第98話 過去の言葉
――シエル視点
ラピスちゃんを部屋に運び込んでから丸一日が経った。時々うなされるだけで目を覚まさない彼女。傷が痛むのか悪夢を見ているのかわからないけど、その様子を私達は固唾を飲んで見守っていた。そして二日目の朝、ようやく彼女が目を開けた。
「ん…………」
「……ラピスちゃん!」
交代で看病していたカリンの大きな声に、ウトウトしていた私達は飛び起きた。もともとベッドも何も無い部屋だったので、寝やすいように寝袋をいくつか重ねて作った簡易ベッドに寝かされていた彼女。寝心地が良くなかったのか、ラピスちゃんは眉間にうっすらと皺を作っていた。そんな彼女を囲む私達を感情の感じられない瞳でチラリと一瞥すると、彼女は小さく口を動かした。
「……生きてるのか」
それは――普段の彼女から考えられないような、暗い呟きだった。思わず息をのむ四人。目を覚ましたら謝ろう。きっと怒っているだろうけど、何度だって謝ろう。そう思っていた決意が、彼女の放つ雰囲気で粉々に砕け散った。
『…………』
口の中がカラカラに乾く。何か言わなければいけないのに、誰も何も言えない。何を言って良いのかすらわからない。話の切っ掛けすら掴めず、ただ青ざめた顔で自分を凝視する私達が煩わしかったのか、ラピスちゃんは再び目をつむった。
「なんで助けたんだよ……。死なせてくれればよかったのに……」
その言葉を聞いた時、私達は自分の罪深さを思い知った。いつも明るくて元気で、ひたすら前向きだった彼女が死を望むほど追い詰めていた事に。瞑られた彼女の目の端に、僅かに光る物がある。それを見た私は、自分の体が細かく震えている事を自覚した。
「……ごめんなさい」
かすれそうな声でカリンがそう言うと、ラピスちゃんの目がうっすらと開かれる。
「……なんで謝るんだよ。みんなを騙してたのは俺の方だろ」
「私は……私達は……そんなの気にしてないよ。ただ、ラピスちゃんを傷つけた事に対して謝りたいだけ」
「なんで…………!」
強ばった口元がギリリと鳴る。食いしばった口が開けられ、反射的に身を起こした彼女が何事かを怒鳴ろうとしたみたいだけど、深く息を吐くと再び横になった。
「…………疲れたから一人にしてくれ」
一度強く目を閉じた彼女は呟くようにそう言うと、まだ手首までしかない腕で顔を隠した。いたたまれない気持ちになって、私達は後ろを振り返りながら部屋を後にする。このだだっ広い神殿には来たばかりだし、別にどこか行く当てがあるわけでも無いけど、とりあえず彼女の望むようにしてやりたかった。すれ違いでセレーネと顔を合わせたものの、彼女は私達の顔を一瞥すると何も言わずに部屋の中へ入っていった。
§ § §
カリン達が出ていった後、俺は子供のように頭を抱え、体をまるめながら歯を食いしばっていた。叫び出したくなるのを必死で堪える代わりに、喉の奥からうなり声が漏れた。自己嫌悪で死にたくなる。こんなに自分が情けない奴だったなんて知らなかった。嘘をついていたこと、彼女達に八つ当たりした後悔がぐるぐると頭の中を回っている。嘘がばれて逃げ出して、鬱憤晴らし気味にティアマトと戦ってみたら手も足も出ず、挙げ句に普通なら避けられたはずのブレスをまともに食らって死に損なった。生きることも死ぬこともできない半端者。
彼女達と顔を合わせるのが怖い。勇者としての務めを放り出したと糾弾されるのが怖い。なぜ先頭に立って魔王に立ち向かわないのか――そう責められる事を考えただけで、吐きそうなほど気持ちが悪くなってくる。それを防ぐために強気に出て、挙げ句に心配してくれた彼女達を傷つけてしまった。ああ……嫌だ! なんで俺はここまで弱いんだ! でも、理由ならなんとなくわかっている。どんな魔物と戦った時でも、あの魔王と戦った時でも、こんな恐怖を感じたことはないのに。これは戦いで感じる恐怖とまるで違うものだ。人対人。鍛え上げた戦闘能力など関係無く、ただ人との繋がりで起きる摩擦が何よりも怖かったんだ。
考えてみれば、子供の頃から異常な訓練を繰り返し受けて、他の子供と仲良くしたこともない。世間一般で言うところの友達付き合いすらした事がなかった俺だ。一緒に旅をした仲間は良くも悪くも大人達だったし、俺としてもそっちの方が気楽だったけど、彼等とは友達として接していたわけじゃない。俺にはそう言う普通の人が持っている人生経験が全くと言っていいほど無かった。十代後半で山の中に引きこもり、三百年以上も無駄に歳だけ取ってきた馬鹿な子供。それが俺なんだ。
「そりゃそうだよな……。ちゃんと働いた経験なんか街に出てからだけだし……。世間知らずにもほどがある……」
「何をブツブツ言っているのです?」
