第9話

 不誠実な世界。


 大樹はここの仕組みを大雑把に理解していた。


 過去の世界を夢幻回廊書架ライブラリーから通じる、エレベーターの先に構築される。そこにはエレベーターに乗った人物の記憶やらを元に、世界を構築するために思い出したことや、無意識に覚えていることを再生することができる。


 超高精度のVR世界だと思えばいい。だが今回は少しだけ変化があった。


 前までは、いなかった過去の自分たちを観測している、政府機関の人間が紛れていた。


 そして干渉できない世界構造のはずだったが、能力を使用すれば干渉することが出来る。更にここで改変した内容は、ここから出た後も適応される。


 実際に起こっている、過去の出来事を改変できるということは、タイムパラドックスを生じさせるはずだが、未だに研究が進んでおらず、仕組みは追求中だった。


 ガーデン王国が調査依頼をした理由は、管理者としてここの構造をしっかり理解したい、との思惑があったのだろう。


 それでも大樹は保護者として、寧々たちのいなくなった方を見て心配そうな顔をして、亮はお人好しの友人に声をかける。


「戻ったか?」

「たぶん…」


 ビルに戻して、エレベーターから戻ったはずの三人を見送って大樹は、一抹の不安を覚える。


 寧々たちのおかげで、この世界に干渉するには能力が必要なことがわかった。


「つったって、あいつらがまともに言うこと聞くか?」

「昔ほどじゃないよ。めぐりが現場指揮を執って、能力犯罪者を取り締まってた時よりはまだマシだ」

「あの子ら、法律とか覚えなかったからなぁ」


(俺だって、自分のことで精一杯なのに…)


 大樹は大学で既に子供を懐柔している犯罪予備軍か、そのもののように見られていて、あまり居心地がよくなかった。


「お前がお人好しでよかった。めぐり一尉は…いつもがんばっちゃいるが、オーバーヒート気味になっても気付かないからな」

「自慢の妹だよ。愛してるから力になりたい」

「…じゃあ、協力してもらうしかないなぁ」


 鈴と過去の自分が勉強をしている様を見ても別段、特に何があったかは判別できない。


 空挺王国ガーデンから、夢幻回廊書架ライブラリーの存在意義と不誠実な世界スモールワールドの調査依頼を受けていた。


「神聖な領域で犯す事が出来ないから、他国に任せたい。んで、白羽の矢が立つわけね」

「僕が真由と知り合いだからか」

「どちらかと言うと、惑星オフィルと空挺王国ガーデンは同調政策を取ってる気がするんだよ。そもそもなんで三世代前の統治者が、この国の人なんだよ。俺はそっちの方が驚きだ」

「あぁ…」


 二人の大学生くらいの男性が、中学生の恋人が勉強をしている様をじっと見ているのは異様な光景だろうが、幸い、この世界の住人は大樹たちに気付くことはない。


 自分の過去を、こうやって他人と並んで見るのは苦痛ではないのか、と亮は思いつつも、なぜここなのか気になった。


「この場所でここを記憶していて、ここがスタート地点なのには理由でも?」

「いや、来る途中、めぐりに明日の朝食を頼まれて…クロワッサンベーカリーにしようと思ってた」

「あぁ、それで」


 亮は納得した。ここはパンとココアで有名な、少し変わったおしゃれなオープンテラスのある店だ。付近の中高生がこぞってやって来るし、女子大生もランチボックス目当てでやって来る。


 無意識に記憶されたここが、大樹の頭の中で構築されて、ここに直結したということらしい。


「腹減ってたのか?」


 そういうわけでもないんだけどね。と大樹は苦笑する。


(ダイブする前についでみたいにさ、明日の朝ごはんよろしくって言うかな?)


