第97話 焦り

――ディエーリア視点


先を行くセレーネに置いて行かれないため、消耗を無視して私達は後を追いかけた。あちこち痛い上に魔力も枯渇寸前で、何も無い時なら地面だろうと何処だろうと、このまま横になって眠りたいぐらいだったけどそうもいかない。


セレーネの後に続いて通路を抜けると、私達が最初に入った広間に繋がっていた。あれだけ巨大な存在感を放っていた竜王がいないためか、ただでさえ広大な空間がより広く感じられる。それだけで何処かホッとしてしまいそうな自分に活を入れつつ、私達は広間を横切ったセレーネの後に続いた。


この神殿は似たような作りなのか、今歩いている通路がさっきの物と同じに感じられて、まるで同じ所をぐるぐる回っているような錯覚すらしかけた。でも、一歩前に進むごとに感じられる巨大な気配が大きくなるにつれ、だんだん目的地に近づいているのが実感出来た。それと共にみんなの緊張感が増してくる。私もそんな雰囲気に飲まれて、ただ黙って歩いていた。そして……信じられない光景を目にする事になる。


最初目に入ったのは竜王の大きな尻尾だ。私の故郷に生えている、樹齢何百年もある大木をそのまま横倒しにしたような尻尾は、振り回すだけで並の冒険者や魔物ぐらい軽く粉砕してしまいそうだ。ラピスちゃんはこんなのと戦うつもりなの? 焦りつつ、私はキョロキョロと視線を巡らせ、そのラピスちゃんの姿を探した。でも竜王――ティアマトの周囲に彼女の姿はない。まさか、一人で出て行ってしまった? いや、あの娘は責任感が強い。私達が嫌いになって離れるにしても、何か一言あってから別れるはずだ。


「ラピスちゃんは!? ラピスちゃんはどこにいるの!?」


少しうわずった声でそう問いかけたカリンに、ゆっくりとティアマトは首を向けた。その様子はまるで、私達の存在に今気がついたと言わんばかりだ。


「エストレヤの仲間か。奴ならそこに寝ているぞ」


彼の視線を追うように目をやると、そこには何も無い空間が広がっている――ように見えた。けど、私達は気がついた。何かが転がっている。黒く、何か焼けただれたような物体が。最初はゴミか何かと思ったけど、それが人の形をしている事に気がついた。途端、嫌な予感がして自然と足が動く。けどそんな私より素早く反応したカリンとルビアスが、その倒れている物体に駆け寄った。


「ラ、ラピスちゃん!?」

「師匠!」


慌てて駆け寄った私が目にしたのは、腕や足が千切れ、全身が焼けただれたラピスちゃんだった。なぜ彼女と解ったのかは、他の部位に比べて比較的顔だけは負傷が軽かった事。事態が飲み込めない私達は必死で声をかけたけど、彼女はピクリとも反応しない。衣服なんか跡形もなくなって、体のところどころが炭化している。


「そんな……ラピスちゃんが……」

「死んだ……?」


ルビアスの言葉に全員がビクリとする。死ぬ……? あのラピスちゃんが? どんな凶悪な魔物も魔族も敵じゃなかったラピスちゃんが? 無敵としか思えなかった彼女が? 傷ついた姿なんか一度も見た事の無かった彼女と、目の前に倒れている人物がどうしても同じに思えなくて、私は頭が混乱していた。夢だと思った。これは出来の悪い悪夢だと思った。でも、自分の体にある痛みが現実だと教えてくれる。夢で会って欲しいと願う自分を、嫌でも現実と向き合わせてしまう。夢でも何でもないんだ――そう思った瞬間、私の膝から力が抜けた。


「ラピスちゃん! ラピスちゃん起きて! 起きてよ!」

「し、師匠……師匠……」

「嘘よ……こんなの……嘘に決まってる!」


カリンは半狂乱になってラピスちゃんに縋り付き、必死で彼女に呼びかけている。ルビアスは目の前の光景が信じられないのか、いつも冷静な彼女が茫然自失だ。シエルは現実を認めたくないのか、両手で顔を覆って泣いていた。


