第2話

「おおぉ、これがさっき言ってた……」

「そう! こいつがネヴェル名物、怪物魚の姿焼きだ」


 丸テーブルを一皿で占有する巨大な魚の丸焼きが置かれる。

 怪物魚と言っていたが、思ったよりは大きくない。

 せいぜい一メートルが良い所だ。

 そんな彩芽の考えを読んだのか、お約束なのか、ストラディゴスは店の天井から吊るされた五メートルはある同じ種類の魚の骨を指さす。

 確かに、あのサイズなら海では絶対に遭いたくない怪物魚と呼ばれるのもうなずける。

 形は、鋭い牙を持つ巨大なハゼに見える。


「ほら、熱いうちに食ってみな」


 ストラディゴスが豪快にナイフで魚を切り分けていく。

 皮を切り開くと内側から一気に湯気が立ち、魚の身と油の濃厚な匂いが周囲を包み込む。

 彩芽に気を使っているのだろう、わざわざ取り皿に乗るサイズにまで身をほぐし、大皿の端に寄せてくれる。


「ありがと。いただきま~す!」

 目の前には初めて目にする異世界の魚。

 大きさや形こそ少し違うが、食べるのに抵抗は感じない。

 手づかみで食べる料理らしく箸もフォークも無いので、郷に入っては郷に従え、少し冷まして素手で口に運ぶ。


 はむっ、と一口目を頬張る。


「!?」


 香草も胡椒も使わず、塩をかけて焼いただけのそれは、身は柔らかく、滴る透明な黄金の油があえて例えるならノドグロ等に似て繊細で、非常に癖になる味だった。

 早い話が、めちゃくちゃ美味なのだ。


 彩芽が気に入ったのに気付いたストラディゴスは、大きな木製のジョッキで果実酒を二つ頼む。

 初対面の時にほろ酔いだったのだ、酒が嫌いという事は無いと踏んだのだろう。

 すぐに獣人の店員がやってきて、ストラディゴスが片手で丁度いいサイズの巨大なジョッキに、白濁としたドロリ濃厚な果実酒を目いっぱい注いだ状態で二つ持ってくる。


「さあ、飲め飲め! 好きなだけ食え!」

「乾杯しよ! 乾杯!」

「何にだ?」

「それじゃあ、美味しい魚に!」

「そりゃいい、ここの料理は最高だろ?」

「うん!」

「ほら構えろ! 美味い魚に乾杯!」

「かんぱ~い!」


 彩芽の手とはサイズが違い持ちづらいが、哺乳瓶を両手で支える赤子の様な絵面になって両手でジョッキを持ってグビグビと喉に流し込む。

 あまりにも良い飲みっぷりに、周囲のテーブルからも注目が集まる。

 思いのほか辛い舌ざわりの酒だが、脂っこい魚料理と相性が良い。


「ぷはぁ!」

「驚いたな! また、えらく良い飲みっぷりだな!」

「まだまだこれから!」




 そこは、商業都市ネヴェルの裏路地にあるベルゼルの酒場。

 広い酒場の全体を見渡せる二階席。


 スッキリしてブルローネを後にしたストラディゴスに「せっかくだから、ネヴェルの夜の楽しみ方を教えてやる」と、案内されるままに連れてこられたのが酔っぱらいがたむろする路地裏の酒場で、彩芽は最初、何事かと思った。


 しかし、蓋を開けてみれば流石の地元民。

 案内人を褒めるしかない程に、酒も食事も美味いし、酒場の雰囲気も入ってしまえばこれはこれで良いものだ。


 迷子なのに、今だけ気分は海外旅行である。




 焼き色がついた厚い魚皮が見た目に美味そうで試しにかぶりつく。

 パリパリの厚い皮は干したスルメイカの様な強度で、中々食べられない。

 だが、皮の裏に残った境界の肉はプルプルで、歯でこそぐ様に食べるとこれも美味い。


 ストラディゴスを見ると、かなり大きな塊のまま切り分けた先から皮ごとガツガツと平らげている。

 彩芽の視線に気づくと、自分の食事を中断して次の部位を切り分ける。


「お、もう食ったのか、じゃあこいつも食え」


 そう言ってストラディゴスが切り分けたのは、エラと目玉だった。

 どちらも見た目は良くないが、珍味だと思ってとりあえず黙って食べる事にする。


 まずはエラにかじりつく。

 身とは全然違うコリコリとした歯応えと、少し血生臭い後味。

 単体で食べるとレバーにも似た癖があるが、これがまた酒に合う。


 続いて、彩芽の拳程の大きさもある目玉にナイフを入れる。

 ブニブニと弾力があるが、口に運ぶとホロホロと火が通った目玉の組織が崩れていき、最後には崩れ切らなかったカスが口の中に少し残る。

 濃厚なコラーゲンスープをゼラチンで固めた様な触感で、最初は塩味しかしないのだが、口の中に残るカスには僅かに渋みがあり、カスも噛むとドンドン崩れて食べる事が出来た。

