第5話

「大変よくお似合いです」

 メイド達に褒められ、彩芽は鏡の前でクルリとまわった。


 まるで、おとぎ話のお姫様の様である。

 ドレスが。




 目隠しの間仕切りの向こう側から、声が聞こえる。


「どれか、気に入った物はありますか?」

「あの、どれもすごい素敵で、私には勿体ないです」

「そんな事はありませんよ。どれでも好きな物を選んでください」


 彩芽はオルデンに城の衣装部屋に連れてこられていた。

 きらびやかなドレスから、貴族の礼服、乗馬服や狩猟着と、様々な服がある。

 だが、建物が石造りの砦の様な城である為、ブルローネの様な豪華絢爛さは感じない。


 八人のメイド達にとっかえひっかえ着替えさせられ、ファッションショーをするが、どれも窮屈(主に胸)で、シックリくるものが無い。

 胸を無理やりドレスにおさめると、おさまりきらない部分が過剰な谷間を作ってお尻の様に盛り上がって胸元が強調され過ぎてしまい、自宅では裸族の彩芽には締め付けが厳し過ぎる。

 長時間着ていると、呼吸困難になりかねない。


 と言って、胸に余裕がある服を選ぶと、今度は彩芽の腰が細すぎて、コルセットで服を締めても、見た目に恰好が締まらない。


 ようやくピッタリだと見つける服は、最初から胸が強調され、腰を限界まで細く絞る事を前提に作られた舞踏会用の勝負ドレスしかなく、これを着てすごすのには気が引けた。




 ポケットの中の物を出し、洗濯籠に脱ぎ捨てられたワインまみれのワンピース。

 それを見て、彩芽はストラディゴスの服のセレクトがいかに的確だったのかに気付かされる。


 本人曰く裸体を見ていないと言うので、服の上からの視認のみで、かなり正確な中身を推測している。

 胸だけは、サイズが用意できなかったのだろう。

 ブーツまで丁度良いのを選ぶとは、さすが女好き。


 気持ち悪いとは思わず、便利なスキルだと、思い出し、少し笑う。

 そこで、自分が着られる服を思い出した。




「あの、私が着てきた服は? 洗濯してくれてるって聞いたんですけど」


 彩芽の質問に、一人のメイドが答えた。

「アヤメ様の服でしたら、今夜お泊りになる部屋の方に既に運ばせております」


 彩芽は、食堂で目が合ったメイドだと思い出し、二度目の意識をしたので顔を覚えた。


 年齢は、行って二十代後半ぐらい。

 髪はブルネットのボブで、いかにもメイドと言った印象を受ける。

 服装は、もちろんメイド服なのだが、実用性と様式美を重んじている様で落ち着いたデザインにまとまっている。

 海外ドラマで出て来るイギリスの屋敷のメイド服みたいだ。


 恐らく、メイドとしての心得なのだろう、主人の道具に徹している風で、性格は読み取れないが、悪い人では無い様である。


「ルイシー、アヤメの服を持ってきてくれ」

「かしこまりました」



 ルイシーと呼ばれたメイドが部屋を出ていく。

 オルデンとは間仕切り一枚隔てられた場所で、彩芽は紐パン一枚で仁王立ち。

 少しの間、服を待つ事に。


 部屋に残ったメイド達の視線が、自分の胸に向かっているのに気付く。

 女同士でも、気になる物は気になる。

 ほんの少しだけ気恥ずかしくなり、彩芽は体勢を変えるフリをして両手を組むようにして胸を隠した。


 間仕切りの裏側でそんな事が行われているとは知らないオルデン公は、メイドがいるので異世界の話は避けつつ、気を使ってか、気になってか、彩芽に話しかける。


「アヤメ、君はフォルサの事はどう思っているんだい?」

「え?」

「フォルサにえらく気に入られているのは見ていて分かるよ。君の方はどうなんだい?」


「……好きですよ」


「本当に?」

「優しいし、親切だし、何より、一緒にいて楽しいです」


 彩芽の返答に、大食堂の巨人の叫びを聞いていたメイド達が思わずお互いの顔を見合わせる。

 その誰もが一刻も早く城内に情報を広めたいのだが、オルデンのいる手前、というよりも仕事のせいで動く事が出来ない。

 メイドの中には、かつてストラディゴスの傭兵団にいた者達はルイシー以外にも大勢おり、彼女達の大半は恩人としてまだストラディゴスを慕っていた。


「会った日の夜に、一緒にお酒を飲んだんです」

「フォルサらしいね」

 オルデンの声が笑っている。


「その時、すごい楽しくて、それで、たぶん友達に」

 メイド達の顔色が曇る。


「アヤメは、彼の事をどう思っているんだい? 異性として」

 メイド達はオルデンの質問に、間仕切り越しに「ナイス」と思う。


「いえ、異性としては……それに、それはむこうも同じだと思います」

 彩芽の答えに、彩芽以外の全員が「え、そうなの?」と言う気持ちになる。


「どうしてだい?」

「え、言っちゃって良いのかなぁ」

「僕は、口外はしないから」

 メイド達は「私達はします」と全員思う。


「ストラディゴスさん、私と会った時は、その、私の事を姫と間違えたんです。ブルローネの」

「ははっ! それは本当に彼らしい! あ、いや、家臣が嫌な思いをさせたね、彼に代わってお詫びする」

 聞いているメイド達は、内心「あちゃ~」と思う。

 ストラディゴスらしいが、なんて失礼な事を、と。


「それはもういいんです。その後なんです。ストラディゴスさん、私をエルムさんに紹介してくれるって約束した後に、その場で姫を買って、私を待たせて、その後もずっ~~~と、町を歩いている女の子とか、酒場にいた美人のお姉さんとか、目でチラチラ追ってるんです」

