第17話
大樹はこの時間に、こんなものを…とぶちぶち文句を言いながらも、来訪者の好意を受け取って席に着くと、寧々の姿が見当たらないことに気付く。
ジュースを注ぐカップに小皿、箸などを用意すると、すぐに大学生の宅飲みな雰囲気に早変わりする。
そもそも、高級高層マンションに住んでいる大学生など数えるくらいなので、この様子は小規模なホームパーティに見えなくもない。寧々を探している様子の大樹は、それでも真由と亜理紗の動向を常に気遣ってるのがわかると、亮はしみじみと三人を預けて正解だったと思う反面、その苦労が伺えた。
(大樹も大変だなぁ)
このお姫様三人は基本、大樹やめぐりが世話をしていて子供らしい子供で、微笑ましくもあるが面倒を見るのは労力が必要そうだった。
亮はそんな家主をねぎらう。
「大樹も座れよ」
「ああ…」
ソファに座って黙々と食べている真由と亜理紗を見下ろしながらも、大樹はどこか落ち着かない様子で周囲を見ている。真由と亜理紗が餌を差し出された子犬のように、勢いよく口に物を運んでいるが、コップを落としそうだったりすると事前にそれを避けたり、空になった器に食べ物を補充したりして、甲斐甲斐しいことこの上ない。
そんな大樹に亮が声をかける。
「お前は食わないのか?」
「今、摂生した生活を心がけておかないと、後々怖いからな」
「お前は健康診断前の中年サラリーマンかよ」
亮は大樹のこの心の静かさに正直、本当に成人前の男子なのかと疑いを持っていた。
ここ最近ではスマホなどはテーブルの上に放置して、連絡がつかないなどが頻繁にあり、心が更年期なのだろうと思っていた。
大樹が心配そうな声で呟く。
「坂上がいない」
「あれま、ほんとだ」
亮はそれに周囲を見回して同意する。寧々の姿がどこにも見えず、食事のときは必ず三人が並んで黙々と食べる。彼女たちは人一倍食べるので、自分の分が確保されていない状態だと無言で食べ続ける。取り分は競争になるからなのだが、そんな状況を知っているはずなのに、寧々はテーブルどころかリビングにもいなかった。
そんな時、ふわりとコーヒーの香りが漂って大樹が振り返ると、寧々がソーサーを持って大樹と亮の前にコーヒーカップを置き、大樹の前で寧々が立っている。唖然とする大樹に亮は褒めてほしそうな寧々に対して、ポケットから財布を取り出した。
「坂上、お小遣いでもほしいのか?」
仕方ねぇな、と亮がポケットから財布を取り出そうとして、大樹がそれを止める。
「癖になるからだめだって言ってんだろ。その援助交際みたいなのやめろよ」
「そんなつもりじゃねーよ。高校生になったら考えてやる」
亮が冗談で笑い飛ばすと「それもだめだ」と大樹が殺意すら感じる鋭い視線で亮を睨む。
(なんだかんだでこいつ、保護欲すげぇんだよなぁ)
亮は娘ができたら絶対に大変なやつだ、と大樹のそれに苦笑する。
寧々はまだ動かず、大樹を睨むようにして見下ろしていた。
「どうした?」
「ん」
「食べないのか?」
「んっ」
手を上下にぱたぱと振って何かをアピールする寧々に、大樹が困惑して亮を横目で見る。褒めて欲しがる寧々に大樹が苦笑する。
「えらいなぁ。ほらいっぱい食べなよ」
大樹に褒められて寧々が笑みを浮かべると、亮は何だかんだで子供なんだな、と微笑ましい気分になった。が、寧々は夜食を食べながら、ふっと不機嫌そうな表情に戻った。
すると真由がふっと立って、熱心に書いていたノート両手で開いて亮に見せる。
「ねぇ、こんなのどう」
「お前…教師と生徒の禁断の愛なんて、どこで覚え…ん?」
左手の中指がとんとん、とノートを叩いていて、亮は右手でノートを取りながら真由の思考を読み取る。
(はっはーん)
真由が教えてくれた情報は怒りも同時に含まれていて、亮はにやりと笑みを浮かべる。
(実に…面白いっ!)
