第16話 ガソリンスタンド

 峠を、再び顔を出した太陽の強烈な光が照らし出した頃、スバル55は、たくさんの花輪と花吹雪に彩られ、また元気に走り出した。

「みんなぁ~、ありがとうぅ~」

 幸子が窓から上半身を乗り出して手を振った。それをみんなが手を振って盛大に見送った。

 スバル55は、朝日を思いっきり浴びながら、生まれ変わったように再び峠道を元気に走って行った。


 スバル55は、下りの峠道をよろよろと右に左に蛇行し揺れながら、右に左に急カーブを曲がって行く。

「おねえちゃん、大丈夫?」

 幸子が心配そうに隣りの夏菜を見る。

「大丈夫よ。ちょっと、世界が波打ってるだけ」

 しこたま酒を飲んだ夏菜が、ろれつも怪しく言った。

「・・・」

 幸子は、リトルベアをしっかりと抱き締め、胸の前で両手をしっかり合わせて握った。

「神様、どうかわたしたちが無事でありますように」

 その時、突然、真っ赤なランボルギーニがものすごい轟音と共に、危うくスバル55にぶつかりそうなくらいぎりぎりをかすめて、対向車線から強引に追い抜いて行った。

「わあっ、びっくりした」

 幸子が目を剥く。

「ああいうのは許せないわ」

 言うか早いか夏菜は、スバル55のアクセルを思いっきり踏み込んでいた。

「わあああああ」

「きゃいいい~ん」

 幸子とリトルベアの恐怖の絶叫が、スバル55の中から響いた。

「下りなら負けないわよ」

 夏菜は完全に戦闘モードに入っていた。スバル55は、さらにスピードを上げ、幸子とリトルベアの恐怖の絶叫と共に、ものすごいスピードで険しいカーブを次から次へ曲がっていく。

「わあああああ」

「きゃいいい~ん」 

 どんどんスピードを上げていくスバル55は、ギシギシと、キリキリと車体を軋ませ、時にはガードレールにぶつかりそうになったり、対向車に正面衝突しそうになりながらカーブをものすごい勢いで曲がって行く。

「わあああああ」

「きゃいいいい~ん」

 幸子とリトルベアの叫び声はもはや絶叫に変わっていた。

 そして遂にさっきスバル55をぶち抜いて行った真っ赤なランボルギーニの後ろ姿が見えた。

「見えた」

 すると夏菜は更にアクセルを踏み込んだ。

「わあああああ」

「きゃいいいい~ん」

「いくわよ~」

 サングラスの奥の夏菜の目は完全に、ランボルギーニにロックオンされていた。スバル55は、そのままその小さなボディで、離されないように真っ赤なランボルギーニを執拗に追いかける。

「そんなバカでかいエンジンじゃ、逆に曲がりにくいでしょ」

 夏菜が寸分の狂いも許されないハンドルさばきの中、一人呟く。

 確かに、直線では離されるが、細かいカーブの連続ではスバル55は負けていなかった。

「クッソ~」

 しかし、なかなか追い抜くことまではできなかった。

 その時、突然大型トラックが、急カーブの先から現れた。車体の大きなランボルギーニは驚いて若干、カーブを曲がるのが膨らみ、スピードが落ちた。その隙を夏菜は見逃さなかった。

