第2話 ラピスとカリン

「う……」


「目が覚めた?」




俺の言葉に反応して、眠っていた行き倒れは跳ねるように飛び起きた。そして咄嗟に腰に手をやり剣を抜こうと動いたみたいだけど、その手は空を切っただけだ。緊張の色を隠す事無く俺を睨み付ける女。しかしその緊迫した雰囲気は持続しなかった。なぜなら、女の腹が凄まじい音をさせて空腹を訴えたからだ。




ぐううぅぅ~! と、まるで盛大に屁でもこいたような音を狭い小屋に響かせて、女は情けない顔でへたり込む。気まずい雰囲気が辺りを覆う。咄嗟に何か声を掛けようと口を開きかけたけど、声にならずに閉じられる。ここ何十年か人と接触しなかったのが原因なのか、こんな時どう対処して良いのか思い出せなかったんだ。すると女は一人で立ち直ったらしく、居住まいを正してペコリと頭を下げてきた。




「……助けていただいたみたいなのに、無礼な態度を取ってすみません。その……大変不躾で恐縮なんですが、パンの一欠片でもいいです。何か食べるものをいただけませんか?」


「う、うん……」




腹を空かせた人間を――まして行き倒れるような人間を見捨てるほど俺も鬼じゃない。俺は保存用に取っておいた猪肉を倉庫代わりに使っている床下の収納箱から引っ張りだし、適当にぶつ切りにしてから串を刺して、魔法の炎で炙り始めた。




小屋の中に肉の焼ける香ばしい匂いが充満していくと、ゴクリと女の喉が鳴った。体が落ち着き無く左右に揺れて、まるでお預けされた犬みたいだ。




「はいどうぞ」


「いただきます!」




差し出された串焼きを奪い取るように受け取った女は、熱々の肉を一気に頬張ると、ろくに咀嚼もしないで飲み込んでしまった。そして油に汚れる手を遠慮無く次の串焼きに伸ばして更に肉を頬張る。そんな光景を呆れながら眺めていると、全ての肉を食べて満腹になった女は、自分の指についた油を舐め取りながら、照れたように笑いかけてきた。




「いやー。ありがとう。助かりました。ここ何日かまともに食べてなかったもんだから」


「それは良いんだけど……、君、なんでこんな山奥に居たの? この周囲には街も村もないだろう?」




力の事を別にしても、何年経っても全然老けない美少女が独りで住んでいたとしたら、周囲の人間は何を思うだろう。良くて吸血鬼の類いか、悪くすれば何らかの方法で不老不死を手に入れた人間と思われるかも知れない。そんな理由がなくてもただでさえ目立つ容姿だ。人目に触れたら騒ぎになるのが確実なので、俺は山奥を――大陸でも未開と言われる土地の、更に人が居ないだろう地域を狙って住み着いたんだ。そんな場所に用がある人間が居るとも思えなかった。




「やー、それがですね。実は私、冒険者なんですけど、一気に稼ぐために強い魔物が多く居ると聞いたこの山に来たんですよ」




冒険者――俺が現役の頃にも魔物を討伐して生業にしていた連中が沢山居たな。真面目にコツコツ働くのが苦手だったり、周囲に居場所がなかったり、体を動かす事以外得意じゃない社会不適合者の事をそんな呼び方で呼んでいたはずだ。たぶんこの女もそんな類いの人間なんだろう。




「ふっ……」


「な、何ですか?」




同情するような温かな笑みを浮かべて肩を叩く俺に、女は戸惑いを浮かべている。こんな所でボッチ仲間と出会えるなんて思いもしなかった。




「気にするな。君も色々苦労してきたんだな」


「……何か激しく失礼な勘違いをされてるようであれなんですが……。と、とにかく、まずは私の話を聞いてください!」




女の名はカリン。今年で二十歳になる人間の女だ。あまり頭を使うことが得意でないカリンは、地元の就職に失敗した後、何をとち狂ったか冒険者になると言って剣を片手に家を飛び出したそうだ。もちろん彼女の両親や兄弟は必死になって止めた。当然だ。魔王が倒れたと言っても魔物がいなくなったわけじゃないし、治安の悪い所じゃ山賊だの追い剥ぎだのが常にウロウロしている。腕に自信の無い女が一人で旅をするなんて自殺行為でしかない。そんな家族や友人が居たら俺だって止める。……居ないけど。




しかしこのカリン、頭は悪くても剣の才能だけは恵まれていたらしく、ギルドに登録した直後からメキメキと頭角を現したらしい。難解なクエストを次々とこなし、そこそこ名が売れ始めた彼女は、ある日酒の席で評判の悪い冒険者と賭けをしたそうだ。賭け自体はカードか何かだったみたいだけど、問題は賭けの内容だった。酒に酔ったカリンは手持ちの有り金を全て巻き上げられた後、それを取り返そうとあるものを担保に再び勝負を挑み見事敗北。焦った彼女は借金を一気に返すために、強力な魔物が出没して危険と言われる、この未開の山中に獲物を求めて分け入ってきた――らしい。




「ふーん……。まぁ、話を聞く限りじゃ、そのカードで勝負した連中は全員がグルだろうね」


「ええ!? 本当ですか!?」


「いや、だって……そんな都合良く一人だけ負けるのは不自然だろ。気がつかなかったの?」


「言われてみれば……なんか時々目配せしながらニヤニヤしてるな……とは思ってたんですが」




気づけよ! 普通ならそんなあからさまな態度、テーブルを蹴って即乱闘ものだぞ。あまりの顛末に他人事ながら頭が痛くなってきた。若干呆れながら話を聞いていると、カリンは更に頭の痛い事を言い出した。




