第10話

 寧々はタイミングを見計らって、白いチェアの背後、鈴の真後ろから接近する。


 この世界の住民には能力を使って干渉しない限り気付かれない…らしいので、寧々は後ろから中学生女子になりたての女の子にはありえない、その巨大な夢が詰まった塊を後ろから掴み上げようとしていた。


「興奮する」

「…わかる」

「わかるの?亜理紗」


 寧々の発言に亜理紗がうっとりとして、真由はうーん?と首を傾げる。


「みんな、なんだかんだで処女びっ「真由、それはいけないわ。お下品」」


 亜理紗が制止して、真由の言葉にかぶさる。


 中学生の大樹が立ち上がって鈴が一人になると、ノートにペンを走らせていた鈴がぴたり、とペンを止めた。

 鈴は小声で独り言のように呟いた。


(ねぇ、さっき居た男の人は私の未来の彼氏?)


「なんですって!」


 寧々が声を上げると、鈴がびくっとした。聞こえている。


 鈴がチェアに座ったまま振り向いて、足の方向を変えて身体の向きを入れ替えて、寧々たちと正対する。


「やっぱり、いたっ!」


 鈴が寧々の肩を掴んで、頭を揺らす。鈴は嬉しそうに笑っていて、それが元気いっぱいで、笑顔が眩しいくらいの美少女だ。


「うわああああっ!」

「ひぃっ!」

「これは…」


 気付いていないと思っていた対象が、完全にこちらに気付いていることに寧々、亜理紗、真由が混乱する。


「大丈夫、大丈夫だから。落ち着けってば!ねぇあんたたち、大樹とどんな関係?」


 周囲の視線が鈴に集まる。


「あぁ、私だけに見える感じのあれかぁ。どうしよう。これじゃ私変な子みたいじゃん?」


 あっはっはっと笑う鈴に、寧々たちは顔を見合わせる。不登校女子がこんなに明るいと思わなかった。亜理紗は緊急性を判断して鈴を拘束するために念動力を発動させる。


「ちょいと失礼」

「やばっ」


 寧々が身をよじって後ろに下がると、亜理紗が鈴の身体を拘束することに成功する。しかし鈴は大した影響を受けているようでもなく…亜理紗をじっと眺める。


念動力PKかぁ。精神波動的に、そっちの大人しい子は憑依催眠ヒュプノで、腹黒そうな君は精神感応サイコメトリーだね」


(はらぐろ…え?)


 寧々がショックを受けて、否定して欲しいと亜理紗と真由を見ると二人がそっぽを向く。うらぎりものめ。


「あなた、昔は好きな男の子とかに、何歳までお母さんとお風呂に入ってた、とかみんなにばらして、いじめるの好きでしょ?」

「え?私、小学校クビになってるから、知らない」

「あら…」


 寧々の返事に鈴が寂しそうな顔をした。


「心の傷を晒して遊ぶのって、私たちみたいな精神感応者サイコメトラーの楽しみなのに、かわいそう」


 恍惚の表情を浮かべる鈴に、寧々はとんでもねぇ女だ、と心の中で呟く。


 深山は絶対に騙されているんじゃないか?と思ったが、ごちん、と鈴の頭にトレーが縦に入った。


「風見、数学の問題解けたのか?」

「げぇ、大樹。トレーで殴る必要なくない?ってか殴らないでよ」


 涙目になった大樹に鈴が抗議すると、大樹は不思議そうな顔をして寧々たちの方を見ている。


「なんだ?また何か見えるのか?」

「ん?あぁ、別に。気にしなくていいよ。たぶん、とんでもない確率でとんでもないことが今起こっていて、これから起こる事なんだよ」

「はぁ?お前、数学の問題が分からなさ過ぎて、頭おかしくなったんじゃ?」


 鈴ががたんっと立ち上がると、満面の笑みで大樹をヘッドロックして絞り上げる。昔の大樹には、寧々たちが見えていない。


「言うに事欠いてそれ?こんな美少女に勉強を教えられて、うれしくないの?」

「えっ!ちょっと待ってよ。ウソでしょ?自分で言うの?」


 大樹がギブギブ!と叫び声を上げて、通行人や店にいる他の客に注目を浴びている。


「ん、そうだ。君たちが教えてくれたから、私も教えてあげる」


 とん、と、一人でにココアの入ったカップが、テーブルから滑り落ちて、地面に当たって砕け、中身と陶器が散った。


 視線も意識もそちらに集中すると、鈴が大樹を右腕だけでヘッドロックした状態で左手を寧々に向けている。


(精神感応を遠隔で行う?)