 わずかに膨らんだランボルギーニと、トラックが通過したその一瞬の、わずかの隙間をスバル55がすり抜けるようにして、ランボルギーニをぶち抜いた。

「イヤッホー」

 夏菜の絶叫がこだまする。

「やったぜぇ」

 夏菜は、一人大きく運転席の窓からガッツポーズしたこぶしを突き出した。

「・・・」

 ランボルギーニの運転手は、呆然と目を点にしてそれを見送った。

「・・・」

 助手席では幸子とリトルベアがクルクルと目を回していた。


 太陽が真上に上って、誇るように一番その力を発揮している頃、スバル55は再び、長い峠道を右に左に上っていた。

 プスプス、プスプス

「あれ?」

 幸子が身を乗り出す。スバル55のエンジンはまた、動きが止まっていった。

「またかかと落としね」

 幸子が夏菜を見る。

「今度はガス欠よ」

 夏菜が言った。


「うんしょ、うんしょ」

 二人は峠の上り坂を、汗を掻き掻きスバル55を後ろから押しながら上っていた。

「いったい、どこまで続くのかしら」

 夏菜が辟易して言った。

「わたしもうダメ」

 疲れ切ってもうヘロヘロの幸子が力なく言った。峠道は上っても上っても、曲がっても曲がっても峠道だった。


 二人が精も根も尽き果て、太陽の容赦ない熱で頭がくらくらし、もういい加減うんざりし始めた頃だった。峠の大きなカーブを曲がると、そこに何かが見えた。

「あっ、ガソリンスタンドだわ」

 幸子が叫んだ。峠のてっぺんに小さなガソリンスタンドが立っていた。

「やったぁ」

 幸子が更に叫んだ。

「さあ、もう少しよ」

 夏菜が押す手に最後の力を籠める。

「うん」

 幸子も最後の気力を振り絞った。

 二人に一生懸命押され、スバル55は、峠のてっぺんにあるガソリンスタンドにようやくたどり着いた。

「もうダメ。わたし、腕も太もももパンパン」

 汗びっしょりの幸子は、スバル55の後ろのバンパーに背を持たれかけさせるように崩れ落ちた。

「もう一歩も動けない」

 幸子はうなだれるように呟いた。

「やあ」

 その時、ガソリンスタンドの奥から一人の青年が笑顔で出てきた。

「は~い」

 夏菜が答える。

「ガソリンがないわ」

「ガソリンならここにたっぷりあるよ」

 青年はにっこりと笑顔で言った。

「お金もないわ」

「そんなことは大した問題じゃないよ。それにしても、このスバル55は素晴らしいね」

 青年はスバル55に、顔をくっつけんばかりに近づけ、しげしげと眺め、言った。

「本当に素晴らしい」

 青年は今度は少し顔を離し、全体を見回すように見つめ、ため息交じりに言った。スバル55は照れ臭そうに身を縮める。

「僕にこのスバル55を売ってくれないか」

 顔を上げると、青年は唐突に言った。

「いいけど、でも、スバル55が無くなっちゃったら、私たちは旅が続けられないわ」

「僕がこれを君から買って、そして、それを君に貸す。それでどうだい」

「それならいいわ」

 夏菜は、にっこり納得した。

「でも、あなたがスバル55に乗れないわ」

「いいんだ。僕はこのスバル55に一目ぼれしてしまった。でも、このスバル55は君たちが乗るべきなんだ」

「そう、それであなたが幸せなら」

「僕はとても幸せだよ」

「それなら、私たちも幸せだわ」

「よしっ、お金を取ってくる」

 青年は、踊りださんばかりの勢いで、店の奥へと小刻みに左右にステップを踏みながら走っていった。


 夏菜は青年からもらったお金で、まず、スバル55にガソリンをタンク一杯満タンに入れ、そして、風船ガムを一個とコカ・コーラを二本買った。

 青年がガソリンを入れてくれている間、キンキンに冷えたコカ・コーラを二人は、ありったけの吸引力でカラカラの喉に思いっきり流し込んだ。

「ぷはぁ~っ、生き返る~」

 一気に飲めるだけ飲んで、コーラの瓶から口を離した幸子は、元気いっぱい叫んだ。その表情には、再び生気が戻っていた。

「夏はやっぱりコーラね」

 夏菜も、再び元気いっぱい、堪らない幸せを吐き出すように言った。

「さあ、満タンだ」

 青年がそんな二人の後ろから言った。

「やったぁ。もう、スバル55を押さなくていいんだわ」

 幸子が両手を上げ、飛び上がって喜んだ。

 ガソリンの満タンに入ったスバル55も、再び元気いっぱいどこまでも走れそうな気力が全身みなぎっていた。

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