第12話

 四LDKのマンションに住む大樹は一瞬にして悟った。


 まず、寧々がいつの間にかベッドに潜り込んでいるのは平常運転だったが、目覚まし時計がドアの前に転がっていて、壁の時計が午前八時半を過ぎている。


 これは遅刻かもしれない、と思うよりも先に身体が反応していた。


 上に乗っている寧々と自分の身体の位置を、寝技の応用でくるりと入れ替える。寧々は寝ると起きないので多少乱暴に…。

 身体を入れ替えてからパジャマのボタンを閉じてやる。


「お腹冷えるから、ボタンはしっかりしなさい」


 ボタンを付け直してやって、布団をかけなおす。


 よーい、ドン。


 廊下に出ると、真由が寝ぼけ眼でこちらを見上げている。水色のパジャマがちょっと大きめなのは、真由が他の二人よりも少し小さいからだろう。すぐに大きくなると思っていたので、サイズは気にしなかった代物だ。


「どした?」

「抱っこ」


 両腕を上げられて大樹はめんどくせぇ、と左腕一本で真由を抱えながら洗面台に向かうと、亜理紗が髪の毛をタオルで拭きながら歯ブラシを右手に大きく伸びをしていた。


「あらー、おはようございます」

「おはようございます」


 大体この時間は、亜理紗がシャワーから出て来る。平然としてはいるものの、亜理紗は三人の中で発育が一番いい。


「らっきー?」

「いいえ、違います。ラッキーではないです」


 真由に聞かれて大樹が後ろを向く。思わず変な英語の教科書の受け答えのようになってしまった。


「はいー、大丈夫ですよー。交代しましょー」


 いつも以上にのんびりした口調の亜理紗が、すいっと横を通り過ぎて行く。洗面台を開けてくれた。めぐりは、既に朝食の準備を済ませて仕事に向かっているだろう。


 ん?


 洗面台を開けてくれたのはいいが、ワイシャツの下にあるピンク色の透けブラは置いておいて、その下には何もつけていなかった。


 桃!


 大樹は、すっぽんぽんの亜理紗に思わず声が出そうになるのを堪える。


「オフィルさーん、パンツ忘れてまーす」


 大樹がぱんつを拾い上げようとすると、真由が落ちそうになって首にしがみつき、バランスを崩して大樹は、パンツを拾い上げて廊下側にいる亜理紗の美脚の間に顔をうずめそうになり、右腕一本で体重を支えながら衝突を回避し、真由を抱き締めて落ちないようにした。


(筋トレやっといてよかった…?)


