第4話 シキサイの魔女(しきさいのまじょ)
「僕らは、『死』だ」
「それを刻み、残していくのが――――僕らの生まれた意味なんだよ」
そう、私の中の誰かが言った。
だからきっとそうなのだろうと、僕も思った。
――――
ごきり。プラモデルを無理やり圧し折ったかのような、不愉快な音が響く。
付随する悲鳴と、濁音。
ギリギリと歯軋りが漏れるのは、自分の中にある感情を僕が制御しきれていないからだ。
「嗚呼……苛つく」
僕の声で、僕のものではない台詞を吐いたのは、【あかいろ】だ。
彼は特に乱暴で、時折僕にすら敵意を向けてくるほどの短気なのだけれど、幸いながら標的は目の前に縛られているよく知らない人だ。
多分、【あおいろ】が連れてきたんだと思う。
僕が椅子から立ち上がるときに、視界がうっすらと青色に変化していたことから、少なくとも僕を動かしていたのは【あおいろ】で間違いない。
でも、【あおいろ】がそんな突飛な行動を考えなしに取るはずもないから、指示自体は【しろいろ】が出していたんだろう。
態々話しかけられない限り、彼等の会話を僕には聞くすべがないから、このよく知らない――――外見からして中年の男性だ――――人が何をしたのかも僕は知らなかった。
「あまりソイツを壊すなよ。まだ使いみちがあるんだ」
どこか咎めるような口調で【あおいろ】が言う。
彼が僕を使う時、どことなく全身に倦怠感が伸し掛かるから、きっと面倒なことが嫌いで、効率的にさっさと済ませたいと考えているのだと思う。
「後でなら構わないが、今は少々拙いね」
「【あか】。キミも分かっているだろう? なら、少しだけ我慢してはくれないか」
これは【しろいろ】の台詞だ。僕の喉から発せられているはずなのに、どこかゆったりとした雰囲気を纏っているのは何故なのだろう。
人間の体というのは不思議なものだ。そして僕も、わからないままとりあえず頷いておく。
基本的に【しろいろ】の意見を無視して良いことが起きたことはない。
【あかいろ】もそれを分かっているのか、舌打ちをして奥の方に引っ込んだような感覚がする。
「それで、この人は誰なの?」
これは僕だ。
年齢としての平均よりはやや高い、ソプラノには届かない程度のアルト。
疑問を呈するのと同時に小首を傾げれば、大体の大人は答えてくれる。
まぁ、彼らには通じないのは知っているけれと。
「俺たちの殺さなくちゃいけないリストの下から六番目だよ」
僕の疑問には、面倒くさそうにしながらも【あお】が答えてくれる。
【しろ】に話させると口数が倍以上になるから効率が悪いと考えてるのかもしれない。
確かに、【しろ】の話し方は僕や【あお】と違って遠回りなことが多い。
加えてなんだか難しい言葉を使うから、僕だと完全に理解するまで時間がかかるのだ。
【しろ】が喋れば当然【あお】も疲れる。当然僕も疲れるので、理由がわかったのなら問題ない。
「ええっと……下から六番目……」
僕たちのリストとは、丁度そばに置いてある鞄にしまってある一冊のノートのことだ。
チャックを開けて、取り出したのは古ぼけた一冊のノート。なんの変哲もない、どこにでも売ってそうな平凡なものだ。
数年前に買ってもらってから、何度も書き込んでいるためにページはそろそろ終わりに向かっている。
パラパラとめくっていくと、一番新しい文字が書き込まれているページに辿り着く。
下から六番目―――――【あお】の言った場所に書いてあった名前と、目の前に視える名前を合わせると、文字列がピタリと一致した。
【
それが切っ掛けだったのか、ノートの先程までは名前しか書かれていなかった部分に、僕たちがしなくてはならない
「マジかよ……こういう【全身に~】系はダリィんだよな……」
【あお】がぼやく。
全身に裂傷を刻む、ということは。それまで彼を生かしておかなくてはならないということでもある。
即ち、全身に傷を付ける前に死なないよう最新の注意を払わなくてはならない。
【あお】でなくとも、面倒だなと思う。
僕だってそうだ。とても疲れる。
「でも、やらなくっちゃ」
力を入れる。こういうときに頼りになるのが【むらさき】だ。
【むらさき】に出てきてもらうときは、むむむ……と念じなくてはならない。
彼はねぼすけなので、僕たちが起こさないと起きてきてくれないのだ。
「【むらさき】、お願い」
「…………」
ぱちくり。瞳が僕の意思を無視して動く。
彼は無口だから、僕の言葉にも反応を返さない。
でも、やってほしいことはしてくれる。
こういうのを『仕事人』というのだろう。
僕も見習いたいものだ。
『鬆シ繧縺九i蜉ゥ縺代※縺上ェ!』
男性が悲鳴に混じって何かを喋っているのだけれど、僕にはなぜか人の言葉として聞き取ることができなかった。