 メイド達は通常営業のストラディコスの話を聞き、フォローの言葉が見つからない。


「それは、別に彼をかばうつもりじゃないが、男なら誰でも多少はあるんじゃないかな。彼のは度が過ぎるのは認めるが」

 オルデンが申し訳程度にフォローする。


「でも、ストラディゴスさん、最初に会った時こそイヤらしい目で見て来たんですけど、一緒にお酒を飲んだ後ぐらいから、だんだんと私の事を見る目が……」


「見る目が?」


「私の、もう亡くなった父みたいで」




 * * *




 扉をノックする音が聞こえ、オルデンの返事でルイシーが部屋に戻ってきた。


「お洋服をお持ちしました」

「ありがと」

 彩芽が礼を言うと、ルイシーは黙って頭を下げ、メイド達の群れの中に戻る。


 さあ、これで元の格好だと思い、服を見る。

 骨柄Tシャツと黒いブラジャーと白いパンツはある。

 だが、ダメージジーンズが見当たらない。


 リアルダメージジーンズが、無いのだ。



「あの、私のズボンは?」

「申し訳ございません。洗濯係から受け取ったアヤメ様の服は、これで全てとなります」

「それって……」

 彩芽とルイシーのやり取りを聞き、オルデンが話に入ってくる。


「なにか無いのかい?」

「あの、ズボンが無いみたいで」

「どんなズボンなのかな?」

「オルデン公のお洋服の色と近い青い色で、膝とか裾とかがビリビリに破れてて」


「…………本当に、申し訳ない」

「いえ、あの代わりに履くものがあれば、私はそれで」


 オルデンは、何ともバツの悪そうな顔を間仕切りの向こうでしていた。


 着替えの目隠しである間仕切りの向こうから聞こえるオルデンの声が、珍しく焦って聞こえた。




 彩芽のズボンは、洗濯が終わった後にアイロンをかけられ、畳まれた。

 その後、誰かが間違えて「オルデン公の青いズボンが使用人の服に混ざっている」と慌てて、オルデンの衣裳部屋へと運ばれる。


 すると、オルデンに仕えているメイド達は、服を片付けていく中で、手触りが違うズボンに気付く。

 それを広げてみると、ズボンの裾も膝もボロボロに破れ、繊維が飛び出しているでは無いか。

 洗濯係に事情を聴いても、オルデンのズボンで破れなど、誰も知らない。

 洗濯係は、ストラディゴスの客のズボンだと認識しているからだ。


 いつボロボロになったか分からないズボンだが、オルデンの持ち物であるなら、勝手に捨てるわけにはいかず、といってすぐに補修できるダメージでは無い。

 意を決してオルデンにお伺いを立てると、オルデンは笑顔で「それなら、捨ててくれ」とあっさり言う。


 沢山持っている似た様な自分のズボンの一つがダメになって、いちいち確認する事は無い。


 こうして彩芽のズボンは、あっさりと捨てられる事となったのだった。




 なぜ、その様な詳細が分かるのかと言えば、その場にいるルイシーを除くメイド全員が、もろに関わってしまい、オルデンが自分が悪いと彩芽に謝罪するのを聞きながら、自分達が協力して捨てた事に気付いたからであった。


(ちょっと、あれだよね)

(あれだ……)

(やっちゃった……)


 メイド達の顔には、嫌な汗がダラダラと流れていた。

 アイコンタクトで事態を把握しあう七人のメイド達。


 オルデンの賓客の物を間違って捨てたとあれば、下手をすると仕事ではなく、物理的に首が飛びかねないと皆が思う。


 この場合、オルデン相手なら慈悲を期待出来る。

 だが、良く知らない彩芽が被害者なのだ。


 彩芽が、うっかり犯人捜しでも求めてしまったら、その時は大変な事になる。

 彩芽が犯人に厳罰を求めれば、オルデンが止められるのかはメイド達には分からない。


 領主にとって賓客と一介のメイドのどちらが大事かを考えれば、答えは分かりきっている。




「アヤメ、あのズボンは、その……もしかして、思い入れのある品、だったのかい?」

 オルデンにこれ以上深く突っ込まないで、早く解決して欲しいと「この思い届け!」とメイド達は各々で念を送る。


 あんなボロボロのズボンに思い入れも何も、ただの普段着であれと願うが、彩芽の答えは違った。


「えっと、そうですね」

 オルデンに言われ、長年使い倒したと言う意味では、まあまあ愛着があったなと彩芽はぼんやりと思い答えた。


 しかし、それを聞いていたメイド達からすると、危険度が増したようにしか思えなかった。




 いざとなれば、全員でしらを切り通すか、とメイド達はアイコンタクトをする。


 だが、オルデンにお伺いを立ててしまっているので、それは出来ない事を、報告をしたメイドがアイコンタクトと静かに首を横に振る事で皆に伝える。


 この中で誰かを生贄に出すしか無いかと、お互いを見始める。

 生き残るためには、もうこうするしかない。


 ほとんどの者が、フォルサ傭兵団時代からの仲である。

 目を見て考えが伝わってしまう。

 普段は仲が良いが、お人好しなだけでは生き残れないと全員が心得ている。


 そんな負の以心伝心によって、勝手に疑心暗鬼に落ち込んでいくメイド達。


(誰を切り捨てる……)

(誰が切り捨てられる!?)

(……私を切り捨てる気!?)


 かつては戦場で修羅場を経験してきた為か、メイド達は場にそぐわない雰囲気を醸し出す。


「本当に申し訳ない事をしてしまった。この埋め合わせをさせて欲しい」

 オルデンの言葉を聞き、メイド達は彩芽の返事に全神経を集中させる。


 悪くても全員が城を追い出されるぐらいであって欲しいと、今度は彩芽相手に念を送る。


 ところが、当の彩芽は、そんなメイド達の変な空気の意味に気付いている筈も無く、マイペースであった。


「代わりの服を頂けるなら、私はそれで」

 と、あっさり。


 彩芽の言葉を聞いて、メイド達は胸を撫でおろす。


(セーフ!)

