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 知希の家から徒歩五分の神社で毎年行われる大規模な祭りで、いつも大変な賑わいらしい。普段は神社の駐車場になっているところが全て屋台で埋まる、と知希が歩きながら教えてくれた。盆踊りの太鼓が家まで聞こえてくるので光希君も毎年行きたがるのだが、光希君の身体と共働きの小野寺家では叶えられない願いだった。

 身体の弱い光希君は次いつお祭りに来れるか分からない。だから今日の私と知希は光希君のやりたいことを全部叶えてあげようと決めていた。

 見たことのない食べ物が売られている屋台に光希くんは興味津々でやたらと並びたがった。トルネードポテトにりんご飴。薄焼きにかき氷。私と知希で盾になり、光希君を人混みから守る。

 光希君はそれらを時間を掛けてゆっくりと食べた。かき氷は冷たくて食べるのに時間をかなり要した。途中私と知希に一口ずつ分けてくれた。口の中にブルーハワイのさっぱりとした味が広がる。

「美味しいね」

「うん!」

 人混みの中を歩くときは、私と知希で光希君を挟む。

 私は先の方を見ながら歩いていると光希君が不意に私の手を握った。小さな手だった。私に満面の笑みを向けている光希君の反対側には、穏やかな眼差しで弟を見つめる知希がいた。私は胸の中があったかくなるのを感じた。

「お兄ちゃん」

 光希君が知希の手を強く引いた。流石兄弟。知希は一瞬で光希くんの望みを理解した。

「俺たちちょっと行ってくるから、境内で落ち合おう」

「分かった」

 私は光希君の手を離す。急にひとりになると寂しいものだ。私は意味もなく、おみくじやお守りを見て回る。妖しい提灯が多種多様なお守りに薄く影を落とす。健康祈願のお守りを見つけたので、光希君に買った。とすると知希には何が良いだろうか。金運?安全?厄除け?どれもしっくりこない。

「何見てんの?」

 ふたりが帰って来た。

「お守りだよ。あ、これ光希君にあげる」

「累ちゃんありがとう!」

「あ、俺もトイレ行ってくるからもう少しふたりでここら辺にいて」

 どうやらふたりでトイレに行っていたらしい。

 まあ今の私は女だから男子トイレには行けないし、置いて行ったのは普通のことだ。さっきは自分でも気が付かなかったけど、私は拗ねていたらしい。馬鹿みたいな話だけど。

「累ちゃん、お兄ちゃんにも何かお守り買ってあげようよ」

「勿論!でも、何がいいのか分からなくて」

「うーん。あ、じゃあこれ!お兄ちゃんっぽい柄してるよ!」

 光希君が選んだのは、サッカーボールの模様のお守りだった。

 確かに知希はサッカーをやっているし、すごく良いと思った。私はそのお守りを買い、光希君の手を引いて境内の隅の石段に腰掛けた。

 光希君は真剣な表情で、人混みや屋台を見ていた。恐らく今日の記憶を目に焼き付けているのだ。次は無いかもしれないことを光希君は薄々感じているようだった。それを思うと悲しくなる。

「もしかして、あんた村谷累⁉」

 名前を呼ばれて顔を上げると、いつしか私に絡んできた上尾がいた。彼女は薄いピンクに大きな花の描かれた派手な浴衣を着ていた。他にも彼女の周りに女子がいたが、私の知らない人たちだった。私の視線の意図を理解した上尾は、「中学の同級生だよ」と淡々と言った。

「その子は?」

 いつの間にか隣でうとうとしている光希君を上尾が横目に見ながら問うてきた。知希の弟だと気付いていないらしい。私はこのまま隠し通すことにした。

「お、弟」

「へえ。可愛いじゃん。歳いくつなの?」

「小三だよ」

 それから上尾とその友人たちに光希君についての質問攻めに遭った。

 早く知希帰って来てよ、と思ったがそれはそれで困ることに途中で気付く。今来られたらいろいろ面倒だ。

「そういえばあんたほんとに知希のなんなの?」

「……ただの同級生だよ。私と上尾さんの関係と同じようなものかな」

「じゃあ私が知希を狙ってもいいよね?」

「私には関係無いよ」

 私が淡々と言うのを見て、彼女達は去って行った。

 苦し紛れの嘘の数々は見破られなかったことに安堵していると、知希がやっと帰って来た。トイレが激混みだったらしい。知希は寝入っている光希君を見て帰宅を提案した。私はそれに素直に従った。