「なんで……こんな……」


いったい何でこんな事に? 彼女と別れてから私達が合流するまでの短い時間に何があったの? ラピスちゃんはティアマトと何度も戦った経験があると言っていた。なのに無残に殺されているなんて、やっぱり私達が原因なの? 戦いに関して冷静な彼女が動揺するぐらい、私達が追い詰めてしまったの? 寒くもないのに全身が震え出す。……取り返しのつかない事をしてしまった。大事な友達を死なせ、謝る事さえできなくなってしまった。


思わず噛みしめた唇から血があふれ出す。後悔してもしきれない。普段の彼女なら、きっと今でも元気にティアマトと戦っていたはずだ。でも、私達がしでかした事で冷静さを失った状態なら、こうなっても仕方がないように思えた。なぜなら相手は竜王――ティアマトだから。神にも匹敵するドラゴンの長と戦えば、少しの油断や隙が命取りになるのは目に見えている。つまり、彼女を殺したのは私達も同然だ。


勝手に涙が溢れて視界が歪む。ごめんなさい……。ごめんなさい! 地面に突っ伏しながら心の中で必死に謝っても、それに応えてくれる人はもういない。その事実に気が狂いそうだった。


「何を泣いているのですか?」


その時、泣きわめく私達に声をかけてきた人物がいた。セレーネだ。ラピスちゃんが死んでいるというのに、彼女は普段通り冷静なまま、冷たい目で私達を見下ろしていた。セレーネにとって、ラピスちゃんの死はどうでも良い事なの? それともいくら強くても、ドラゴンにとって人間なんかどうでもいい存在なの? なんでそんなに冷静でいられるの? そんな八つ当たりな感情が心から湧き出してくる。


「なにって……! 見て解らないの!? ラピスちゃんが……! ラピスちゃんが……!」


途中から言葉にならない。でもそんな私達の様子に構う事なく、彼女は再び口を開いた。


「まるで死んでいるかのように扱っていますが、彼女はまだ生きていますよ」

「……へ?」


セレーネの言葉が理解出来ず、私達は揃ってポカンと口を開けていた。生きてる? 丸焦げになって手足もなくなった状態で? まさかと思いつつも、彼女は普通の存在じゃないことを今更ながら思い出した。慌ててラピスちゃんに駆け寄って注意深く観察すると、微かに息をしているのを示すように、僅かずつ胸が上下していることに気がついた。


「ラピスちゃん! 生きてる! 生きてるよ!」

「本当だ! は、早く手当を!」

「確かポーションが……! みんなも何か持ってないの!?」


ラピスちゃんが生きていた事実に抱き合って喜んでる場合じゃない。私は慌てて自分の道具袋を逆さにぶちまけると、みんなにも何か無いか尋ねた。私達のパーティーは普段ラピスちゃんが回復役を務めてくれているので、ポーション自体を使う機会はないのだけど、幸い念のためと持っていたポーションが人数分見つかった。蓋を開けるのももどかしく、私達は焦りながらポーションの中身を全てラピスちゃんに振りかける。途端に彼女の体が淡い光を放って治癒しようとしたみたいだけど……あまり変化は感じられなかった。


「な、なんで!? なんでよ!?」

「そうか……このポーションじゃ効果が薄いんだ……。重傷も治せる高級ポーションじゃないから……」


混乱してなんでなんでと繰り返すカリンの横で、青い顔のままルビアスがポツリと呟く。普段からラピスちゃん頼りで手を抜いていたツケが今になって表面化してしまった。でも後悔してもどうにもならない。この場にポーションが沸いて出るわけがない。その上ラピスちゃんの様子にあまり変化はみられない。このままじゃ……!