 と七人全員が思い、シンクロして汗をぬぐう。


 さっきまで蹴落としあいを目だけで演じていた彼女らは、いつもこんな感じだ。

 だが、とりあえずメイドをしている間に欠員が出たためしはなく、こうしていつもの仕事に戻るのがお約束である。


「それなら、すぐに用意させよう。今すぐ仕立屋を手配してくれ。申し訳ないが服が出来るまでは城にある服で我慢してほしい」


 メイドの一人が、オルデンにお辞儀をして部屋を出て行った。


「あ、はい。そんな急がなくても大丈夫ですよ、ストラディゴスさんが用意してくれた服が乾けば、それを着られるんで、それまでは何でも」

「そう言ってもらえると助かるよ。月が重なるまでは、まだ少し時間があるし、他の服も見てみてくれ」


 また一人のメイドが、彩芽とオルデンにお辞儀をして、洗濯籠をもって部屋を出て行った。




 * * *




 結局、楽に着れると言う理由で、彩芽はドレスの一着を選ぶ事になった。


 オルデンと揃いの、深い蒼色。

 装飾は少なく動きやすいドレスである。


 カードが終わり次第、身体のサイズを計って、オルデン公が贔屓にしている一流の仕立職人に服を作らせる事に決まると、着替えの手伝いが必要無くなりメイド達は全員部屋を出された。


「アヤメ、そのドレスだが、すごくよく似合っている」

「ありがとうございます」


 オルデンは、この時を待っていたとばかりに、話を始めた。





 彩芽は、衣裳部屋でオルデンと二人きりとなる。




「アヤメ、そのドレスだが、すごくよく似合っている」

「ありがとうございます」


 オルデンは、この時を待っていたとばかりに、話を始めた。


「いきなりで申し訳ないが、アヤメはパトリシアと言う人は知っているかな?」

「パトリシアさんですか? いいえ」


 彩芽は、日本人の耳と口に優しい外国人名だなと思った。

 日本に住んでいた時にも、知り合いにはいない名前である。


「パトリシアは、この世界では、それなりに有名人でね。今から六年前に異世界から来たと言う女性だよ」

「異世界から……私と同じと言う事ですね」


「そう、パトリシアは、友人と旅の途中に、この世界に迷い込んで来たらしい。僕も実際に会った事は無い。彼女達は最初この世界に来た時、言葉が喋れなかったそうだ。口をきけないんじゃなくて、元いた世界の言葉しか喋れなかったんだ。最初は相当不自由したらしいが、アヤメはどこで言葉を?」


「それは、なんか自然に……」

 そうとしか言えないし、言い様が無い。


「……母国語がこの世界の言葉と似ていたとか?」

 オルデンは、異世界の事を楽しそうに推理し、想像する。


「いえ、今もこうして話していると、聞こえる言葉がこの世界の言葉だなってわかるんです。でも、頭の中で、日本語って言う私の国の言葉に変換されて、喋る時は、日本語でしゃべっているつもりなのに、口が勝手にこの世界の言葉に変換してくれて」


