矢山行人 十五歳 夏14

 安藤朝子の後を追う準備を始めるも、彼女が何時頃にどのルートから病院を抜け出すのか分からず、陽子にメールした。


 実は陽子の母は朝子が入院している病院に勤めていて、夜勤などで家を空けることが多いのだと知った。そして、朝子が抜け出すのは夜の十二時をまわってからで、基本的に裏口か、裏口付近にあるトイレの窓からとのことだった。

 一度、朝子は正面玄関から堂々と病院を抜け出してもいた。

 朝子は密かに病院の合鍵を作っているのではないか、と病院側というか、朝子の母は疑うも、それらしいものは出てこなかったらしい。


 朝子の後をついて行こう、と陽子は母に提案したそうだが、却下されてしまった。というのも、どう抜け出しているのか分からないし、看護婦の人たちも仕事があって病院にいるのだから、決して暇ではないのだ。

 その話をメールで読んだ時、僕はなるほどと思った。

 大人たちはサッカーのゴールの真ん中に立っているような状態だった。正面に蹴った、手を広げて届く範囲のボールは止めるけれど、わざわざ横へと蹴られるボールは止めない。

 その結果、ゴールネットが揺れようとも、真正面に立ってゴールを守っていましたよ、という大義名分は成り立っている。


 なんとなくだが、僕は大人のそういう態度を悪いとは思わなかった。

 少なくともゴールを絶対に守ると息巻いているよりもずっといい。

 例えば夜になったら朝子を縛ってしまうとか、部屋のドアに外から鍵をかけてしまうとか、そういう過剰なことはせず、あくまでゆるく構えている。とりあえず大人としてやっておかなければならない対策はするが、それを超えるのであれば後は好きに何処へ行っても良い。


 そういうスタンスは時に決定的な事件を起こすこともある。

 ただ僕ら子供からすると、そういう自由にできる隙間を与えてもらうことでしか感じ、考えられない種類のことがある。隙間を貰ったからこそ正常に世界を眺められて、その視点だけで普段の生き難さみたいなものが僅かかも知れないけれど払拭できたりするのだ。


 僕は夜の十一時を過ぎてから、家を出た。


 自転車で朝子の入院している病院へ向かった。

 遠くで地鳴りのような音が聞こえ、それが車やバイクのエンジン音だと分かった。走り屋が深夜に走っているのだという話を以前、兄から聞いたのを思い出した。車やバイクで深夜、走り回ることに、どれほどの楽しみが見いだせるのか僕には分からなかった。

 病院へ行く道の間にあったコンビニに寄り、お菓子やジュースを千円分買った。

 ビニール袋はそれなりの重さだった。


 病院前に自販機があったので、そこで缶コーヒーを買って飲みながら朝子が出てくるを待った。

 手持無沙汰な気持ちなり、朝子が探そうとしている神様について考えてみた。

 たいしたことは浮かばなかった。


 もし、本当に神様がいるのだとしたら、彼はこの世界を見守ることしかできなのだろうし、それはどれだけの時間が経とうと変わらない。人間は存在しない、反応が返ってこないものとの関わりをもって、想像力を発達させてきた、と僕は思うから。

 だから、神様が人間を作ったのだとしても、神様は人間の想像上にしか存在してはいけないし、もし実体を持って神様なんてものが登場したら、それは嘘っぱちか、未熟な神であるはずだ。決して全知全能な、全てを包み込むような絶対神ではない。


 神様は考え方の一つでしかないのだ。

 僕は神様をこう考える、というように。なので、本人に聞くのが一番だ。朝子の想像する神様はどういうものか。


 そこまで考えて、違う違うと僕は自分の考えを否定する。陽子のお願いは、朝子が何をしているかを尾行して突き止めることだ。

 実際に朝子に接触して事情を尋ねたがっているのは僕の好奇心でしかない。

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