「それで……賭けの担保ってのは?」


「その……えっと……私の体です」




ガクリと首が落ちる。その連中は最初からそれが目的だったんだ。そうとしか考えられない。この先の流れは見なくても解る。この女は期限が来ても借金を返せず、男達に良いようにされた後、娼館にでも売られるんだろうな。




「気の毒だけど諦めなよ。なんとなく実力はわかるけど、この辺の魔物は君に狩られるほど弱くないよ」




現実を突きつけるような冷たい言葉に、カリンは黙って俯くと、肩を震わせ始めた。泣いてるのか? ……現役時代の俺だったら何も言わずに助けていたかも知れない。でも今の俺は違う。散々恩を仇で返されていい加減学習したんだ。助けを求めてきたなら別だけど、自分から関わる気は無い。




「お願いがありましゅ!」




突然顔を上げたカリンが噛みながらそう叫んだ。目は涙で濡れて鼻水を流し、顔は興奮で赤くなっている。結構可愛い顔をしているのに残念な状態だ。




「……お願い?」


「あなたは大変腕が立つ方なんでしょう? 私の手伝いをして貰えませんか!?」




なぜバレている!? おかしい。今の俺は華奢な美少女のはず。それが仮にも冒険者をやっている人間に、一目見ただけで腕が立つと断言された。まさか自覚のない内に、勇者としての力が漏れ出していたのか!? だとしたらここもすぐに住めなくなる。俺の力を利用しようと色んな奴等が大挙して押し寄せてくるはずだ。でもその前に、一体何故解ったのかを問いたださなくては。俺は緊張にゴクリと喉を鳴らした。




「……なぜ、俺の腕が立つとわかったんだ?」


「だって、こんな強力な魔物が沢山居る山中で一人暮らしをしている人が、普通なわけないじゃないですか! しかもさっき肉を焼く時無詠唱で魔法を使ってました! 熟練の魔法使いでも難しい事を日常生活で使えるなんて、そんな人が弱いはずないですよ!」




しくじった――! 勇者の力関係無かった! 漏れ出してたんじゃなくて俺が漏らしてた! 頭を抱えてうずくまる俺に、カリンは更に追撃をかける。




「それに、それだけ容姿の整った人は見たことがありません! ひょっとして貴女は、伝説の吸血鬼か何かでは!?」


「いや違うから! ちゃんとした人間だから!」




年を取らないのがちゃんとした人間かどうかはこの際置いといて、そこはキッチリ否定しないと駄目だ。後で絶対面倒なことになる。そうか、そんな愉快な勘違いをしてたから、明らかに年下な俺に敬語を使っていたのか。納得出来た。




「そうなんですか……? でも、強いことは強いんですよね? お願いです! ここで会ったのも何かの縁、助けてください!」




跪き、瞳をうるうるさせながら俺を拝むカリン。やめろ。俺は神様でも何でもないし、まだ生きてるんだ。拝むのは止めろ。




「うぅ……」




子犬のような目で見つめられて思わず視線を逸らす。ここで突き放せれば楽になると解っているのに、心の何処かで助けるべきだと何者かが大合唱しているのが聞こえてくる。……はぁ……つくづく損な性格だ。何度騙されれば懲りるのか。まぁ、だからこそ勇者なんてやってたんだろうけど……。俺は諦めたように深いため息を吐きながら、頭をポリポリと掻いた。




「……わかったよ。手伝ってやる」


「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」




渋々同意した俺の足下に縋り付いて泣き出すカリン。ウザい。今すぐ蹴り剥がしたい衝動に駆られるものの、何とか理性で抑えつつ、俺はカリンの頭を押しのける。




「それで、借金の期限はいつ?」


「一ヶ月です。ここに来るまでに一週間かかりましたから、帰りを考えると実質二週間ぐらいしかありません」




二週間……本当なら実力をつけさせて自分で狩らせた方が良いんだけど、そんな悠長なことも言ってられないぐらい時間がない。しょうがない。ここは俺が直接出張るしかないか。




「狩る魔物はどれでも良いの? 何か目標にしてる奴は?」


「それがその……ドラゴンです」




思わず目が点になる。ドラゴン? あの最強の魔物であるドラゴンを狩るつもりだったのか? カリン程度の腕前じゃ無謀を通り越して自殺行為でしかないぞ。自分でも無理だと解っているのかカリンは目を合わせようとしない。コイツ……俺が手伝うと言い出したから目標を変えたんじゃないだろうな?




「……まあいいか。乗りかかった船だから最後まで付き合うよ。出発は明日で良い?」


「は、はい! もちろん! ……ところで、貴女のお名前を聞かせてもらって良いですか?」




そう言えば名乗ってなかったな。うっかりしていた。




「俺はブレ――」




――と、そこまで言いかけたところで、慌てて口を閉じる。本名はマズい。何処で秘密が漏れるかわかったものじゃないし、偽名を使った方が無難だろう。




「んん! えーと……俺はラピス。俺の名前はラピスだ」




大事なことなので二回言いました。名前の由来は、この美しい両目からきている。宝石のような光を湛えた青く美しい瞳。それが以前見た宝石――ラピスラズリに似ていたんだ。




「ラピス……さんですね。では改めて、私はカリン。よろしくお願いします、ラピスさん!」




弾けるような笑顔で言うカリンと対照的に、俺は激しくうなだれていた。


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