第80話 酒場にて

――バンディット視点


落ち着きを取り戻したと言うか、取り戻させたというか、頭の冷えたオッサンは俺の向かいで水の入った杯を傾けている。髭があるため歳は俺より一回りぐらい上に見えるが、実際にはもっと若いのかも知れない。俺が話を促すと、オッサン――グラシーはぽつりぽつりと自分が何を不満に思って、なぜそれを酒で誤魔化していたのかを語り始めた。


グラシーは、この王都から西に向かった大きな街の出身だった。彼はそこで小さな露店を出して生計を立て、妻や子供に囲まれて、貧しいながらも幸せな家庭を築いていたらしい。しかしそんな幸せはある日突然壊される事になった。魔族軍による襲撃だ。街を壊し、人を殺し、ありとあらゆる略奪や暴行の限りを尽くした魔族達。街に住む住人全員が被害に遭ったわけでも無く、運の良い者はある程度は逃げ切ったようだが、それでも多くの人々が犠牲になった。たまたま街の外に仕入れに出ていたグラシーも、そんな生き残りの一人だったようだ。


襲撃の一報が知らされる否や、ストローム王国全土は厳戒態勢に移行して、街に入る事はともかく出る事は難しくなり、旅人や行商人の類いは仕入れ先などでの足止めを余儀なくされた。グラシーも急遽街が用意した宿泊施設に身を寄せながら、ヤキモキして街から出られる日を待っていたそうだ。そして程なく厳戒態勢は解除され、彼は自分の街へと急いで戻った。しかし――


「……俺の街は残ってたよ。でも、住んでた住民はほとんどが死んでたんだ。顔なじみの露店の親父や、いつも世話になってる隣の婆さん、俺の店を贔屓にしてくれる常連客達。そしてもちろん、俺の家族もな……!」

「…………」


吐き捨てるようにグラシーは言う。俺の想像通り、彼の家族は逃げる事も出来ずに、魔族によって命を奪われたらしい。彼の家族がどんな死に方をしたのかはわからないが、ろくでもない死に方だったのは想像に難くない。なにせ死体も残らず、その人が存在していた痕跡も綺麗さっぱり無くなっていたそうだからだ。魔物の餌にされたのか、それとも魔法の実験に使われたのか、あまり想像したくない最後だったに違いない。


茫然自失となったグラシーは、商売どころか何もする気が起きない状態で、とりあえず王都へとやって来た。彼自身が望んで王都に来たのではなく、彼のように行く当ても無い人間を、国が王都に受け入れたのがその理由だ。国は王都やその周辺に仮設住宅を建て、炊き出しをして彼等を救済しているものの、それもあまり長くは続かないと伝えられたそうだ。そこそこの大きさを誇る街一つの住民――その一割二割としても、結構な人数になってしまう。国にとって完全に難民になった彼等はお荷物でしか無く、ある程度の支援はするから、後は自分で何とかしろと放り出したいんだろう。


「冷てえなあ……」

「あんたもそう思うだろ!? どうせ国のお偉方は、俺達平民の事なんかどうなったって良いんだ!」


国にも言い分はあるだろうが、俺はどうしてもグラシーのような人間に同情してしまうし、彼が酒に逃避する気持ちも理解出来た。他人である俺がここでどんなに慰めの言葉を掛けたところで、彼にとっては薄っぺらい同情にしか感じないだろう。だからこんな場合、俺がする事は一つだけだ。


「なあグラシーさんよ。あんた、そうやって酒を飲んだくれて、悔しがってるだけで終わるつもりかい?」

「……どう言う意味だよ?」


グラシーの目が怒りに燃える。彼としても、出来る事なら今すぐ武器を取って魔族を殺しに行きたいんだろう。だが、悲しい事に彼は商人だ。金の勘定は得意でも戦える力は皆無と言って良い。それが自分でも理解出来るから、こうやって酒を飲んで憂さ晴らしするしかないんだ。だが俺はそれでも彼を挑発する。人間にとって感情は大きな原動力になる。それが怒りでも悲しみでも。人に発破を掛ける場合、それらの感情に訴えるのが一番手っ取り早い。