 これも珍味と考えれば十分に美味かった。




 酒と食事のローテーションが軌道に乗ってくると、ノリと勢いだけでエンドレスの乾杯が止まらなくなっていく。


 すると酒の力で、徐々に二人とも口が軽くなる。

 最初は、好きな食べ物や酒の事しか話していなかったが、ストラディゴスは、彩芽がどんな話でも楽しそうに聞いて、一生懸命話すのを見ていて、更に口が軽くなっていく。


 彩芽の故郷にあった食べ物で彩芽の好物「豚骨ラーメン」なるものの話をきっかけに、地方の名物の話が始まり、ストラディゴスの故郷はどこだと言う話になっていく。

 すると、すっかり気を許してしまったのか、お互いの身の上話を披露する事になった。


 まずはストラディゴスの番である。


 故郷も分からない戦災孤児だったが、やがて傭兵になり、騎士団の副長にまで成り上がったと言う。

 それから、ストラディゴスは自分の過去を、出来るだけ面白おかしく話し始めた。

 騎士になって仕事でした大失敗の話や、四股がバレて修羅場になり危うく昔の彼女と浮気相手達に殺されそうになった話。

 そのどれも彩芽は楽しそうに聞き、一緒になって笑ってくれる。


 小さな話が終わると、そのたびに彩芽は、

「生き残った事に!」

「大儲けに!」

 と、ストラディゴスの過去に乾杯し始める。


 いくつか話を披露してストラディゴスがもう面白い話を思いつかないとなると彩芽は、自分も後で話すと言っていた事などすっかり忘れ、

「じゃあ、今日の出会いに!」

 と、ジョッキをぶつけて乾杯を繰り返し始め、同じくすっかり忘れているストラディゴスも一緒になる。


 こうして、しこたま浴びる様に酒と魚を喉の奥に流し込んだのだった。





 そんなこんなで、心地良い汗をかいた彩芽が、手についた魚の油を指の一本一本まで無作法にも猫の様に丁寧に舐め、その艶のある姿に見惚れて周囲のテーブルのむさ苦しい男共が、羨望の眼差しをストラディゴスに送る頃。


