第19話

―――勉強は嫌いではない。何も考えずに没頭して時間が過ごせる。


 昔から何かあると部屋にこもり、一人で氷砂糖を頬張りながら永遠と読書をしていた時期もあった。

氷砂糖に飽きると今度はお菓子を作った。

 理由は忘れた。

 めぐりがすごく喜んでいたが…彼女はいつも片付けでトントンだよね、と苦言をこぼしていた気がする。

 家とラボの往復だけから家とラボ、モノリスの移動に、めぐりが寧々、真由、亜理紗を連れて行くので、めっきり自分の役目がなくなってしまい。毎回のように大学に遊びに来ていた少女たちも、黒兎BRチームとして訓練を受けているらしく、実質かなり暇になっていた。


 大学の空き時間になると出現していた、寧々たちもしばらくやって来ないので、こうして空いた時間にいろいろとできる。雑誌をめくっていた大樹の元に、亮がひょっこりと現れては大樹の姿に呆れる。


「お前さ、子供服の雑誌を開くのやめなさいよ」

「え?」

「え?じゃねーよ?大学生なんだからさ、友達と遊んだり女の子と酒を飲んだりしないの?」

「あー、それはいいや」


 大学の校舎にある一階のエントランスロビーは、円卓にソファが囲むようにして置かれ、それが何セットかある広い空間になっていて、自由に学生たちが時間を過ごすことができる。

 そんな場所で小学生のモデルがかわいい服を着ているを広げている大樹は目鼻立ちがいいだけに悪目立ちしていた。

 亮は女子大生が大樹のことを噂しているのを聞いてやって来たが、思った以上に酷い。

 しかも今日に至っては大樹がどことなく世話しなく、切羽詰った顔をしている。


「何があったか説明しろよ」

「僕が悪いんだと思うんだけど、やっぱり聞き分けがいい妹と違うなってさ」

「聞き分けがいい、か」


 あれはどうだろうか。小学生キャリアウーマンで仕事を完璧にこなすが、十年後は明らかに生き遅れそうだ。と、亮は失礼ながらもそう思う。

 その微細な表情の変化を受け取って大樹が雑誌を見て失笑する。


「もらってやって、くれな」

「…お前は精神感応能力者じゃないのに、なんで生き遅れそうって俺が考えたのわかったの?」

「人の妹つかまえて、ふざけんなよ?」

「なんで怒るん?お前も思ったんじゃないの?」


 亮がたじろぐと大樹が苦笑した。



―――三日前。


 家のリビングで大樹はソファに座ってテレビを見ていると、寧々が大樹の足の間に座り同じくテレビを見て笑い、真由が左足に背を預けるようにして床に座って携帯ゲーム機を持っている。亜理紗が大樹の左腕を首の後ろに回してソファに座って小さな寝息を立てていた。

