第四章
第16話
薄らと視界が明るくなっていき、勇人の意識は覚醒した。白い天井は見覚えがある。いつぞや倒れたときも学校の保健室に運ばれたのだ。ただ、そのときと違うのは、覗き込んでいるのがソフィアではなく、どちらかといえば犬猿の仲であるエレナだった。
「目が覚めたのね」
ぶっきらぼうにエレナは言う。親しい間柄ではないとはいえ、どうやら目覚めるまでは傍にいてくれたようだ。
「学校は無事か?」
「ええ。眠らしたときの転倒で何名かは軽い怪我を負ったみたいだけど、大きな被害は出てないわ。それでも騒動になることは避けられなかったようね」
人的被害を回避することができたとはいえ、集団昏倒したとはなれば騒動は避けられないことだろう。
「今日は午後から臨時休校よ」
「そうか。とりあえずは急場は凌げたか」
「そう言う割には浮かない顔ね」
精一杯取り繕ってみたが、さすがに共通する時間がそれなりにあると、感情の機微を見抜かれてしまうらしい。
「落ち着いてきいてくれ。ソフィアがゲルギオス側に寝返った」
勇人の告白にエレナは答えない。動揺しすぎて言葉にできないのかもしれない。そんなエレナに悔恨の念を覚えながら勇人は続ける。
「俺の力不足だった。俺がもっと強ければあいつが連れていかれてしまうのを阻止できたのに……。説得できたかもしれないのに……」
自責の念に駆られる勇人。ソフィアにどんな思惑があったにせよ、もし己にもう少し魔素があったならば、また状況は変わっていたかもしれないのだ。一矢報いることすらできずに、あまつさえソフィアが連れていかれてしまったことは悔やんでも悔やみきれない。
「……お前は本当に女帝様が自ら望んで付いていったと思っているのか?」
エレナの声がわずかに怒気を孕む。怒りを抱くこと自体は勇人にも理解できた。忠義を尽くしていた相手に裏切られたのだ。怒りの感情を抱くのも無理はない。しかし、勇人はひとつ疑問に思うことがあった。その怒りはゲルギオスではなく――自分に向けられていると感じたからだ。
「どういうことだ?」
見当もつかない勇人は首を傾げる。
その様子にエレナは呆れたようにため息を吐いた。
「その様子だと、本当に気付いていないみたいね」
いったいなんのことを言っているのだろうか。勇人が頭に疑問符を浮かべていると、エレナが懐からおもむろになにかを取り出した。
「これ、女帝様からお前に渡すようお願いされた。『あたしにもしものときがあったら』ってね。……本来なら不本意よ、全く」
気に入らないから早く受け取ってくれと目で訴えかけてくる。エレナが手にしているものはよく見てみると、それはソフィアがいつも使っているスマートフォンだった。どうしてソフィアのスマートフォンをエレナが持っているのだろうか。
そんな勇人の疑問に構わず、業を煮やしたエレナがスマートフォンを勇人も手の中に押し付ける。
「ソフィアはどうしてこれを俺に?」
自身の手の中にあるスマートフォンをまじまじと見つめながらエレナに問う。
「前に女帝様が好きだって言っていたゲームソフトの名前は覚えてるわよね?」
「ああ、確か――勇者と魔王――だったな」
「そのゲームがアプリだったときの女帝様のレビューを見てみなさい」
は? と喉まで出かかった言葉を寸前で呑み込む。アプリのレビューが今の状況にどう関係しているというのか。
「ロックはすでに外してあるようだから、操作できるわ」
勇人は不思議に思いながらも、ソフィアのスマートフォンを操作する。見覚えのあるアプリからストアを開いて、件のアプリのレビューを開く。
「レビューを見るって言ったって、ソフィアがどんな名前で書き込んでいるか分からなくないか」
「だから書き込んだ本人のスマートフォンで見ているんでしょ」
言われてみればそうだ。本人のスマートフォンであるなら、当然使っているアカウントも本人のものだ。だとすれば、ソフィアが書いたレビューを見つけるのもそう難しいことではないだろう。
「これか」
しばらく操作してソフィアが書き込んだレビューを見つける。投稿者名は――通りすがりの魔王――となんとも安直なネーミングである。そんな間の抜けるような名前で気が抜けそうになった勇人だが、肝心のレビューの中身を見て顔を強張らせた。
――勇者様、私を助けてください。
たった一文。他のレビューが数行である中であまりに異質で、それでいて他のレビューには決していない重さが詰まったもの。それはあまりに鮮烈だった。
「女帝様が魔王の地位に就くまで、いったいどこにいたか。貴様は知らないだろう?」
沈黙するしかなかった。勇人はその問いに対する答えを持ち合わせていなかったからだ。そもそも、勇者が悪側の事情を知ろうとするわけがないのだ。答えられるはずがない。
それなのに、さきほど見た少女との一時の記憶の夢が鮮明になっていって仕方ないのだ。
「女帝様は長い間、外の世界にいた。先代の魔王の娘として生を受けてしまったがために、生まれる前から運命を決定付けられてしまった。それを不憫に思った母親が幼い女帝様を連れて外界に逃げ出した。それでも結局逃げ果せることは叶わず、女帝様は次代の魔王として君臨した」
エレナの口から語れるのは、ソフィアが辿ってきた足跡(そくせき)だ。それを聞いて勇人の中で色褪せてしまっていた大切な記憶が蘇っていく。ある少女と過ごした記憶が彩を取り戻していく。
どこかで聞いたことのある境遇ではなかったか。
どこかで会った誰がそんなことを言っていなかったか。