「……興味深い。本当にに興味深いよ。つまり、アヤメは、本来はこの世界の言葉がパトリシア達と同じ様に分からないんだね? どうして分かるようになったのだろう……」


「この世界の魔法で出来ないんですか?」

「出来る魔法使いはいるかもしれないけど、僕は知らないな。それよりも、アヤメ、話を聞けば聞く程、君と言う存在は、特別で興味深い」


 そう言うオルデンは、彩芽をまるで憧れの存在を見るかのような目で見ていた。

 彩芽は、オルデンに言われて、改めで何故言葉が喋れるのだろうかと考えるが、当然理由は思い浮かばない。


 彩芽が答えの出ない事を考えていると、オルデンは窓の外を、残念そうに見た。


「そろそろ月が重なりそうだ。二人は、もう待っているかもしれない……行こうか」

 オルデンが手を差し出すと、彩芽はその手をそっと握りしめた。



 * * *



 オルデンの部屋に続く長い廊下。

 等間隔にある窓からは月明りが差し込み、廊下を照らすランプの明かりと共に独特のムードを生み出している。


 オルデンにエスコートされ彩芽が歩いていくと、部屋の扉の前に大きな影が見えた。


 窓から月を見上げてるストラディゴスが、彩芽とオルデンの到着に気付く。

 ストラディゴスは、彩芽を見て少し驚いた顔をした。


 着替えた彩芽は、オルデンと同じ色の深い蒼色のドレスに身を包み、見違える様に綺麗になっているのだ。

 その顔はメイクを施され、彩芽の唇が闇の中で深紅に浮いて見える。




「すまない、待たせてしまったね」


「美女のお色直しを待つのも、男の務めですよ」

 騎士の礼服でキッチリと身を包んだエルムが、膝をついて彩芽の手を取ると、手の甲に口づけをした。


「先ほどの無礼をお許しください」

「え、ええっ!?」


 彩芽が状況を飲み込めないで驚いていると、同じく分かっていないオルデンがエルムに聞く。


「コルカル、僕は確かにアヤメを賓客として扱えと言ったが、急にどうしたんだ?」

「これで相応しいと判断しましたが、問題でしょうか?」


 既に、エルムは彩芽がネヴェル領主の奥方候補のつもりで応対していた。

 そう言う意味では、正しい判断である。


 続けてエルムと同じ正装に身を包んだストラディゴスが、石の床に静かに力強く膝をつく。

 それでも目線が彩芽と同じぐらいだが、頭を下げている為にストラディゴスは少し上目遣いに彩芽を見た。

 その姿は、直前に驚いていた男とは思えない、強い意志を感じさせた。


「アヤメ殿、度重なる無礼をお許しください」


 彩芽の手を取り、エルムと同じ様に手の甲に口づけをするが、ストラディゴスの目は閉じられ、唇が手に触れる事は無かった。




 * * *




 結局、ストラディゴスは大食堂の一件の後、着替えもせずに見張り塔の頂上で一人月明りを見上げていた。

 掃除されたのか、屋根の上には何もない。


 頭を冷やし、一人悩み、悩みぬいた。

 酔いが醒め、心が凍える様に冷えていくのを感じながらも、昨日の夜を思い出し一つの答えを出す。


 彩芽がオルデンを選ぶのならば、騎士としても男としても自分には止められない。

 だが、同時に自分の想いを偽る事も出来ない。


 今まで、力で全てを手に入れて来たと自負し、自分は最後には全てを手に入れられると考え続けて来た男にとって、初めて経験する挫折であった。


 ルイシーの時だって、最後には救った。

 騎士団長の座をかけエルムに負けた時も、副長として成り上がれば、じきに騎士団長は約束されていると思ってきたし、その為の努力を欠かした事も無い。


 しかし、今度ばかりは違うと分かる。




 ならばせめて、男として好きになった一人の女性の幸せを願う事だけが出来る事では無いか?

 それぐらいは許されても良いのではないか?