 皿もジョッキも空になり、彩芽は腹を風船の様にぷっくりと膨れさせて料理を完食していた。


「ごちそうさま~」

 夕食が終わり、満足そうに椅子に沈み込む彩芽の姿をストラディゴスが見る。


 その飾らない食べっぷりにも驚いたが、控えめに言ってもあまり良い出会いでは無かった自分との食事を、こんなに楽しんでいる事に今更ながら驚いた。


 ストラディゴスは、この夕食の席を昼間の謝罪の意味も込めて(待たせた事も含めて)、慣れない接待のつもりで精一杯もてなした。

 だが、夕食が終わってみればストラディゴス自身が最高のもてなしを受けた様に、なぜか心が満たされ、救われた不思議な感覚が胸にあった。


 普段仲間と飲むのとも、ブルローネの姫と飲むのとも何かが違う。

 だが、何が違うのかはサッパリ分からない。




 少し眠そうな彩芽がストラディゴスの視線に気づき、とろんとした目で、だが、まっすぐに見つめ返す。


「えへへ、食べすぎちゃった」


 気持ちよく酔っぱらって、ほんのりと赤く染まった彩芽の屈託のない笑顔。


 シャツをめくり、膨れた腹を見せてポンポンと軽く撫でて見せた。

 ただの酔っぱらいのお腹いっぱいアピールである。



 ところが、酔っているストラディゴスの目には、別の鮮明な、幸せな夢。

 いや、まだ妄想とも呼ぶべき光景が、脳内を駆け巡った。


 妄想のせいか、ストラディゴスは、無意識のうちに彩芽の腹を優しく撫でていた。


「え……?」

「あ……」


 ストラディゴスが、しまったと手を引っ込めようとすると、彩芽は「っぷ」と吹き出し、無邪気に笑いながら、

「エッチ~」

 と悪戯に言葉を浴びせる。


 こうして、酔っぱらいは無意識のまま、すっかり巨人をノックアウトしてしまっていた。


 直後。


「うっ、気持ち悪っ……」

 笑顔から一転、突然の彩芽の言葉にストラディゴスは……





 翌日の昼、彩芽は知らないベッドで目を覚ました。

 二日酔いで、頭がヤバいぐらい痛い。


 そこは、領主の城の中にある、ストラディゴスが住む騎士用の個室だが、眠っている間に運び込まれた彩芽が知る由も無い。


 かなりの大部屋なのだが、置かれた家具のサイズが椅子とテーブル、そしてベッドだけストラディゴスに合わせて大きめに作られていて、本来の広さを感じない。

 中途半端にガリバー旅行記か不思議の国のアリスみたいな、小人の気分を味わえる部屋である。




 酒で記憶を飛ばす失敗を今までした事が無かったが、今回は酒場を出た後の記憶が曖昧で、覚えている事の方が少ない。

 何か、楽しかった事だけは感覚で残っているが、朝起きて夢を忘れる感覚に似ていて詳細が思い出せない。


 ベッドから出ようとすると彩芽は、なぜか全裸だった。

 気だるげな目のまま、ポリポリと頭と内股をかく。


「ふむ……」


 カチカチカチ……


 恐らく自宅の感覚で、服が煩わしくて自分で脱いだのだろう。

 身体中、どこにも怪我も痣も見当たらないのだが、なぜか全身が筋肉痛である。


 髪を触ると、サラサラになっている。

 それどころか、全身がむしろ昨日より綺麗になっていた。


「ふむむ……」


 とりあえず、どうした物か。

 まずは、二日酔いの薬が欲しい。




 何をするにも服が必要だと部屋の中を探す事にするが、当の服が落ちていそうな床には何も見当たらない。

 仕方が無くベッドのシーツにくるまっていると、扉をノックする音が聞こえた。


 返事をしていいのか分からないが、無視するのも変な気がするのでシーツにくるまったまま扉の方に向かう。


「ストラディゴスさん?」

 声をかけると扉の向こうから、扉を開けずに返事が返ってきた。


「おはよう。アヤメ、もしかして、まだ寝ていたのか? 起こしたのならすまない」

「おはよう、今起きたばかりだけど、あの、私の服は?」

「ああ、丁度着替えを持ってきたんだ、昨日着ていた服は、洗濯に出しておいた。持ち物はテーブルの上にまとめて置いてある。何か足りない物があったら言ってくれ」


 そう言って扉が少し開くと、大きな手に女物の服が握られてヌッと部屋に入ってくるが、受け取るのを待つだけで、それ以上入ってこようとしない。


 彩芽は、ストラディゴスの様子が少し変だと思った。

 どう言う心変わりかは知らないが、昨日の今日で急に紳士的と言うか、何と言うか。


 良い言い方で英雄色を好むを地で行きそうな、悪い言い方で悪びれなくセクハラをしてきそうなエロオヤジだと勝手に思っていた。

 だが、出会い方や出会った場所のイメージに引っ張られているのかもしれない等と考え、答えを出す事は保留にする。

 二日酔いで、今はそれ以上考えたくない。





 彩芽は大きな手から服を一式受け取ると、扉を閉じて、シーツを脱ぎ去り黙々と着替え始めた。


 一番上に置かれた紐パンを指でつまみ、距離を置いてにおいをかぐ。

 無臭。

 どうやら綺麗なようだ。

 布の面積は申し分無い。


 水着の要領で履こうとするが、腰を締め付ける形でゴムが入っていないせいで身体への締め付けが弱い。

 紐も結びやすい固さでは無い為に、日中に紐が解けて事故を起こしそうで不安を感じるが、借り物なので文句は言えない。


 なんとかパンツを着け、次を見てみる。


 昨日の彩芽の服装を見ていた人間が持ってきたとは思えない、落ち着いたデザインの水色のワンピースが畳んであった。

 服を広げて胸に当てて部屋にあった大鏡で見ると、そう言うコスプレにしか思えない。


「スカートなんて何年ぶりだろ」


 服が乾くまでの間、借りるだけと自分に言い聞かせて、試しに袖を通す。

 着るには着れるが、胸が少しキツイ。


 鏡の前に置いてあった櫛を拝借し、綺麗に髪を梳いていく。

 櫛についた毛を取ると、自分の金髪に交じって黒々とした剛毛がわっさりと取れる。


「……髪? 髭?」


 深く考えるのはやめて、構わず使う。

 櫛自体は良い物の様だし、シラミとかも無さそうだ。


 段々と着替えが楽しくなってくると、化粧もしたくなるが流石にストラディゴスの部屋には置いてない。


 そう言えばとテーブルを見に行くと、タバコの箱、ライター、携帯灰皿、スマホ、家の鍵、髪ゴムが並べて置いてある。

 髪ゴムを腕に巻き、それ以外を服のポケットにとりあえずツッコミ、猫缶だけ消えているのに気付くが、それは後で聞こうと思う。


 身だしなみを整え終え、ベッド脇に揃えて置いてある自分のサンダルを見る。

 服との相性が悪い。

 だが、違和感を覚えているのは、この世界では彩芽だけだろう。


 借り物とは言え、上下は揃えたいなと惜しく思いながら部屋を出ると、昨日に比べると明らかに仕立ての良い服に身を包んでめかしこみ、髭と髪をキッチリ整え、別人の様な清潔感を獲得したストラディゴスが部屋の前で待っていた。