 めぐりに言われて、他の局員たちも驚いていたのが思い出される。めぐりはどんなに切羽詰った常態でも、日常を忘れない精神的余裕がある。


「大丈夫か?」


 亮は死に別れた仲間の姿を見て、大樹の気持ちを推し量る。


「最初は怖かったけど、今はそうでもないかな」


 何が起こるかなんてわからなかったし、これからもそうだ。超常現象、超常能力、世界の法則なんて幾分前から完全に役に立たない。全てだった偉人たちの発見した法則が、再び一部に戻った。


 良く分からないことだらけの世界の一部を、数式化しただけで全てを知ったように振舞うのはおこがましい事。


 そう言い聞かせていた。


 知らないうちに裾を掴まれていて大樹は亮を睨み付ける。


「優等生」

「読んだな?」


 サイコメトリーは可能性として、どこまで読めるのだろうか。


 物質の見た光景をその手に出来る。それを自分の間隔として知覚する。対象が生物であれば見たものや感情を知覚する。過去の記憶においても、追体験するのならば…。


「なぁ、俺の見たのって、どこまで見えるの?」

「一人でえっちなことしてたら、その瞬間までかな?知りたくねぇけど」


(あぁ、なるほど。…なんで一人限定なんだよ)


 精神感応能力者が嫌われている理由は考えなくても分かるだろう。秘密は個人の秘密であってほしいからだが…。


「俺だったら、バレてもかまわないかな」

「それ、前にも言ってたけど、亮は変態だろ。興奮すんのか?」

「しないし、それこそ見られたら困るでしょ」

「ああ、見てもらえなくなるもんな!」


 まともに取り合ってもダメだろう、と呆れる。


(どんだけ倒錯した趣味趣向なのさ)


 大樹は呆れながらじっと鈴を見る。一生懸命勉強してはいるが鈴にはそれが意味もないことになってしまう。


「殺人事件現場で彼女は行方不明になる」

「調べてくれたんだね」

「お前が喋らないからな。お前の身辺調査上、死亡した人物の関連データは、ほぼ抹消されていたし、警察関係者のデータだった彼女のデータは…」


 二人は自分を見ている視線に気付いて、大樹は左から右に、亮は右から左に視線を走らせる。視線の主を探すが見当たらない。

 亮が慎重に大樹に尋ねる。


「どっちだ?」

「わかんねぇけど。サマーキャンプは役に立った?」


 夏季短期合宿なる強制参加で戦闘行為などは叩き込まれたし、地獄の基礎体力増強訓練も受けた。


 三日でマッチョになるんですよぉ、と局員の警備部に言われたが、さすがにそれは嫌だった。

 亮は感知するなら大樹の方が得意だろうと視線の主の場所を尋ねる。


「どっちだろう?」

「いやぁ、俺にはわからん」

「そもそもここで能力パフォーマンスは使えないんじゃ?」

子供BRたちに、話をするんじゃないんだから…。まぁあの子達用に噛み砕いて説明する癖が亮にも出来てよかったけど」


 黒兎ブラック・ラビットは大樹、寧々、亜理紗、真由のチームメンバーで構成される実験部隊で、分類上は実行部隊とは命令系統が切り離されていても、正規活動部隊に登録されている。その教導を行うのは亮に一任されていて、亮は大樹に丸投げしていた。

 亮は苦労している大樹にねぎらいの声をかける。


「あの子ら、ほんとに勉強嫌いだもんな。大変そうだ」

「どうだろう。あの子達は専門用語を一個でも入れると、すっげぇ顔するだろ。メロンソーダを飲んでる間に、中身を青汁に変える悪戯やって、マンション半分無くなったときと同じ顔をする」