 そう考え、成り上がりの騎士よりも、家柄も顔も性格も良い領主に見初められて幸せになった方が良いに決まっていると、割り切る事に決めた。


 そうすれば、もしかすれば、すぐ近くで騎士として仕える事が出来るかもしれない。

 一生、その手に届かなくても、彩芽の幸せに貢献出来るのなら、本望では無いか。





 そんな決意を固め、まだ彩芽がオルデンを選ぶと決まった訳でもないのに、巨人は一人涙を流した。

 こんな事は、戦場で長年連れ添った仲間を失って以来に思えた。


 自分にはルイシーがいてくれるし、他にも女は星の数ほどいる。

 そうでも思わないと、この苦しみには耐えられない。


 そう思おうとしても、涙は止まらず、なんて自分は女々しいのだろうとストラディゴスは悔しくなる。

 昨日会ったばかりの女相手に、なぜこんな気持ちになる。


 しかし、共にすごした時間の長さなど関係無いと、自分でも分かるのだ。

 ずっと探していた自分の半身を永遠に失う感覚は、長年抱えていた孤独感を更に強くする。




 目の前で蒼いドレスに身を包んだ彩芽を見た時は、胸が張り裂けて、それを必死に封じ込めるので精いっぱいだった。

 それでも、ストラディゴスは、自分を犠牲にしてでも彩芽を優先させようと心に決めたのだった。




 * * *




 いつの間にやら、まさかそんな事になっているとは知らない彩芽は、騎士としての正しい対応をしようとするエルムとストラディゴスを見て「気持ち悪い」と感じた。


 二人とも彩芽の性格は、既に知っている筈である。

 ストラディゴスには、異世界から来た迷子である事も伝えてある。

 つまり今、二人が跪いているのは、彩芽にではなく、領主の賓客と言う事だ。


 権力を持つ男が自分を大事にし、持ち上げてくれる状況。

 これが嬉しい女性が沢山いる事はわかるし、気持ちも分かる。


 だが、彩芽にとって心地の良い、求めている空間は、その先には無い。


 求めていたのは、昨日の酒場であり、思い出せない城までの夜道であり、やはり思い出せない今朝の見張り塔の頂上であり、今日の大食堂でカードをし、食事を囲む空間、そう言うなんて事の無い日常なのだ。




 結局、オルデンの部屋で催されたカードゲームは、終始、彩芽への接待の様な空気が流れてしまい、味気ないものになってしまった。


 結果は、彩芽が勝利して終わったが、それが運による勝利なのか、三人の男達が手引きした勝利なのかは分からない。


 カードをプレイ中の会話も、オルデンと彩芽に気遣う形で、エルムが軽妙に、当たり障りなく、優等生的に場をまわし、場をまとめてくれた。

 その場では楽しかった記憶はあっても、過ぎてみると内容が思い出せなくなる。

 まるで、どうでも良い夢を見た朝、夢の記憶が失われていくような感覚しか残らなかった。




 明日、エルムが魔法使いとして真面目に相談に乗ってくれると言う事になり、ストラディゴスとオルデンから、それぞれ一千フォルト分の金貨が入った小さな袋を手渡されたが、少しも嬉しく無かった。


 三人に対する彩芽の願いを一つ聞きたくなる魔法とやらも、エルムが杖を構えて何やら難しい呪文を唱え、ストラディゴス、オルデン、自身の順で杖についた青い宝石の様な石で頭にさわると、その顔に刺青の様な模様が浮かびあがり、肌に溶け込むように消えて派手な事も無く終わった。