「おおっ! とてもよく似合っているぞ。さあ、これも」


 部屋を出てきた彩芽に対して何故か緊張しながらも、抑えられない興奮がこもった賛辞を贈るストラディゴス。


 その手には、彩芽が着ている服と合わせても違和感の無い、革のロングブーツがちょんと指先につままれていた。

 トータルコーディネートの問題は無くなったが、ものすごく蒸れそうである。


「あ、ありがと」


 ブーツを受け取り、ストラディゴスの部屋に戻ると椅子に座って履く。

 もう服を着たのに、なぜかストラディゴスは部屋の外で待っていた。


 ブーツを履き終えると、ブーツのサイズが少し大きく指先に余裕があった。

 靴ひもを結び終えると履き心地自体は、かなり良い感じである。


 立ち上がって絨毯の上で踵を鳴らすと「カッ!」と、絨毯の下の石畳に響くこもった音がした。

 ただ、石畳では油断すると昨日の様に滑りそうで、少し怖い。




「着替えたよ」

 廊下に出ると、ストラディゴスが変わらぬ姿勢で待っていた。


「靴はどうだ?」

「うん、ありがと。いい感じ」

「そうか、それならよかった。痛かったらすぐに言ってくれ」

「ありがと……」


 なんなのだろう、違和感を彩芽は感じる。

 好意、の様ではあるが、異様に優しい。


「これから朝食のあと、魔法使いの部屋を訪ねようと思っていたんだが……アヤメ、大丈夫か? なんだ、顔色が良くないが」

「……大丈夫、二日酔いだから少し休めば……」


「それなら、部屋で待っていろ。魔法使いには、調子が戻ったら会いに行くと伝えておけばいい。それと、すぐに酔い覚ましを貰ってきてやる。多少楽になると思うぞ」


 やはり、昨日ブルローネで彩芽を部屋に泊める事を渋っていたとは思えない対応である。


「……なんか、ほんとごめんなさい」

「ははははは、そんな事で今更いちいち謝るな。酒を飲ませたのは俺だぞ? それに、昨日の事に比べれば全然大した事無いじゃないか」


「昨日? 私をブルローネに連れ込んだ事?」

「いや、あれはすまなかったが、それじゃなく」

「え、あ、ごめん。他に何かあった?」


 沈黙があり、ストラディゴスが急に言葉を選びだす。


「まさか……覚えていないのか? 昨日の夜の事」

「……お酒飲んだ後の記憶が……起きるまでほとんど無いです……」


 彩芽のカミングアウトに、ストラディゴスは、どう説明した物か考えながらしばらく目が泳ぐ。

 明らかに動揺している事が彩芽にも分かり、急に怖くなる。


「何か、あった?」

「夕食は? 覚えているか?」

「そこは覚えてるよ」

「じゃあ、店を出た時は?」

「なんとなく、確か私が気持ち悪くなって店を出た様な」

「じゃあ、タバコは?」

「タバコ? なにそれ?」


「……わかった。気にしないでくれ。酔い覚ましだったな」

 そう言ってストラディゴスは逃げようとする。

 彩芽は、逃すまいとストラディゴスの服の裾を捕まえた。

 彩芽の力で止められる相手では無いが、ストラディゴスはリードを引っ張られた躾けの良い飼い犬の様に戻ってくる。

 しかし、その顔は明らかに秘密を抱えていた。


「待って、ここまで言われたら気になるから! 何かしたの!? それともされたの!? もしかして酔った勢いで!?」

「いやいやいや、待て待て待ってくれ、一度落ち着け! 俺はお前に変な事は何もしていない! 先祖に誓っても良い!」


「何!? いいから教えて! 何があったの!?」





 しばし、話の時を戻す。




 ベルゼルの酒場で気分が悪くなった彩芽が夜風に当たりたいと言うので、二人は店を出た。

 彩芽は落ち着くと、歩こうとするが足元がおぼつかない。

 仕方が無く、ストラディゴスは彩芽の酒と魚でパンパンに膨れた腹を気遣ってお姫様抱っこをして城に向かう事にした。

 彩芽の手には、ラッコの様に食べる予定も食べさせる相手も無い巨人を殴って少し歪んだ猫缶が抱えられている。


 城に続く登り坂を歩きながら、酔った二人は、酒場での事を覚えていないのに自然と彩芽の故郷の話題になる。


「あ~久しぶりに楽しかった」

「久しぶり? 家族や友達は?」

「家族は……いないよ、お母さんは私を生んで死んじゃったし、お父さんも何年か前に事故で死んじゃった」

「……そうか」

「友達はぁ……最近、会ってなかったなぁ。一人仲の良い子がいたんだけどね、二人とも働き始めたら時間が無くてさ」

 彩芽はTシャツを触りながら懐かしそうに語る。


「そう言えば国では何をしてたんだ?」

「何して? なんだろ。頼まれた仕事やって、お金稼いで」

 プログラマーなんて説明した所で、理解されるとは思えない。


「よくわからないが、傭兵ではないんだろ? 商人の見習いか何かか?」

「う~ん、そういう言う事もやった事あるけど、物を作って売る人の手伝い、みたいな。なんだろ」

「職人の手伝いか?」

「まあ、たぶんそんな感じ」


 かなり広い意味では、あながち間違いでもない。


