5-3 十万vs三千五百



 ――さらに翌日。

 ちらちらと雪が降り始め、積もるほどではないが気温もぐっと下がった昼過ぎ。


 アインノールド城最上階にある侯爵の執務室。

 部屋の中央に執務机があり、その背後にはバルコニーに繋がる一面のフランス窓、正面には大きな扉があり、両側の壁に沿って女兵士がずらりと並んでいる。

 その執務机に座り、ウェルヘルミナは一人悶々としていた。


(昨夜の失態……このままじゃ駄目ですわ。

 何としてもノア様を屈服させて、わたくしの奴隷にして差し上げないと……。

 そのためにも……もっとエロエロな知識を取り入れなければ!)


 そう決意し、ウェルヘルミナは執務机に向かう。

 その机の上には山のように積まれた書物。


(領地内から集めたこのエロスな書物を全て読破すれば、きっとノア様をエロエロに堕落させることができるはずですわ!)


 そしてその書物の山に手を伸ばし、一冊一冊と読み始める。


「な、なんですのこれ……本当にこんなものがあるんですの……?」

「まぁそんな! そんなものにこんな使い道が……!」

「……嘘ですわ、これがこんな事になるなんて……信じられませんわ……!」


 読み進めるたびに顔を赤くしたり青くしたりと、真剣にエロを勉強するウェルヘルミナ。

 だがその様子に、横に控えていた女兵士の一人が、たまらずウェルヘルミナに提言を始める。


「――お、恐れながらウェルヘルミナ様!」

「……何ですの?」

「ウェ、ウェルヘルミナ様は今の状況を分かっておられるのですが? 以前に咎められた異世界召喚を再び行い、今やアインノールド家は国家の反逆者! このような戯れをなされている場合では――」