 あとは、本人の前で「ただ一つ、願いを叶えよ」と目を見て宣言してから命令すると、その一回だけ、相手は逆らうのが難しくなると言う話だ。


 しかし今の彩芽には、三人に対して願う事など思い浮かばなかった。





 カードを終えると、少しの談笑を挟み、今夜はもう遅いと解散する事になった。




 オルデンの部屋を後にした彩芽は、用意された寝室には向かわず、その足で城壁の上へ向かい、夜風に当たっていた。


 物でも待遇でも満たされている筈なのに、もやもやとした物を感じる。

 せっかくこの世界が、ようやく居心地の良い世界に思えてきたのに、今はただ変な息苦しさを感じた。

 周りに自分を慕ったり、重宝してくれる人がいるのに、感じる孤独感。


 月明りに照らされ、薄く紫がかる蒼いドレス姿のまま、服に臭いがついてもかまう物かと置いてあったランプの灯で器用に煙草に火をつける。


 煙草の箱が空になり、くしゃりと潰し、握りしめた。




 煙を燻らせても、気持ちが少し落ち着くだけで、まるで満たされない。

 夕食で飲んだアルコールなんてとっくの昔に抜けきっているし、どうすれば良いのか分からなくなる。


 すると、足元に一匹の黒い猫が遊びにやってきた。

 クロが異世界に一緒に飛ばされたのかと期待するが、顔が全然違うし性別も女の子の様だった。

 この世界にも猫がいる事に安心する。


「……にゃあ」


 黒猫に向かって話しかけると、黒猫は足にすり寄ってくる。

 人に慣れているのだろう。


 そう言えば、猫缶はどこに行ったのだろう。

 あれば、この子に食べさせてあげたかったのに。


 タバコがまだ残っているが石畳で火を消し、携帯灰皿に突っ込む。


 こうなれば、この猫と本気で遊んでやろうと思う。

 お腹を撫で、肉球を揉む。

 さすがは猫。

 異世界でも、しっかり心の癒しになる。

 猫は仰向けになり、手で爪もたてずに彩芽と遊んでくれる。


 とにかく今は気晴らしになればいいと思ったが、猫が慰めてくれている様な気がして、少しだけ元気が出た。


「にゃあにゃあ」

 にゃ~

「にゃにゃあ?」

 にゃんっ


 そんな事をしていると、城壁の階段を上ってくる一つの気配を感じた。





「ストラディゴスさん?」


 自然に、名前が出ていた。

 今、一番会いたい。


 でも、会ってもあの態度をされては、何を話せば良いのか分からない。

 それでも、もし前の様に、いつもみたいに話しかけてくれたら、それだけで元気が出る気がした。




「すまない、僕だ」


 そこにいたのは、オルデンだった。

 ランプ片手に階段を上がってくる。


「姿が見えたから……お邪魔だったかな?」


「いえ、そんな事は」


 そう言いつつ、黒猫を逃がすまいと抱えて確保する。

 動物アレルギーとは言っても、細かい毛を肺に吸い込んだりしなければ全然大丈夫である。


 黒猫は腹を見せる形で抱っこされ、オルデンの顔をじっと見る。

