勇者のやり直し~世界を救った勇者は美少女に生まれ変わる

小林誉

第1話 勇者のやり直し

ドスン――と、木の枝で胸を貫かれた猪が重い音を立てながら横倒しになった。重さにしたら二、三百キロはあるその巨体を片手で掴み上げると、俺は手慣れた手さばきで腹を割き、血抜きを始める。地面にあらかじめ掘っておいた穴にドボドボと落ちていく血を眺め、流れきったところで周囲の地面ごと魔法で凍り漬けにした。後はそれを持ち上げて、遠くに流れる川にぶん投げればお終いだ。




「よっと」




冷たい氷を素手で触ったというのに、俺の手は皮も剥がれなければ凍傷にもなっていない。当然だ。この体の強度は俺が勇者だった時と同じだし、筋力やスタミナ、魔力など、その他諸々も同水準を誇っている。魔物の攻撃を食らったところでビクともしないのに、今更氷の塊を素手で掴んだ程度じゃ傷もつかない。




「誰も見てないとは言っても……身だしなみは整えておかないとな」




魔法で空中に鏡を生み出し、自分の体に返り血がついていないか入念にチェックしていく。よし、どこにも着いてない。いつも通りの美少女だ。




俺の名はブレイブ。かつて、この世を支配しようと世界大戦を巻き起こした魔王を倒し、世界を破滅の危機から救った伝説の勇者だ。いや……勇者だった――と言うべきだろうな。俺が勇者をやっていたのは今から三百年ほど昔。この時代に生きてる人間にとって、俺の存在などおとぎ話の登場人物と変わらないはずだから。




§ § §




三百年前。世界を救った俺と仲間達――所謂勇者パーティーは、国に帰ると盛大な歓迎を受けた。王都の大通りでは何万もの人が集まる熱狂的なパレードが行われ、城では芸人や音楽家などを招いて連日の宴会だ。飲めや歌えの大宴会。奥手だったので女こそ手を出さなかったけど、連日浴びるほど高級な酒を飲んでいたっけ。その時は思ったんだ。死ぬほどの苦労が報われたんだから、これから先はずっとこんな生活が続くんだって。




でも現実はまるで違った。当初は愛想良く迎えてくれて、俺の事を勇者だの英雄だのと持ち上げた王様や貴族連中だったけど、次第にその態度はよそよそしくなっていった。当然だろう。ろくに仕事もしないで連日遠慮無く飲み食いするし、城の中を我が物顔で歩き回る。そのくせ平民の人気は自分達より圧倒的に上で、下手に文句でも言おうものなら片手でひねり潰される力の持ち主だ。連中が俺に対して出来る事と言ったら、せいぜい陰口をたたくか関わり合いになろうとしないかのどちらかだろう。




流石にそこまで連中の態度が変わったら少しは居心地が悪くなる。陰湿なイジメに嫌気が差し、俺は逃げるように城を後にして街中に住むようになった。街の住民達も当初は好意的に受け入れてくれた。握手して欲しいとか贈り物を受け取ってくれだとか、色々と世話を焼いてくれたものだ。でも、それも長続きしなかった。俺が働きもせず、国から毎月一定額の報酬が支払われている事を耳にした連中は、それが不公平だと騒ぎ始めた。俺からすればふざけた話だ。文字通り命がけの戦いを何度も何度も繰り返して世界を救ったんだから、それぐらいの待遇があっても良いじゃないかと思った。でも、そう思わない者の方が圧倒的多数だったんだ。




結局俺は街からも逃げだし、辺境の村に移り住む事になった。そこでも同じような目にあって、いい加減嫌になっていたところで、久しぶりに魔法使いに再会した。彼女は冒険してた時と比べて随分立派な身なりになっていて、少し驚かされたものだ。




ちなみに、俺のパーティーは勇者である俺、戦士、僧侶、魔法使いの構成だった。俺が最年少の十七。戦士と僧侶が四十代の男で、魔法使いが二十代前半ぐらいだったかな? 奴等はガキだった俺と違って上手く世渡りしていたさ。戦士は王国の騎士団長、僧侶は教会の大司教、魔法使いは宮廷魔法使いといった感じに。




一人で何でも出来るくせに、何かに特化した能力を持っていなかったのが災いして、俺にはどこからも声がかからなかった。いや……今から考えるともっと別の理由があったのかも知れない。世間知らずだとか、戦う事以外何も出来ないとか、強すぎて参考にならないとか。まぁ。色々あったんだろう。




