第14話 @masatada_phi-②-
「瑠奈、起きなさい、瑠奈」
聞きなれた母親の声に目を覚ます。背中が痛むのは、硬いアスファルトの地面に横たわっていたせいだ。姿勢を起こさぬままに、目の前に手を翳す。子どもらしい小さな手だ。その当たり前の事実が、彼女に何故か一抹の寂しさを抱かせた。
「……ママ、私、なんで」
「なんでじゃないでしょ、ちょっと目を離したら、急にこんなところで寝ちゃって……だから夜更かしはやめなさいっていつも言ってるでしょ?」
「……だって」
夜更かしは大人っぽいから、なんて子どもじみた言い訳を飲み込む。昨夜、就寝時間の少し前に、こっそりティーバッグを取り出して紅茶を煎れた記憶がよみがえる。昨日眠れなかったのは確か、ひどく濃く苦い紅茶を飲んだせいだ。昨夜のことのはずが、とても遠い日の記憶のように思えてしまう。まだ寝ぼけているのだろうか。今と昨夜の間に、長い夢の記憶が挟まっている。
「ほら、もう少しで集会場に着くから。そこまで着いたら休憩室を借りて、少し眠らせてもらいましょう」
母が手を引き、瑠奈を起き上がらせた。確かに、『夢』を唯一にして絶対視するあの『教団』の集会場なら、ベッドの一つや二つはあるだろう。まして彼女は教団員らから特別視されている。集会を休んで眠っていても文句は言われまい。
「ママ、もし夢の中にずっといられるなら、どうする?」
ふと、瑠奈は母に問いかけてみた。答えなど分かり切っている。それが生まれたころから聞かされ続けてきた、あの教団の教えなのだから。
「そりゃあ、ずっと夢の中にいるわよ。だって現実は苦しいもの。だから私たちは。夢の中で自分の望むままに生きられるように、コヤン様に祈ってるんじゃない」
母は当然、このように返す。母の瞳の奥には、狂信の光がうつろに揺れている。
『コヤン様』を崇めるこの宗教は、瑠奈の一家・一族が中心となって数百年もの間、細々と続いている。人は夢の中でこそ幸せになれるのだという教えのもと、人々は救いを求め、ときに高価で怪しげな香や枕を購入しながら、祈り、縋っている。
「善き人の妄執も、狂人の美しき願いも」、と『彼』は言った。瑠奈はそれをどちらも母親たちのことだと思ったが、その差は分からなかった。夢の助けを借りて大人たちを『体験』してみても、答えにはたどり着けなかった。彼女はそのどちらも持っていなかった。
「大人の世界を見たい」「母と同じ目線に立ち、母を真に理解したい」「すべてを知りたい」。そんな子どもじみた欲求が、彼女の根源的な夢だった。
夢の中なら、すべてが叶うと聞かされて育ってきた。夢の中にはすべてがあるのだと信じてきた。
あのままハザマにとどまり続けていたなら、きっと彼女には全能の力が与えられただろう。いずれ彼女は新たな『コヤン様』の一部となり、夢の運び手となり、人々の救済者となり、信仰の対象となる。それも悪くないと思っていた。
だが、『コヤン様』は……いや、『彼』は夢を否定し死んだ。ある一つの存在に出会い、己のすべてを擲って死んだ。夢の受け皿であった『彼』が最期に獲得したのは、妄執か、願いか。
結局、夢の中で彼女は答えを得られなかった。それが妙に悔しく思えてしまった。夢は全能であっても、全知ではなかった。
そしてそれは、ジョニーの物語であるこの話では詳しく語ることではないだろう。
瑠奈は母親と手をつないだまま歩き始めた。ふと視線を落とすと、道の端に何か汚いものが落ちていた。
「ママ」
「なに?」
「ママの夢にアレって出てくる?」
母は瑠奈の指さす先のものを一瞥し、露骨に顔をしかめた。
「出るわけないじゃない、あんな汚いの……早く行きましょう」
「そっか」
なら、きっと自分の選択は間違っていなかったのだろう。
去り行く母娘の背中を、密かに見送る男がいた。
彼女が何を思ってこれを選択したのか、彼女の生の先に何があるのか、それは彼の関与するところではない。だが、自己の望みを捨て他人に依存する人生など、彼に言わせれば人生などではない。その点において、彼女の選択は彼にとって好ましいものだった。
「さあ、そろそろ俺たちも行くか。どこに行く当てもないが……」
手の中のAAAGインバータが微かに震えた。その振動が彼の感覚に訴えかけ、ベクトルを示した。
「ああ、俺もちょうど、そっちに行こうと思っていたところだ。双方合意、だな」
彼は友を手の内に握りしめ、母娘と逆方向へと歩き出した。
タイトルなんてお前が考えなさいな チャッチャラバベ太郎 @newbook22
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