 寧々はそんな話を聞いたこともないし、確かに前例も存在しなかった。


(何をするつもりなんだろう?)


 そもそも…。


 亜理紗と真由は、この非常事態をいち早く察知して戦闘態勢に入っている。亜理紗と真由は、焦りを隠せなかった。


「寧々、これはちょっと想定外じゃない?真由は?」

「うん、私もやってる」


 寧々は寄り添っている亜理紗と寧々の心を感じていた。


 とっくに亜理紗も真由も、鈴の行動を制止しようと能力を発動しているのに、全く効果が出ていない。


 超A級スーパーエースクラスどころの騒ぎではない。


『過去と未来と現在が同一線上で同時に進行する場合、こういう事態が存在する』


 思考念話テレパシーまで使われると、寧々たちはもう抵抗する気もなくなった。


『私を透視られるのは、ちょっと困るから抵抗させてもらったの。だけど…大樹にはこのことを、言わないで欲しいな』


「うおりゃああああ!」


 楽しそうにヘッドロックを決め続ける鈴とは全く違う、どこか悲しそうな声が頭の中に響いている。


「ちょっと試すね」


 鈴からか、どこからか。


 外側から、内側から、強大な力が竜巻のようにぐるぐると回っていた。亜理紗と眉が寧々を抱き寄せる。


「寧々!」

「だめっ」


 反射的に寧々が、精神感応の感度を最大まで引き上げた。



―――寧々が目を開くと、大樹が真剣な顔をしてずぶ濡れのまま、寧々を抱くようにして肩を掴んでいた。


「は?」


 寧々が仰天して目を見開くと、自分がベッドに寝かされていて、上半身を起こされている状態であることに気付く。しかも両者とも半裸で。


 白い部屋ホワイトルームで、シェルが破壊されていて火薬の匂いがしている。大樹がシェルの外殻を、爆破して破壊したのだ。亜理紗と真由が互いにドライヤーを使って髪の毛を乾かしている。


 必死な顔をしている大人たちと、涼しい顔をしている亜理紗と真由を見て寧々は不安になる。


「何かあったの?」


 検査着のままで、大樹が荒い息をしていて…。


「ちょいと、すまん」


 大樹が肌蹴ている寧々の検査着を直す。もう裸も同然で服を着せられるシチュエーションに寧々が顔を真っ赤にし、それを受けて大樹も顔を赤くする。その反応は大樹も恥ずかしくなり、反射的に謝罪してしまう。


「…あ、ごめん」

「こっちもごめん。ありがとう。でもごめんね、これはこれからのヤツね」


 寧々の拳が大樹の顎を見事に打ち抜き、大樹が床の上に転がる。


「殴るから」

「殴ってから言うな!なんで君はいつもそうやって、すぐに殴る…んだ?」


 大樹が抗議しようとすると、寧々が顔を真っ赤にしてベッドにうずくまっている。大樹はその寧々の姿を見下ろすと、真由が首を傾げる。


「桃尻がかわいい?」

「橋本も、そういうこと言わないの」


 真由に聞かれて、大樹は地面に打ち付けた腰をさする。


 監視部屋の方が騒がしくなり、めぐりが手を上げていて、入り口から黒い服の集団が流れ込んで来る。


 大樹が腰に手を当てて、何かを握ろうとして検査着なことに気付き、ガラス後に亮が、こちらに向かって手を上げて「動くな」と指示を出す。


 白い部屋ホワイトルームが完全に隔離されて、出入り口の重厚な電子ロックが閉じられる。ガラスの向こうで警備兵たちが、こちらに向かって入って来ようとしているが、声は何も聞こえずに、めぐりが何か対応をしていた。