それはともかく、久しぶりに再会した魔法使いは、俺の現状についてひとしきり罵倒か励ましかわからない言葉を並べた後に、驚くべき提案をしてきた。




新たな体、新たな名前を持って、人生をやり直してみないか――と。意味がわからず聞き返すと、彼女は平然とこう言った。




「私は魔王を倒した事で魔法の神髄を究めたの。その力を使えば、貴方に新しい人生を用意するぐらい朝飯前よ」




当然俺は断った。なんで俺が、そんな罪を犯して逃げ回る犯罪者みたいな真似をしないといけないのかって。でもあの女はそんな返答も予想済みだったんだろう。戦闘時と変わらず、冷静に、眉一つ動かさずに続けたんだ。




「この世界に貴方の居場所はないわ。強すぎる貴方は人の中で暮らす事は出来ない。悪い事は言わない。何処かでひっそりと静かに暮らした方が良い」




反論しようとした口は、少し動いたところで動きを止めてしまった。彼女に言われるまでも無く、俺もどこかで理解していたんだろう。この世界に俺の居場所がない事を。強すぎる力を持つために、誰にも触れられず、誰も近寄る事が出来ない。信用出来る友人も家族も作る事が出来ない俺は、一人で生きているのと何か違いがあるんだろうか――と。周囲の人々に恐れられ、厄介者扱いされるくらいなら、彼女の言うように、全く新しい人間として生きていくのも悪くない――俺はその時、なぜかそう思えた。




俺が渋々同意した途端、今までの冷静さをどこかに置き忘れたかのように、魔法使いは嬉々として自慢の魔導書をテーブルに開く。これは魔王が持っていたものなのに、いつの間にかコイツが持ち帰っていたんだ。中に何が書かれているのか俺にはわからない。古代語の読み書きなどちんぷんかんぷんだし、魔王の所持していた魔導書なんて、どうせろくな事が書かれていないに決まっている。




「この魔導書の中に面白い記述を発見してね。人の姿を作り替えて、全く別の人間として生まれ変わらせると言う魔法があったのよ。すぐに試してみたかったんだけど、流石にそこら辺を歩いている人を無差別に生まれ変わらせるなんて出来ないでしょ? 誰か居ないか必死で探してた時に、貴方の事を思い出したの」




つまり何か? コイツが今まで語っていた、強すぎる力――とか、ひっそり暮らせ――とか言うもっともらしい理由は、ただ俺をその気にさせて魔法の実験をしたかっただけなのか? 何を考えているんだと文句を言いたくなったけど、すぐにそれは諦めた。コイツは昔からこうだ。他人の生き死にや世界の運命とかにはまるで興味がないのに、自分の魔法の研究や実験には人が変わったように積極的になる。今更俺が文句を言ったところで止まるとも思えない。それに、新しい人生ってものに興味があるのは事実なんだから。




「何か希望はある? 出来るだけ貴方の要望に近づけてみせるわ」


「そうだな……」




どんな人生が良いだろうか? 剣と魔法の修行に明け暮れた幼年期、ひたすら魔物と殺し合いを繰り返していた少年期、他人に疎まれ、邪魔者扱いされた青年期……思えばろくな人生じゃなかった。新しくやり直せるなら、そんなものとは無縁の生活を送りたい。




「決めた。今と真逆の人生を送りたい。もう切った張ったは懲り懲りだ。平穏に、誰にも邪魔される事無く過ごせる人間になりたい」


「わかったわ。今とは真逆ね!」




魔導書に浮かぶ文字を指でなぞり、次第に魔力を高めていく魔法使い。こっちの話をちゃんと聞いていたのか不安になった時、周囲が真っ白くなるほど明るくなったかと思ったら、同時に膨大な魔力が俺の体に流れ込んできた。




「熱い!」




自分の体が自分の物じゃないみたいだ。




「熱い!」




細胞の一つ一つが入れ替わっているような、どうしようもない不安に襲われる。このまま自分は消えてしまうんじゃないかと、必死になって自我を保つ。




「熱い!」




全身の骨がきしみ、手足が縮んでいるのが実感できる。髪が伸び、歯が生え替わる。




「あああぁぁ!」




眼球が沸騰するほど熱を持ったかと思ったら、今まで流した事もないほど涙が自然と溢れてくる。喉から漏れる叫び声が次第に変化し、徐々に甲高いものへと変わっていくのが自覚できた。全身を襲う激痛に体を丸め床を芋虫のようにのたうつ。勇者と呼ばれた男のなんと情けない姿だろう。でも、その時の俺には体面を気にする余裕など欠片も無かった。




