ではオルデン家の人間だけなのは我輩でも知っているぞ」


「オルデン公に、その、色々あって服を捨てられてしまって、代わりの服が手に入るまでと借りたんです」


「見え透いた嘘……いや、しかし、そうか、服を捨てられた。アスミィ、この……」

 ポポッチは、服を捨てられる状況を想像するが「なるほどわからん」と置いておくことにした。


「あやめちゃんだにゃ」


「あやめを丁重に扱え。ネヴェルの完全降伏に使えるかもしれん。このドレスをネヴェル領主が許したと言う事は、それなりに価値がある筈だ」


「あの……」


 彩芽は再び手を小さく上げる。

 なんだろう。

 敵、なのだが、喋りやすい。


「どうぞ」

 と、兎耳の参謀が再び許可を出す。


「私を連れてきて、その、何が目的なんですか?」


「何が? これからマルギアスと戦争をするのだ。おぬしも、それぐらいは知っているだろう? ならば、開戦前に叩けば良かろう。ネヴェルはマルギアスの生命線。あそこを落とせば、挟み撃ちに出来るだけでなく、マルギアスは飢えて戦う事もままならなくなる。そうなるとどうなる?」


「カトラスが広くなるにゃ」

 と、アスミィ。

「王子の王国内での評価が上がります」

 兎耳の参謀も思っている事を口に出す。

「被害を抑えられます」

 ダークエルフの女も口を出す。


 ポポッチは、ダークエルフを見て「それだよそれ!」と嬉しそうに褒める。


 彩芽は、目の前のポポッチやアスミィ達がただの変人集団では無いと、ようやく理解した。


 当初の目的では彩芽ではなくオルデンを拉致して、交渉の材料に使おうとしていたのだ。

 ネヴェル領主を押さえる事は、ネヴェルを落とす事に直結する。


 そして、作戦に失敗しても首謀者の正体を明かす事なく彩芽の誘拐に成功し、エルムを相手に双方無傷で作戦を終えているのだから、アスミィはただ者ではない。

 アスミィはあの追い詰められていた状況で、彩芽が最も楽に誘拐でき、同時に価値があると判断し、戦利品として持ち帰ると同時に、彩芽を弓兵への盾にして空へと安全に脱出しているのだ。

 仮に、彩芽に交渉材料の価値が無くとも、ポポッチ達には損が何もない。


 アスミィが犯人だとストラディゴスが知っていても、どこに逃げたのか分からなければ手の出しようは無いのである。




「さて、我輩達の目的を知って、おぬしはどうする。陸まで泳ぐのか?」


 ポポッチが最高の決め顔で言うと、ノックも無く部屋の扉が開く。

 そこに、アスミィと揃いの服を着た別の女が部屋に入ってきた。


「フィリシスちゃん、さっきは助かったのにゃ」

「アスミィも、お手柄みたいだな」

「ポポっちも褒めてくれたのにゃ」


 フィリシスと呼ばれた女は、どうやらここまで彩芽とアスミィを連れて来た竜の様だ。


 頭部には二本の角。

 身長の二倍はある長い尻尾が腰から生え、四肢を覆う様に鱗があるが、背の高い人間の女にしか見えない。

 ポポッチの瞳は燃えるような赤だったが、フィリシスの瞳は地の底を流れるマグマの様なオレンジがかった赤である。

 膝まで伸びた長い黒髪に、日に焼けた様な浅黒い肌の美女。


 この人が、ストラディゴスの元カノかと、彩芽はまじまじと見る。


「怪我は無いか?」


 フィリシスに話しかけられ、彩芽は思わぬ気遣いに驚く。


「あやめちゃん、首けがしてるにゃ。いつ怪我したのかにゃ?」

「爪で……」

「ごめんなのにゃ! ハルハル、傷の手当にゃ!」


 アスミィに話しかけられ、ダークエルフが見に来る。

 すると、呼んでもいないのに兎耳の女も「大丈夫?」と寄ってきて、彩芽の傷の具合を見出した。




 ポポッチが目を閉じて瞼をマッサージしながら彩芽達に「我輩の事無視するの、やめてくれる?」と呟くが、その言葉は誰の耳にも届いていなかった。




 彩芽がさらわれた一方、その頃ネヴェルでは。




 領主誘拐未遂と、領主の客人誘拐事件が起きたとして大きな騒ぎとなっていた。


 マルギアス王国と戦争状態に突入するカトラス王国は、東西で隣接する国である。

 大陸最西端のマルギアス王国では、敵は東からやってくると言うのが常識だ。


 地理的な問題だけでなく、最西端の商業都市ネヴェルを守る騎士団が優秀ゆえに、敵もすき好んで最初に攻めて来ることが無いと言う今までの経験則が、この常識の根拠である。

 東から攻めれば、ネヴェル騎士団は到着には時間がかかり、移動の消耗も合わさって敵からすると良い事尽くめなのだ。


 しかし今回は、その盲点を突かれた事に間違いは無かった。




 状況を更に悪化させているのは、首謀者が分からない事だった。

 戦争状態に突入予定のカトラス王国が犯人だとしても、証拠が無ければ戦争以上の事は何も出来ない。

 証拠があっても、周辺の国に卑怯者国家のレッテルを張られる以上のデメリットは今回の戦争に限って言えば無く、カトラス王の命令なのか、六人いる王子の誰かが犯人なのかも分からない。