「それは、仕事が楽しくなかったのか? ムカつく親方でもいたのか?」

「嫌な奴なんてどこにでもいるし、楽しい事もそれなりにあったと思うけど」

「けど? なら、国にいた時は、なんで楽しくなかったんだ?」


「う~ん、誰かといると息が詰まるって言うのかな」

「誰かといると? 一人が好きと言う事か?」

 彩芽の抽象的な説明にストラディゴスは、腕の上の彩芽の顔を覗き込んで疑問符を送る。


「たとえばさぁ、ストラディゴスさんにはぁ、騎士って肩書があるじゃないですかぁ」

「ああ」

「それで周りから見られるのってぇ、どうなのぉ?」

「それはもちろん誇らしいぞ。それが当たり前だろう」


 彩芽は、大きな欠伸を一回挟むと、次の質問をした。

「じゃあ、ストラディゴスさんはぁ、今好きな人とかいる?」


「唐突だな……ああ、いるさ」


 ストラディゴスは、彩芽を見て正直に答える。


「その人に、騎士として見て貰うのとぉ、エロオヤジに見られるのとぉ、どっちが嬉しい?」


 彩芽の出した質問を聞き、ストラディゴスは心の中で冷やっとする。

 その質問が出る時点で、そう思っていると言う事は間違いない。


「……騎士だろうな」

「でも、助平だよね?」


 彩芽はニッコリと言い切る。


「まあ、否定できないが」

 ストラディゴスも認める事しか出来ない。


「じゃあ、はんたいにさ、その人が騎士としか見てくれなかったら?」

「それは、どういう事だ?」

「ストラディゴスさんの事が好きなんじゃなくてぇ、騎士だから好きだったら、どうかな?」


 ストラディゴスは、彩芽の言いたい事が、少しだけわかり始める。

 好きな人が肩書や地位でしか自分を見てくれていなかったら、それは、とても寂しい事だ。


「私のいた国ではねぇ、周りが見て欲しくないその人のイメージって言うのかなぁ、それで相手を見るって言うのかなぁ。それを濃くした嫌な空気っていうか、とにかくそう言うのが基本って言うか、何となく息苦しいのが伝わるかなぁ?」


「何となくなら分かったが、それは、どこでもそうじゃないのか?」

 質問の意図も、伝えたかったことも分かったが、そんなのはどの国でも同じ事だとストラディゴスは思った。


 彩芽はストラディゴスの質問に答えず、また質問をした。



「ストラディゴスさんはさぁ、私を一言で表すと何だと思う?」


 この質問に、何と言っていいかストラディゴスは分からない。

 ストラディゴスは彩芽の事を、まだ殆ど知らないのだ。

 漠然と持っているイメージを伝えるべきか、本気で悩む。


 悩んでいる姿を見て彩芽は言葉を続ける。


「迷子? それとも外国人とか? あ、おっぱい大きいって思った?」

「……迷子の異邦人なのは確かだが、そんな……お前を一言でなんて言い表せない、何なんだ?」


 ストラディゴスが答えが分からないと降参すると、彩芽は嬉しそうな笑みを浮かべ、ストラディゴスの顔を見上げた。


「うん。だから……久しぶりに、楽しかったんだよ」




 ストラディゴスは、自身の鼓動が早くなるのを感じた。

 身体が熱い。

 身体の奥にある、何かに火が付いた様に。


 彼は、今まで人生で大勢の女を抱いてきたし、好きになった女も付き合った女だってそれなりの数がいる。


 しかし、未だかつて、この様な感情が沸き起こった事は、一度として無かった。

 今まで自分が愛だの恋だの感じていた感情が、まるで子供のままごとの様に陳腐なものに感じ始め、信じていた価値観が大きく揺らいでいく。

 今まで自分が好きだった物は、どれもが一言で表せる肩書だったのではないかとさえ思えてきた。


「そ、そうか……ならよかった……」


 どう答えたらいいか、言葉が見つからない。

 必死に平静を装い、なんとか返事をする。


 我慢しなければ、涙が溢れてしまいそうだった。

 言葉にならない衝動と感情が合こみ上げてきていた。


 そんな事とは気付いていない彩芽は、月明りの中、無垢な笑顔で言葉を紡ぎ続ける。


「私も、ストラディゴスさんの事はねぇ、一言じゃ言い表せないよぉ」

「…………」


 ストラディゴスは、空を見上げる。

 その潤んだ瞳には、大粒の涙が溜まっていた。

 感情の制御が出来ない。


「でもね~、私が、あ・え・て・言い表すならね」

「なんだ?」

 ストラディゴスの声は、泣くのを堪え震えていた。


「嫌いじゃない。かな」


 手の中でフフフと笑う一人の酔っぱらいの言葉を聞いて、巨人は人知れず時が止まる事を願った。





「ねぇ、そう言えば火ある?」

 彩芽の唐突な言葉に、ストラディゴスは我に帰る。


「火ぃ? 何するんだ?」

「タバコ」

「その辺のランタンので、いいか?」

「なんでもいいよ」


 そんなやり取りをすると、彩芽を一度地面に下ろし、ストラディゴスは密かに目を腕で拭ってから、その辺の建物の玄関を上から照らしていたランタンを一つ、勝手に持ってくる。

