矢山行人 十五歳 夏05

 ローソンで表紙がよれよれになったジャンプを立ち読みしていると、眼鏡をかけた陽子に肩を叩かれた。


「面白いのかい?」


「そこそこ?」


「どうして疑問形なんだい」


 ローソンを出ると、向かいのパチンコ店から出て来る人影に見覚えがあった。

 僕は無視しようとしたが、陽子が反応した。


「あれ、宮本くんじゃないかい?」


「だね」

 とだけ僕は言った。


「あぁすまない。君と宮本くんは……」


 陽子は申し訳なさそうに視線を逸らした。

 仕方なく僕はへらへらと笑った。

「僕とミヤは別に仲が悪い訳じゃないよ。良い奴だしね」


「ぼくは宮本くんと喋ったことはないけれど、見る限り良い人だって分かる」


 ミヤはサッカー部に所属した、クラスの人気者だった。

 そんなミヤは中学三年にあがった春に不登校になった。後から聞いた話だけれど、サッカー部内でミヤはひどいイジメにあっていたらしい。

 不登校になってすぐに彼の家を訪ねたが、一言も声を発さなかった。ミヤの家に通う日々を送っても結果は変わらなかった。ただ一度、手紙をもらった。


 ――気にすんな。


 たった一文だった。

 けれど、そう言うのなら僕は気にせず、時が経ってミヤ自身から話してくれるのを待とうと思った。

 それは半年が経とうとしている今でも変わらなかった。


「それで、どうして陽子は眼鏡なんだ? しかも髪先、三つ編みにしているね」


 コンビニを出て陽子の家までの道を僕らは歩いていた。外灯の光は既に灯っていた。


「お、今更だね。文学少女風さ」


「文学少女風?」


「ただ宿題をするのも芸がないからね、形だけでも凝らそうかなと思ったんだよ」


 よく分からなかったが、陽子のいつもの中二病的行動なのは分かった。

 入り組んだ路地を抜けた先のマンションが陽子の家だった。

 六階という、そのマンションを見上げると、真ん丸な月が目に入った。

 夜の訪れはいつも言いようのない不安を感じさせた。世界の輪郭が曖昧になって、大切なものを見落としてしまうかも知れない。

 そういう漠然とした感覚だった。


「本当に、陽子の家で宿題やっても良いの? ご両親とかもいるだろ?」


「ん? あぁ、大丈夫だよ。君は気にしなくていい」


 そういう訳にはいかないだろう、と思ったが口にはしなかった。

 陽子の住む部屋は六○七号室だった。

 綺麗な室内のエレベーターで六階まであがると、暗がりの中で先ほどのパチンコ店が確認できた。他にも見慣れた駄菓子屋や、通っていた小学校、散歩コースとなっている湖、壁のように町を囲む山もかろうじて見えた。


「どうしたんだい?」


「いや、いろんなものが見えるな、と思って」


「そうかな?」


 ガチャ、と陽子が扉の鍵を開ける音がした。

 目の前の光景は陽子にとって日常なのだろう。見えるのが当然の光景。住む場所が違えば、見え方も感じ方も変わってくる。僕と陽子はまったく違う生き物だ。


「では、どうぞ我が家へ」


 陽子の家の玄関は、きとんと整えられ掃除も行き届いていた。陽子は、ただいまとは言わなかった。僕はおじゃましますと言って靴を脱いだ。

 陽子の案内で通された部屋には二段ベッドと勉強机が二つ、ガラステーブルが一つと本棚で殆どの面積をとっていた。床には淡いピンク色のマットが敷かれていて、それがいかにも女の子の部屋という趣だった。


「お姉さんか、妹さんがいるの?」


「妹がいるんだ」


「へぇ、今日は塾かなにか?」


「今は家にいないんだ」

 自然とした発音だった。


「なんで?」


「ホームステイ中なんだよ」


「なるほど。どこに?」


「アメリカだよ」


「へぇ、良いね」


「でも、言葉が通じないって、よく泣き言のメールをもらうよ」


「あーそれは、辛そう」


 周囲で聞こえる言葉が雑音としか捉えられない世界。

 それは想像に難くない辛さだった。


「ひとまず行人くん。宿題を見せてもらおうか、流石にまったく手つかずという訳ではないんだろう?」


「それがね」


 僕は鞄から宿題を取り出した。理科のテキストの最初の数ページが終わっているだけで、他は全て手つかずだった。

 陽子はそれを見て、ため息を漏らした。


「時間が掛かりそうだね」


 面目ない。

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