第6話

 ――寧々はその唇の動きをガラス越しに読んで、スマホの画面に視線を落とした。


 薄い一枚布の検査着はピンク色で、寧々たち三人は斜めに設置されたベッドで立つとも寝るともつかない角度で寝かされている。


 黒兎のうさぎちゃん

 坂上寧々:あの二人さ、ラブいよね

 亜理紗Vオフィル:昔からそうだけど亮ってロリコン?

 橋本真由:あれはもうやってる

 坂上寧々:え?なに?なに、どゆこと?なにをやってるの?

 亜理紗Vオフィル:寧々って時折あれだよね。イモだよね。あとウブな振りするなら鼻息を荒くしないの。ガラスまで曇ってる

 坂上寧々:おいも?

 橋本真由:

 坂上寧々:真由のそれ、なんかひどい

 橋本真由:

 亜理紗Vオフィル:

 坂上寧々:あとで透視るからね!


 別に透視られたところで問題はない、亜理紗と真由が鼻で笑う。色々な劣情を覗き見た経験があるはずの寧々も、友人の妄想に何度も返り討ちに会っている、はずなのに学習しないので、亜理紗にとっては寧々の可愛い反応が見れて満足だったりもする。


 寧々はベッドの中で地団太を踏む。検査中はスマホの持ち込みを押し通したのは、あまりにも暇すぎたからだが、検査結果に影響が出るのかスピーカーのスイッチが入った。向こうの、めぐりと亮の声が聞こえるようになっている。


『もしー、寧々ちゃん。心拍数が変化してますよー?』

『何に興奮してんだ、お前は?』


 支給されたスマホを見下ろす。


 亜理紗Vオフィル:ロリコンチェックする?

 橋本真由:やっちゃえ


 二人の文字列を見て、寧々が身をよじって足をくねらせる。


「あーん、着崩れちゃう」


 ぎりぎりの太ももサービスを実行した寧々に、亮が冷めた目をして、めぐりが満面の笑みを浮かべる。


『貴女の報告書を見させてもらったけどさ、お兄ちゃんにいつもそんなことしてるでしょ』


 几帳面の鬼、大樹の千里眼は局内でも有名な詳細を一切漏らさない、緻密なレポートだったりもする。大事なところだけを呼んで欲しい部分には、付箋が貼られているので読みやすいことでも有名だが…。


「あれ?女子小学生との、ふしだらな夜のレポートで濡れた?」


 小学生とは思えない寧々の発言だった。なにが?とは聞かないのも、めぐりの悪いところだが。


『濡れるのはあなた』


 シェルのカバーが足のほうからかぶさって、ベッドが密封されると水溶液でベッドが満たされる。


「水攻めとかマニアック」


 うっとりと亜理紗がどこか楽しそうに呟き、三人のシェルが完全に水没する。


 呼吸は出来るし、視界も確保されている。


 謎液体は会話もすることができるし、暖かくも冷たくもない。水のような特性はあるものの、これが空気なのか水なのか理解できないと、真由が前に分析していた。


 液体は空気を通さないから、らしいが寧々にはよくわからない。


 意識が遠のいていく。


 この感覚はいつもある、不安と高揚感の間にあるものだった。


 眠りに落ちて行くような感覚は一抹の何か、喪失感を覚える。


 明日、もし、目が覚めなかったら?

 明日、もし、私が私ではない他の何かに変わっていたとしたら?

 明日、もし、私が人形のように動けず、それが本当の私だったら?


 無秩序な思考が乱立して押し寄せてくる。


 その本流はぶつかり合って混ざり合い、増大して霧散する。幾秒か前に記憶していたことがその直後に霧散する。収束と発散を繰り返して内側に溢れる。


 流入して来る実態のない体積が、空間と身体の輪郭に注ぎ込まれて体積が飽和する。肉体を満たした無意識と意識が内圧を高めて呼吸ができなくなる。


 眠りに落ちる瞬間、寧々はいつも不安になる。


 死を感じる。


 自分が自分ではない、何者かに支配されてしまうのではないか、と。


 ――到着した。


 亜理紗はかつん、かつん、と音が鳴る存在しない光源を反射した光沢のある石の上に立って、聳え立つ書架の中に立っていた。


 いつもと同じ場所で、いつもと違う場所。黒兎のコスチュームに、いつの間にか着替えが終わっている。


「寧々」


 後ろから亜理紗が抱き着いて、首筋に甘い息がかかる。


「つーかまーえたぁ」


 歌うような声で、発育途中のやわらい乙女の部分を持ち上げられて、寧々が「うひゃう」とくすぐったくて声が勝手に出た。


「あ、ずるい」


 真由は相変わらず声と感情に起伏を見せず、すっと近づいて来て前から寧々に抱きついて足を絡める。ニーソとニーソが擦れて、寧々がわたわたとする。


 三人が乙女の声を上げて、抱きついたり抱きつかれたりしていると、その様子をじっと見る女性が目に入った。


 不思議そうにこちらを見ているが、寧々たちは彼女の名前を知っていた。


 由香里だ。


 三人が同時にそう思う。


 高校生くらいの肌が綺麗で華奢な女性。長袖のパーカーを羽織った、少し童顔で緑色のミニスカワンピースが似合っている。


「いらっしゃい」


 澄ました綺麗な声に三人がはしゃぐのをやめる。退屈で窮屈なシェルの中から開放されて、はしゃぎ過ぎていた自分たちに反省する。


 寧々は昔から何度も会っている由香里に抱き付く。


「今日も会えたー」


(天使のおっぱいだぁ)


