第25話 初詣って年末にいっても始めていけば初詣なの?初キスもその人と始めてならそうやってごまかせるよね。って言ったら、無言で殴られた。それが十年前。

 死んだかと思った。


 大樹自身も撃たれた気がしたが、亮がすぐに大樹に近づいて大樹の胸に左拳を打ち込んだ。

 肺から絞り出された空気を、思い切り吸い込むように大樹は呼吸を取り戻す。

 人は思い込みで死ぬ。

 怜奈が寧々たち三人に見せた幻覚は直接影響を受けた大樹の心臓も止まってしまっていて、亮が蘇生しなければ本当に心停止しただろう。


「亮?俺死ぬかと思ったよ」

「死んでたんだよ。風見さんの催眠洗脳でね」

「恐ろしい…僕がああなるって思ったんだよな?」

「そういうこと。刷り込みキーを強引にねじ込んでくる。精神感応の逆流を使ってイメージを送り込んだってことさ」


 亮に言われて怜奈はいったい、いくつの能力を同時に使ったのだろうかと考える。

 大樹はいつの間にか校舎の近くまで亮に運ばれていた。


「亮は知ってたのか」

「鼻先をど突かれた時に透視んだんだ。殺すから蘇生しろって」


(めちゃくちゃだ)


 それでも、この状況を作り出すためには必要だったのかもしれない。


 狙撃時に射撃制動で念動力系統、たった今、大樹にイメージを流し込んだ精神感応系統、死を連想させて実際そうなった催眠洗脳系統。寧々、亜理紗、真由の能力を完全に真正面から相殺しているのだから、彼女たちよりも強いのは目に見えてわかる。


「寧々!上!」


 大樹が叫ぶと寧々たちが大樹を見てきょとんとする。頭を吹き飛ばされたはずの大樹が生きているのだから驚きもするだろう。それが良くなかった。・・・非常に。

 張りつめていた空気、緊張が切れると、押し合い均衡を保っていた力関係が一方的に開放される。


「あっ」


 怜奈が声を上げると寧々たちの身体が吹き飛んだ。まるでトラックにボールが跳ねられたように弾けて校舎のガラスを突き破った。エンジェルパックの状態が解除されて、JPC黒兎B・Rチームの制服に戻った。


 寧々たちがガラスを突き破ったように思えたが、間一髪、大樹が瞬間移動をして寧々たち三人の身体を自分に引き寄せる。瞬間移動はさせたが寧々たちの物理運動エネルギーは相殺できないので、大樹が歯を食いしばって寧々たちを受け入れる準備をした。


 寧々たちにはぶつかったはずの衝撃はなく、飛散したガラスと音が感覚に伝わる。


 なぜ?と思うと大樹の背中側から怜奈の腕が伸ばされ、包まれたことに気付いた。大樹は寧々たち三人の衝撃を受け止め、怜奈がさらに衝立のように大樹の後ろから声をかける。


「ふんばれっ」

「は?」


 大樹の身体が後ろから抱きつけられ、見事に一回転。地面に足が着くと、そのまま怜奈と大樹が校舎内をスケートのように滑ってようやく止まった。


「きゅう」


 寧々、真由、亜理紗が目を回していて、大樹はその場に尻もちをつく。三人の少女の背を自分に預けさせ、大樹は怜奈を睨み上げると怜奈は立ったまま足を交差させて苦笑した。


「いやぁ、君、あそこで声をかけちゃだめだよ。拮抗させた力場が崩れちゃう」

「それはそうですけどね」


 ぶすっと拗ねる大樹に、怜奈は「本気で怒ってるねぇ」と頭を掻く。大樹が死んだことで能力を解放していたのに、当の本人が抜けぬけと生き返っていたらキレた当人たちはずっこけるのも無理はない。


 大樹は気絶した三人を休ませるためにその場に胡坐をかいて座り、寧々を足の間に乗せ、真由と亜理紗を左右に置く。

 文句とも愚痴とも捉えられる言葉を、怜奈がつまらなそうに聞き流しているのを遠目に見て、亮はとんでもねぇな、と独り零す。

 大樹が瞬間移動した直後、大樹の出現予想位置に素早く移動した怜奈は、銃器類をすでに消していた。多重テレポートは原則、二重起動ダブルタスクになるため行うには脳神経系統に高負荷になる。それを回避するために本来は少し時間をずらして行う。


 瞬間移動系統系能力者は実質、脳にかける負担が他の能力に比べて段違いに大きいので日に数回。訓練を行っても連続では行わない方がいいとされている。

 それをいとも容易く行いつつ、大樹よりも早く、長い距離と多い数をこなした。


 しかしこの状況、一段落したところで事態は悪化することが目に見えているので、亮はすっとフェードアウトを決する。

 逃げ出そうとした亮に怜奈の声がかけられる。

 

