8-5 父の残した暗号は――



 隠し部屋に閉じ込められた照と乃愛の二人は、何とか脱出できないかと、隠し扉のあったあたりの壁を探ってみたのだが……。


「これは……ダメそうね」

「そうですね、乃愛先輩……」


 何も見つからず徒労に終わった。


「あと考えられる方法は――」


 乃愛はダンジョンコアもどきに目を向ける。


「――アレを壊したら脱出できたりしないかしら?」

「うーん。可能性はありますけど、逆にダンジョンが崩壊しちゃう可能性もありますよね?」


 照の言葉に、乃愛は手を引っ込める。


「……壊すのは最終手段にしましょう。しばらくは助けが来るのを待つのが正解ね」

「そうですね。清霞さん達も探してくれていると思いますし、見つけてくれるのを待ちましょう」


 ひとまず自力脱出を諦めた二人は、ダンジョンコアの浮いている祭壇の縁に腰を下ろす。


「「…………」」


 二人並んで座ったまま、そして無言の時間が過ぎていく――。


(き、気まずい……)


 沈黙に耐えられなくなった照が必死に話題を探す。


「そ、そういや先輩って生徒会長やってましたよね? やっぱりああいうのって大変なんですか?」

「……そうね、それなりには大変ね。一般生徒ならやらなくていい事を、進んでやっているんだもの。やらなくていいならやらなかったわ」

「……って、やりたくなかったんですか?」

「当然よ、そんな暇があるなら推理小説を読んでいたかったわ。でも奨学金をもらうのに、内申点も必要だったから。ウチは母子家庭だから大学行くのにもお金が必要なのよ」

「せ、世知辛いですね……」


「そうね。だけど、夢があったから……」


「夢?」


「私は昔から、推理小説を作る編集になりたかったのよ。

 まぁ、本当なら推理作家になれればよかったのだけれど、残念ながら私には才能がなかったから……。

 だから代わりに、世界一の推理作家を育てたいと思ったの。

 それが私の夢だったわ」


「編集……先輩は本当にミステリーが好きなんですね」

「……そうね。私の人生といっても過言ではないわ」

「そ、そこまで……。どうして先輩は、そんなにミステリーを好きになったんですか?」


「――ミステリーを愛するのに理由なんかないのよ!」


「ひぃっ! すみません!」

「でも……そうね。きっかけをくれたのは、やっぱり父さんだったかしら?」

「父さん?」


「ええ、死んだ私の父が、ミステリー好きだったのよ」


 そうして乃愛先輩は、過去を語って聞かせてくれるのだった。





 私――東雲乃愛の父は、いわゆるミステリーマニアだった。

 書斎には大量の推理小説が並んでいて、家族にも『誰も入るな』と言うくらい本を大事にしていたわ。

 寡黙でいつもしかめっ面、家族にも全然喋らない、何を考えてるか分からない怖い父親……。


 そんな父の唯一の楽しみが、書斎に籠って読書をする事だった。


 母はそんな父にいつもあきれ顔で――


「人殺しの話なんて、何がそんなに面白いのかしら?」


 ――と、父に対して言っていたのをよく覚えているわ。

 それが母のミステリー観で、小さい頃の私は母の方に共感していたと思う。


 そんな私が初めて推理小説を読んだのは小学五年生の頃。

 冒険心で『誰も入るな』と言われている父の書斎に忍び込んだ私は、ズラリと並んだ本の中の一冊に目を止めた。

 怖い表紙の本が多い中で、絵本のように可愛い表紙の一冊。

 私はその一冊が気になって、つい手に取ってしまったの。


 それは『日常の謎』と呼ばれる、いわゆる人の死なないミステリーだった。

 何気なく読み始めたその本に、私は人生で一番の衝撃を受けたわ。


 魅力的な謎に心を奪われ、謎が解けていくカタルシスに心が震えた。

 すべての伏線が収束していく快感に全身を貫かれ、体の奥底から快楽があふれ出す。

 初めて感じるその芯から痺れるような感覚に、子供だった私は身も心も熱くしたわ。


 そして私は知ってしまった。

 ミステリーはこんなに気持ちよくて、蕩けるような感動を与えてくれるものだって事を。