亮は全てを察した。事情は簡単。寧々、真由、亜理紗が着ている今日のパジャマはついこの間、一生懸命悩んでめぐりに買ってもらったものだった。
大樹とめぐりに連れて行ってもらって、大樹に選んでもらい、そして着ている。
かわいい、と言ってもらうためのアピールがなんとも愛らしいし、被虐心を刺激しもする。
真由と亜理紗は相当、すでにご立腹。
狼狽する大樹に凄む寧々。もう怒っている表情を前にどうしても、かわいいという答えは引き出せないだろう寧々が、それでも八つ当たりに近くアピールしている様は、この不埒ノートで顔を隠していなければ、思い切り笑っていることがばれてしまっていただろう。
当然、亜理紗は亮や真由がこの状況を密通したことを把握した上で、涼しい顔をして寧々越しに大樹を見据えている。その温度は、測ることができたら、だいぶ周囲よりも冷めたものになっていただろう。
静まり返る室内。食べる手が止まっていて大樹は、どことなく自分待ちなんだろうなと実感していた。
女の勘は鋭し。
亮は精神感応能力を持っていない亜理紗や真由が、まるでこの場所を完全に支配して見越しているような気がした。
こんな時、どうするのか。
亮は中学時代から大学で研究をしていたので、年上女性から身も心もしっかりと英才教育を受けていたので…正解のルートをチョイス出来ていた。
それは…
女の子と洋服や水着を選ぶときには、かわいいを最低三階は言わなければならない。
悩んでいるとき、買ったとき、着たとき。そして過去形でまた、かわいかったというべきだ。おや、四回、致し方なし。言う分にはタダだ。
さて、どうする?
亮はこのどちらに転んでも銃殺刑のような状況を、大樹がどう回避するかを待つ。
大樹が動いた。
誰もがその行動を黙って見つめる。
大樹はなぜか寧々を自分の膝の間にすっぽりと収めて、後ろから身体に手を回して抱き上げた。
「そうそう、このコーヒーなんだけどさ」
よしよし、と頭を撫でると寧々が顔を真っ赤にして俯いた。突然の出来事に恥ずかしさと、うれしさが混ざって、たまらない。
「坂上がさっき、コーヒーの淹れ方を勉強して、さっそく亮と僕の為に準備してくれたんだよ」
まるで孫を褒める、おじいちゃんのように嬉しそうに説明すると、亜理紗が左人差し指をちょんと弾く仕草をして、念動力でカップの中身を揺らした。
飛び跳ねた数滴の滴が、大樹の足にぽつりとついて靴下にシミを作る。
「あっちぃ!」
大樹が驚いて立ち上がると、ぽーんと寧々の身体が空中に投げ飛ばされる。寧々の身体がまさかのテーブルを飛び越すK点越えを目指し、その砲台になった大樹がテーブルを蹴っ飛ばすと、机の食べ物やペットボトル容器が倒れ中身が流出、ピザが紙の容器からはみ出て、ドーナッツが宙を舞った。
大樹はその状況よりも寧々を目で追っていた。寧々が無防備な状態で放り出されて、受け身を取れそうにない。真由が危険を察知すると、亮の手からノートを奪って右手人差し指を自分の唇に押し当てる。
亮はノートを取られたはずみで真由と視線が交差した。そのことに後悔する。
(あ、やっちまった)
亮は思うよりも早く、ソファから立ち上がって受け身などお構いなし、身体を放り出して寧々と床の間に入り込むと、腹をしこたま打ち付けるように滑り込む。床に着く順番が腹、顎、腕。せめて最初と最後は逆にしてほしかった。
(フローリングデススライディン…っ)
見事に寧々の落下予想地点に、たどり着いた亮の背中に寧々が突っ込んで、寧々は目を瞬かせて亜理紗を睨む。わざとだ。わかっている。
