第40話 目覚め
今俺は絶対絶命の状況に一人放り出されている。
全身から力が抜け落ちていくような疲労感が俺を襲う。『ゼウスの神眼』による発動代償だ。
今にもふらついてしまいそうな中、俺の視界には化け物の姿が一つ映っている。その姿を魔族へと変えたムラサメが俺を見てニヤリと不敵な笑みを浮かべているのだ。
そう、シンがトドメを刺そうとしたその瞬間に『ゼウスの神眼』のタイムリミットが訪れ俺がこの体に戻り、一人戦闘に駆り出されてしまっていた。
「シントチガッテオマエニハナニモチカラガナイ、ジツニユカイナキブンダ。アキラメロタダノキチキュウジン」
「ぐっ……どうすれば……」
まるでヘリウムガスでも吸った後かのような気味の悪い声音で俺を嘲笑うムラサメ。
悔しいがその言葉通り、俺には何も力がなかった。シンをはじめとしたみんなが持っているような戦う力が俺にはない。
「サテ、トットトシンデモラウカ。コレデエイユウハシヌ」
「英雄も死ぬ……?」
「アア、ソウダ。マサカサイゴガコンナニアッサリイッテシマウトハナ」
俺が死ねばシンも死ぬ。ムラサメはそう言っている。
そうなれば元の世界に残されているはずの俺の体はどうなってしまうのだろうか。おそらく俺の魂はこの体に入っている以上この体が死を迎えれば死ぬのだろう。
そうなれば元の体も死に至るのだろうか。そもそも今現在俺の本当の体はどうなっているのだろう。
それになぜ奴は俺が地球から来たことを知っているんだ……?
俺の中でピンチにも関わらずまたいくつか疑問が浮かび上がってしまっていた。おそらく今俺が知る範囲で一番何か知っていそうな人物がムラサメであるため、彼の言葉一つ一つがヒントとなりうる状況。気になるワードが一つでも上がれば考え込んでしまいたくもなる。
だが、今はそんなことを呑気に考えている場合ではなかった。
「サヨナラ、エイユウ」
「くっ……そぉ!!」
その巨体をのっそのっそと動かし、ムラサメは俺の目の前で左拳を振りかざした。
シンが斬り裂き負傷した右手ではなく左手での攻撃、ムラサメにはまだダメージが残っている。
おそらく右手はもう使えないものと見ていいだろう。つまりは今ムラサメが使えるリーチは左腕のみのはず。
ならばそれを最大限に活かして逃げるしかない。その間に何か策を練る。
「チィッ……」
「うおっっ!?」
俺は体に鞭を打って全力で駆け出した。縦ではなく横に向かって。
ムラサメが振り下ろした左拳が地面を叩き、ズシンッと地震が起こるように地面が揺れる。
振動により一瞬動きを止めてしまったが、すぐに気を取り戻してムラサメの後ろに周り込むように走り出した。
「ニゲマドウカ、フフフ……ナラバイタブッテヤロウジャナイカチキュウジンヨ」
ムラサメはまた口角を上げてニヤッと笑った。
どうやら力の差による余裕でムラサメは速攻をしかけてこず、じっくりいたぶるように俺を一捻りするまでを楽しもうとしているらしい。
こちらとしてはかえって好都合だ。疲労感からなのかそれとも少し走ったからなのか、はたまた着々と迫る死の恐怖に怯える感情から来ているものなのかわからない自身の荒い呼吸を少しずつ整え、何か手段はないかと模索する。
『ゼウスの神眼』はもう使えない。シンにこの場を任せることはできない。
みんなに協力を求めることも不可能である。この空間に存在しているのは俺とムウラサメのみ。一対一でなんとかするしか方法はない。
……じゃあどうすればいい。この世界に来てから他力本願でなんとかしてきた俺にとってそれ以外の方法なんて残されているのだろうか。
冷や汗が俺の頬を伝い顎から雫となって地面へと零れていく。なんとか落ち着かせようとした心臓も再びその鼓動が早くなっているのがわかった。
「サッサトクラッテミンチニナルトイイサ。ニゲルトイウノナラドコマデニゲレルノカミセテミロ!」
「……っ!」
「ハハハハッ、ドウシタドウシタ。アタッタラシンジャウゾ?」
ムラサメは俺を弄ぶように単調な攻撃を繰り返し、俺がなんとか回避する様子を見て楽しんでいる。
ただでさえユニーク・アビリティ発動後の代償で疲弊している中右へ左へ何度も何度も回避行動を取らされてしまい、俺はすぐに限界を迎えて地面に膝を着いてしまった。
ムラサメは跪く俺を見て高笑いを上げる。
「ハァ……ハァ……ッ! う、ぐ……」
「フフッ、アハハハハハハッ。モウオワリカイ? オイオイ、ハリアイガナイジャナイカ……」
「ムラ……サメェ……!」
「ムカンケイナニンゲンヲコロスノハキガヒケルヨ。デモ、ショウガナインダ。ニクキエイユウノカラダニハイッテシマッタコトガウンノツキ。キミハモトカラコウナルウンメイダッタンダヨ」
「運命……?」
「ソウ、ウンメイ。キミガセイシンキセイリングヲテニシタノモテンガサダメタレールダッタノサ」
聞いたことのない単語がムラサメの口から飛び出した。
精神寄生リング……? 俺が右中指にはめているシルバーリングのことを言っているのだろうか。
そういえば先ほどもムラサメは俺が地球からやって来たことを知っているような口ぶりだった。
ムラサメは俺がなぜここにいるかを知っている、ということだろうか。
やはり彼は俺の貴重な情報源。こんな状況でなければ彼の言葉にもっと耳を傾けたいところだったのだが……。
「そうか、お前がこのリングを俺に……!」
「ナンダ、キガツイテイタノカ。セイカクニイウナラバソレヲオマエタチノスムセカイニオクッタノハボクデハナイ。ヒドノラガエイユウのチカラヲフウジルタメニテンソウシタモノダ」
