第18話

 大樹とめぐりが顔を突き合わせて、テーブルの上に残っている生き残った、冷えたピザを頬張る。

 時刻は二十二時を回ったところで、亮はべたべたになった頭と身体を洗い流すためシャワーを浴びている。

 めぐりはスーツのまま浮かない顔をしていた。


「めぐり、何かあったのはわかるんだけど、なんで僕をそんなに見るんだ?」


 レントゲン写真を睨みつける医者のようなめぐりの顔に、大樹は正直に居心地が悪かった。

 そもそも冷えたピザはそこまでおいしくない。子供の食べ残しをもったいないと食べている、親の気持ちが少しは分かる。もったいなくなければ絶対に食べない。ピザとは、それほどまでに冷えてうまいものではない。


(あ、こんなところにカスが…。明日もっと掃除しなきゃ)


 大樹がそれをつまんでティッシュに包んでいる様を見て、めぐりはソファで、ぐでんと横になる。横髪が垂れて、顔にかかっていてもお構いなし。


「お兄ちゃんは、あの子たちを正規運用するって言ったら怒ったよね」

「ああ」


 緊張と怒気を含んだ声に、めぐりは今もダメなんだろうなぁと、どう伝えるべきか悩む。


「でも俺だって中学生や高校生じゃないから…分別もいるんだろうね」

「無理して、納得してでも進むしかない。私はそうした」


 めぐりに言われて大樹は舌打ちしたくなった。どっちの方がより大人なのか、明白にわかる。

 めぐりは大樹が能力者パフォーマーであると判明してから勉強して、離れて、そして強くなって帰って来た。秀才、深山めぐりと鬼才、中山亮はJPCの二枚看板とも言われるほど、その名を知られている。


 めぐりは過去に裁定された言葉を口にした。


「オフィル、ガーデン両政府は、神話級摂理崩壊現象を誘引する可能性がある人物。ガーデン王女殿下、およびオフィル皇女殿下両名の…観察を中止、パラキューブ内への永久凍結を決定するものとする」

「その話はあんまり思い出したくないなぁ。僕が彼女たちのために…タンクになるんだろ?干渉エネルギーの」

「それでいいの?私たちは坂上さんの対処に困っていたのも事実で、両政府が宣言したことでウチもその流れになりそうになって…お兄ちゃんが全部引き受けることにしたんでしょ?」


 めぐりはそもそも、誰かのために兄が犠牲になること、のほうが許せなかったのだが今はそれだけではなくなってしまった。

 パラキューブはそもそも対消滅の起爆に使うもので、ブレスレッドに備え付けられている。範囲を設定してプログラミングを行い、指向性を持たせれば特定部分、または人だけに対して使う事ができることは、惑星オフィル政府から説明は受けている。


「今のところは実は、暴走の可能性があるってだけの話で、両政府も本気にしてはいないらしいの。むしろ、日本政府や国際政府の取っている、第二次姫号作戦に決定を委ねる旨が今日、再確認された」

「姫号作戦…」


 ごくり、と大樹は狂気の沙汰に、冷えたピザの風味まで消えた気がした。


 坂上寧々ちゃんはマジかわいいので、凍結処理なんてとんでもない!なので、日本国は君たちと戦争しますと、第三次世界大戦でも戦争行為に参加せず、防衛戦闘のみを行った国がガチギレした。しかも人的資源も資金も無尽蔵に突っ込んで、凍結処理なんて必要ないようにするから、いいもん、と世界政府に対しても公言。世界政府は日本政府が持っている、能力者開発ノウハウがなければガーデンやオフィルに対抗できないので、当初、反対していた勢力も次第に、日本の傘下に入り、国際社会は坂上寧々ちゃんはマジでかわいいので、以下略、姫号作戦を承認することになった。


「正式名称…坂上寧々ちゃんはお姫さまみたいにかわいいので、世界の中心にしちゃおうぜ-姫号作戦-だっけ?」

「どっちがサブタイなのか、わからないくらいのお話なのよね」

「言い出したやつも決定したやつも、異議を言わない今も昔の連中も、絶対ヤクを決めてラリってたんだと思う」

「ちなみに、お姫様がいちばんかわいい作戦はね…オフィルとガーデンも同盟作戦を同時に決定したっていうのよ?極秘情報だけど」

「どうでもいいのに、マル秘つけるんじゃねぇって思うのは俺だけ?つーか対抗しただけって、どんだけあの子ら愛されてるんだ?」


(お前らの愛で、世界の摂理が崩壊しているんじゃないだろうか?)