亮の意思とは無関係に身体が動く、これは真由の催眠洗脳の能力で身体のコントロールを奪われたからだ。
真由の視覚情報から肉体機能を奪取する
亮は真由の命令通り、身を挺して寧々の地面との激突を回避させるため行動したが、単純行動の刷り込みは行動者そのものの安全は度外視されていた。
こうなることを予想していた真由が、無表情で犯行を自白した。
「ごめん、なんかムカついちゃってねぇ」
普段と同じような抑揚のない口調だったが、単純に大樹が寧々を抱き上げたのが、気に入らなかったようで…真由もこれ以上のスキンシップを許さないために、あえて亮に下敷きになってもらった。
亮は完全にとばっちりを受けていたが、寧々が無事で安心する。
大樹は火傷した脚を庇いながら声を上げる。亮が怪我をするような能力の行使はよくない。
「いや、まじあつっ!真由っ!」
大樹は危険な能力の行使に叱ろうしながら、テーブルに手をついて片足を上げて、無理やり足から靴下を引っこ抜く。
それが良くなかった。すっぽ抜けた靴下の反動で大樹がよろける。
真由の上に覆いかぶさりながら、大樹が何かに引き寄せられると、真由を庇いながら大樹は亜理紗の上に不時着した。
亜理紗が自分の方に大樹を念動力で引き寄せたので、真由も図らずとも抱きしめられ、覆い被された亜理紗が一番下で、自分の胸の上に大樹の左手があることに気付いた。
「あらぁ」
亜理紗が嬉しそうに微笑む。小悪魔的な笑みに大樹が吃驚した上で、真由の白い目が痛い。
「すまん」
「私に抱き着いて亜理紗の胸に…深山のスケベ。どっちもだなんて…」
真由は恥ずかしそうに身をよじると、手の中で亜理紗の感触が揺れ、真由が背中越しにぶつぶつと何かを呟く。
大樹が状況を整理する。床、自分の手が胸の上にある亜理紗が仰向けになり、下半身を押し当てられる形で下敷きにしてしまった、うつ伏せの真由。顎から落ちて気を失っている亮がだらしなく床に伸びて、その上に寧々が馬乗りになる。
そんな状態に我慢できるわけがない寧々が我慢ならずに激昂する。
「手をどけなさいよっ!」
寧々が大樹の背中を踵を、ねじ込むようにして踏みつける。
「この変態!ロリコン!バカ!すけべ!ってかどけ!今すぐ!」
寧々が叫ぶも大樹は踏みつけられて、真由にこれ以上伸し掛からないようにするのに必死だったし、右手が一番の亜理紗のそれを激しく動かしていた。亜理紗が嬉しそうにそれを受け入れている。
「積極的さんー」
亜理紗の声が寧々を刺激する。わざとだろう?と思う大樹に蹴りが集中する。
「まだやるか、このっ!」
げしげしっと音がするほど、蹴られて大樹が涙目になるとリビングのドアが開いた。
予期せぬ来訪者に全員の動きが止まる。
白目を向いている亮以外の視線が入口に向けられると、終電ギリギリに家に帰って着たOLのような疲れ切った表情のめぐりがじろり、と寧々たちを見据える。
その場の時間がすべて止まった。
「はぁ」
めぐりが生ける死者の様相で台所へと向かい、冷蔵庫のドアが開く音が静かに聞こえる。
大樹から足をどけた寧々が、お尻を床につけて膝を立てて、それを腕で抱き込むようにして座り、足首をクロスさせる。いわゆる体育座りを始めると、自然と大樹が正座、真由と亜理紗もその場で体育座りをした。
とことこ、と軽いのにどことなく重たい足取りがゆっくりと響いて、めぐりがソファに座ると、ストッキングを履いたおみ足が、ふわりと円を描くように動いて組まれた。
めぐりは小さな吐息を漏らしてから叱られることに待機していた面々に声をかけた。
「お疲れ様です」