 そして父がミステリーを好きな理由も。


 ――寡黙な父の素顔が少し垣間見えた気がした。


 初めての推理小説はそれほどまでに魅力的で、私は時間を忘れて読み耽り、帰ってきた父に書斎に居るところを見つかってしまった。

 その時の私は怒られると思って、父が怖くて泣いてしまったわ。

 あまりに泣いたものだから、泣き止まそう思ったのか、父は本棚から一冊本を取り出して私に渡してくれたの。


 それからの私は、貪るように推理小説を読み漁ったわ。

 父に読み終えた本を返すと、父は次の一冊を渡してくれた。


 最初の頃は『日常の謎』作品ばかりを渡され、次第に軽めの『殺人事件』の作品へ。

 人の死ぬ話なんて……と思っていた私も、ミステリーの楽しさを知るに付けて、どんどんと殺人事件にのめり込んだ。


 そしていつの間にか、死体が出るとワクワクしてしまう体になっていたわ。


「もっと子供らしい事をして頂戴」

 母にはそう言われたけれど、今さら元には戻れなかった。


 これが私の原点――ミステリーを好きになった原点よ。






「私のミステリー遍歴はそんな感じね」


 話し終えた乃愛がフゥーっと息を吐いた。


「へぇ、父親かぁ。乃愛先輩は父親と仲が良かったんですね」

「仲が良い……どうなのかしら? 私の父は寡黙な人だったから、私の事をどう思っていたか分からないわね……」


 照の何気ない言葉に、乃愛は少し困ったような顔をする。


「娘が同じミステリー好きなのを喜んでくれていたのかしら? それとも私の事を面倒だと思っていて、適当にあしらうために本を渡していただけかも……」

「そ、そんな……」


「そのくらい何も喋らない人だったのよ、父さんは。

 ……ああでも一度だけ、父さんにしては随分と長く話をしてくれた事があったわ。

 小学生の頃だからボンヤリとした記憶だけれど、たしか父さんからナゾナゾを出されたのよ」


「ナゾナゾですか?」


「『どうしてボクと彼女に尻尾が生えたのでしょうか?』。

 ――そんな問題だったと思うわ」


「…………」


「それに……分からないのは父さんだけじゃない。私は私の心だって分からないのよ」


「……? どういう意味です?」


「だって私は……父が死んだときに泣けなかったのよ……」





 父が亡くなったのは私が中学二年生のとき――。


 ――言ったでしょう、私の家は母子家庭だって。


 ウチは両親ともに公務員で、父が職場で倒れたと連絡を受けて真っ先に駆け付けたのは私だったわ。

 聞かされた病名は末期の胃癌だった。

 遅れて駆け付けた母は、横になっている父に縋りつくように泣きついた。


 私は――まだ実感がなかったからか、まったく泣けなかった。


 それから父は日に日にやつれていった。

 その後詳しく検査を行ったところ、体のあちこちに転移していて、長くても半年の命だと言われたわ。

 そんなある日、私が見舞いに行ったときの事。

 病床の父から一本のカギを渡された。


「……父さん、コレ何の鍵?」

「書斎のカギだ。乃愛にやる」

「――えっ! いいの!」


 父の蔵書を好きに読める――。

 そんな夢のような話に、思わず喜色の声を上げてしまった。


「――あっ」


 それが父の不幸を喜んでいるように思えて、慌てて私は口を噤んだ。

 父は……いつもの仏頂面で、何も聞こえていない様子だった。

 聞こえていないわけはないのだけれど……。


 そして入院から半年――父は息を引き取った。

 母はずっと泣き続けていたため、喪主は父方の伯父さんが務めてくれた。

 私は――やっぱり泣けなかった。


 父の葬式以来、母は泣き続け、私は書斎に籠って本を読み漁った。

 父の蔵書はどれも官能的で、私にとって書斎は夢のような場所だった。

 そして――楽しければ楽しいほど、父に対して罪悪感を覚えてしまう。


 ――私は父が大好きだと思っていた。


 だけど……本当に好きなのは父ではなく、父がもたらしてくれたミステリーだったんじゃないか?