「もう! なんで私は回復魔法を使えないのよ!」


シエルが頭をかきむしりながら、半泣きになって絶叫する。彼女の気持ちはわかるけど、それは無理な相談だ。回復魔法というのは、神に仕え、厳しい修行を積んだ神官だけが使える特殊な魔法で、普通の人は余程の適性が無いと扱ったりできない。神官でも無いシエルが使えるはずがないんだ。ラピスちゃんやルビアスが珍しいんだ。


「私が!」


ルビアスが必死で回復魔法をかけるものの、彼女の魔法の威力ではポーションと大差がないのか、少し傷が治った程度だった。その内魔力が枯渇してきたのか、ルビアスが青い顔でフラフラし始める。


「くっ……! 情けない……! この程度で……」


万全の状態ならともかく、セレーネと全力の戦闘を戦い抜いた直後だ。魔法の効果も魔力も弱っているんだろう。いくら頑張っても人の魔力には限界がある。永遠に魔法を使い続けられるわけがなく、気が遠くなって倒れかけたルビアスを慌てて支える。


(ソル! 何とかできないの!?)


何か方法は無いかと思って、私は自分の中に眠るソルに思念を飛ばす。でも――


(すまんが無理だ。我の力は戦いのために存在する。神の奇跡のように、人を癒やす力はないのだ)


返ってきたのはそんな言葉だった。打つ手無し。このままじゃ本当にラピスちゃんが死んじゃう。何もできない私達は、ただ彼女の体に縋って泣くことしかできない。悲しくて悔しくて、こんなに自分が無力に感じた事なんて初めてだ。でもそんな時、私達を強引にかき分けてセレーネがラピスちゃんの隣に佇んだ。


「……?」

「落ち着きなさい。あなた達がさっき飲んだものを、もう忘れたんですか?」


みんなが涙に濡れた顔でポカンと見上げると、彼女は若干呆れ気味な口調でそう言った。


「あ!」


さっき飲んだあの謎の液体。そう言えばセレーネは特別製の回復役だと言っていた。もしかしてあれなら……! 譲って欲しいと私達が言うまでもなく、彼女はどこからともなく一つの瓶を取りだし、その中身をラピスちゃんに振りかけた。すると次の瞬間、彼女の体が劇的な変化を起こした。


「見て!」

「ラピスちゃんの傷が!」


肘の辺りで千切れ飛んでいた腕が手首まで生えてきている。太股の中程までしかなかった足も、すねのあたりまで生えていた。そして炭化していた体の大部分は元の肌色に戻り、彼女の顔は元通りの美しさを取り戻していた。


「私の薬ではこれが限界ですが、とりあえずこれで命の危機は脱しました。後は目が覚めた彼女自身の魔法で治癒すると良いでしょう」


淡々と、何でもないことのように言われても、私達はしばらくポカンとしたままだった。でも、ジワジワと嬉しさがこみ上げてくる。それと同時に視界が歪み、涙が溢れてきているのが解った。


「よかった……よかったよ……」

「死んじゃうかと思った……。本当に……」

「師匠……」


みんな嬉し泣きしている。人の事は言えないけど酷い顔だ。でも良いんだ。今はそんな事全然気にならない。だって大事な人が生きていてくれたから。そっとラピスちゃんの顔を覗き込む。まだ意識は戻らないし、時々うなされているみたいだけど、セレーネの言うように命の危険はないみたいだ。


「とりあえず、いつまでもそのまま寝かせておくのもなんですし、さっきの部屋をそのまま使うと良いでしょう。後で食事も持って行ってあげます。さあ、いつまでもそこにいるとティアマト様のご迷惑になりますよ。さっさと動きなさい」


そう言えばそうだった。ラピスちゃんの事で頭がいっぱいで、側に竜王がいたことなんてすっかり忘れていた。彼は私達の焦りようが面白かったのか、その巨大な瞳で私達を見下ろしていただけだ。シエルの魔法でラピスちゃんを宙に浮かせ、私達は慌てて今来た道を引き返して行く。あとはラピスちゃんが目覚めるのを待つだけだ。そして……彼女に謝らなきゃいけない。許してくれるかどうかわからないし、ひょっとしたら拒絶されるかも知れない。私達の顔なんか見たくないと言われるかも知れない。……正直言って怖いけど、どんな結果が出ても受け入れようと思っている。だってそれは、私達に対する罰だから。少しの不安を抱えつつ、私達は無言で部屋へと急いだ。

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