 寝てしまった光希君を知希が背負った。

 私は自然な流れで知希の荷物を持った。小野寺家に着くまで私と知希は無言だった。空には大きな満月が浮かんでいた。不気味なくらい、妖しい月だった。

 知希は玄関で待つように早口で私に言うと、光希君をベッドに連れて行った。一分も経たないうちに知希は階段を駆け下りてきた。

「駅まで送る」

「大丈夫だよ」

「今日の累は女だろ」

 私は知希の言わんとしていることがよく分からなかったが、結局知希に押し切られる形で、駅まで送られることになった。

 先程と同じようにふたり並んで歩く。私の下駄が規則的にカコンカコンと鹿おどしのような音を奏でる。夜の街は古ぼけたネオンが煌々と存在を主張していた。その辺りで知希が出来るだけ大きな通りを選んでいるのが分かった。

 バス停に着くと、唐突に知希が「今日は本当にありがとう」と言った。

「うん。光希君楽しめたかな?」

 私は戸惑いつつも答える。

「あんなに燥いでる光希、俺は初めて見たよ。それに俺もすごい楽しかった」

「そっか」

「累は、楽しかった?」

 知希が珍しく不安げな顔で私を見た。

「勿論だよ」

 私が笑って即答すると知希はちょっとだけ照れていた。その時バスが私たちの前に丁度滑り込んできた。私と知希は当たり前のように隣の席に座る。

 駅に着き、私が「ここでいいよ」と言うと知希の表情が硬くなった。

「どうしたの?」

「今の累は男と女、どっちになりたい?」

「急に何?」

「いいから答えて」

「まだ、まだ分かんないけど、今日はちょっと女もいいかなと思ったよ」

 最後の方は消え入るような小さな声だったと自分でも思う。

 知希は少し落胆したように笑った。それから私の頭に手を乗せた。初めて会った時は私よりも小さかった知希の身長は、いつの間にか私を越していた。私は少し見上げるように知希を見る。

「累は強いね」

「そう、かな」

「俺なら男か女かなんて怖くて考えられない。累と同じ状況になったとしても、無理矢理にでも男として生きてくと思う。急に訊いてごめん。だから累はまだ悩んでていいと俺は思うよ」

「……うん」

「あ、でも累の中で俺の立ち位置が上尾を同じなのは気に食わないかな」

「聴いてたの……」

「盗み聞きするつもりは無かったんだけどね。聞こえてきちゃったから」

「嘘つけ」

「ほんとだって!じゃあ、次会う時までに累にとって俺が何なのか教えてよ。あ、同級生以外で頼むよ」

「はいはい。あ、そうだ。これ知希にも買ったからあげる」

 私は知希に、と買ったお守りを渡す。

 知希は一度顔を曇らせてから、泣きそうな顔で、私に手を伸ばした。


 一瞬の抱擁。


 身体がカッと熱くなった。頬が微かに触れる。背中に回った腕が逞しかった。

 すぐに身体が離れて、私は見知らぬ人を見るような目で彼を見た。知希は下を向いたままだった。鼓動が速くなって、私は胸のあたりで手をきゅっと握った。

 知希は泣きそうな顔で、手をひらひらと振って帰って行った。

 私は思わずその場にしゃがみこんだ。鼓動が収まるまで、舗装されたコンクリートの地面を見つめていた。訳が分からなかった。

 帰りの電車の中。

 ぼーっと濃紺の車窓を眺めていても、知希の苦しそうな表情と言葉が頭から離れなかった。

 私の中での知希の立ち位置。

 そんなの、簡単には言い表せるわけがなかった。

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