「!?」
いきなり話しかけられたことに驚いて、反射的に身を起こしかけたところで全身に激痛が奔った。
「ぐ……!」
「まったく、勇者とあろうものが情けない。いつまでグズグズやっているのですか?」
痛みに涙を浮かべつつ声の主を見てみると、そこにはトレイに食事を載せて佇むセレーネの姿があった。
「……見てたのか?」
「ええ。一部始終を」
頭を抱え込みたくなる。こんなところを古い知り合いに見られるなんて……! 彼女――セレーネと俺は三百年前に少し戦ったことがあった。当時男だった俺は修行のためにこの神殿へと足を運び、竜王であるティアマトに戦いを挑もうとしたんだ。しかしそれに待ったをかけたのがこのセレーネだった。今でこそ落ち着いているが当時の彼女は血気盛んで、自分達の王に戦いを挑む不遜な人間に敵意を剝きだしにしていた。そこで腕試しも兼ねて彼女と戦った結果、勝負は俺の圧勝で終わる。人間風情と見下していた存在に手も足も出なかった彼女はかなり傷ついたらしく、しばらくはその巨体を小さく縮めて落ち込んでいたものだ。その後人が――いや、竜が変わったように大人しくなったセレーネは、何を思ったか今のように人の姿でメイドの真似事を始めるようになってしまった。そんな彼女が何の用で……? 彼女は相変わらず冷たい目と感情を抱かせない声色で、俺に話しかけてくる。
「私の推測が正しければ、大方あなたの嘘がバレたことに対して糾弾されると思っていたら逆に心配され、恥ずかしさと情けなさから八つ当たりしたと言ったところですか?」
「ぐ!」
見てきたように……! って、見てたのか……。
「そうだよ。セレーネの言うとおりだ。嘘をついて傷つけたはずなのに、逆に俺の方が心配されてる。挙げ句に八つ当たりまでして……。どうしたらいいのかわからないんだよ……!」
手の無い腕をぶんぶんと振ってみても、セレーネは相変わらず表情に変化がない。
「本当に解らないのですか?」
「はは……セレーネなら解決策が思いつくのか? 人間でもないのに?」
挑発するように言ってみても、彼女はそれに乗ってくる様子がない。しかし代わりに、馬鹿にしたような声音が返ってきた。
「謝れば良いのでは? 嘘をついてごめんなさい。八つ当たりしてごめんなさいと。確かにあなたがついていた嘘は軽いものではありませんが、彼女達はそれでも必死にあなたを助けようとしていたのですよ? 心から心配して。自分のために泣いてくれる人間を、あなたは自分が怖いからと言って突き放すんですか?」
「…………」
返す言葉もない俺を、セレーネはじっと見つめている。
「昔、私を下した時にあなたに問いかけましたね。なぜ、そこまで強いのかと。人の身でティアマト様に挑むなどという無謀、死ぬのが怖くないのかと。その時あなたは何と答えました?」
ああ……思い出した。傷つき倒れた巨大なドラゴンが、俺の答えを聞いて不思議そうにしていたっけ。
「……勇者だから。勇者とは、勇気ある者。あらゆる恐怖を飲み込んで、それでも人々の先頭に立って戦うのが勇者だ。だから俺は強くなる。どんな困難にも打ち勝つ力を得るために、竜王ですら越えてみせる……そう言っていたな」
「そうです。しかし今のあなたは……見る影もありませんね」
「…………」
名を変え姿を変え、生き方すら変わってしまった俺。軽蔑したような目を向けられて思わず顔を伏せる。いや……違う。彼女は普段通りだ。ただ俺が卑屈になっているからそう感じるだけで。彼女は普段通りのはずだ。でも、顔を上げられない。何も言えなくなった俺と、何も話そうとしないセレーネ。沈黙が部屋を支配する。やがて興味がなくなったのか、セレーネはトレイを俺の側に置いて背を向けた。
「少し、頭を冷やしてきたらどうです? ティアマト様と戦うのはいつでもできるでしょう。外の空気にでも当たって、今後の身の振り方でも考えてみるのですね」
それだけ言うとセレーネとさっさと部屋を後にした。一人残された俺は、湯気の立ち上るスープをただぼうっと見つめる。考えがまとまらない。セレーネの言うとおり、謝るのが一番なんだ。それはわかっている。わかっているけど……やっぱり行動に移す気力が湧かない。無意識に食事に手を伸ばし、初めて自分の手が無い事に気がつき、ようやく自分の体を魔法で回復させたぐらいだ。
一口、二口とスープを口に運んでいくが、あまり味は感じられなかった。
「……そうだな。ちょっと外に出てみようか……」
狭い部屋に閉じ籠もっているよりはマシだろう。そう思い、俺は神殿の外へと足を向けた。
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