矢山行人 十五歳 夏02
秋穂の家を出ても日は落ち切っていなかった。
腕時計に目をやると、十七時二十一分だった。
このまま家に帰るつもりになれず、僕は自宅を通り過ぎて、しばらく歩きつづけた。辿り着いたのは空き地だった。
真ん中辺りは地面が見えているが、それ以外は雑草が好き放題に生えていた。奥に三本の立派な木があって、入って左の木に人影があった。
僕の通っている中学の制服をきた女子生徒だった。
空き地に入ると、彼女は僕に気付いたようで、手をあげた。その手には火の点いた煙草があった。
「やぁ、行人くん。久しぶりじゃないか?」
僕は真ん中の木の根元にバッグを置いた。ここが僕の席だった。とくに主張した訳ではないが、自然とそうなった。
「久しぶり、陽子」
煙草の灰を携帯灰皿に落とした陽子は教室では決して見せない皮肉げな笑みを浮かべた。
「なにか用かい?」
「相変わらず中二病っぽい喋り方だなぁ」
「そういうのが好きなんだろう?」
「まぁね。今度、教室でもその喋り方をやってよ」
「無理だね。教室でのぼくと今のぼくは違うからね」
陽子はクラスメイトだ。
一見、真面目で大人しげな陽子が煙草を吸い、こんな喋り方だと知ったのは梅雨真っただ中の六月だった。
驚きのキャパを超えた僕は、普段なら見ないフリをする場面で何故か声をかけた。興味が勝ったのだと思う。
陽子は教室での自分を取り繕ったりしなかった。
人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、煙草を吸った。そんな陽子に対して僕はへらへら笑って話しかけた。
僕のとくに中身のない会話を陽子は邪険にすることなく応えてくれた。
そういう日が六月から時々あった。
「あのさ、陽子。ちょっとお願いがあるんだけど、良いかな?」
「来て早々図々しいね。良いかどうかは分からないけれど、言ってごらんよ」
「夏休みの宿題を手伝ってくんない?」
「ん? なんだって?」
「宿題を手伝ってください、お願いします」
それは僕にとって、そこそこ切実な問題だった。陽子は呆れたようなため息をもらした。
「あのだね、行人くん。夏休みの宿題は、登校初日に提出するものであって、ぼくの手元に現在ないわけだけれど?」
「写させてもらえたら、それが一番なんだけど。ないものは、仕方ないから手伝ってください」
顔を上げると、陽子は口もとを吊らせて笑った。
「君は、この夏なにをしていたんだい?」
僕は用意していた話を口にした。
「八月一日に、宇宙人の少女と知り合ったんだ。すげぇ美人でさ、胸も大きくて、くびれもしまっていたんだ。もう一目見て、大好きになっちゃったんだよね。で、その少女と宇宙に行って、いろんな惑星を巡ってさ、宇宙崩壊の危機を救って行ったんだよ。で、全部、終わったのが八月三十一日だったんだ。宇宙人の少女も、自分の惑星に帰るって言うんで、ちょっと感動的な別れをしてさ。良い夏休みだった訳よ。でも、さすがに宇宙を救いながら夏休みの宿題はできなかったんだよね」
もちろん、嘘だった。
ただ陽子の教室では普通の口調なのに、外に出ると下手な男口調になる彼女に対して、僕は何かしらの嘘をつきたかった。
何の意味もない嘘。
そういう罪のない嘘が僕は好きだった。
陽子は新しい煙草を咥え、ライターで火を点けた。煙が空中に漂う。
「ぼくに本気で、そんなことを言っているのなら、敬意に値するよ。それで、その宇宙人の少女とはキスくらいはしたのかい?」
「まぁその辺は想像に任せるよ」
「ほぉ」
「プライベートなことだからね」
「なるほど」
陽子は煙草の灰を携帯灰皿に落とした。「まぁ、良いだろう。君の宿題を手伝っても良い」
意外だった。
正直、断られると思っていた。
「その代わり、ぼくのお願いを聞いてもらうよ」
陽子がまっすぐ僕を見た。真剣な表情に対して僕はへらへら笑いを深めた。「なに? エロいこと」
「してほしいのかい?」
よく分からなかった。
にやっと陽子が笑った。
「まぁ安心して良い。エロいことじゃない」
「じゃあ、なに?」
「それは行人くんの宿題が終わってから言うよ」
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