 大樹はそんなことを思いながらも、その流れがあの子たちにとって最悪のものではないことに安堵していた。


「パラキューブの開発は進んでいるのよ。ブレスレッドのあれも、パラキューブ構造体をいじったものだからね。フォトンスピンゼロフィールドを生成して、その中にあの子たちを入れるの。時間が止まる」


 難しい説明をせず、結果を言われる。


 大樹は嘲笑的な笑みを、鼻で笑い飛ばして含みを持たせる。


「三人とも美少女だし、家に飾っておくか」

「…悪趣味だし笑えない」

「そうしようとしてんだろっ」


 がんっと大樹がテーブルを叩いて、めぐりが肩を震わせて怯える。


「ごめん」

「ん、まぁ、怒る理由もわかる」


 めぐりは大人だった。少しはもっと感情を出してほしい、とさえ思うほどに…。

 対して自分はどうだろうか。気に入らないことがあると、まだ甘えて喚いてしまう。兄失格だとも思う。

 めぐりも、誰に対してでも本気でぶつかれる兄だからこそ好きになれるのであって、そんな兄を愛していることには違いない。


「でもお兄ちゃんに、タンクとしての珍宝機能がついたのは偶然なんだし…検査結果で分かったことがあったのよ」

「へ?」


 大樹自身も知らない、おそらくようやく解明された新事実、と言ったところか。大樹は聞かせて貰えるだろうと待っていると、長い沈黙が始まった。


「…」


 ぼんっと、めぐりが顔を真っ赤にすると、リビングのドアが開いて亮が顔を覗かせる。


 危険男、とでかい文字で胸の位置に書かれた黒いシャツに、ハーフパンツ姿で首にタオルを巻いている、温泉旅館でもまぁ稀に見るリラックス具合の亮が、目を細めながら大樹の隣に座って胡坐をかく。

 視線の先にはめぐりの美脚がある。


「おみ足鑑賞会?」

「ちげーよ。つーか小学生の年頃妹のなにを見てんだよ」


 大樹が呆れるとめぐりは膝を閉じて、その上に手を乗せて恥ずかしがる、めぐりのストッキングに包まれた大腿部を指差した。


「マニアにはたまらんぜ?スーツ姿のストッキング小学生。上司は小学生、ストッキングでしぼられたい…です、的な」

「発禁になるわ」


 大樹が突っ込みを入れると、亮はテーブルを指で突いて状況を把握する。テーブルをサイコメトリーした。


「あぁ、そりゃ言いづらいな、はっきり言うぞ」


 大樹はそれを聞いて気が遠くなった。むしろ、より現実的になってしまっていた。


「ほんとに?」

「ほんと、ほんと」


 大樹の体液が、パラエネルギーの乱れを正常化させる効果があり、しかも、その作用で強化することができるようになる、との報告が上がっている。


「俺の体液って、言い方やめてほしいなぁ」

「いっぱいぶっかけてやれよ」


 亮が下品な笑みを浮かべると、めぐりがスーツの内ポケットに手を突っ込む。


「んげっ!」

「ごめんなさいしないと、出しますよ?」

「赤札だけは勘弁」


 大樹はやってしまえ、と心の中でつぶやく。赤札制度は懲罰で不適切言動に対して実質、罰を与えるもので本局のトレーニングルームでランニングをさせられる辛いものだ。

 階級は亮が上でもやはり一般人レギュラーの階級は二つ上とみなされるので、めぐりの方がその采配権限を有していて、それがしっかりと亮をコントロールするという面では役に立っている。