 そしてその状況で、亮の声が聞こえる。


「ちょりーっす、大樹?」


 がちゃり、と玄関のドアが開いて廊下の惨状を目の当たりにした亮は「やべぇ」とドアを閉めるが、そのドアが内側から吹き飛んだ。


 亜理紗の念動力で、ドアが亮を押し飛ばして外廊下、二十五階から地面まで落ちそうになっている。


「とりあえず服を着ろ、僕から離れろ!遅刻するんだよ!」


 パニックを起こした大樹が洗面台に引き籠もると、寧々が後ろに立っていた。


「…」


 やっべぇ、読まれる。


 大樹がそう思うと、寧々がにやりと笑った。


「変態ロリコン犯罪者」

「事故だぜ?あれはよ」

「なんのキャラなのよ」


 寧々がむすっとして不機嫌そうになる。一番のやきもち焼きの寧々は他の子とくっ付いていたりするとすぐに機嫌が悪くなる。


「まぁいいや。私を押し倒したしね」

「…それがそうなら、毎日押し倒してるぞ?」


 大樹が背後に立っている寧々に振り向き、意地悪な笑みを浮かべて鼻先をちょんと指で触ってやると、寧々は顔を真っ赤にして廊下に出た。


 大樹は洗面台で身支度をしていると廊下側から声が聞こえてくる。


寧々:「それはそうと中山!私の亜理紗ちゃんの裸を見てどう思ったの!」

亮:「ぎゃーっ、ドア直してるからケツ蹴らないで!お願い!」

真由:「公務員が女児に変態公務、とか写真つきで投稿連動ニュース番組に送信する」

亮:「真由ちゃん?だめっす!真由さま、ほんと勘弁して」

亜理紗:「人の記憶って叩けば消えるかなぁ」

亮:「亜理紗さま?なんで?念動力に金槌はいらないよ?ねぇ、それドア直すのに使うんだよ?」


 大樹は歯を磨きながら、騒々しい毎朝を迎えていた。大体騒がしいが今日は特別だ。月に一度あるが…。

 大樹が洗面台から廊下に出ると、ドアは直っていたが亮の尻に電動ドライバーがうぃんうぃんと刺さって動いていた。

 この惨事はひどいもので、大樹が寧々を睨む。


「…貫通はしてないから大丈夫だよ?」

「どこにだ」


 寧々がてへ、と可愛らしく笑い、orzの形で尻を出して玄関先で轟沈した亮が、しくしくと涙を流している。が、すっと立ち上がった。


「おし、大学行くぞ」


 亮が復活して、大樹は朝食を食べる時間がないことを改めて思い返して外に出る。


「行って来るぞ」

「「「行ってらっしゃい」」」


 大樹に三人が手を振って見送る。なんだかんだで親父みたいな感じだなぁ、と亮は大樹に関心する。


 寧々たちは亮と大樹を見送る。めぐりの作った朝食を適当に食べて、三人は早々にやることがなくなってしまう。

 寧々は白のホットパンツにピンク色の猫耳パーカーを羽織った部屋着スタイルで、リビングのソファに寝転んで携帯ゲーム機を起動する。亜理紗はワイシャツに下は薄い緑色の下着姿のままでテレビの前で日本百景、川辺の風景をぼーっと眺めている。

 何が面白いのかわからないが亜理紗は放送終了後のカラフルが画像を真夜中にじーっと見ていたこともあるので、それなりに楽しみ方があるのだろう。


 寧々は部屋に真由がいないことに気付いた。


「あれ?真由は?」

「真由はどこー?まーゆーちゃーん」


 亜理紗が冷蔵庫を開けて中を確認して、次は戸棚を開ける。


「いないね」

「いるかよ」


 寧々が相変わらずマイペースだなぁ、とソファに手を当てる。精神感応して真由の姿を探る。


(いないなぁ)


 範囲を広くすればもっと分かるので、寧々が部屋の壁に手を当てると、一つの情景が頭に浮かんで興奮する。


「うわ、二階下の奥さん。営業の男の人とアサイチからイッパツしけこんでる」

「その情報は、いらないよねぇ」

「え?昨日は旦那ともやって「いらないかなぁ」」


 亜理紗が、そんな汚い大人は要らないよねぇと続けて寧々を遮ると、ドアが開いて真由がこちらを見ていた。


「猫が発情してるみたいな顔してるけど?」

「してねぇよ?」


 寧々が講義すると、真由は「ふっ」と鼻で笑って柔らかい一人用ソファに身を沈めて本を開く。真由は黒いキャミソールにふわふわなフリルの全体が黒く、赤いラインの横に入ったミニスカートをはいている。ゴスロリ調の服だが重苦しい感じはなく、むしろ可愛らしい雰囲気が全体的に漂っていた。本人が寡黙で無表情なので、神秘的な雰囲気がマッチしている。白のガーターストッキングが少女特有の脚の細さを演出していて…。

 寧々が首を傾げると中身が見えた。


「レースの紫は早くない?」

「…っ」


 寧々に指摘されて真由が脚を閉じて、寧々が親指を立てて見せる。恥ずかしがるのがかわいい。


 寧々は所定位置であるソファの上で寝転がりながらゲーム。亜理紗はテレビの前で女の子すわりをしながらぼーっとする。真由はソファで丸くなる状態で本を読んだり眠ったりして落ち着く。この光景が平和な日常の一コマだった。


 寧々たちは管理局に出頭要請がないと途端に暇になるし、原則はここから出ることはできない。


 しかし…ダメだと言われれば、外に出たくなる。


「カリ…なんとかだっけ?」


 寧々の言葉に亜理紗と真由が不思議そうな顔をしている。また助平な話を始めるのかと思ったがそうでもなさそうだった。ちなみに正解はカリギュラ効果。

 

「深山みたいに、テレポートできれば外出れるのかなぁ」

「寧々、また外に出たいの?」


 一人用ソファから転がりながら真由が移動して、天板がグラスのローテーブルにうつ伏せになりながら寧々を見上げる。浮いた服の間から完璧に中身が零れてしまっていることに、寧々はそれを凝視する。ないは、なくてもいいものだ。


「真由もブラしなさいよ」

「無いものは無いからねぇ。おさえるもの…も…」


(言うて自分でダメージ受けるの?)