「どう言う意味も何も、仇を討ちたくないのかと聞いてるんだ。情けないと思わないのか?」

「お、俺だってなあ! 戦える力があるなら、とっくに武器を持って戦ってるんだよ! でも俺に戦う力なんて無い! 俺みたいな普通の人間の気持ち、あんたみたいに強い奴には解らないだろうけどよ!」


椅子が転がる勢いで立ち上がったグラシーは、俺の胸ぐらを掴み上げる。そんな彼の目をまっすぐ見ながら、俺は諭すように語りかけた。


「だったら……強くなれば良い。強くなるのに歳は関係無い。今からでも遅くないんだ。アンタにやる気があれば……だけどな」

「強く……? 俺が……今から?」

「そうだ。俺はその方法を知ってる。どんな素人でもあっと言う間に強くしてくれる場所があるんだ。アンタにその気があるんなら、その場所を教えてやってもいい。もっとも、生半可な覚悟じゃ潰れて終わりだろうけどな」


このストローム王国にはない施設。しかしこの国の隣にあり、大陸でも屈指の育成能力を誇ると言われる訓練所。あのラピス嬢が教官を務める訓練所なら、この素人であるグラシーですら短期間で強くなれるはずだ。戸惑うグラシーの胸ぐらを逆に掴み返し、俺はその目を睨み付けた。


「どうする? 俺はどっちでも構わないんだぜ? アンタがここで根性見せて家族の仇を取ろうと、現実逃避して死ぬまで飲んだくれてようとな。ただ、死んだ家族は情けなくて泣くだろうがな」

「なんだとー!?」


グラシーが全体重を乗せて俺をテーブルに押し付けた。その右拳は強く握りしめられ、俺を殴ろうと振り上げられている。給仕や他の客達が固唾を飲んで見守る中、冷静なのは俺と妹達だけだった。やがてグラシーは震える拳をゆっくりと降ろすと、突き放すように俺の胸ぐらから手を離した。


「……本当に、そこに行けば俺でも強くなれるんだな?」

「ああ。なれる。ただし、死に物狂いでやらなきゃ……いや、実際に何度か死にかけなきゃいけないだろうな」

「死ぬのが何だ。家族の仇を討てるなら、俺の命ぐらい、いくらでもくれてやる!」


そう言ったグラシーの瞳には、暗い決意の炎が宿っていた。


「そうか。じゃあ、ボルドール王国にあるスーフォアの街に迎え。そこにある訓練所は、大陸でも指折りの厳しい訓練所だ。その代わり、アンタのような素人でもいっぱしの戦士に育て上げてくれる。アンタも商売をしてたんなら多少の蓄えはあるだろうし、金が尽きないうちに行ってみると良いぜ」

「……わかった」


それきりグラシーは俺に興味をなくしたように、自分の荷物を肩に掛けると出口へと向かう。扉に手を掛け出ていく一瞬、こちらを振り返ってポツリと呟くように言った。


「……一応礼は言っとく」

「頑張れよ」


振り返りもせずに去って行くグラシーを見送ると、周囲が盛大なため息を吐いた。


「兄さん。あんな言い方して良かったんですか? あの人、本当に死ぬかも知れませんよ?」

「そうよ。焚きつけるだけ焚きつけて知らん顔するなんて、ちょっと無責任過ぎないかしら?」


妹達の言葉が耳に痛い。だが俺は開き直るように笑みを浮かべ、不味いエールを喉の奥に流し込んだ。


「ここで腐ってるよりいくらかマシだろ。生きてさえいりゃ何か楽しい事があるかも知れない。奴の家族だって、酒に溺れて野垂れ死ぬ奴の姿なんか望んでないはずだぜ」

「それはそうだろうけどさ……」


妹達に言われるまでも無く、俺は自分が正しい事をしたなんて欠片も思ってない。一人の人間を死地に向かわせただけかも知れない。勇者としてあるまじき行為かも知れない。ただ、俺はグラシーにもう一度奮い立って欲しかっただけなんだ。


「……奴みたいに人間のためにも、俺達は俺達で出来る事をやるだけだ」


魔王の打倒。最終的な目標はそこだが、まずは目の前の魔族共を排除する事から始めないとな。俺は決意を新たに、残りのエールを飲み干した。

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