黒兎BRチームの正規運用要求を受諾したので、今までと違って実験的な運用エクスペリメントから実戦的な運用アクティブワークに切り替わることになりそうなの」

「条件を丸呑みしたわけじゃあるまい?」


 亮が試すように尋ねると、めぐりは渋々うなずく。

 そもそも交換条件など論外で、実戦活動など却下したかったのだが、莫大な予算を注ぎ込んでいる以上、非生産的な国営省庁活動といえども、何らかの建て前的活動が必要になるのは無理もない。資金は無尽蔵でも感情論はそれを狭める。


「めぐり一尉」


 亮が右手を上げるとめぐりが頷き、亮は立ち上がってめぐりの座っているソファの後ろに回った。

 後ろから差し出された左手の甲に、めぐりが手を重ねる。

 兄妹でも隠されてしまう秘密がある。

 能力者である兄の為に努力した妹は、望まない重責と機密の壁を兄と感じ、想い通りにならない距離感に寂寞とし、同時にどうにかしなければならないと思う焦燥に駆られる、不条理に矛盾したものを抱いていた。


(ダメだな、こんなの)


 めぐりはそう思いつつも、亮の手からそっと自分の手を離す。亮は亮でめぐりの苦痛を案じていた。


(俺はなんて卑怯なんだろうか)


 亮はそう思わずにはいられない。横に居て、この小さな少女の危うい心のバランスを知りながら顔を見ることができない。


(なぁ大樹、お前はどうしてそんな顔をして家族を見ていられるんだ?)


 能力などなくても、めぐりの気持ちはたぶん、十分に伝わっていて、それでもどうしようもなく受け止め続けている。

 力の無さを知っているからこそ、安易に踏み込まない兄妹の絆だろうか。


 亮は覚悟を決めて命令を発する。


「大樹に黒兎BRリーダーの権限を与え、めぐり一尉に指揮権を、そして俺が統括する…」

「軍事行為か?」

「軍はない。この国はあくまで、侵略を目的とする戦闘行為を容認しない。その上で、君たちは自身の身を守るために、今まで通り行動してくれてかまわない。特に大樹、君は特にだ」


 亮の物言いが変わったとき、これは大樹にとっては、友人から上官との関係に切り替わったことになる。メリハリは大事だ。

 ただ、大樹はその危険性については疑問視していた。


「暗殺って、まだされたことないんだけど…」


 危険性がある、とは知らされていたが実際にそういうことはない。めぐりは兄に対する特別な法律を暗唱する。


「深山大樹特別措置法は、国際協力的に全ての国家は、人類共存と繁栄のために深山大樹の身体及び身辺に対して、迫害または挑発的行為を行ってはならない、ですっけ?」


 めぐりが小首をかしげる。法律に関してはあまり詳しくはないし、施行されてからだいぶ時間が経過している。むしろ、よくそんな法律が、個人を特定して効力を持つものを準備できたと感心する。

 亮はその法は有効でありながらもいつまで続くのかは疑問視していた。


「形骸化してるよ。オフィルとガーデンが圧力をかけているからなぁ。あいつら平気で大樹を手に入れられなければ、ちきゅうはかいばくだんを使うっていうから」

「亮三佐は、それが本当だと思いますか?」

「真由と亜理紗の両親は、まだまともなんだけど、祖父がな…」


 ガーデン、オフィルも最近までその姿を隠匿していた、同じ人類が統治している国、惑星で、祖父代の国の人がそれぞれトラブルに巻き込まれたり、自分から首を突っ込んだりして渡航したらしい。