 気分が落ちた真由に、亜理紗が「なになに?」と寧々の頭を持ち上げてソファに座り、寧々を膝枕する。


「あー、亜理紗のぷにぷに膝枕、お金取れるよ?」

「…えいっ」


 ぱちんっと、亜理紗が平手で寧々の額を叩く。


「んなっ!なんで怒るの?」


 笑顔のままの亜理紗が鼻歌を歌い、真由も亜理紗の膝に頭を乗せてもたれかかる。ぷにぷには褒め言葉ではないらしい。


 寧々はそれでも、この外に出たくなる衝動を抑えられなかった。


「さっきの話だけど、偉い人たちって私を見てるんでしょ?亜理紗の能力で空を飛んで、振り切ればいいんじゃない?」

「三人同時に超音速飛行はムリかなぁ」


 あまりムリでもなさそうな、ほんわかした解答に真由が目を閉じて、うつらうつらとする。いつでも眠そうな真由の鼻を寧々がちょいとつまむ。


「なにする」

「気にしないで」

「するよ?」

「そっかぁ」


 特に意味はない行動なので寧々が手を離す。


「萩原のこと、隠していて良かったのかなぁ」


 亜理紗が口を開くと、二人に緊張が走る。大人たちに隠していることは由香里と鈴のことで、由香里は存在そのものを教えていないし、鈴に至っては向こう側から接触して来たことを伝えなかった。


 たまに由香里の名前を口走っても見えない友達扱いされることがあって、それはそれで面白くない。


 ただ、暴走時の話は言うべきではない。確かに三人はそう感じていた。


 寧々が「何も無かったけど、怖くなって暴走してしまった」とめぐりに説明したとき、三人は言葉を介さなくても、寧々に合わせる事にした。


「ガーデンにある?」

「なにがあるの?」

「由香里のことだよ」

「あぁ」


 参考になるような資料があれば、と昨日の夜に話したことだった。真由は既に半分寝ていたので、記憶がおぼろげになっているのかもしれない。

 真由が小さな声でぽつりぽつりと話出した。


「私たちは由香里を最初から由香里だって知っていたわけでしょ?もしかしなくても、おかしいんだよね。私たちは始めから知っていたし、きっと最初からそうだったんだよ」


 寧々の漠然とした疑問に亜理紗がこくり、こくりと船をこぐ。


「天使の雫、垂らさないでね」


 半開きになった亜理紗の口から、涎が落ちそうになって寧々が目を細めて警戒する。昨日は日付をまたぐ頃まで起きていたので、どうにも三人はけだるい感じがして仕方がない。


 今日は、このままでいいか。


 寧々もそう思うと、心地よいまどろみの中に意識を落とした。



―――めぐりがスーパーの紙袋を片手にリビングに入る。


「照明オン…ってなんで?」


 音声操作で照明をつけると、ソファで抱き合うようにして眠っている寧々と亜理紗、そして亜理紗の腕に抱かれてソファにもたれ掛かっている真由に驚く。


(男の人もいるんですから、あんまり無防備なのはダメですよー)


 めぐりはそう思いながら、柔らかい生地の毛布を三人にかける。その寝顔は無垢で可愛らしい。


(二つしか歳が変わらないのに、可愛く思えるのはなんでだろう)


 めぐりは冷蔵庫に食材を入れながら献立を考える。深山兄妹は夫婦みたいだな、といわれて満更でもなかった。それを思い出して顔がにやける。


 めぐり、おばちゃんかなぁ。


 嫉妬した寧々に言われて現実に戻されたことまで思い出して、めぐりは舌打ちする。

 その黒い空気に、寧々は眠りながらもびくっと反応していた。

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