貴方の耳元で愛していたを叫んだ。
花座 緑
貴方の耳元で愛していたを叫んだ。
ほんの少しの後悔が、溶けない雪のように積もりに積もって、どうしようもないほどの愛になった。たった、それだけのことだ。
俺は数年前、海難事故に遭って以来、海が、というより水が苦手になった。
なのに今日は幼い頃からの親友に誘われて海に来ている。
断ってもいいと言われたけれど、今日こそ前に進むいい機会だと思い承諾した。
それでもまだ、砂浜の上の方に腰を下ろしている。
そんな俺を心配したのか、今日誘ってくれた親友が俺に恐る恐る声をかけてきた。
「マジで無理すんなよ? 別に今からでも帰っていいしさ」
「いや、大丈夫、それに今日は海に来たい気分だったんだ」
「いや、でも顔色悪いしよぉ」
「んなのいつものことだろ! 気にすんな気にすんな! おら、行ってこいよ」
いまだにちらちらと後ろを振り返る親友に手を振って行け、という合図を出す。
全く、俺はいい友人を持ったものだ。
ただ待っているのも暇なので、何か飲み物でも買いに行こうかと立ち上がったときだった。
「優しいのね」
「……え?」
後方からくすくすという笑い声がして、俺は思わず足を止める。
それは、あまりにも聞き覚えのある声だったからだ。
「久しぶり! 君ってば全然変わってないのね!」
「先輩……?」
「何か買いに行くところだったんでしょ? 引き止めちゃってごめんなさいね」
「いや、そんなことより!!」
「ほーら、早く行った行った! 大丈夫よ、久しぶりだもの、色々積もる話もあるし、私、ここで待ってるから」
白いワンピースに白い帽子を被っている先輩はそう言って笑顔で俺が先程親友にしていたように手を振った。
半ば放心状態で近くのコンビニに入り、自分用の飲み物と、アイスと、先輩が好きだと言っていた少し高めのコーヒーを購入する。
どうして先輩がこんなところにいるのか。
アイスが溶けないように、少し足早歩く。
「……先輩」
「あ、お帰り! そんなに急いで買ってきてくれたの? 君、ほんとに私のこと好きだよねぇ」
「からかわないでくださいよ」
「あはは、ごめんごめん、久しぶりに可愛い後輩に会ったもんだから! いや、可愛げはないか」
「男に可愛げなんて求めないでくださいよ……、あ、そういえば先輩、このコーヒー好きでしたよね?」
コンビニで買ってきたコーヒーを差し出せば、まるで幼い子供のように先輩は目を輝かせた。
——本当に、変わっていない。
「先輩、今日はどうしてここに?」
「そうだねぇ、私自身海が好きだっていうのもあるけど、一番は君に会いたかったからかなぁ」
「冗談はよしてください……、先輩って泳げないのに海、好きですよね」
「いいじゃない、海! 全てはここから始まったんだって思うと、すごく素敵でしょ?」
「そうですか?」
「そうよ、だから海を嫌わないであげて欲しいな」
一瞬、息が詰まる。
そんな俺を、海のように澄んだ先輩の目が俺を捉えた。
「……すみません」
詰まった息を吐き出すようにして告げた言葉は思った以上にか弱く震えていた。
俺が、ずっと、ずっと言いたかった言葉。
「どうして謝るのよ」
困ったように眉を下げて、俺を見つめる先輩の声も、先程までの会話とは打って変わって、とても弱々しい。
「俺の……せいで、俺があの日先輩を誘ったせいで、先輩を……」
波の音が、心を落ち着かせようとするように一定のリズムを刻む。
「先輩を、死なせてしまって」
ぱちり、と瞬きをすれば、景色は今までいたところとはがらりと変わり、他の客は一切見当たらなくなった。
もちろん、海にあるべき子供たちの声などといった音は一つも聞こえてこない。
そこには、ただ静かに揺らめく波の音と、海の上で眩しいくらいに輝く夕陽があるだけだ。
「気にしなくていいのよ、君のせいじゃない」
「いえ、俺のせいです、先輩が泳げないことだって知っていたのに、なのに俺は」
「私、すごく嬉しかったの、君が私の好きな海の上に誘ってくれて、私、その思い出を後悔にして欲しくないの」
そう言って先輩はそっと俺の手を握る。
「……先輩、俺、先輩と同じ歳になりました」
「うん」
「毎日、先輩のことを思い出す度、先輩と同じ歳に近づく度、後悔しました」
「うん」
「けど、それ以上に……、愛しく、思いました」
「……」
「俺は、あの日言いたかったんです」
先輩の手をそっと握り返す。白く、細い手は力を込めるとすぐにでも消えてしまいそうに思えた。
「先輩、愛しています」
夕陽の光を反射した海は、宝石のようにきらきらと光り輝いていて、とても美しい。
ぽたり、と握っている手に雫が落ちる。
「あーあ……その言葉、もっと早くに聞いておけばよかった」
「すみません」
「ううん、いいの、嬉しい……嬉しいなぁ……私だって、愛してる、きっと君の何倍も……だけどね、君にはもう私なんかに縛られて欲しくないの」
涙声の先輩は、すっと俺の耳元に唇を寄せる。
「ずっと、愛してた」
涙声のはずの先輩のその一言は、あまりにもはっきりと、一切余計なものを含むことなく、俺の耳へと届いた。
先輩の、心の底からの叫びだ。
その言葉を理解した瞬間、ぱちん、という音とともに、先輩が泡となって消えていく。
そっと握っていたはずの手の感触も今はもう無い。
先輩は俺を置いて、海へと還ってしまった。
「俺の方が何百倍も、愛していましたよ」
ぽたり、と握るものを失いさまよう手の上に雫が落ちた。
遠くの方で、親友の呼んでいる声が聞こえる。
「……い! おい! 大丈夫か?!」
「えっと、俺、どうしてた?」
「どうしてたもこうも、お前熱中症で倒れちまって病院に運ばれたんだよ」
その言葉に周りを見渡せば、確かにここは病院であるようで、清潔そうなベッドに自分は横たわっていた。
「死んじまうかと思って焦ったぜ……、頼むから水分補給ぐらいちゃんとしろよ」
「ああ、ごめん」
「……それにしても、なんかすっきりした顔してんな」
「色々あったんだよ、俺にも」
「ま、深くは聞かねぇけどよ」
改めて。全く、俺はいい友人を持ったものだと思う。
だから、俺はそんな友人に笑顔でこう言う。
「なあ、来年も海、連れてってくれよ」
せめて、先輩が愛した海ぐらい、俺も愛していようと思う。
貴方の耳元で愛していたを叫んだ。 花座 緑 @Bathin0731
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