 ランタンの蓋を開け、彩芽はようやくタバコに火をつける事が出来た。


「ふぅ」


 独特の煙の臭いが周囲を包み込む。

 ストラディゴスがランタンを元に戻すのを見ながら、彩芽はこんな事を言う。


「ねぇ、背高いと、どんなふうに見えるの?」

「ん? 肩にでも乗ってみるか?」

「いいの?」

「いいから、ほら」


 ストラディゴスが姿勢を低くして大きな手に乗れと差し出す。


 彩芽はサンダルを脱ぐと、サンダルを片手で持って、裸足になってから手の上にフラフラと乗った。

 ストラディゴスは、彩芽を片手で軽々と持ち上げ、自分の肩に乗せる。


「立つぞ」

 彩芽はグラリとバランスを崩しかけるが、ストラディゴスの手で支えられる。


「頭につかまれ」

「待って、体勢を変えるからさ、一度肩の上に立つよ?」

 彩芽は、思っていたより座り心地があまり良くないと、フラフラの足で肩の上に立ち上がる。


「変えるって、おいそんなところで立つと危ないぞ」

 ストラディゴスが落とすまいと手で支えるが、彩芽はお構いなしに勝手に動く。


「平気平気」

 そう言って、ストラディゴスに肩車をされる形に座りなおした。


 彩芽の足をストラディゴスの太い首の横に放り出し、大きな頭を抱え込む。

 後ろで縛っているストラディゴスの髪の毛がくすぐったくて彩芽は髪の毛のポジションを横にそらし、頭髪の編み上げを持ちての様にして掴んだ。

 当然、ストラディゴスの頭の上には、柔らかい豊満な胸がたぷんと二つ乗っている。


「あはははは、高い高い!」


 そう言って彩芽はストラディゴスの後頭部に抱き着いている。

 例のごとく、完全に酔っぱらいの悪ふざけ。

 だが、ストラディゴスの方はと言うとすっかり酔いが醒め、視界の端をブラブラとちらつく足を大きな手でやさしく押さえた。


 その時、独特な匂いがした。

 鼻の奥、脳を直接刺激する甘い蜜の様に感じる何か。

 恐らく、彩芽の体臭だろう。

 一度、その匂いに気付くと、頭の奥が痺れ、くらくらしてくる。


 落とすまいとする以外の意味で、ストラディゴスは、段々と前傾姿勢になりつつあった。

 理性で本能を押さえつけ、紳士であろうと努めるのだが、昼間に何度も発散したというのに見た事も無い程に大きく育った欲望が解き放たれるのをうかがっているのが分かり、ストラディゴスはヤバいと呼吸を整える。


