矢山行人 十五歳 夏15

 視界の隅に何か動くものがあって、目を凝らすとそれが朝子だと直ぐに分かった。


 黄色いパジャマにグレーのカーデガンを羽織った朝子は足音も立てず、病院から離れていく。黄色いパジャマが夜道の中で目立っているはずなのに、彼女の横顔や、歩き方にはどこか存在感がなく、幽霊のようだと僕は思った。

 自転車は自動販売機の横に止めたままにして、お菓子などの入ったコンビニ袋を持って、朝子の後を追った。

 朝子の足取りに迷いはなかった。


 僕は朝子から四十歩ほどの間を空けて、煙草を吸いながらついて行った。

 灰皿はさきほど飲んだコーヒーの缶で代用した。

 三本の煙草を吸ったところで、上り坂に差し掛かった。

 山だ。

 何の特別なものはなく、これを越えると隣町へ行ける。それだけの山だった。

 父や母と隣町に用事がある場合、車に乗せてもらって通ったことはあるが、徒歩で登るのは初めてだった。

 右手側が木々で、左手側が道路だった。

 めったに人が通らない道の外灯の間隔は遠く、僕はろくに足もとが見えない道を進むことになった。時々車が左横を通り過ぎていく。

 その時にだけ激しい光に僕はさらされた。


 コンビニで買った商品の入ったビニール袋がやけに重く感じた。途中で二度、持ち手を変えた。新品で買った煙草の数が半分まで減っていた。

 ずいぶん歩いた気がした。

 日中よりも真夜中を歩く方が疲れるのは不思議だったが、実際に疲れているのだから仕方がなかった。

 朝子の姿が外灯の下に映った。病人であるのを疑うほど、足取りに変化はなく速度も落ちていなかった。

 山の中腹まで来ただろう、というとこで朝子が立ち止まり右側の木々の隙間に消えた。


 え?

 僕は足を速め、朝子が消えた木々の隙間に近づいた。そこには石の階段があった。

 耳を澄ませる。

 小さいが確かな足音が聞こえる。朝子はここを登っている。

 見る限り外灯などはない。朝子は木々に覆われ、完璧と言って良い暗闇に包まれて、この石の階段を登っている。


 ビニール袋を持ち直し、僕は完璧な暗闇の中、石の階段を登った。

 石段は一段一段、形が違った。気を抜くとバランスを崩すような気がして、慎重に足を動かした。

 さきほどまでは多少なり外灯があった。

 隣を走る車の激しい光もあった。しかし、ここには何もない。

 ほとんど完璧な暗闇の中、固い石の感触だけが頼りだった。一度、立ち止まって耳を澄ませるが、もう朝子の足音も聞こえなかった。


 僕はなにをしているのだろう?


 そんな気持ちになった。

 もう良いじゃないか。陽子には途中で見失ったと言おう。別に責められたりはしない。だって、僕はちゃんと途中までは朝子を追いかけていたのだから。

 帰ろう、と思ったのに足は動かなかった。


 ――なんかね、よく分からなくなっちゃったんだ。いろんなことが。


 そう言った秋穂のことが浮かんだ。

 彼女は部屋に一人閉じこもって、はじめてしまったゲームを終わらせようとしている。

 僕もよく分からなくなったよ。

 どうして、こんな所にいるんだろう? 何の意味があるとも思えない。だけど今、帰る訳にはいかないんだ。なんとなく、それだけは分かる。


 秋穂がテレビ画面に食いついてゲームをしているように。

 何の意味がなくとも僕は朝子を追う。

 理由はいらない。


 ただそうしなくちゃいけないのだ。ここまで来てしまったからには。

 再び、足を上へ動かした。一歩一歩、僕は登っていく。誰かに言われたからではなく、自分の意思で僕はこの真っ暗闇の階段にいる。

 階段を登りきったのだと分かったのは、僅かな光が僕の目の奥を刺激したからだった。


「いらっしゃい」


 女の子の声がした。

 僕はしばらく何も言えず突っ立ていた。

 視界が定まらなかった。突然の光のせいかも知れない。一度、目を閉じる。

 そして、息を吐いて吸った。目を開ける。さきほどよりもマシだった。首を動かし女の子を捜して、へらへらと笑った。


「おじゃまします」


「なにそれ?」朝子が笑った。


 ほのかな光の中では、朝子の表情の細部まで確認することはできなかった。その代わりに声の響きは日の下よりも鮮明に伝わってきた。

 僕は朝子の後ろにあるものを見とめ、なるほどと思った。

 ここは小さな墓地だった。普段、僕がお参りするような大きさの墓が四つ、それから一回り小さな墓が更に四つ一列に並んでいた。

 そして、お墓の真正面は木々などがなく開けていて、そこから町を見下ろせた。


 細々とした光が点々とあり、ちょっとした夜景とも受け取れたが、場所が墓場である為にロマンティックな感じは受けなかった。

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