 寧々が顔を埋める、その柔らかく包容力のある母性すら感じさえる柔軟さに、思わず笑みがこぼれる。男子なら犯罪ものだろう。寧々は十分に堪能した上で抱き付いたまま顔を上げる。


「由香里はずっとここにるの?」

「ううん。私はここにいるし、いないからね。あなたたちもそうでしょ?」


 優しい笑みを浮かべている由香里に、寧々が小首を傾げる。そこに亜理紗が寧々の身体を引っ張る。


「こら、誰彼構わず(巨乳だからって)抱きつかないの」


 由香里から寧々を引っぺがしながら亜理紗が嗜めると、寧々は亜理紗に抱き付き、相手を変更する。


「ん」


 真由も負けじと二人に抱きついて、また三人の足が絡み合う。


 由香里からするとこの三人は何時までたっても同じで、その友情が眩しく写る。


(んー、相変わらずといいますか、難しいことはあまり考えない性質なのは、変わらないみたいですねぇ)


 由香里は胸の前でぱんっと上品に両手を合わせて音を鳴らし、三人の注目を集める。


「申し訳ありませんけど、少しだけ静かにしてくださいね」


 しーっと唇の前に手をやって、人差し指を天井に向ける。妙に艶かしくも思える唇に三人の少女が思わず無言で、その仕草を惚けるように見つめる。


(大人の女っ)


 寧々が完全に気を取られていると、書架の中を移動する気配に寧々、真由、亜理紗が気付く。


(誰かいる、なんてことは今までなかったよね)


 寧々が静かなまま視線を左右に動かすと、大樹と亮がふっと書架の間に直交する通路を歩いて進んで行く。


(あれ?どこかに何かあるのかな)


 寧々が真由と亜理紗に目配せして、書架の影から二人の姿を追いかけて覗き見る。真由が四つんばいになって書架の物陰から顔だけを出し、真由の腰に手を当てて寧々も顔を突き出し、亜理紗が寧々の両肩に手を置いて、同じように顔を向こう側へと出している。


 大樹と亮は身体の向きを変えて、どこかに消えてしまった。


 亜理紗、寧々、真由の順番で元の姿勢に戻って、亜理紗がうーん?と声を上げる。


「由香里はここに前からいるから気にしなかったけど、今まで私たちは私たちを見えていなかった、ってことでいいの?」

「人は見たいものを見るの。ここには全てが在るし、全てが同様に存在しないの。価値があるものも、同時に価値が無いものに過ぎないし、価値が無いものも本当はとても大切なものだったり、形がないから存在しない、わけでもないのよ」

「さっぱりですね」


 亜理紗がぽけーっと空を見上げる。寧々はそこで、はたと気付いた。


「愛は見えないけどあるってこと?」

「あら、素敵ですね。うふふ」

「それなら分かる!」


 寧々に由香里が賞賛して亜理紗が目を輝かせる。真由は無言でこくこく、と首が取れそうなほど何度も頷いた。喋らなくても、これだけ表情が変われば大体の考えていることは分かる。


 五年ぶりに出会ったと言うのに、変わらない由香里が行っているであろう脅威のアンチエイジングも気になる。

 その秘訣を聞き出そうと寧々が尋ねる。


「由香里は本当にそのままだねぇ。なんでそんなに綺麗なままなの?」

「まだ皆さんお若いので、お気になさらずに。そもそも私の生まれた世界では第三次世界大戦も超光速航行技術も超常能力もありませんでしたし?」

「不便そうだけど平和そうだね」


 寧々が思ったことを口にすると亜理紗と真由は少しだけ悲しそうな顔をした。


 その世界では寧々と自分たちは出会っていないのでは?


 真由はそれを尋ねようとしたが、久しぶりに会った由香里に寧々が聞きたいことがたくさんあるのか、次の質問をしてしまう。


「そうだ。久しぶりに会えて聞きたいことがあったんだけど、深山にぶつけて吸収されちゃった道具あったじゃん?金色のタマ」


 由香里は少しだけ視線を泳がせて「そうですわね」と少し上ずった声で答える。


「あれって深山の中にあるんだよね?名前が分からないから、えらい人たちは、えっと…」


 寧々が視線を真由に送と、真由と亜理紗が「なんでしたっけ」と首をかしげている。


 分からないけれど重大なもの。超常能力の力を溜めておけるタンクのような役割を果たす大事な道具を、回収して欲しいと頼まれて三人はそれに失敗した、当初、最も大事なもの。


「あぁ、そうだ」

「思い出した」

「確か…」


 三人が口々に呟き、声を揃えた。


「「「深山の珍宝」」」


 由香里は泣きたくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る