「ふぅ、ふぅ、ふぅ、って、おい、あまり暴れるな!」


 頭部を後ろから包み込む柔らかい感触と匂いに、すぐにでも彩芽の事を部屋に連れ込んで獣の様に襲いたい衝動に駆られる。

 だが、そんな事は絶対にしたくないと、自分の中に強力な抵抗感がある事も同時に分かった。





「タバコ」

 そんなストラディゴスの気持ちなんて知った事ではない酔っぱらいは、ポツリとつぶやく。


「ふぅ、ふぅ……な、なんだ?」

「ストラディゴスさんさ、タバコ、吸う?」

「……まあ、時々は」

「ち~が~う。このタバコ、吸ってみる?」


「……なんだ、いいのか?」

「だって、私以外に味を知ってる人いないとさ、この国で似たタバコ手に入らないじゃない」

「なんだそれ」


 彩芽は自分の口に咥えていたタバコを、ストラディゴスの口に咥えさせた。


 ストラディゴスは、吸い口のフィルターの僅かな湿り気にドキドキしている自分に気付く。

 唇を重ねる事が叶うのなら、こんな味なのでは無いかと想像してストラディゴスが震える唇で軽く煙を口内に吸い込むと、タバコが一瞬で灰になった。


「なんだこれ?」


 タバコの葉の中に、何か香りのする別の草が入っているような、混ぜ物を感じた。

 ストラディゴスが普段吸う事がある煙草は、どちらかと言えば葉巻に近い口内で味を楽しむものだった。

 さらに、煙草の葉をブレンドする文化も無い為、まるで新しい感覚であった。


 その混ぜてある草の香りのせいか、肺に吸い込んでしまった煙によって少し気管が広がって感じ、呼吸が楽になる気がした。


「返して~ああぁ、燃え尽きてるぅ」


 彩芽は灰になったタバコをストラディゴスの口から奪い取ると、律義にポケットにあった携帯灰皿に入れ、すぐにまた灰皿をポケットに突っ込んだ。


「んもぅ、吸い過ぎだって」

「すまん」

「えへへ、許す。で、どう? 似たの知ってる?」

「いや。だが、市場で手に入る煙草や薬草を混ぜれば近くなると思う」


 ストラディゴスは、普段吸っている葉煙草の種類を変えようと静かに決めた。


「あははは、ねえねえ、足早い?」

「なに? なんだって? 市場にでも行くのか? もう閉じてるぞ」

「ちがうってぇ、お城まで競争だよ! ほら、走って! 早くぅ!」


 ストラディゴスは頭を痛くない強さでポンポン叩かれ、いよいよ訳も分からないまま言われるままに城に向かって走り出した。


 城は、ベルゼルの酒場から高台の方にのぼり、高級娼館ブルローネよりも高い場所、商業都市ネヴェルで最も高い丘の上にある。

 酒場を出てからずっと向かっている場所で間違いないのだが、彩芽がノリだけで城をゴールに指定した事はストラディゴスにも、もう分かっていた。

 何と競争させられているのかは分からないが、ストラディゴスは彩芽に言われるままに道を進む。


 本当になんだかよく分からないが、とにかく楽しくなってきた。


 深夜にバカ騒ぎをする謎のテンションで、ストラディゴスの走るスピードが、緩い上り坂なのに段々と早くなる。

 彩芽のナビが適当なので度々道が無くなるが、低い柵や塀ならば肩車したまま軽々と飛び越え、ぐんぐんと城が近づいてくる。


「すごいすごい!」

 彩芽は、目まぐるしく変わる景色を見て嬉しそうにはしゃいでいる。

 街には東京の様な光害が殆ど無いせいか、空を見上げると満天の星空が広がっていた。


「ははははは!」


 楽しむ声を聞いていると、もっと何かをしたくなる。

 とにかく肩車で乗せている酔っぱらいの、色々な反応を、表情を見たい。


「ストラディゴス! あそこ!」


 彩芽が指さした先は、城の外れにある現役の見張り塔だった。

 気が付けば呼び捨てになっている事に気付くと、ストラディゴスは完全に逆らい方と言う物を忘れていた。


「あのてっぺんがゴール!」


 だと思ったとストラディゴスは、見張り塔に向かって走る。

 馬鹿らしいが、ゴールと言われたらしょうがない。

 この時間だと、誰かが当直で見張りをしている筈だが、今のテンションでそんな事は関係無い。


 監視の兵士が上官であるストラディゴスが肩に女を乗せて走ってくる姿を見て、何事かと慌てるが、ストラディゴスは入り口にいた兵士達の横を「ごくろう」の一言ですり抜け、彩芽を肩車したまま塔の内壁に張り付く螺旋階段を猛スピードで頂上まで一気に駆け上がった。