「中山ぁ、そのまま逃げんな」


 ハートマーク付きの怜奈の声に亮がびっくりする。遠視能力で見つかった亮が「すんません」とガラスを踏みつけて中に入った。

 亮は逃げ出した。だがしかし回り込まれた。と頭の中で声が聞こえる。


 大樹はすでに瞬間移動能力を使って飛散したガラスを一か所に集めていたらしく、亮は踏ん付けて申し訳ない気分になる。しかし、その元凶である試しを行った怜奈はふんぞり返っていた。


「心霊医術の制度は上がったんだろうね」

「ええ、まぁ治癒能力ヒーリング系統が元々向いてたんですよ。女性限定で」

「また私に触りたくて「化け物は範囲外ですよ」」


 亮があっははーとさわやかな笑みを浮かべ、怜奈の左頬にぴくっと血管が浮き出て、怜奈が笑顔を作った。血管は消せていないので、亮がすたこらと逃げ出す。


「俺、講義があるんで!」

「私の抗議を聞いてからにしろ!」

「無茶言わんでください!」


 二人が取っ組み合いの喧嘩を始めると、あの二人も一応、師弟関係なんだよなぁと苦笑する。


 亮の講義はいくつかあるが、一年の通年科目は確か基礎共用の必修科目、基礎能力ベーシックパフォーマンス概論でベシパ論と呼ばれていて、一年生のほとんどが聴講する大事な単位でもある。

 仕事を言い訳に逃げ出そうとするも酷いものだが、二人の大人が大学生を前に県下を始めるのは少し悲しい気分になる。


(いい大人二人が、みっともない)


 大樹は心の底からそう思う。

 すると、腕の中の寧々が意識を取り戻した。


「深山…私負けない」

「寧々、起きたか」

「みんな起きてるよ」


 寧々の呟きに大樹が尋ねると、亜理紗も目を覚ましていたらしく、真由も身動ぎしていた。


 寧々は両手を開いて全体をぼんやりと見下ろす。防がれた。思考を深く読み込んで性格からパターンを分析、攻防における全ての先読みを行いつつ、武器で制圧することしかできないのだから、まず第一歩目、精神感応を行う必要があるのに、それすらさせてもらえなかった。


 銀糸が怜奈の表皮に接触する寸前、まったく別方向の精神感応による制御を受けてナノマシンが自己崩壊を始めてしまい、役目を果たさなかった。相手の思念を増幅して自分に伝えてくれる、尖兵たちが霧散するのを寧々は焦りながらも対処できない。それが読み取り失敗から始まる敗因だった。


 大樹はそこまで考察する。寧々は顔を上げると大樹は複雑そうな顔をしていた。


 訓練など、させたくはない。本当は普通に学校に行って普通に生活して、普通に家族と過ごしてほしいとさえ思える。大樹はそれがもうできないのは、子供だったころに自分も能力が覚醒して、すべてが変わってしまった過去を持っているからこそ、言えなかった。


(普通でいいんだ、なんて。ありえないんだ)


 大樹は決定されてしまった事実、という残酷な過去を呪う言葉さえ出てこなかった。もうとっくに吐けるだけの言葉は吐いた。声などもう枯れて出ず、涙は全て零れ落ちたあとだ。


 寧々は大樹の腕に手を重ねる。


(みんなを失うわけには、いかない)


 その思いだけが寧々に強く、強く伝わって来る。精神感応サイコメトリーするまでもなく、流れ込んで来る感情。


 その中でも強く残っているのは、めぐりの泣き顔だった。

 なぜその光景がフラッシュバックするのか、その前後に何があったのかは読み取れない。

 なぜ?何が姉妹の間にあったのか分からず、動揺して寧々は思わず声が出た。


「えっ」


 どんなに迷っていても、どんな逆境でも絶対に涙など流さない人だと思っていた。なぜめぐりが泣いているのか。幼い少女の悲痛な叫びの映像だけが見える。

 驚きと同時に寧々は羨ましかった。大樹の中にあるのは寧々たち三人の誰でもなく、一番はめぐりだったのだから。


(めぐりが泣いている。なぜ?)


 そう思いながらも寧々は、自分のことを話したがらない大樹から手を離した。もう透視るのはやめよう。


 真由が小さな声で呟く。緊張感が全くない、感情が希薄ないつもの真由の声。


「お腹すいた」


 真由がこの状況下で自分の欲望を口にすると、大樹はようやく緊張を弛緩させることができた。寧々のむくれた顔を見て、大樹は彼女の頭を撫でてやる。

 大体、誰かが我儘を言うと手近な寧々、真由、亜理紗の誰かの身体をいじる大樹の癖は健在で、無意識なのだろうが自分を一番にしてもらいたい三人は、なかなか大樹から離れないループが完成している。無意味にべったり近づくのではなくて、離れると損をするのだから…。

 亜理紗は大樹の背後に回って肩に両手を置き、真由は撫でている手を握って振り回すと、寧々が背中を預けて頭を撫でるのを強要する。


(あぁ、いつもの学生生活に戻った)


 それを見ている学生たちは、大樹や寧々たちに嫉妬の視線をぶつけていた。

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