飛び散ったコーヒー、こぼれたジュース、食べかけのピザがテーブル上で散乱し、天井に張り付いたホイップクリームの挟まったドーナッツが、未だに落下地点を決められずにその場に停滞している。
そんな中のめぐりの声に全員が声を揃える。
「「「「お、お疲れ様です」」」」
体育会系の練習の後のミーティングのように、めぐりの号令に四人が答える。めぐりはそれを受けてから尋ねる。
「で、どうしてこうなった?」
満面の笑みは怖い。
怒らないから言ってごらんスマイルは、決して怒っていないわけでもなく、怒らないわけでもないので、誰もが押し黙ると、天井のドーナツが天井から脱落してべちゃり、と寧々たちの背後で音を立てる。
(…あ、こうしよう)
誰もが、最高のチームパフォーマンスを発揮してそう決意した。
「「「「こいつのせいです」」」」
ドーナッツが安寧を求めて降り立った先、べとべとになったクリームだらけの亮の頭を指差して、大樹たちはすべての責任を彼に押し付けることにした。
それでも、めぐりの説教が永遠と続く中、寧々がこくり、こくりと舟を漕ぎ始めると、それが波紋のように広がったのか、円柱に乗せた台上のメトロノームのようにシンクロして、寧々、真由、亜理紗が眠そうに眼をこする。
寧々がついに、大樹の左腕にしな垂れかかる。それを見てめぐりは「仕方ないなぁ」と立ち上がった。
「亮三佐も起こして。お風呂に入ってもらいましょう」
「一緒に入るんですか?」
と真由が尋ねると亜理紗が目を輝かせている。めぐりは相手にしないようにした。
「はいはい、冗談はそれくらいにして…口に足を突っ込んでやれば少しは反省するのかしらね」
大樹は我が妹がとんでもないことを言い出してびっくりすると、めぐりの目が土色に変わっている。
「そもそも、なんで私がこの人より帰るの遅いわけ?おかしくない?」
ぶちぶちと、デスクワークの愚痴があふれ出す。
「帰ったって、その後に毎日ご飯を作ってお風呂沸かして洗濯物して洗い物、できなきゃ、明日に仕事が回るだけだし」
(オカンか。風呂掃除と洗濯は僕もしてるぞ)
大樹はそう思いながらも、ふとめぐりがゆらりと立ち上がった。
「えい」
べしっと亮の頭が踏まれて、クリームが卑猥な音を立てる。
「あ、私もやりたい」
「え、おもしろそう」
亜理紗と真由も混ざって三人の小さな足が、亮の頭にクリームを塗り込み、大樹は小さく合掌する。恐ろし過ぎて振り向けずにあぐらを掻いていると、寧々がその中に入り込んで両手を大樹の頭に絡ませる。
「ねぇ答えて」
心臓が全身を震わせたかのように力が入る。寧々の精神感応が大樹の全神経活動を敏感に捉えようとしている。
彼女の問に返事は必要ない。無作為に記憶を引き出すのではなく、問答形式にすれば寧々は答えを引き出すことができる。
「私、かわいかった?」
おや?
大樹は正直、さっきの亜理紗の胸の感触的な、アレを尋ねられると思っていたので、拍子抜けする。
「そりゃあ、亜理紗のおっぱいはちょっと大きいし、私もふにふにしたいし、むしろ、させろって思うんだけど」
しっかり読まれていました。
大樹は不覚、と思うと寧々が戸惑いながら呟く。
「不公平な能力だと思うから、これだけは言っておくけど。私は深山の心を覗いちゃったときは…私も正直になるって決めてるからね」
だから、答えて欲しい。
聞かれなくてもそう尋ねている、うるんだ瞳に自身の顔が写り込んで、大樹はうなずいた。
「じゃあ、僕は答えるよ」
とっても似合っていて、誰よりもかわいいお姫様たちだよ。
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