 分からなければ、相手から接触があるまで待つしかないのが現状である。


 さらに都合の悪い事に、ネヴェルに三人いる魔法使いのうち二人は王都の会議に出ていて不在な上、誘拐犯の一人が竜人族だと分かり、兵士達には動揺が広がっていた。




 * * *




 事件の直後エルムは、ストラディゴスに対して、対応の不手際と犯人と知り合いである事に憤っていたが、それ以上に小娘に出し抜かれた自分の不甲斐なさに腹が立ち、オルデンの為、さらわれた彩芽の為に、救出の準備を進め始めていた。


 その中で、ネヴェル騎士団副長のストラディゴス・フォルサは、玉座の間にて領主オルデン公爵と騎士団長エルムによって直々の事情聴取を受けていた。

 その場には、フォルサ傭兵団出身の騎士、兵士、使用人にメイドと、全員が傍聴に集められ、さながら裁判である。

 しかし、ストラディゴスの過去の過ちを今責めている暇など無く、犯人に繋がる情報の収集が最優先に行われるのだった。


 オルデンは、家臣達にこれ以上の動揺が広がらないように平静を保っているが、彩芽の事が気がかりでならないのは皆にも分かっていた。




「フォルサ、では、犯人はその二人は間違い無いんだね?」

「恐らくは……」


 自身の犯した過去の罪が追ってきている。

 ストラディゴスは、力なく答える事しか出来ない。


 直接的には、ストラディゴスに非は無いと言える。

 だが、間接的に考えると、自身が全ての原因に思えてならない。




 竜人族のフィリシス、猫人族のアスミィ。

 アスミィがハルハルと言っていたのを素直に受け取るなら、恐らく、裏にはダークエルフのハルコスがいる。

 もしかすると兎人族のテレティもいるかもしれない。


 そうストラディゴスが伝えると、その四人を知っている元傭兵団員達から、現在彼女達がどこに所属しているのか、何者なのか等が聞かれ、活発な意見交換が行われる。


 そうすると、どうしても過去の事件に触れざるを得なくなり、ストラディゴスは衆人環視の前で自身がどんなに愚かな事を行ってきたのかを、仲間達の口から客観的に聞かされる事となった。


 これは、彩芽と出会ってしまった今のストラディゴスには、相当に堪える拷問に等しい事であった。





 カチカチカチ……




 カトラス船団の旗艦。

 その中にある小さな客室で軟禁される事になった彩芽は、簡素なベッドの上にドレスのまま寝っ転がり、天井を見つめていた。


 誘拐されるのは、初めての経験である。

 彩芽の身柄はオルデンとの交渉の材料に使うと言っていたが、自分に人質としてそれ程の価値があるとは思えない。

 そうなると、ここで黙って捕まっていて状況が好転する事は無いと考えて、自ら行動を選択せねばならない。


 価値が無い人質が最後にどうなるのかは、ポポッチ達を見ていても予想もできないが、希望的観測で動くのは良くない。


「常に、最悪の事態に備えてこそ、いざと言う時に道が開ける」


 とは、件の先輩(女)の言葉であり、彩芽が長らくおざなりにしてきた言葉でもあった。

 リスクマネジメントなんて難しい話ではなく「保険は、常にかけておけ、備えよ常に」と言う事だ。


 必要に迫られ、忠告の意味が初めて分かる時もある。




 カチカチカチ……




 窓の外を見ると水平線の向こうを見ても陸地は見えず、半径数キロ圏内に島が無い事が分かる。

 泳いで逃げるのは不可能だし、何よりも怪物魚がいる海を泳ぐのは避けたい。

 ボートを奪ったとしても、素人が手漕ぎで陸地に辿り着けるかは疑問が残るし、相手には空を飛べる竜人がいるので、逃げ切れるとは思えない。

 そうなると、自力での脱出は、ほぼ不可能と考えて良いだろう。


 となると、別の生存戦略が必要となる。


 それはつまり、味方に居場所を知らせるか、味方を作ると言う事である。


 自分の位置を知らせる事は部屋から出られない以上出来ないが、味方を作る事なら相手がいれば出来るかもしれない。


 最も可能性がありそうなアスミィは、彩芽の事を気に入っていたようだが、あまりにも行動が読めず、下手をすると悪気なくポポッチに報告してしまいそうな危うさを感じるので最後の手段だ。


