第10話 スパゲティー

 ジュゥー、ジュゥー

 グラグラと煮えたぎる鍋の中で踊るパスタの横で、厚切りのベーコンがオリーブオイルを軽く敷いたフライパンの中でその油をたぎらせ、肉の焼ける堪らなく良い匂いを立ち上らせる。そこへみじん切りのニンニクと輪切りにした唐辛子が投入され、更なる香りが漂う。

「わたし、幸せ」

 クンクンと鼻を動かしながらうっとりと幸子が言った。

 そこに、手早い無駄のない動きで茹で上がったパスタが、その炒めたベーコンのうま味の詰まった油の十分出きったフライパンに流し込まれた。

「これでまずかったびっくりするわ」

 夏菜が言った。

 パスタが小気味よくベーコンの油に絡まり、いい感じに火が通ると、最後に軽く塩とコショウで味付けされ、パスタは完成した。完成したパスタはフライパンから二つの皿にスルスルと流れるように盛りつけられた。 

「僕のおばあちゃん自慢のパスタさ」

 二人の目の前に、おいしく湯気を上げながら、てんこ盛りにもられた大盛りのパスタが差し出された。

「いただきま~す」

 二人はパスタを受け取り手を合わせると、すぐに口に入れるだけパスタを思いっきり頬張った。

「どう?」

「おいしい~」

 まず幸子が口の中をパスタでいっぱいにしたまま叫んだ。

「今まで食べてきたパスタなんてパスタじゃないわ」

 同じくパスタで頬を思いっきり膨らませた夏菜が唸る。特別な味付けもなく、ただ、厚切りベーコンのうま味に、塩コショウを軽く乗せただけのシンプルなものなのだが、それは飛び上がるほどおいしかった。

「僕のおばあちゃんはイタリア人ていう噂なんだ」

「それはおいしいはずね」

 夏菜が言った。


「ふぅ~」

 二人が心行くまで、思いっきりパスタを堪能すると、青年は今度は火にかけてあったポットを手に取って3つのティーカップにそれぞれ注いだ。

「わあ、いい香り」

 幸子が言った。

「ミルクティーだよ」

 そう言って、更に青年は別の容器からミルクを3つのティーカップに注いでそのうちの2つを二人に渡した。

「ありがとう」

 夏菜が言った。

「ありがとう」

 元気いっぱい幸子が言った。

「昨日は牛小屋に泊ったんだ」

「搾りたてね」

 夏菜が言った。

「うん」

「う~ん、おいしい」

 幸子が目を細めて言った。

 それから、3人はミルクティーを飲みながら、ゆったりと流れる時間の中でのんびりと食後を味わった。

 邪魔するものは何もなく、広大な緑の広がる自然の中に、三人だけがぽっかりと、存在していた。

 青年は、今度はバックからリンゴを取り出し剥き始めた。

「なんでもあるのね」

 幸子がうれしそうに目を丸くして言った。そんな幸子の言葉に青年は思いっきり笑った。

「旅人さんは、これからどこへ行くの?」

 幸子が訊いた。

「僕は北へ行こうと思っているんだ」

「私たちとは逆ね」

 夏菜が言った。

「僕は雪を見るんだ」

「雪かぁ」

 暑がりの幸子は、うっとりと目を細め、雪国を頭に思い浮かべた。

「僕もスバル55みたいな素敵な車があったら、車で旅してみたいよ」

 青年は直ぐ近くの道路脇に止まっているスバル55を、羨ましそうに見つめた。

「だったら旅が終わったら、あなたにあげるわ」

「ほんと」

「うん、あんなにおいしいパスタをいただいたんですもの」

「夢みたいだ」

 青年は改めてスバル55を見つめた。


「さっ、行きましょ」

「え~、もう行くのぉ」

「ここにいたら、いつまでもいたくなっちゃうわ」

「いつまでもいたらいいわ」

「いつまでもここにいたら、旅が旅じゃなくなってしまうわ」

「旅人さんは?」

 幸子が訊いた。

「う~ん、僕も出発しようかと思ったけど、今日はここに泊るよ。急ぐ旅じゃないからね」

「急ぐ旅なんて、旅じゃないわ」

 夏菜が言った。

「僕は旅の全てを見たいんだ。旅の些細なことも見逃したくないんだ」

「時間は無限にあるものね」

「そう僕たちは自由だ」

「そう自由よ」

「目的はないけど」

「自由はある」


「またどこかで」

 青年が言った。

「ええ」

 夏菜が答える。

「あなたとはまたどこかで会う気がするわ」

 夏菜が言った。

「うん、僕も不思議とそんな気がするんだ」

 夏菜と幸子はまた、スバル55の小さな車体に乗り込んだ。

「ごちそうさま~」

 幸子が手を振る。それに青年も笑顔で手を振り返す。

「しゅっば~つ」

 お腹も心も満たされた幸子が元気いっぱい叫ぶと、スバル55は再び元気いっぱい走り出した。

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