「うるさいですわね。貴女ごときがわたくしに意見するなど許されると思っているの?」

「し、しかしながらウェルヘルミナ様、このままではこの街は――」

「黙りなさい!」

「――っ!」


 ウェルヘルミナの言葉に、途端にその女兵士は口をつぐむ。

 ウェルヘルミナは不機嫌な様子で女兵士を睨みつけ、続けてこう命じる。


「貴女、嫌いですわ。だから……死になさい」


 その瞬間、女兵士の目から光が消える。


「ここで死なれても迷惑ですから……そうね、バルコニーから飛び降りればいいわ」

「……はい、分かりました」


 意思もなく操られている様子のその女兵士は、フラフラとした足取りでバルコニーへ出る。

 そして彼女は――何の躊躇もなく柵を乗り越え、舞う雪と共にバルコニーから飛び降りた。


 ――グシャッ!  と地面に叩きつけられる音。


 その様子を見ていた周りの女兵士たちは、皆一様に青ざめる。

 だがウェルヘルミナの逆鱗を恐れてか、全員が息をひそめて物音ひとつたてずにいた。


「やれやれ、これで勉強が進められますわ」


 ウェルヘルミナは本の山に向き直り、読みかけていた本を手に取り直し――

 ――たそのとき、執務室のドアがバァンッと開かれ、女兵士が飛び込んできた。

 そして慌てた様子でウェルヘルミナに告げる。


「ウェルヘルミナ様!」

「……またですか? 今せっかくやる気になっているというのに、何の用ですの?」


 再び勉強の邪魔をされ、不機嫌な対応を見せるウェルヘルミナ。

 だが女兵士は、それどころではない様子でまくしたてる。


「み、見えました! 街道の水平線に、軍隊の影が!」

「――っ! 来ましたか」


 ウェルヘルミナは持っていた本をパタンとたたむと、腰を上げバルコニーに出る。

 雪の降る中、城の外のはるか遠くへ目を凝らす。

 するとイストヴィア領へと続く街道から、こちらへ向かってくる軍隊が微かに見えた。


「ようやく来ましたわね、イストヴィア公爵軍。予定通りですわ」


 攻めてくる軍隊に臆することなく、ウェルヘルミナは不敵に笑う。


「迎える準備はできていますわ。さぁ、革命を始めましょう」





「な、なんだあれは?」


 イストヴィア公爵軍の先駆けとして最初にアインノールド城を視界にとらえた蓮司は、その異様な光景に目を見張った。

 城を囲む城下町、それを取り囲む城壁、その前に目算でも十万近い大軍が、イストヴィア公爵軍を待ち構えていたのだ。


「ど、どうなってんだこりゃ? こんな大軍、どうやって揃えやがった?」


 アインノールドの城下町に入りきらず、溢れてしまうほどの大軍だ。

 この都市一つでこれほど大勢の住民がいるわけがない。

 それこそアインノールド領に住む全ての領民をかき集めてこなければ足りない人数だろう。


「どう考えてもあり得ねぇ人数だ……待て、なんだありゃ?」


 蓮司が遠眼鏡でアインノールド軍を観察すると、どう見ても兵士じゃない、成人したて程度の子供や女性が大勢、武器――中には農具を持って参列している様子が見えた。

 しかも、これだけの大軍であるにもかかわらず、声どころか物音一つ立てていない。

 雪の降る中を皆黙ったまま、光のない目で身動き一つぜず整列していた。

 その異様な光景に思わず怯む蓮司。


「女子供が大勢混じってやがる……構成員が普通の軍隊じゃねぇぞ。それに……何か様子が変だ。全員、催眠術にでもかかったみたいにじっとしてやがる」


 ともかく……と蓮司は現状を整理してみる。

 現在蓮司と清霞が率いているのは、先鋒として預かった三千人の騎士と五百人の魔術師。

 いずれ公爵率いる本軍も合流することになるが、それを含めたとしても公爵軍は全一万人。

 さらに言えば他の領主に出兵させてセーヌ王国軍を結成したとしても、おそらく五万程度にしかならないであろう。

 それに引き換えアインノールド軍は、女子供も含めるとはいえ、その数は約十万である。

 歪な構成の軍とはいえ、こちらを大きく上回る勢力だ。


「……さて、どうするかね……?」


 蓮司は独り言ちながら、ひとまず後続の同軍が追いつくのを待つこととなった。





 ――十万vs三千五百。

 まばらな雪の降り続ける中、圧倒的な差のある両軍が、平地を挟んで向かい合っていた。


「どうもこうも無いわね……軍の規模にこれだけの差があってはどうしようもないわ」


 三千五百の軍の司令部で、清霞がそう眉をひそませる。


「本隊が到着するまで交戦は無し。そのあとは……おそらく長期戦になるでしょうね」

「……だな。今すぐどうこうできる戦力差じゃない」


 蓮司が同調するようにうなずく。

 だが納得できない人間が一人――。


「なっ! 待ってください! それじゃ照はどうなるんですか!」


 そう慌てた声を上げたのは朝弥だ。

 しかし清霞は首を横に振り、諭すように朝弥に語り掛ける。


「無理よ、朝弥くん。私だって可能であれば今すぐ助けてあげたいけれど……。今の私たちにはどうすることもできないわ」

「で、でも――!」

「お願い、聞き分けて。これは戦争なの。私が命令すれば簡単に人が死ぬのよ」

「――っ! そ……それは……」

「……大丈夫よ。たとえ時間がかかっても、キミの友達は必ず助け出すから」

「……はい」


 朝弥は気持ちを押さえつけるように歯を食いしばる。

 そのとき――。


「ピィイイイイイイイッ!」


 頭上から甲高い鳥の鳴き声が響いた。

 朝弥たちが見上げると雪の舞う中、一匹の鳥――ではない、飛んでいたのは一匹の魔物だ。

 上半身は人間の女性だが、下半身は鳥の足をしており、両腕は翼になっている。

 いわゆるハーピーと呼ばれるモンスターだった。


「ハーピーが一匹だけ? 群れからはぐれたのかしら? ……いえ、もしかしてあの子は――!」


 何かに気づいた様子の清霞の元へ、そのハーピーが近づいてくる。

 慌てて射かけようとする兵士を「待ちなさい!」と制し、清霞はハーピーを迎え入れる。

 清霞の目の前に着地したハーピー。

 その首には紐でくくられた20センチほどの筒のようなものをぶら下げている。


「……やっぱり、あなたはアイツの従魔ね?」


 清霞が訊ねると、ハーピーは肯定するように「ピィイ!」と鳴いた。

 得心した清霞はハーピーの胸にある筒に手を伸ばす。


 そして……筒の中から取り出したのは一通の手紙だった。





「アーッハッハ! 圧倒的ですわ、わが軍は!」


 相手の軍と自分の大軍を見比べて、ウェルヘルミナはほくそ笑む。


「『誓いの義』を義務化させ、コツコツと隷属させてきた甲斐がありましたわ。今や領民すべてがわたくしの奴隷。『城を守れ、死ぬまで戦え』と命じただけで、自らの命も顧みずに戦う無敵の軍隊の出来上がり。ウフフフフ、素晴らしい! 素晴らしいですわ、わたくしの策略は!」


 悦に入るウェルヘルミナ。

 だがその時――。


 ゾクッと背筋を冷たいものが走る。

 同時に体の中から、何か大切なものがゴッソリと抜け落ちてゆく感覚――。


(なっ……何ですの今の……?

 寒気と、それに……喪失感……?

 これは……まさかっ!)


 慌てたウェルヘルミナはバルコニーから身を乗り出し、目を皿のようにして自軍の様子を伺う。


 ざわ……ざわ……ざわ……


 先ほどまで静かだった群衆から、徐々にさざめきが聞こえ始めた。


「ま……まさか……!」


 ウェルヘルミナは信じられない思いでその光景を眺める。

 ――十万を超える無敵の軍隊、その崩壊が始まっていた。

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