 というのも詳細はよく分かっていないが、こっちの世界からあの二つの国、惑星に行って生き延びたので、少しくらいは精神構造が逸していてもおかしくはないのだろう。


「孫バカなんだよ。つーか総一郎氏も大概だからなぁ」


 亮の言葉に大樹は大筋で同意する。なにせ出会いが出会いだった。


「僕はいきなり、あの人に殴られたんだけど、なんだったんだ」


 亮がめぐりの隣に座って足を組むと、めぐりが首を傾げる。てっきり知り合いだと思っていた。

 めぐりは忘れていたことを二人に伝える。この騒動ですっ飛んでいたが思い出してよかった。


「総一郎氏にも会えると思うし、挨拶も必要かな?モノリスに指令室Opsを頂いたから明日からは、そこに出頭するように」

「モノリスって?」

「坂上財閥本社ビル。真っ黒だろ?」


 めぐりに言われた場所を知らない大樹が亮に尋ねると、亮の言葉になるほど、と納得する。坂上財閥本社ビルは、正三角錐柱の巨大な真っ黒なビルで入口すらわからない、子供のころからそこに存在する不気味な存在だった。

 吃驚ボックスと揶揄されるモノリスは海面に属していて、艦船ドックを三つ持ち、付近には飛行場を保持している。

 このマンションや大学から向かうには距離がある。亮はそれを考えるとうんざりとして、大樹に助けを求めることにした。


「なぁ大樹、大学から移動するとき、一緒に飛んでくれよ」

「ダメだ。みんなと一緒に、電車とバスか車で移動しようよ。一般人レギュラーにまたあいつら、能力使って環境破壊してるって言われるから」

「つっても、バレなきゃいいじゃん」

「じゃあ単位くれよ」


 大樹の声にめぐりがダメでしょ、と苦笑すると亮は真顔で大樹を見据える。冗談を言った大樹に亮が真剣な顔をする。大樹は他の学生にもやっていないか心配になる。


「マジで考えんなってば」

「いやなんかもう、俺大学で教鞭を執ってる場合なのかなぁ」

「士官学校だから、お前みたいなホンモノがいるんだって」

「そっかなぁ。士官学校なんだけど防衛大学とは別個じゃんか。むしろあっちが正規だし」


 亮は亮で思うところが、何かあるのだろう。確かに話を聞いている以上、大樹の通っている大学は他の大学に比べても、あまり大きな違いはなさそうに思える。

 起床ラッパで起こされないし、掃除で怒られるどころか掃除は自分たちでしない。


 亮は大学に教授職で復帰して色々大変なようだ。


「高校一緒に卒業したやつが何人かいるじゃん。あいつらの顔見たことあるか?まじで?お前教授なん?みたいな」

「お前、高校時代は愛のスーパー狩人とか言って、女子に手を出しまくってたからだろ」

「…罪な男だ。罪は俺、愛は罰かな」

「行動が×だろ。それにお前のベッド上の作戦行動まで、ほとんど僕らにも聞こえてた」

「ほう、ぜひ活用してくれ」

「しねぇよ」


 大樹が呆れてテーブルの上を片付け始めると、めぐりは二人が本当に楽しそうに笑って話をしていることに安心した。

 階級やら境遇やら、いろいろあったが二人は幼馴染で変わらずに友人であり続けている。


「めぐりちゃんさ」

「なぁに?りょーにいちゃ…」


 おや?


 亮と大樹がじっと、めぐりを見つめると、めぐりは真っ赤になった顔の前で手を交差させて何度も振る。しどろもどろになる、めぐりに亮は久しぶりの反撃チャンスと見た。


「ちがくって、その。なんか昔みたいだったから、つい出ちゃって」

「あー、昔はあれだったもんなぁ。めぐりちゃん、お兄ちゃん二人と結婚するって、がんばってたもんなぁ」

「ぎゃーっ!」


 めぐりが叫びながら部屋を飛び出していくと、大樹と亮は苦笑して顔を見合わせる。


「じゃ、俺、帰るわ」

「おう…気を付けて」


 大樹は亮を玄関まで見送ると、ヘルメットを小脇に抱えて亮が帰って行く。


「…なんか、はぐらかされたかな」


 少しだけ悔しいのは今、めぐりの心の傍に一番近いのは家族の自分よりも亮だと、はっきり認めてしまっていることだった。


「僕だってさぁ、少しは頼りになると思うんだけどなぁ」

「じゃあ、後片付けと部屋のお掃除よろしく」


 部屋の入口ドアが少し開いて、隙間からめぐりが顔を覗かせて呟き、大樹はすごく居心地が悪い気分になった。

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