 いつもの暇な時間、めぐりはダイニングバーのカウンターチェアで足を組みながら、大樹たちを微笑ましそうに観察している。

 昨日あった会議の内容は亮に伝え、一部は大樹にも伝えた。

 それでも寧々たちには、まだ伝えられずにいた。


 学校教育を受けていない彼女たちには時間が有り余っているし、いつでも伝えられると考えていると、すぐに時間が過ぎる。

 十と少しの歳月しか人生を経験していないのに、社会経験を得ているめぐりにはそれがどれだけ無意味かを知っているので、言い出さないわけにもいかなかった。


「みんなさぁ、聞いてー」


 できるだけ刺激しないように優しく声をかけると全員は顔を上げることも無くそのまま返事をする。規律やらなにやらは教えてないのだからこうなる。兄を少し恨む。


「聞いてるよー」

「なにかなー?」

「ん」


 めぐりの明るい声に寧々、亜理紗、真由は完全に伸びきった声を上げていて、寧々が最初に亜理紗の異変に気付いた。


「うそ、亜理紗が寝言で返事してる」

「寧々、起こせば?」


 真由がとんでもないことを言い出す。真由は寝惚けたことはあっても、亜理紗は夢遊病のレベルで行動するし、被害も甚大になることがある。

 真由の提案を寧々が渋面で拒否する。


「やだよ。亜理紗を起こそうとすると、抱き着かれて押し倒されるから」


 寧々に大樹は仕方ないなぁ、と漏らしなら、自分に抱きついている亜理紗が寝ている左腕を揺らして亜理紗の身体を揺する。


「んー、あぶなーい」


 何かの夢でも見ているのだろうか。亜理紗が顔を上げて大樹と見つめ合う。


「んー」


 顔を大樹に近づけて寧々が手でそれを抑える。


「なにしてるの!」


 寧々が行動を抑止すると亜理紗が「ちぇー」と呟く。


「動けなかった振りするの、得意だね」

「そうなの?わざとなの?」


 危機を回避した大樹に真由が指摘して、寧々が睨みつけると、めぐりが手を叩いた。


 ぱん、ぱん。


 乾いた音が部屋に響いて、寧々が体の方向を入れ替えて、ソファに膝立ちすると真由も亜理紗もソファの背もたれに手をついて、ちょこんと膝立ちをしてめぐりの方を見ていた。


 さすが現場指揮官。お姉ちゃん。むしろ、一つ二つ上の学校の先輩。


 中学、高校も大体、一つ上か二つ上の先輩は怖い。そんな感じなのかもしれないな、と大樹は寧々たちの反応を見て思った。悪ふざけをすることもあるが、原則として三人は亮や大樹よりもめぐりの言うことは聞く。


 男の言うことは大体、わがままで聞かない。


 大樹はそう思うとこの先、この三人は女王様だなぁと、わかりきったことを考えてしまう。オフィル皇女殿下、ガーデン王女殿下…寧々はなんだろう。財閥ご令嬢?まぁ今、お姫様であることには変わりない。


「みなさんにも、働いてもらうことになりました」


 めぐりは恐らく、十分にしっかりと一晩考えた上で選んだ言葉だったのだろうが、寧々たちはその場で上空を旋回する、猛禽類を警戒している小動物のように体を硬直させていた。


「え?ご飯いっぱい食べるから?」

「かわいいだけの亜理紗でいいって、言ってくれたのに」

「身体を売れと」


 寧々、亜理紗、真由が大樹を見上げる。働きたくないので助けろ、そんな視線を浴びて大樹が吃驚する。


「え、それ俺に言ってる?」

「ひどいよ」

「私に飽きたの?」

「一時間一マンと二センで?」

「ちょっと橋本には、まだ疑似恋愛は早すぎるかなぁ。もうちょっと価値上げてもいいよねぇ」


 大樹がどうしよう、とめぐりに助け船を求める。


「政府からの指示なの。みんなみたいに、優秀な能力者を遊ばせておくのは、もったいないって話になっちゃて」

「優秀なの?」


 寧々がめぐりに尋ね返すと、めぐりは目を泳がせた。


 能力が高いことは高いが、ロクなことに使ったことはないはずだ。大体、大樹か亮がいつも被害を受けて、国民の皆様の税金で色々なご迷惑をおかけした人々に保証が行われている。