 他に三人いた彼女達なら、攻略のヒントがあるのでは無いか。




 船室の扉がノックされ、彩芽は「どうぞ」と返事をした。


 そこに訪ねて来たのは、ダークエルフのハルコスだった。


「居心地はどう? 不便は無い?」

「平気です、けど……」

「もしよろしければ、少しお話をしませんか?」


 ハルコスは、彩芽がベッドの淵に座ると、向かい合う様にして椅子に座った。


「アスミィが連れてきてしまって、本当にごめんなさい」

「それなら、とりあえずネヴェルに戻りたいんですけど」

「すぐに、と言う訳にはいかないわ。でも必ず無事に帰してあげるから」


 ハルコスの常識的対応に、彩芽は目を丸くした。

 カトラス王国の面々の中で一番まともなのは、間違いなくハルコスだろうと思う。


「あの、聞いても良いですか?」

「何でも聞いて」

「どうしてマルギアス王国とカトラス王国は戦争をするんですか?」

「あなた、マルギアスに来て日は浅いの?」

「一昨日来たばかりです」


 彩芽の答えに、ハルコスはなんて不運な人がこの世にいるのだろうという目で彩芽を見た。


「それは災難だったわね。そうね、マルギアスとカトラスは昔からとても仲が悪いから、と言うのが主な理由ね。ほら、この地図を見て、二つの国の間に大きな空白があるでしょ? 何百年も前から、お互い奪い合っている土地で、戦争の最初の理由なんて誰も覚えていないわ。でも、ここを奪い合ううちに次の争いの理由が出来て、それを繰り返して今がある、これで伝わるかしら?」


「今回の戦争も?」


「そうね、もう少し詳しく言うと、どちらの国もあまり中央の内政が上手く行っていないの。だから、王家以外に敵を作って、隣から奪うのが今回の戦争の大きな理由よ。そう言う意味では、両方の王家で利害は一致しているわね」




 ハルコスから、マルギアスとカトラスの両国が置かれている状況を聞かされ、彩芽は聞きながら考える。

 どの戦争でも言える事だが、歴史と権力が関わると、途端に解決不能に思えてくる。


「ねぇ、私も気になってたんだけど……あなた、結局のところは領主様の何なの?」

「友達です」

「付き合いは長いの?」

「昨日会ったばかりです」


 ハルコスは、彩芽の答えで疑問が増えていくのを感じた。


「……あなた、貴族? それとも王族?」

「え? 平民かな?」

「……どうやったら領主様からそんなドレスをプレゼントされる様に、たったの一日でなったの? 是非聞きたいわ。そう言えばあなた、ディーとも友達なんですって?」

「ディーって、ストラディゴスさん、ですよね?」


 彩芽は、これこそがチャンスだと思った。

 どんな些細な事でも、共通点は情報を引き出す入り口になる。

 それが個人的であればあるほど、深い所まで踏み込むチャンスが生まれる。


「今もディーは、変わらない?」

「変わらない?」

「女好きかって事」

「はい。と言っても、一昨日、初めて会ったばかりなんだけど……」



 それから、ハルコスに異世界の事を伏せて、ストラディゴスと会ってからオルデンと出会い、さらわれるまでの経緯を細かに話した。

 彩芽の状況に理解を示しているハルコスなら、もしかすると助けてくれるかもしれないと思ったからだ。


 相手の得になる交渉材料が用意出来ない以上、自分の事を知ってもらって共感でも同情でも得なければ先に進めない。


 ハルコスは、熱心に彩芽の話を聞き、彩芽と同じ様に相槌を打ち、彩芽への理解を深めていく。


「話してくれてありがとう、アヤメ。あなたの置かれている状況は良く理解できたわ。あなたが一刻も早く解放される様に、ポポッチ王子に掛け合ってみる。少し時間がかかるかもしれないけど、ここで待ってて」