 何かしたい事があるのか、急にジタバタと暴れ始めるのでリリースすると、城壁の上を走ってどこかに行ってしまった。


「アヤメ、今日は……すまなかった」

「え?」


 オルデンが謝る事等一つも無い筈だ。

 賓客として迎え、もてなし、覚えている限り失礼な事も一切されていない。


 彩芽はそう思ったが、二人きりだからか、オルデンは少し弱気な顔を覗かせた。

 後悔が見て取れる顔を前にして、彩芽は少し可愛いなと思った。


「君が本物の異世界からの旅人と知って、少し……いや、大分はしゃぎ過ぎたみたいだ」


「……」

 みんなに尊敬されている領主様がはしゃぐ?

 確かに、異世界の話を聞いている時は、好きな物の話をする男の子の様な目の輝かせ方をしていたが、それでも終始落ち着いていて、常に紳士的に思えたので、はしゃぐと言う表現に少しだけ驚く。


「どうやら僕の言葉足らずが原因で、あんなにつまらないカードを、あのコルカルにさせてしまったみたいだ」


 あ、やっぱりつまらなかったんだ。

 と彩芽はオルデンに共感と同情をした。

 遊びに参加したいと言った途端に、真剣勝負が接待に変わるのは立場があっても可哀そうに思えた。


「カードは、埋め合わせに後日、僕抜きでやり直そう。僕は主催者の方が向いているらしい。その時は、アヤメも参加して欲しい。嫌じゃないかな?」


 オルデンは、頬をポリポリとかきながら、彩芽に困り顔を見せる。

 どうも、オルデンはズボンの時もだったが、自身が加害者になる事に不慣れらしい。


 彩芽は、オルデンの事を完璧な人間だと思っていた。

 しかし、実態は見た目の年齢相応の若者の部分もあり、人の上に立つのに相応しい人間になろうと必死なだけの青年である。

 皆と同じ様に、少しだけ背伸びをしている普通の人間だ。


「あははっ……はい。参加させて下さい。でも」


 目の前の領主様も、同じ人間だと思った途端に急に親近感が湧き、彩芽は自然と笑ってしまった。


「でも?」

「その時は、一緒にやりましょうよ。もちろん真剣勝負で」


 彩芽の言葉に、オルデンは驚いた顔をすると、何かが腑に落ちた様に笑い出す。


「はははは、アコニーが君を気にしていたのが、少しわかった気がする」

「どういう事ですか?」

「フォルサが変わったのも、君のそういう空気にあてられたんだろうね」


 頭に「?」を乗せた彩芽の笑顔に、オルデンは気が楽になるような気がした。


「いや、良いんだ。それよりもコルカルとフォルサには悪い事をした。アヤメにも……ただ、君にはここの事を好きになって欲しかったのに、過保護になり過ぎていた様だ」


「過保護って何ですか~」

 彩芽は変なのと笑う。


「明日、改めて君のこの城での立ち場を全員に伝えるよ、皆がよそよそしくては、君も息が詰まるだろ?」




「オルデン公! アヤメ殿! 逃げろ!」

 突然のストラディゴスの大きな声に、二人は彼の方を見た。

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