「え?なに。クソマジメ一辺倒なお前が、そんな愉快な悪戯すんの?」

「いや、たまに俺も反攻作戦を実行するんだぞ?」

「迎撃されて特攻作戦にならんようにな」


 余裕があるわけではない。それだけこの視線の持ち主はどこからか見ているが、どこからかは分からない状況で、二人は冷静になるために喋り続けているだけだった。


「で、実際はどうなのよ。坂上たちもちっとは成長してるだろ?二年前より」

「お前らが学校の真似事して、けんこうてちょう、なんてものを作って回してくるから一応見てるけど、坂上たちの成長曲線は一般的女子よりも、少し早いかもしれないね」

「保健体育はどうするんだ?」

「…お前は、それを聞いて楽しいのか?」


 大樹が問いに亮がマジメにふざける。


「気にならないか?女の子の成長過程を全部見れるなんて、パパ以外は知れないぜ?」

「お前は気になるのか?」

「ぜんぜん。俺は完成後でいい」


 亮の緊張がふっと抜けて、大樹も警戒心がほぐれる。亮は大樹がこちらを気遣ってくれたことを察した。


「…空気を読むって昔から言うけど、お前はたいしたもんだよ」

「精神感応能力者に言われるとは光栄だけどな」


(変な方面ばっかり敏感になっちまってまぁ…)


 亮は大樹の視野の広さは、能力所以だけではないことを理解していた。子供の面倒を見るとは、そういう力も必要になってくる。しかも自分で考えることが出来る未熟な思考は、常に視界に入れておかないと突拍子もないことをしでかすから、大樹は寧々たちをよく観察している。


 そんな大樹は今、致命的な問題を抱えている。


 寧々たちが押しに圧しまくるので、大樹の恋愛神経受容体はとっくの昔にバグっているのかもしれない、と亮は心配していた。


「チクタク、時間いっぱい」


 亮が周囲を見て駆け出して、大樹も追いかける。


(え?なんでこっちなんだ?)


 大樹は自分が感じていた視線の方向とは別方向に走り出した亮を、反射的に追いかけてしまっていた。



―――そんな二人を見て、寧々たちはしてやったり、と笑っていた。


「うまくいった?」

「うまくいったね」

「上出来、じゃないかな」


 寧々に亜理紗が嬉しそうに答えて、満足げに真由が小さくガッツポーズする。聞き分けよく帰ったフリをしていれば、大樹たちはどこかに行くだろうと予想した、三人娘はしっかりと大樹と亮が居なくなるのを待っていた。


「突撃っ」


 横断歩道を走って渡ると寧々はふと気付いた。道の真ん中で止まった寧々に、他の二人も止まる。


「あぶないよぉ?」


 危機感も何も感じない亜理紗の言葉に、真由が周囲を警戒するように周囲を見回す。


 車が走っていない。


「変なの」

「とぅ」


 寧々がまるで特定の空間だけが機能しているような、この状態に気付いたが、亜理紗はふわりと念動力で三人を浮かせる。


 寧々が驚いてスカートを抑えるのは乙女の習性で、真由は冷静に現状だけを分析する。


「だから、道の真ん中じゃ危ないよ?」

「大丈夫だよ」


 寧々は大樹に触れたときに、この世界のルールは大体理解していた。


 先ず、この世界の物質に触れることはできない。これは存在を確定する定数がこの世界と本当の世界では違うらしいからで、見たり触れたりするのは能力を使うしかない。この世界の人に接触するには、能力を待機状態アイドリングモードにしている必要がある。


 貯留なくして放出はありえないので、能力エネルギーを貯留したままの状態でなら、接触は可能であること。


 寧々が説明すると、二人がふんふん、と頷く。


 そして寧々はごくりと生唾を飲み込んで、鈴を斜め後ろから見下ろしていた。


「でっけぇ…」


 寧々が思わず口にしたのは、鈴の胸部に視線が行っていた。


「いるよね。小学生の高学年から突然急成長する人」

「まぁ、ねぇ」


 寧々は自分も成長しているが、ここまでとは、と思いつつ隣を見ると、亜理紗は余裕の表情で、真由は脅威を目の当たりにしてしまったように表情をなくしていた。


「これからが、あるかと」

「寧々、それは今言わなくていい」

「ん、でもしょうがないし?」


 寧々が苦笑する。サイコメトラーが気にしていないことを、知らないはずが無いのでわざとらしい。


「よし、鈴の心を透視るよっ!」


 鈴の後ろに回り込んで手を触れようとする。

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