 頂上の監視室のさらに上、屋上、と言うよりは普段誰もあがらない屋根の上にまで出ていくと、屋根の先端まで駆け上がり、最も高い場所、尖塔にタッチした。




「「ゴール!」」


 二人同時に、ゴールを宣言し、二人共にぜえぜえと息を切らす。


 頭につかまっていただけの彩芽だが、手足と背中の筋肉が悲鳴を上げて疲れ切り、痺れているのを感じた。

 二人とも全身に滝の様な汗をかき、バカバカしいが謎の達成感があった。


 塔の頂上は、強い風が吹いていて、寒いぐらいで、今の体には丁度良く気持ちいい。


「競争は(ぜぇぜぇ)勝ったのか?」

「これは(ぜぇぜぇ)勝ちでしょ!」


 二人とも全然意味が分からなかった。


「(ぜぇぜぇ)あっ……」

「(ぜぇ)どうした!?」

「猫缶(ぜぇ)落とした」


 途中まで持っていた猫缶だが、いつの間にか手の中に無い。


「……それ(ぜぇ)拾った方が(ぜぇ)良い物なのか?」

「ううん(ぜぇ)もう(ぜぇ)いらない」

「(ぜぇ)そうか……」

「(ぜぇぜぇ)うん」





 見張り塔の頂上。

 少しその場で休んでいると、先にストラディゴスの呼吸が落ち着いてきた。


「ふぅ………………なあ……」

 ストラディゴスが、何かを言いかけた時だった。


 お互い疲れ切り、お互いの汗が混ざり合う肩車の状態のまま。

 城の見張り塔の屋根の上、周囲に視界を遮るものは無く、空が白け始め、遠くには朝日の光が見えてくる。


「はふぅ…………なに?」


「笑わないで、最後まで聞いて欲しい」

「いいよ」

 彩芽の呼吸もようやく落ち着く。


「笑うなよ?」

「うん」


「俺じゃ……いや違う。俺と……俺も……俺は……」

「ストラディゴスどうしたの?」


 ストラディゴスが少し考え、仕切りなおす。


「アヤメ、俺はお前と会って、こんな事初めてなんだ。こんなに楽しかったのは……」


「……そうなの?」


 日の出の光に包まれ、彩芽の目には初めて目にするこの世界のパノラマが飛び込んでくる。

 海と大陸、夜と朝、月と太陽、遠くに見える別の街、光に彩られていく今日の世界。

 目の前の雄大な景観に、彩芽の目から自然と涙がこぼれる。


「わかったんだ、お前のおかげで」


 ストラディゴスの目にも涙が浮かんでいた。

 その涙は、景観に感動した涙ではない。


「ずっと満たされていなかった。美味い酒を飲んでも、良い女を抱いてもだ。ずっと自分でも何か正体の分からない孤独を感じていたんだ」


「うん」


「お前が、俺を『嫌いじゃない』って言ってくれるまで」


 その時、ひときわ大きな風が吹いた。


 ストラディゴスは風をもろに受け、身体を大きく揺らす。


 目から飛び込む色彩と情報の津波、目の動きと関係無く動く視界の変化。

 これが悲劇を産み落とす。


「ごめん! 聞こえなかった!」


「俺には! お前が必要なんだ! だから俺はもっと……お前と………………一緒に!」




「ちょ……まって、ほん、ほんと、ごめん。ほんと気持ち悪ぃ……」


 ストラディゴスの告白。


 その全部を言い切る前に発せられた彩芽の予想外の言葉。

 ストラディゴスは耳を疑いながら、いきなり奈落の底に突き落とされたような衝撃を受けた。


 だが、その絶望を想わぬ物が、間違いだと教えてくれる。


 彩芽がストラディゴスの頭をタップする。


 ストラディゴスは頭の上に水滴が落ちるのを感じた。

 雨は降っていない。

 額を伝ってくる雨ではない液体からは、アルコールの匂い。

 何事かと、首をまわして彩芽を落とさないように恐る恐る振り向く。


 そこには頬を風船の様に膨らませ、脂汗をかき、唇が決壊寸前の彩芽が真っ青になって、緊急事態をアピールしていた。

 こちらも感動とは別の涙目で、必死のジェスチャー。


 出来るだけ早く、とにかく下におろして、と。


 そんな事、出来る訳が無い。


「うわああああああああああああ! 待っ!」




 きらきらきらきら~




 たらふく食べて飲んだ後に、巨人に肩車をされ猛スピードで揺られ、狭く長い螺旋階段によって追加で回転運動まで加えて、彩芽の身体はシェイクされていたのだ。

 とどめに、激しい乗り物酔いである。


 常人の胃袋に耐えられる筈もなく、むしろ、ここまでリバースしなかった事を褒めても良いぐらいだった。


 見張り塔の屋根の上に、モザイクが必要な白い川が出来た。




 膨れていた腹も含めて大分スッキリし、限界を超えて疲れ切った彩芽は、崩れ落ちる様にストラディゴスの頭を抱えてスヤスヤと寝息を立て始める。

 最後の最後まで、ただの酔っぱらいでしかない。


 ストラディゴスはと言うと、肩から盛大に彩芽の体液(主に唾液、胃液、汗、涙少々)と酒と魚の混合物をぶっかけられ、悲惨な事この上ない状態であった。


 だが、全ての責を負うべき迷惑な酔っぱらいに対して、怒る素振りはおろか、憤りの顔さえ見せなかった。


 それどころか、気持ちの悪い程の希望に満ちた、誰も見た事が無い満ちに満たされた顔をしていたと言う。


 ストラディゴスは、彩芽を抱えて塔を降りると、彩芽の身体を拭くのと、服の洗濯、それと自分の部屋のベッドで寝かしつけるのを城のメイドに丁寧に頼んで、一人水浴びに向かった。


 見張り塔の当直兵士達によって、この噂は城中に広がったと言う。





 言いづらそうにされる説明。

 聞いているうちに、二日酔いで悪かった顔色に別の不安な色が足されていく。


「わ、私ストラディゴスさんの服に、吐いちゃったの?」


「まあ、そう言う訳だ。本当に何も覚えて無いのか? 何かちょっとぐらいは?」


 彩芽は首を横にふり、

「もしかしなくても、私の服も?」

 と、自分が裸だった理由に行き当たる。


 ストラディゴスは黙って首を縦に振る。


 それに対して、彩芽は無言でジェスチャーをして、口もとにあてた手をぱっと広げ、こんな感じ?

 とやると、ストラディゴスは返答のジェスチャーをやはり無言で、自分の手で自身の肩を撫でおろし、被害ヶ所を分かりやすく説明した。


「本っ当に、ごめんなさい!」




 この時、ストラディゴスは彩芽に細かい事は伝えずに「酒場で酔いつぶれて、一服した後に城まで連れてきたら、リバースした」と、大分要約して説明していた。

 覚えていない相手に詳細を話して、同じ反応が返ってくるか分からないのが理由だ。

 彩芽が覚えていない時点で、告白しようとした事は彩芽が思い出すまで黙っていようと心に決めていたのだった。




「もういいから、酔い覚まし持って来るまで静かに寝てろ」

「え、でも」

「いいから」


 そう言ってストラディゴスは、彩芽の身体を、下からすくう様にひょいとお姫様抱っこで優しく持ち上げると、そのままベッドに連行する。

 大人しくベッドで横になり、彩芽は昨日の話を思い出す。


「ねぇ」

「なんだ? 他に欲しい物でもあるのか?」

「ううん、昨日さ、アコニーの所で」

「うん?」


「ベッドは一つしか無いって言ってたじゃん。もしかして、私に譲ってくれたの?」


「……ああ、そんな事か。床に寝かせておくわけにもいかないだろ」


 ストラディゴスは、少し照れ臭そうに答える。


「でも、それだとストラディゴスさんが床なんじゃ?」

「他の部屋にベッドならある」


「それなら、私をそっちで寝かせた方が良かったんじゃ」

「おいおい、あるって言っても兵士の宿舎だぞ。他に男が大勢いる大部屋に裸のお前を寝かせられるかよ」


「……裸」


 彩芽が黙ってストラディゴスをじっと見る。


 視線の意味を考え、ストラディゴスは取り乱して慌てだす。


「まて! 服を脱がせたのは俺じゃないし、裸だって見てないからな! ここに運んだのも身体を洗ったのも全部、城のメイドだからな!」


「……ぷっあははは!」

 彩芽は慌てる巨人を見て笑い出した。


「な、なんだよ」


「ははは、だって、なんとなくそんな事だろうって思ってたから」

「どういう意味だ?」


「だってさ、ストラディゴスさんエッチだけど、実は良い人でしょ?」

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