第30話 怜奈は第一章の主人公だった人っぽい、設定では。彼女は第三部第一章のメインって書いてあるんだ。ってことは黒兎たちは第三部第三章ってことになる。

―――酒店から出て来た怜奈が一升瓶を片手にやって来る。上品な和紙で出来た包装の、それは明らかに安い酒ではないことがわかる。

 大樹はまさか車の中で飲酒しないよな?と身構えた。

 そもそも酒というのは、その値段に見合う価値があるのかはまだわからない。

 助手席に戻った怜奈に思わず愚痴が出る。コンビニ、洋菓子店の次が酒店なので致し方ないだろう。


「酒って、うまいんですか」

「一応、政府機関に所属している立場から、おさけははたちになってからーって言っておくね」

「へいへい」


 車を発進させようとして、大樹はナビをじっと見つめる。


「えっと、このルートでいいんですか?」

「そうよ?私が入力したルートで進行して。今日は確かこれよ」


 ナンバー五、スフィアパレット。前に行ったときは、確かどっかのドアをくぐった気がした。


無限回廊書架ライブラリーから行くんじゃないんですか?」

「んー、ちょっと違う。無限回廊書架ライブラリーは虚数空間で実存するけど、してないんだよな」


 はて、とどこかで聞いたセリフに大樹は目を細める。


「行こ。シュークリームが腐っちゃう」


 二列目シートに鎮座しているシュークリームの収納ボックスには保冷剤を入れてもらっていたが、風味を損なわないように保冷材は少ないので二時間以内にお召し上がりなんたらと告げられた。


(行こうってあーた、酒店と洋菓子店逆にすりゃあいいでしょ)


「それじゃ、順路が逆になって、めんどうなの」

「エスパーですか。心を読まないでください」

「エスパーなのよ。私も君も。冗談言っていないで車をだしなさいー」


 じたばたと怜奈が助手席で暴れて車が揺れると大樹はしかたないと、ナビルートに従って車を動かすことに集中する。


 精神感応系統系能力サイコメトリーは持っていなくても大体はわかる、と口頭で前述していた気がする。

 大樹は車のハンドルを握りながら、学園都市群からチューブハイウェイに入る。この構造物は人が生活する圏内を結ぶ生命線でもある。

 第三次世界大戦後の宇宙進出時代、軌道エレベーターとそれに付随するオービタルリング計画が終盤に差し掛かり、一人の狂科学者が大規模な犯罪を犯した。


 Re:Terra


 歴史上類を見ない大犯罪は、一滴の因子が地上の全ての環境そのものを大きく変えてしまった。


 大規模な文明文化損失と情報消失が発生し、樹海が人類を襲っている。


 自然が人を食うので人は居住エリアを守るために都市群を建設、それぞれの目的に合わせて区画分けを行い、ブドウの房のような形でゾーンを形成、自然の流入を防ぐために壁で覆いを作った。アリの巣を地上に建設したような構造になっているため都市群の間を移動するにはチューブハイウェイがもっぱら主流の移動手段になっている。


 空を飛ぶようなチューブハイウェイか、地下のアンダーパスを通るか。


 チューブハイウェイで学園都市群から脱出、商業施設群からはアンダーパスに入り、空とはお別れになる。


 節電で減らされていたランプの灯りが怜奈の顔に当たり、月の満ち欠けのように照らされたり暗くなったりを繰り返して、それが神秘的にも見えた。黙っていれば…。


「黙っていれば綺麗とかさ、言うやつ嫌いよ?」

「言われなきゃいいんですかね」

「そういうこと言うやつも嫌いよ」

「へいへい」


 大樹は相変わらず鋭い人だな、とハンドルを握り直す。

 十分かそこらだろうか、もしかしたらそれ以上だろうか。

 トンネルの中で分岐が発生。そこで左に曲がるように指示が出て、大樹は慌ててハンドルを切る。


「予想外でしたね」

「そうかしら?そもそもトンネルに入る前から他の車を覚えていて?」

「…?」


 大樹は他の車両は確かにいたような、いなかったような気がした。


(この時間に?)


 時刻はまだ十四時の少し前だ。


 ナビディスプレイにはトンネルのみの表示がされていて、ロングランアンダーパスに侵入したことを示している。


 都市群と都市群は密接して維持されていることが多いが、自然の侵入が著しかったり、森の影響が強い場所ではどうしても文明は負ける。そういう箇所は最低限の通路以外の保全は諦められてしまうために、長距離移動を強いられる。


 陸路か空路か。

 空路ならば莉乃里弥旅客か、坂上グループの定期飛行船を利用するほか移動手段はない。


 莉乃里弥…。


 大樹はあの双子姉妹を思い出した。どこかで聞いた名前だと思ったが、まさかそこのご息女が士官大学にいたとは思わなかった。貨客船や旅館など、その手のサービスで世界に名を轟かせている莉乃里弥旅客は知らないものはいないほど有名でもある。


 忘れていたが。


 トンネルから外の世界に突然放り出されるような錯覚と同時に光に包まれ、海の上に出た。

 海抜ゼロメートルの橋は海の上を滑っているように感じられて、潮位変動路は前も後ろも右も左も海で方向感覚を狂わせる。


「あれ?ここどこだ」


 潮位変動路は旧九州と四国地方を繋ぐ場所にしか存在していないはずだ。

 ここはどこだろうとナビを見ると、ナビの画面が消えていた。


「どこでもあって、どこでもない場所」


 怜奈が答えると大樹はとても不安になった。


(車がなんて言っていた?)


 怜奈の言葉を思い出すと、確かに車はどこにも走っていなかった。前も後ろも。

 それでも車を走らせると唐突に道が途切れていた。終わっている。そう、終わっているのだ。

 巨木のある島にしては小さすぎる。巨木の根が張る部分だけ土が盛られているような島の前に車を止めると大樹は伸びをした。


「ほら、持ちなさい」


 怜奈にシュークリームのボックスを手渡され、受け取った大樹は怜奈の後に続く。

 アスファルトが途切れて島の土に足の乗せる。巨大でそして…太い。直径十メートルはありそうな木は、モミジのような葉をつけてはいるが、それはずいぶん高いところにあり、大樹と怜奈は根の上をゆっくりと歩いて幹に到達する。


 とびらがある。

 アンティーク調の片開きドアがそこにあり、小さなガラスのパネルがはめ込まれていた。

 パリの喫茶店のような重厚な扉が幹にあり、怜奈がその扉を開けて中に入る。

 大樹はその扉の中と外を見比べて目を細めた。

 この扉、見たことがある。スフィアパレットに通じる扉はいつもこれで、これは世界のどこにでも存在していて、探そうとすると見つからない。


「どうぞ?」


 東納倉由香里ひがしなぐらゆかりが扉の中。木の幹の中に広がっている雑貨屋の中から声をかける。木の幹よりも広い店内は木の中には絶対に存在しないことはすぐに理解できた。

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