 だからあの時、カギを渡されて私は喜んでしまったんじゃないか?

 母のように泣けず、推理小説を読む事をやめられないでいる私は薄情な人間なんじゃないか?


 父にとって私は、最低の娘だったんじゃないか?


 私は……私は――





「私は……やっぱり私が分からない」


 乃愛は顔を伏せそう独白する。


「乃愛先輩……」


 そんな様子の乃愛に、照は励ますように話し出す。


「大丈夫ですよ、乃愛先輩!

 先輩はちゃんとお父さんの事を悼んでます!

 先輩の母親のように泣く事だけが悲しんでいる証じゃない。

 泣けないくらい放心してしまったり、故人の残した蔵書を読み漁ってしまうことだって、十分故人を惜しんでいる証です!」


「照くん……」


「そう――ボクは乃愛先輩がとても優しい人だって推理します!」


「……ありがとう、照くん。でもダメよ。

 キミは探偵なんだから、確証もなく憶測で推理しちゃいけないわ」


 そう言うと乃愛は無理に口角を上げると、前がかりになっている照の額をツンとつついた。

 照は突かれた額を抑えて、ムーッと不満げな声を上げる。


「乃愛先輩……分かりました、では一つだけ、乃愛先輩の父親について、確証のあることを話します」


「父さんについて?」


「乃愛先輩の父さんは、乃愛先輩の事を愛していました。

 先輩は無口で何を考えているか分からない父親だと言っていましたが、そんな事はありません。

 先輩の父さんは、ちゃんと先輩に自分の想いを話しているんです?」


「……どういう事?」


「乃愛先輩は話の中で、父親からナゾナゾを出されたと言ってましたよね?」


「ええ、『どうしてボクと彼女に尻尾が生えたのでしょうか?』よね?」


「先輩はその答えが何かわかっていますか?」


 乃愛は思い返すように視線を巡らせ、照の質問に答える。


「……いいえ。今まで忘れていたくらいだから、ちゃんと考えた事もなかったかも……」


「その問題は、ナゾナゾと言うよりは暗号なんだと思います。

 それも今回の『スライムの謎』と同じ『鍵』で解ける」


「今回と同じ? それっていったい……?」


 どうして昔の父の話と、今回の謎がつながるのか、乃愛は訝しむ様子を見せる。

 そんな乃愛に、照は推理を披露する。


「『スライムの謎』は英語が『鍵』になっていました。

 そしてこの暗号も、英語が『鍵』になっているんです。


 『どうしてボクと彼女に尻尾が生えたのでしょうか?』


 まずはこの暗号文の『ボク』と『彼女』と『尻尾』を英語にしてみましょう。

 『ボク』は『I(アイ)』、『彼女』は『she(シー)』、『尻尾』は『tail(テイル)』、これを繋げて読むと……」


「『I(アイ) she(シー) tail(テイル)』……『アイシテイル』……!」


 目を見開く乃愛に、照が得意げに話す。


「そう、『愛している』です。先輩の父さんは、先輩にちゃんと自分の気持ちを伝えていたんですよ」


 その瞬間――

 ――乃愛の脳裏に、かつての父の姿がフラッシュバックされる。


 ――いつも寡黙で何も語らなかった父。

 本の感想を語りたい私は、そんな父に一方的に話しかけていた。

 やっぱり口数は少なかったが、その時だけは強面の父が、少しだけ嬉しそうに頬を赤らめていたっけ――。


(……思い出した、私は……私はそんな事も忘れていたの……?)


 そのとき、乃愛の頬を熱い何かがツゥーッと伝う。


「あ……あれ? 何これ? 私……泣いているの……?」


 乃愛は慌てて頬を拭う。

 だが、今まで泣けなかった反動か、涙が溢れて全然止まらない。


「う……うぁあ……」

「乃愛先輩……」


 子供のように泣きじゃくる乃愛に、照はそれ以上の声をかけず、彼女が泣くのを見守った。

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