一体どれだけ時間が経っただろう? 気がつけば、俺は大の字になって床に寝ていた。窓から見える外の景色はすっかり夜だ。慌てて体を起こしてみると、掛けられてあったらしい毛布がハラリと落ちる。それを拾おうとした俺は、すぐ違和感に気がついた。




「なんだ……?」




手が短い。オマケに細い。筋骨隆々とは言わないまでも、鍛え上げられた俺の腕はこんなに細くなかったはずだ。これではまるで女の腕――と、そこまで考えて、慌てて鏡を確認すると、そこには絶世の美少女が裸身を晒していた。




「…………」




滑らかな金の髪は、月明かりを反射して神秘的な輝きを放っている。宝石など霞むような煌めきを湛える青い瞳は意志の強さを伝えるようにキリリとつり上がり、薄く形の良い唇は俺の動揺を現すようにワナワナと震えていた。視線を下に移動させると、そこにはそこそこの大きさを誇る形の良い胸とくびれた腰、そして股間にはあるはずの物がついていなかった。




「女……? どこからどう見ても女だよな……」




歳は十五、六ぐらいに見える。城の晩餐会でもこれほどの美少女はお目にかかった事がない。これが他人なら俺も心奪われていたかも知れないが、生憎と鏡に映る姿は自分の物らしい。混乱しつつ魔法使いの姿を探したが、アイツの姿は影も形もなかった。その代わり、机の上には一つのメモが残されていた。




『貴方のお望み通り真逆の人生を用意したわ。強靱な体とは正反対の華奢な体。嫌われ者の貴方と正反対の、誰からも好かれる容姿。男の反対は女。全部貴方の注文通り。ただ一つ手違いがあったんだけど、どうやらこの魔法、姿を変えるだけで持っていた強さや能力は変えられないみたいなのよ。でも良いわよね? そこまで姿が変わったんだから、観念して女の子としての人生を歩みなさい』




メモを持つ手がワナワナと震えている。百歩譲って姿が変わるのは良い。性別まで変わってしまえば、誰も俺だと気がつかないはずだ。しかし強さがそのままなら今までと一体何が違う!? 厄介者扱いされるのが若い男から女に変わっただけで、今までと大差が無いだろうが! アイツは一体何を考えてんだ!?




絶対やり直させてやる――そう勢い込んで家を飛び出した俺だったが、結局魔法使いの姿を見つける事は出来なかった。どうやらアイツは腰掛けで宮廷魔法使いをやっていたらしく、とっくに城を出て行方知らずになっていた。アイツが使っていた魔法の中に転移の魔法という便利な物がある。ある地点からある地点まで瞬時に移動できる便利な魔法だ。それを使って移動する限り、俺にアイツを捕まえる事などほぼ不可能。立ち寄りそうな所にも心当たりがないので事実上の詰みだ。




絶望した俺はしばらく引きこもった後、意を決して住み慣れた村を後にした。どこかの山でひっそりと田畑を耕し、人目につかない生活をしようと決めて。それが今から三百年ほど前。どうやらこの体は老ける事もないらしく、依然として少女の姿を保っていた。




最初は戸惑ったこの姿も、今となってはお気に入りだ。女装の趣味は無いものの、本物の女になったのだから容姿を気にしても、誰も文句は言えないはず。何より俺は可愛いものや美しい物が好きなので、この姿になった事に後悔はない。




§ § §




川で血を洗い流しつつ肉を冷やす。これで肉の物持ちが随分違ってくる。内臓は堆肥に混ぜて発酵させてから畑に使う予定だ。少し小腹が空いたので、ちぎった肉を木の棒で作った串に刺して炎の魔法で炙る。甘味がないのでおやつと言ったらもっぱらこれだった。いくつか作ってパクついていると、不意にガサリと後ろで音がした。魔物程度なら不意打ちされたところでどうって事は無いのでゆっくり振り向くと、そこにはボロボロの姿をした一人の女が、剣を杖代わりにして立っていた。




警戒しつつも肉を食べる事は止めない。女の視線は俺ではなく、口に運ばれる肉をずっと追尾しているようだ。




「お……お腹……空いた……」




それだけ言うと女は力尽きたようにパタリと倒れる。そんな女を眺めつつ、俺は残りの肉を綺麗に平らげた。


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