第99話 後押し

すっかり日が暮れ、当たりは夜の帳が下りている。街中ならまだまだ酒場などが賑やかな時間でも、誰も立ち入らないこの山の中は本当の真っ暗闇だ。山に住む動物達はさっさと寝入っているのか、当たりからは虫の鳴き声ぐらいしか聞こえてこない。そんな静かな闇の中で、俺は星の光に照らされながら大の字になって寝転がっていた。


(どうしてこんな事になってるんだろうな……)


頭の中で同じ考えばかりがグルグル回る。考えてもどうにもならないことなのに、それでも気持ちが抑えられない。後悔先に立たずとはよく言ったものだと感心してしまう。


「はぁ……」


何度もになるのか、数えるのも馬鹿馬鹿しいほど繰り返したため息が漏れる。つい半日前まで親しくしていた仲間達と顔を合わせづらくなるなんて、まったく予想外の展開だった。魔族との戦いが始まって世界的には不安ではあっても、少なくとも自分の周りだけは平穏を保てているつもりだった。なのにこれだ。ティアマトの不用意な一言で俺の正体が彼女達にばれ、結果、俺は一人でこんな所に寝転がっているわけだ。


ティアマトの言葉が切っ掛けだと言っても、彼のせいだとは欠片も思っていない。嘘をついていたのは俺なんだし、彼に黙っておいてくれと頼んだこともないのだから、ティアマトには全く責任がない。全て俺が悪いんだ。


(どうしようかな……)


ここに来た目的を今更ながら思い出す。これから現れるであろう強力な魔族に対抗するべく、彼女達の力を底上げするために、わざわざこんな山奥にまでやって来たはずだ。だから何もせずに帰ることはありえない。と言う事は、彼女達を鍛えていかないといけないわけだけど――


(顔を合わせづらいな)


はぁ――と、またため息が漏れる。目が覚めた時、カリン達は俺を心配してくれていた。心の底から俺の無事を喜んでくれていた。それが芝居でも嘘でもないことは、彼女達と過ごしてきた短い時間で十分理解している。それでも一歩が踏み出せない。ただ寝転んでいるだけの体が鉛のように重く感じ、指先を動かすのも億劫になってくる。


「おや? こんな所に死に損ないが寝ているぞ」


ふいに聞こえてきた声の方角に視線だけを向けると、そこには一人の優男が立っていた。白い肌に腰まで伸びた白い髪。切れ長の目とキリリとした口元。街を歩けばすれ違う女性達の中、十人中十人が振り返りそうな美形だ。そして彼の頭には立派な二本の角が生えている。知識の無い者が見れば魔族と勘違いしそうだが、魔族と彼が決定的に違うのはその雰囲気。少しも邪悪なものを感じさせず、むしろ神聖な雰囲気を醸し出している。どこぞの神官と言われても信じてしまいそうな、彼はそんな雰囲気を放つ人物だった。


「……ティアマトか。その姿を見るのも久しぶりだな」


寝転がったまま俺がそう言うと、彼は口の端だけを器用に曲げてニヤリと笑った。ティアマトはそのまま断りもせず俺の横に腰を下ろすと、どこからともなく取りだしたカップにお茶を注ぎ、一人で香りを楽しみだす。一人にして欲しいのに、ズカズカと遠慮無く人の領分に分け入ってきたティアマトに、少しイラつく。


「……何しに来たんだ?」

「なに、無様な逃亡者を笑いに来ただけだ」

「!」


逃亡者。言うまでも無く俺のことだ。この場合は勇者としてと言うより、仲間達から逃げている事を指しているんだろうけど。それでも、今まで受けたことのない侮辱に一瞬頭に血が上る。しかし俺の怒気を感じているはずのティアマトは涼しい顔のままだ。それがまた神経を逆撫でして、思わず顔を背けてしまった。そんな俺など眼中にないのか、ティアマトは穏やかな表情で話を続ける。


「随分と弱くなったものだなエストレヤよ。かつては私と互角に戦った勇者が、今や見る影もないな」

「……ほっとけよ」


ティアマトにとって、神殿内で何が起きているかなど説明されるまでもなく把握している事だろう。今日会ったばかりと言っても、彼女達と俺の関係も何となく察しているに違いない。そして、竜の巣に住むドラゴンと言えども、ティアマトは別に世間知らずではない。彼の元には人化したドラゴンや多種族が時々訪れ、世俗の情報や文物と提供することがあるからだ。俺達の態度や雰囲気から、ある程度の事情を理解しているんだろう。そのティアマトがここに来た目的は……たぶん、俺の想像通りなんだと思う。


「昔のお前は強かった。迷いというものがなかったからな。言ってみれば、戦うと言う意思の塊。人の形をとった戦いの化身。まるで戦の神ゲールが降臨したかのようだった」

「…………」

「それがどうだ? 上の空で戦いを始めたかと思ったら、ろくな反撃もできずに逃げ回り、挙げ句の果てにブレスの直撃を受けて死にかけるなど……かつてのブレイブと同一人物とは、とても思えん」


罵倒……しているつもりはないんだろう。ティアマトは淡々と事実を口にしているだけで、俺に対して悪意はない。でも今の俺にはそれを聞き流す余裕が無かった。


「うるせえな! 俺だって落ち込むこともあれば、取り乱しもするんだよ! それの何が悪い!」

「悪いなどと言っていないぞ」


激高して怒鳴りつけたと言うのに、ティアマトは少しも動揺した様子がない。相変わらず優雅にお茶を楽しんでいる。


「察するに。お前が取り乱しているのは、その姿が関係しているのではないか?」

「…………」

「黙っていてはわからんぞ。どうだ、このまま無駄に時を重ねるより、私に話してみては?」


そう言ったティアマトの目は、何か面白い玩具を見つけたと主張しているように見えた。コイツにとって俺の悩みなんて、日々の退屈を紛らわせる程度の娯楽でしかないんだろう。でも今の俺は、それに乗ってみようと思った。誰かと話したい。打ち明けてしまいたい。誰かに何かを言って欲しい。そんな気持ちがあったんだろう。俺はポツリポツリと時々つっかえながら、今まで何があったのかを話し始めた。