「ヒドノラ? 誰だよヒドノラって!」
「スコシマエニシンガタオシタマオウノ……オット、ショウショウハナシスギタカ。ベツニオマエニキカセルヨウナハナシデモアルマイ」
なんとか話を乗せて聞き出そうとしたが、後ちょっとのところで聞きそびれてしまった。
『精神寄生リング』、『ヒドノラ』。何か知っていると思われるムラサメの口から飛び出した新たな二つのワード。
シンが倒した魔王の……なんだろうか。この世界では魔王は滅びたと聞いているが、ヒドノラという人物はその魔王に関係した人物であると見ていいのだろうか。
「オシャベリハココマデダ。サア、シネェ!」
「うっ……!」
再びムラサメの左拳が俺を襲う。
もう足はビクともしないほど重い。回避することは困難だ。
今度こそ万事休すである。
俺が死ねばシンも死ぬ。英雄の命は俺が預かっているのも同然だった。
もし、このまま俺がやられてしまったら英雄を失ったこの世界はどうなってしまうのだろうか。
ムラサメの言うヒドノラとかいう奴の手に落ちてしまうのだろうか。
それはダメだ。サラもレティもディアもリープも……この世界に住む人たちがこれ以上苦しむようなことがあってはいけない。
俺がこの世界で過ごしたのはたった数日だけ。その短い間でもこの世界で出会った人たちはそれぞれ個性を持ち、志を胸に抱いて生活しているような人たちばかりだということは十分わかっている。
自分の身分を捨て、一から旅に出ようと家を飛び出した者もいた。
時に間違うこともあるだろう。それでも、後から自分の行いを反省し、己に与えられた使命を果たそうとする者もいた。
例え自分の立場が危うくなろうとも、全てを投げ捨てる覚悟で仲間を助けようとする者もいた。
師に恩を返すため、自分を磨いて少しでも近づこうとする者もいた。
肉親にまで役立たずと迫害されるも、再び上を向いて世界を救うまで至った男もいた。
そんな人たちが住むこの世界が再び悪の手に落ちていいはずなどない。
まるで走馬燈のように駆け巡る思考が俺を支配していく。
ムラサメの左拳が俺に迫る。そんな僅かな時間のはずが俺には何秒にも何分にも感じられるほどゆるりと流れているかのように感じられた。今この時、俺を中心にして世界が動いているのではないだろうかと疑うほどに。
――『それだけじゃない。あの体に馴染んだということはあの体に宿る「気」ともシンクロし始めたとも考えられる。……もしかしたら使えるようになるかもしれんぞ』
『使える? 何をですか?』
『シンの「ゼウスの神眼」とは違う、お前さんだけのユニーク・アビリティを』
俺はふとこの場に放り出される前にしたゼウスのじいさんとのやり取りを思い出した。
じいさんは言った、俺には俺だけのユニーク・アビリティが扱えるかもしれないと。
ユニーク・アビリティとは人間の身体が発しているという固有の気とその人間の精神によって生まれるもの。そう聞いている。
だからシンの精神+シンの気によって生まれた『ゼウスの神眼』は俺には扱うことができない。
なら、俺の精神+シンの気はどうなのだろうか。
じいさんはこうも言っていた。俺の精神がシンの身体に馴染み始めているはずだと。
だから俺の思考がシンにも伝わり始め、逆にシンの思考も俺に伝わり始めている。
『ゼウスの神眼』がシン専用のユニーク・アビリティならば、この体で俺専用のユニーク・アビリティが生まれてもおかしくはない。あの時じいさんは俺にこう伝えたかったのだ。
そう、シンのものとは違う……俺だけのユニーク・アビリティを。
「……ッ!!」
ドクンッと心臓が跳ねたのがわかった。それと同時に半ば沸騰するように全身の体温が上昇していくのを感じる。
それはまるで自分の中から何かが呼び起こされるような、内に眠っていた芽が地上に姿を現すように表へと出ようとしているようだった。
俺はその感覚に抗うことなく、身を任せることにした。
身体から余計な力を抜き、その何かを気持ちよく表へ出してやるように、と。
――そして内から出た緑色の光が俺の左目へと吸い込まれ……。
「ンンンッ……!?」
正面から叩き込んだ左ストレート。攻撃が直撃したという手応えをムラサメは感じていた。
だが、それは叩き潰そうとしていた真が破壊される感触ではなく、何かに受け止められるような感触だった。
「ナ、ナゼダ……。ドウシテウケトメラレル?」
ムラサメの表情から先ほどまでの余裕が消え失せている。
それもそのはず、ユニーク・アビリティがなければ身体能力は大幅に低下するため魔族の姿となったムラサメの一撃を難無く受け止めることなど真にはできるはずがないからだ。
予想もしなかった出来事に困惑の感情を隠すことができていない。
「俺にもわからない。ただ……」
拳を受け止めるため、顔の前に出している両腕とそれを支える下半身に力を込める。
すると、次第にムラサメの拳は押し戻されていき、最後の一押しと言わんばかりにもう一度力を込めて前に突き出すと、その衝撃でムラサメは後ろに倒れた。
巨体が地面へと倒れ、再び地面が驚くように振動する。
「中に誰がいようと、ここに立っているのはこの世界の英雄である『
シンとは真逆である左目に灯された緑色の炎が燃え盛り、相手を威嚇するかのごとく唸りを上げた。
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