 ハルコスの親切で優しい言葉を聞いて、彩芽はこれで助かるかもと淡い期待を抱いた。




 その頃ネヴェルでは、誘拐犯から伝書カラスで届いた脅迫状によって選択を迫られていた。


「アヤメを返して欲しければ、ネヴェル領主一人で来いだと!?」


 脅迫状には簡単な地図が描かれ、ネヴェルからは少し離れた場所にある入り江の砂浜が場所に指定されていた。

 指定の時間は明日の日の出とあり、大掛かりな準備にかける時間は無い。


「罠ですオルデン公」

「わかっている。だが、無視をする訳にもいかない」

「あなたが捕えられでもすれば、アヤメを取り戻せてもネヴェルが落ちます」


 エルムに進言されずとも、そんな事はわかっている。


「エルム、すぐに支度をするんだ」

「どうされるのですか」

「アヤメを取り戻し、犯人も捕まえる。すぐに斥候を出して入り江周辺を調べさせろ。それから、船の準備もしておくんだ」




 * * *




 その頃、ストラディゴスは自室謹慎を言い渡されていた。

 アスミィ達の狙いの一つがストラディゴスにあるのなら、矢面に立たせるのは馬鹿げている。


 彩芽と出会い、一睡もせずにここまで過ごしていたストラディゴスは、自分のベッドで横になる。


 助けに行きたいのに行くと邪魔になりかねないジレンマ。

 どこまでも不甲斐ない自分に嫌気がさす。


 すると、慌ただしい城内のテンポとは少しずれたノックが扉から聞こえてくる。

 眠ろうと思っていたが、オルデンやエルムなら出ない訳にはいかない。

 もしかしたら、やっぱり彩芽の救出作戦に参加して欲しいと言う話かもしれない。




 ストラディゴスが扉を開けると、そこにいたのはルイシーであった。


「……どうした」

「入れて」


 ルイシーを部屋に入れ、扉を閉じる。


「なんだ。お前まで俺を責めるのか?」

「ううん違う。ただ、ずっと話をしていなかったから」


「疲れているんだ。すまん。今は勘弁してくれ」

「そうね、ごめんなさい。ならせめて、あなたと一緒にいさせて」


 ベッドに横になるストラディゴスの隣に座るルイシーは、目を閉じる巨人の頭を優しく撫でた。

 過剰な疲れからストラディゴスは、すぐに深い眠りへと落ちていく。




 巨人は夢を見た。

 それは、ベルゼルの酒場で見た、妄想の続きだった。


 自身の子を腹に宿した彩芽が、笑いかけてくれる、幸せな夢。


 夢は切り替わり、先に進む。

 赤子を抱いた彩芽。

 やがて子供が大きくなっていき、親子三人で囲む食卓。


 彩芽と会わなければ、思いつきもしなかった平凡だが幸せな未来。




 夢の中の家の扉がノックされる。

 扉を開けると、ルイシーがいた。


 ルイシーを彩芽に紹介する。

 彩芽は、笑顔で迎え入れてくれる。


 再び、扉がノックされる。

 傭兵団時代の仲間達が訪ねて来た。

 彩芽は、やはり迎え入れてくれた。


 再び、扉がノックされた。

 オルデンとエルムが訪ねて来た。

 久しぶりにカードでもやらないかとエルムに言われ、子供も混ぜてテーブルで遊ぶ。


 再び、扉がノックされた。

 そこには、過去に抱いてきた無数の女達がいた。


 気が付くと、家の中には自分以外の人影が消え去っている。


 悪夢。

 その時、やっとストラディゴスは求めていた夢を手にする権利は、とっくの昔に失われていた事に気付く。




 夢の中で女達はストラディゴスに群がり、快感を貪り始める。

 その女達の目に映っている巨人は、やはり快感に顔を歪めている。


 ストラディゴスにとって、女とは鏡であった。


 一番最初、ルイシーの目に自分を見た時から。

 それから先も、他の女の時もずっとそうだった。


 では、もう失ってしまった彩芽の目に映った自分は何者だったのだろう。




「たすけてくれ……」


 誰にでも無く助けを求めると、誰かに手を握られているのに気が付いた。

 群がっていた女達も消え、手の先には、ついさっき消えた筈の彩芽がいる。


 その黒いつぶらな瞳を覗き込む。


 そこにいたのは、彩芽であった。

 ストラディゴスは、彩芽を通して、自分の中の彩芽を見ていた。


 鏡に映る自分ではなく、ありのままの相手を見ようとしていたのだった。




 目が覚める。

 流れる涙がベッドのシーツを濡らしていた。


 気が付くと、朝になっている。


 ベッドに顔をうずめ、朝日を遮る。

 すると、彩芽の匂いが感じられた。

 それはそうである。

 ついこの前に彩芽がここで眠ってから、誰もこのベッドの上で寝ていないのだ。


 部屋を見ると、寝る前にいたルイシーは帰ったようで姿が見えない。


 部屋の外が騒がしい。

 何があったのか、窓から外を見る。

 そこには、ネヴェル騎士団が城に戻ってくるのが見えた。

 オルデンの乗る馬には、共に蒼いドレスに身を包んだ彩芽の姿があった。


 ストラディゴスは、部屋の壁に頭を押し付け、ただ彩芽の無事をこの世の全ての物に感謝した。

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