§ § §


「――なるほど。そのような出来事があったのか」

「…………」


俺の過ごしてきた三百年なんて、コイツにしたら瞬きほどの一瞬だろう。なのにその一瞬の間に、竜の巣では考えられないような様々な体験をしていた俺を、ティアマトはとても羨ましそうにしていた。そして話は佳境に入り、俺の嘘がバレ、彼女達との関係が微妙になった部分になると、途端に退屈そうにしはじめた。


「……だから、これからどうしようかって――」

「話せば良いだろう。仲間達と」


俺の言葉を遮るようにティアマトが口を挟む。驚いて顔を上げると、彼はつまらなそうな顔で欠伸をかみ殺していた。


「何を悩むことがある? 話す以外に選択肢がないだろう。仲直りするにせよ、決別するにせよ、話さないことには先に進まんぞ。そんな簡単な結論、とっくに出ているのだろう?」

「…………」


そう。ティアマトの言うとおり、何をするべきかなんてわかっている。ただそれを実行に移す気力や勇気がわかなかった。煮え切らない俺の態度に怒るかと思ったティアマトだったけど、彼は苦笑しながら夜空を指さす。つられて空を見上げた俺の視界には、さっきまで気がつかなかった星空が飛び込んできた。


「うわぁ……」


思わず感嘆の声が出る。さっきまで寝転んで見上げていたはずなのに、こんな美しい星空に気がつかなかったなんて、どこまで余裕が無かったんだろう。ティアマトが指さす方向には、一際明るい輝きを放つ星があった。その星の周囲はまるで、ポッカリと抉られたように何も無い夜空が続いている。誰も近寄らせず、自分こそが星々の王であると言わんばかりに。あれは星々の中で最も大きく美しい星。その名も『夜空の道しるべエストレヤ』だ。


「……三百年前。私と初めて出会った時、私はお前に言ったな。人間の枠に収まりきらない強い力を持つお前は、やがて孤立し、孤独に陥るだろうと。言うなれば夜空に浮かぶあのエストレヤのように。一際輝きはするものの、あまりに明るすぎるために、誰もが目を背けるだろうと。その時、お前はなんと応えたかな?」


昔の記憶が蘇る。強くなるために竜の巣を訪れ、ただひたすらティアマトと戦い続けた俺。その時の俺は自分の力こそが世界を救う唯一の方法だと信じ、かけられた言葉に深く考えもしないで応えていた。


「……そうだとしても構わない。たとえあの星のように孤独になろうと、俺は自分の信念を貫いてみせる」


思わず苦笑が漏れる。なんて馬鹿な強がり。今でもハッキリと当時の心境を思い出せる。口ではそんな事を言っていたのに、俺はそうなる事を恐れていたんだ。友達一人満足に作れず、人間として何か重要なものが欠けている俺は、魔王を倒せばきっと報われると信じていたんだ。もちろん、魔王を倒したところで何も解決なんかしなかった。どいつもこいつも俺の力を目当てにすり寄ってくるか、危険人物として排除しようとしてくるか。大体がこの二択だった。後は遠巻きに見て我関せずと言った者達だけ。友達なんて一人もできやしなかった。


「そんなお前にもやっと友と言える者達が現れた」

「そうだ。カリン達は俺を仲間として、友達として扱ってくれた」


嬉しかった。彼女達は孤独しかしらなかった俺に、日常というかけがえのないものを与えてくれた。一日一生懸命働いて家に帰ると、彼女達がお帰りと言ってくれるんだ。食卓を囲みながらその日のたわいもない出来事を話す。それがどんなに嬉しかったか。俺は彼女達のおかげで、ようやく一人の人間になれた気がしたんだ。


涙がこみ上げてきて、思わず膝に顔を埋める。失いたくない。彼女達に嫌われても、俺は彼女達を嫌いになれない。いつまでも友達で居て欲しいんだ。


「エストレヤよ。あの娘達も今のお前同様に思い悩んでいる。しかしこのまま無為に時間を過ごせば、近いうちにあの娘達はここを去るだろう。お前と違い、何百年も時間があるわけではないからな」

「!」


思わず息をのむ。いつまでも無条件で彼女達がここに居てくれる――俺は心の何処かでそんな甘いことを考えていた事に気づかされた。


「ならばどうするか? 答えは一つ。落ちぶれたとは言えかつての勇者なのだ。少しぐらい意地を見せてもよかろう?」

「そう……だな」


恐怖はまだ消えない。でも、唯一昔の俺と今の俺を知っているティアマトに背中を押され、俺はようやく立ち上がることができた。情けないぐらい膝が笑っている。初陣の時でさえ、ここまでビビってなかったのに。そんな自分が滑稽で、自然と笑いがこみ上げてきた。


「いい顔だ。少しはマシになったじゃないか」

「おかげさまでな。ありがとうティアマト。行ってくるよ」


俺を送り出すように、ティアマトは空のカップを掲げてみせる。ゆっくりとした足取りで俺は神殿へと引き返し、一つの部屋を目指し始めた。目的地は当然カリン達の居る部屋だ。逃げ出したくなる衝動を堪えながら、一歩、また一歩と、確実に前に進んでいった

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