だから、「大丈夫ですよ」と笑顔を意識的に浮かべて声をかけてみるものの、男性の目が見開かれ、怯えるばかりで意味がない。
「大丈夫ですから、ほら―――――」
****
――――俺は、どこで間違えたんだろう。
縛られた身体を必死に動かそうとしながら、ぼんやりとした頭で考える。
切っ掛けは些細なことだった。俺の研究に興味を示したなんていう奇特なヤツが居たから、少し話をした。
要は、人間の持つポテンシャルを引き出すにはどうしたら良いか。なんて他愛もない空想の話で、当時大学に居た俺の研究課題としては――――落第も良いところだろう。
人間の持つポテンシャルを引き出すには、まずそれを測る必要がある。測る必要があるということは、人を対象にして実験を行うということだ。
いくら人間で溢れているこの現代でも、一介の学生に人体実験を許容できるほど、倫理観は狂っちゃあ居ない。
最初の方はなんとなく気になって初めた個人的な趣味だったのだが、そういった事情で大学に派手に怒られて以来手を付けるのは辞めていた。
だってそうだろう? 折角卒業までこぎつけられそうだというのに、くだらないプライドなんかで単位を捨てられない。
それなりに良いところの大学であるという自覚もあり、ぶっちゃけ学費をもう一年捻出する余裕なんてのもなかったのが大きな理由だ。
馬鹿馬鹿しい。誰もがそう言った。
――――人間のポテンシャルを最大まで利用するには、それぞれを司る人格を作ればいい。
言うだけなら簡単で、行うのはほぼ不可能なまでに使い古された理論だ。
人間という存在が持つリソースを最大限に利用するために、それ専用の処理機能を取り付ければいいだけならば、人間は機械と同じになってしまう。
少し運動機能が足りないから、それ専用の人格を生成する。百歩譲ってこんな事ができたとしよう。
だが、それは果たして自分と言えるのか? 果たして、自分の体だと認識できるのか?
加えて、自分は自分だという確信があり、専用のパーツとして人格を埋め込んだとしても、肉体が伴わなければ意味がない。
人間とは、そこまで流動的にできてはいないのだ。
だから、これは夢想のハズだった。
けれど、それが叶ってしまった。
その結果が今、俺をここに縛り付けている要因なのだ。
「
体の内側から、砕けるような音が聞こえる。
思考が痛みで鈍る。つい漏れ出した嗚咽は悲鳴とも似つかない濁ったもので、俺を見る少女の眼は酷く鈍い緋色をしていた。
ギラリと眼光鋭く、左目の蒼眼で面倒そうに此方を見やると、自身に語りかけるように何かを呟く。
そして、白髪を指先で撫でながら穏やかな表情を取り繕ったそれは、身振り手振りを用いて何かを喋っている。
異常だった。
目の色が違うのはいい。オッドアイという可能性や、カラーコンタクトによる演出だとも考えられる。
白髪なこともそうだ。ウィッグか、精神的なストレスによるものか。もしくは薬品によって染めているのかもしれない。
頭だけならば、それでも良かった。
見なければいい。見さえしなければ。それを確認さえしなければ、俺はただ気の狂った人間に殺されるのだと確信できる。
見るな。見るな。
頭を、視線を向けなければいい。アイツの顔以外を見るな。
その下にあるであろう不自然に変容する身体を、見てはならない。
さっきから聞こえているんだ。
水音のような、何かが這いずり回るような不愉快な音と、何かが砕けるような音が。
『
――――――俺は今から殺されるのだ。と理解した
俺は、早期にあの計画からは手を引いたはずだ。
証拠はすべて破棄したし、名前も顔も、身長だって変えた。
当時の俺を示すものはもうどこにもない。
あるとすればかつての研究所跡地くらいだが、あそこはもう既に事故で跡形もなくなってる。
「なぁ、頼む! 俺はあの計画には関わってないんだ!」
だから助けてくれ。
「今の俺には家族が、家族がいるんだよ!」
「家のローンだってまだ残ってるんだ。車だって最近新車に替えたばかりで―――――」
矢継ぎ早に喋る俺に驚いたのか、喉の調子を整えるように咳払いを二度繰り返すと、その艷やかな唇は俺にも理解できる言語を紡ぎ出す。
『大丈夫ですから、ほら―――――』
『―――――――――すぐにまざって、どうでも良くなりますよ』
確かにそうだ。
少女の揺れている瞳を視ているふと、そう私は思う。
痛みなど、些細な感情に過ぎない。
それを制御できさえすれば、こんなもの―――――どうでもいいことだ。と
****
色は混ざる。何色にだって。
ウィッチ・ウィズ・アス 水沢 士道 @sido_mizusawa
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