 結局のところ、能力者は信じてもらえていない。この場で唯一、大樹たちの味方をして信じてもらえそうなのは…めぐりだけだろう。


 寧々たちを後ろ手に隠しながら、大樹は身を挺してあの銃口に少女たちが晒されないようにしていた。


(この子達は守らなければ…)


 大樹はそこまで考えると、隣の部屋に置いてきた銃の存在が悔やまれる。


「深山、銃は?」

「びっくりした。なんで知ってんの?」


 寧々は、左手を閉じたり開いたりして見せる。


「全部見たんだな?」

「うん…私はP2L2に達したんだね?」

「ああ。それで僕が来た」

「めぐりは?めぐりは私をどうしようとした?」

「僕が来たんだ…僕が…」


 寧々は震える声で呟く。

 paranormal power level limit。世界に干渉して崩壊させるレベルの干渉力に到達したことを示す。

 P2L2は世界が安定して存在していられる限界許容値であり、それ以上の能力発動による世界への干渉は、摂理崩壊現象を誘発させる。物理法則が真にランダムに働きかける摂理崩壊現象は、全てのパラドックスを含有するパラドックスになり、有り体に言えば特異点が事象の地平と…。


「深山やめて、頭がおかしくなる」

「え?」


 大樹が背後の寧々を見ると、寧々は背中にちょこんと触れて思考を読んで目を回している。大樹は瞬間移動能力者テレポーターであり、その能力は今の状況、先の状況、周囲の状況、自分自身と共に転移する存在の状況を、同時に感覚的に理解して捕らえることができる。

 それだけに大樹はいくつもの思考を同時に行えるので、寧々が情報酔いを起こしていた。

 情報酔いとは…複数の思考が同時に処理されているので、それを感じ取る精神感応系統の寧々はすぐに脳がオーバーフローしてしまう。


「銃を麻痺モードにってなに?」

「あぁ、とある宇宙モノのSFに出て来るセリフだよ。亮が銃の説明をしてくれたときに、有名なセリフを一緒に言ったのが印象に残ってたんだよ。確か…総一郎氏が作った荷電粒子銃…」

「おじいちゃんの作った銃かぁ」


 寧々はふっと鼻で笑う。得体の知れない危険な研究を続けているウワサは本当だし、この間もラボを吹っ飛ばしたという話が、風に乗って流れて来たばかりだ。


「おじいちゃんなら、ここに来て抑えてくれないかな?」

「呼んだか?」


 大樹は目の前に現れた高身長で線の細い、真っ白なタキシードスーツの男に驚愕する。

 瞬間移動、空間転移の能力者。これはどちらも同じようにテレポーターと呼ばれるが、移動中に喋っていることからもう既に理解を超えていた。

 顔上半分を銀色のマスクで隠した五十代、ロマンスグレーの総一郎は、坂上グループを一代で築き上げた豪傑でもある。

 今や、産声を上げた瞬間に母親の手よりも先に、死んだ後も永遠に残る墓石までも、あなたの一生のどこかに必ずのキャッチフレーズのごとく、坂上財閥の製品に触れないときはない。


「おっし、大樹。とりあえず歯を食いしばれ」

「はい?」


(っていうかなんすか?その機動兵器的な人型のロボットに乗ってる、好敵手的な仮面は)


 大樹はそんなことを思いながら、再び顎の下方向から、鋭い痛みを感じて天井に持ち上げられた。

 初対面で強烈なインパクトのある御人で大樹が動転していると、寧々はその光景を見たまま心の中で呟いた。


 うっわ、アッパーだ。


 首が引っこ抜かれるのではないか、と思われるような見事な打撃を行った総一郎の地面から天井までのフォロースルーは、美しさすら感じさせる。


 痛いのは嫌いなんだ。


 大樹は、そんなことを考えながら意識を失った。

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