2007年 岩田屋中学校 夏。

矢山行人 十五歳 夏01

 中学三年の夏休みが明けて、三日が経っても秋穂は学校に登校してこなかった。

 担任は三日続けて原因は風邪だと言った。

 夏風邪は長引く。確かに、その通りだ。


 けれど、高校受験が目前となったこの夏に秋穂が休む、というのが、どうにも納得できなかった。あの秋穂ならば風邪を引こうと登校してくるだろうし、授業に参加できないまでも保健室で休むなどしそうだ。

 誰よりも内申点を秋穂は気にする質であることを僕は知っていた。

 気になると、もう駄目だった。

 放課後に、僕は三日分のノートとコンビニで買ったチョコレートを手土産に秋穂の家を訪ねた。


 西野、と表札のかかった秋穂の家は、周囲の家よりも大きくて立派な門構えだ。秋穂のお父さんが地方雑誌で度々取り上げられるリフォーム会社の社長の為、秋穂はいわゆる社長令嬢だった。

 それに比べて僕は平々凡々な家庭の次男でしかなかった。

 僕たちの関係は対等でないのかも知れないが、その事実によって気まずくなったことはなかった。

 チャイムを鳴らすと秋穂のお母さんが迎えてくれた。


「あぁ、行人くん。この前のお土産、ありがとうね。美味しかったわ」


「良かったです」


 僕は夏休みの間、親戚の家でお世話になっていた。

 西野家は僕の住む家の近所なこともあって、帰ってきた八月三十一日にお土産を持って挨拶に行った。半分以上、秋穂に会うつもりだったのだが、彼女は不在だった。

 その為、僕は夏休みの間と学校が始まっての三日間を含めた一ヶ月以上、秋穂に会っていなかった。


「秋穂よね?」


「はい」

 と僕は頷き、「風邪だって聞いて。三日分のノートの写しと、チョコレートです」とビニール袋を秋穂のお母さんに差し出した。


「ありがとうね。でも、本人に渡してあげて」


「風邪なんですよね?」


 秋穂のお母さんが苦笑いを浮かべた。

「ずる休みよ。あがって行きなさい」


 分かりました、と言いつつ、僕の違和感は膨れ上がった。


 秋穂がずる休み? この時期に?


 秋穂のお母さんの後ろについて、彼女の二階の部屋まで進んだ。

 見慣れた廊下と階段。けれど、一ヶ月ぶりに見ると懐かしい扉。少しだけ動きがぎこちなかった。

 秋穂のお母さんが彼女の部屋の扉を叩き

「行人くんが来たわよ」

 と言った。扉の向こうから、秋穂の曖昧な返事があった。

 一瞬だけ、秋穂のお母さんが僕を見た。


 ん?

 すぐ秋穂のお母さんは視線を戻し、扉を開けた。


 部屋に入って、秋穂のお母さんの視線の理由が分かったような気がした。

 真面目で、礼儀正しく、内申点を気にする秋穂は、テレビに向かってゲームをしていた。

 懐かしいゲームだった。

 僕と秋穂が小学生くらいの時に、一緒になってやっていたものだ。今はシリーズが幾つも出ているけれど、秋穂がプレイしているのは一番最初のだった。


「飲み物を持ってくるわね」


 と言って秋穂のお母さんが、部屋を出て行ったので僕は所在無い気持ちで立ち尽くした。突然の来客である僕を秋穂は一度も見ようとしなかった。


 仕方なく

「休んでいる間のノート、持ってきた」と僕は事実だけを口にした。


「うん」

 秋穂はやはりテレビ画面に視線を向けたままで言った。


「ねぇ行人。私に言うことがあるんじゃない?」


 決して怒ったような言い方ではなかった。

 夏休みの初日に僕は親戚の家へ行くことになっていた。朝方に出発する際に、秋穂はわざわざ僕の家の前まで来て「行ってらっしゃい」と言ってくれた。

 律儀な女の子だ。僕も「行ってきます」と答えた。

 だから、今僕が言うべきは一つだった。


「ただいま」


「おかえり。こっち座りなよ」


 うん、と頷き、僕は秋穂の隣に座る。通学用のバッグを後ろに置き、テレビ画面に視線を向けた。


「お土産、どうだった?」


「美味しかったよ」


 良かった、と笑ってから

「どうして秋穂は学校を休んでゲームをしてんの?」と言った。


 丁度、秋穂のお母さんがお盆に乗った氷の入ったグラスを二つとペットボトルのオレンジジュースを持ってきた。立ち上がって僕が受け取った。

 お母さんは、「ごゆっくり」と言うと秋穂の部屋を出て行った。

 僕はグラスにオレンジジュースを注いで、秋穂の横に置いた。


「ありがと」


 と秋穂は言ったが、グラスに手は伸ばさなかった。僕は秋穂の横に座り直して、冷たいオレンジジュースを飲んだ。

 しばらく、テレビ画面から流れるゲームのBGMだけが部屋を満たしていた。それはそれで心地いい空間だな、などと思った頃に秋穂が口を開いた。


「なんかね、よく分からなくなっちゃったんだ。いろんなことが」


 そっか、と僕は言った。秋穂の横顔を見た。整った顔だと思う。とびっきりの美人という訳ではないけれど、時々見せる表情や仕草が魅力的なのは疑いの余地はなかった。


「ゲームをしたら、何か分かるのかな?」


「さぁ。でも、はじめちゃったから。最後までやってみる」


「そっか」


 僕はテレビ画面に視線を戻し、ゲームの進行をぼんやり眺めた。グラスの中の氷が溶けて、残り少ないオレンジジュースを薄くさせた頃に僕は言った。


「明日も学校、休むの?」


「多分」


「そっか。じゃあ、明日も来ても良い?」


「良いよ」

 僕は立ち上り、通学用のバッグに手を伸ばした。


「ねぇ、行人」


「なに?」


「エッチしたことある?」


 突然の問いだった。

 長いこと秋穂と一緒にいるけれど、エッチと言ったのはこれが初めてだった。


「ないよ」


「じゃあ、エッチしたいって思ったこと、ある?」


「あるよ」

 中学三年の男子がエッチなことについて思わない日がある訳ないじゃないか。

 そう続けようと思ったけれど、結局はやめた。

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