「人のために能力を使うのも、すごいことなんだよ?みんないっぱい幸せになれるしね」


 めぐりが大人の事情を一切説明せずに、何とかやりくるめようとしていても、寧々、亜理紗、真由は明らかに、そこら辺のただ生きている小学生とは違う。


「人の幸せなど、目に見えてもつらいだけ」

「おいしくて甘いお菓子の方が、ふわふわになれるよねぇ」

「搾取は常に権力者が行うものだし、金とエロスが世界を支配している」


 寧々、亜理紗、真由の世界観はどうなっているのだろう…。

 大樹は諦め半分で話を流すと、寧々が半眼で大樹を見据える。


「あのさぁ、深山も絡んでるの?」

「いや別に」

「私たちと離れる口実?」

「違うよ?」


 寧々が執拗に突っ込んでくるのも無理はない。

 そもそも自分はそこまで絡んではいないはず、と大樹はめぐりに再び助けを求めると、めぐりが何かを思いついたように手をぽんと合わせた。


「みんなに、お兄ちゃんを守ってもらいたいんだ」

「へ?」


 おもむろな寧々の発言に大樹が驚き、寧々たちが途端に興味を持ってめぐりに向き直る。それは事実を一部含んでいるので、言い訳でも使えるだろう。


「本当は言っちゃいけなかったんだけど、お兄ちゃんはすごい特殊な人でしょ?」

「あぁ体液の?」

「とっても濃い成分てきなー?」

「いっぱい出る?」


 こらこらこら。


 大樹は無言で突っ込みを入れつつ、めぐりと視線を交差させる。


「お前ら聞いてたのか?」

「ちょっとだけ」


 寧々がてへ、と舌を出してあざとく笑った。


「まぁともかく、お兄ちゃんはそんなで、命を狙われる可能性が出て来てね。ちん…ちんぽぅの話も、いつのまにか漏洩しちゃってたから…」


 その部分部分を小さい声で話すので、余計に下ネタ的に聞こえるんだよねぇ。


 大樹はめぐりの変なところで不器用なところに、気持ちを落ち着けて聞く。


「漏洩とな?」

「なになに?真由ちゃん、漏洩ってだめなの?」


 亜理紗が食いつき、真由がうーん、と大樹をちらりと横目で見る。


「また、お兄ちゃんが誘拐とかされちゃったら困るから、みんなには協力もらおうかなって思って」


 めぐりの思い付きは半ば本当のことで、大樹にはまだ知らせていない。大樹自身もこの話を寧々たちにモノリス出頭、正規活動への方便だと思っていたが、実際はそんなに簡単な話ではなかった。

 犯罪秘密結社と言えばチープに聞こえるかもしれないが、ブラックリリスなる組織が未覚醒状態の能力者をかき集めたりしていることがわかっている。


「で…深山にまた…?」


 すぅっと、寧々の瞳から光が消える。


 やばい。


 めぐり、亜理紗、真由が大樹に泣きそうな顔をすると、大樹は寧々を後ろから抱きしめる。


「大丈夫だから、な」


 寧々が落ち着きながらも、めぐりはそれを見て羨ましく思えた。何だかんだで、ああしてもらえるのは寧々たち三人で、甘えたいときに甘えられない自分は何なのだろうかと考えさせられる。


(役得だよねぇ)


 めぐりはそう眺めていると、寧々がはたと我に返って顔を赤くして小さくうなずく。その様子を見て亜理紗は心底、ずるいと思う。


 未だに大気が帯電しているように、びりびりと肌がむず痒くなり、一瞬で高められた緊張感がまだ空間に漂っている。

 めぐりがポケットからタブレットを取り出してそれを確認すると、摂理干渉レベルが監視レベルに到達していたことが本局に通達され、誤報のコマンドを送信する。


「ぷっつんしたらだめよ?」


 めぐりが、にこやかに宥めると寧々はこくりともう一度頷く。


 めぐりはすごい人だと思う。


 寧々、真由、亜理紗は正直にそう思えた。


 能力者たちでも寧々の突発的な出力に驚く。自分の守りたいものに対しての執念にも近い情念は、精神感応者にはあまり見られない特性を孕んでいる。


 念動力系統系能力者ならば周囲のものを手当たり次第に押しつぶしたり、引き延ばしたりの破壊行為に及ぶ。当人にも抑えられないことが多々あり、亜理紗もそれをやったことがある。


 催眠洗脳系統系能力者は無作為に他者を操る。世界最大の集団催眠は二百六十名が殺し合いを演じた事件があり、当人はすでに殺されていても催眠洗脳が解けることがなかった前例がある。


 つまりそれぞれが感情の制御が利かなくなると、能力者は無作為なベクトルを持った兵器になりかねない。


「私、やるよ」


 亜理紗が答えると真由が「ふーん」と何かを考えるようにつぶやく。

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