一連のソフィアの行動を説明できる解をすでに自分は持っているのではないか。
あのときの少女は――ソフィアではなかったか。
「……そうか。どうして今まで忘れてしまっていたんだ」
大切なこと、決して忘れていけなかったことを思い出した勇人――いや、勇者は、ぽつりと言葉を零す。
「あのとき、初めて出会ったとき、俺はあいつ――ソフィアと約束したんだ」
――だったら、俺が守ってやるよ。
かつて己が放った言葉とそのときの幼いソフィアの笑顔が反芻する。
「無責任だよな、本当に」
なにが勇者だ。
なにが守ってみせるだ。
本当にソフィアが助けてほしいと思っていたときになにもしてあげられなかった。
そのうえ、ソフィアの前で『戦わずに済むのなら、そのほうがいい』などとよく言えたものだ。本当に争いを忌避し、それどころか誰かを助けたいと思っていたのはソフィアのほうだったいうのに。そんなソフィアの前で口にするなど、あまりに無神経だ。
「ホントにそうよ。無責任よ。本来ならぶん殴ってやりたいところ……だけど、勇人――いえ、勇者」
勇人を睨み付けながらも、エレナは責め立てるようなことはしない。今この場にゲルギオスからソフィアを連れ戻すことができるのが勇人だけだと分かっているからだ。
「悔しいけど、私じゃ束になったとしてもゲルギオスには敵わない。私よりも勇人のほうが太刀打ちできるはずよ」
そのとき勇人は初めてエレナが自分のことを名前で呼んでくれたことに気付いた。エレナ自身、本当に、心の底からソフィアを救ってほしいと願っているのだ。
「……俺でいいのか?」
「女帝様はきっと……勇人に助けにきてもらうことを望んでいると思う」
救い出したいという思いはエレナも同じだ。
「しかし、ソフィアも救い出すにしても、いったいどこにいるんだ」
今回のソフィアの行動について、勇人は一切聞かされていない。十五年生きた程度の土地勘ではせいぜい地元の周辺ぐらいが限度だろう。
「女帝様のスマートフォンに他になにか残ってない?」
そう言ってエレナがソフィアのスマートフォンの中を探るように促してくる。これ以上本人のいないところでプライベートに踏み込むのは気が引けるが、少しでも情報が欲しいのも事実だ。とりあえず申し訳ないと思いつつ、目に付いたメールボックスを開いてみることにした。
「これは……」
少し後ろめたい気持ちでソフィアのメールボックスを開いてみると、そんな気持ちも吹き飛ぶような文面のメールが飛び込んできた。
――大切なものを守りたければ、オレのもとに来い。
差出人は不明だか、いったい誰からのメールなのかは火を見るよりも明らかだ。
「……こんな手を使ってくるなんて」
どうしてソフィアがゲルギオスに付いていったのか、ようやっと理解した。誰かを守りたいを願った少女が苦渋の決断で導き出した答えがあの行動だったのだ。それを裏切ったなどと、知らなかったとはいえ、口が裂けても言ってはいけないことだった。
覗き込んで同じものを見たエレナは苦痛に顔を歪ませる。
「もっと早く私が気付いていたら……」
悔しさを抑えきれず、零れた一滴がエレナの頬を伝った。
「くそっ。どこに行ったか手掛かりさえあれば……!」
なにか居場所を特定する取っ掛かりになるようなものはないか。勇人は必死にこれまで記憶を手当たり次第に掘り起こす。
「そういえば……」
ふと脳裏をよぎる。調査のためにあえてゲルギオスが仕掛けた罠に触れたときのことだ。あのとき、学校ではないどこかに自分の意識は移動していた。それだけならこうも気にはならなかっただろう。同時にゲルギオスが口にした一言さえなければ。
確かあのとき、あの男はこう言っていたはずだ。
――オレのもとに意識を飛ばさしてもらった、と。
「もしかして、女帝様の居場所が分かりそうなの?」
考えに耽っている勇人の横顔を見て、エレナが期待を込めた視線を送ってくる。
「いや、断言できるってわけじゃないが……けど、ひとつだけ可能性がある場所に心当たりがある」
確実ではないものの、ゲルギオスがオレのもとと言っていた以上、そこに奴が身を隠している可能性は十分にある。他に一切手掛かりがない今、それに一縷の望みを託すしかない。
「とは言っても、どこにあるかは俺にも分からない。でも、奴が言っていたことも考えると、その場所を探してみる価値はあると思う」
「そういえば、女帝様からそんなことを聞かされていたわね。けど、それだけの手掛かりだけでゲルギオスの居場所を割り出せるの?」
「あとは奴の魔素の残滓を追うくらいだな」
能力の行使には魔素が不可視だ。言い換えれば、魔素を感じることができればそこにゲルギオスがいる可能性は十分にある。
「なら、私も勇人の見た広告を……」
勇人が例の広告から結果的にヒントを得たならば、エレナがそう申し出るのも納得できる話である。だが、勇人はそれを却下する。
「いや、やめておいたほうがいい」
「どうしてっ!」
ソフィアを思い、逸る気持ちが募っているのか、エレナは声を荒げてしまう。
「もし、エレナまで目を覚まさなくなってしまったらまずい。なにより、ソフィアが悲しむと思う」
ソフィアもエレナが自分を慕っていてくれているということはよく分かっているはずだ。
「俺が絶対にソフィアを連れて戻ってくる。だから、エレナはソフィアが戻る居場所でいてほしい」
またいつゲルギオスが攻撃を仕掛けてくるか分からない。ソフィアが大切なものを守るために自らを差し出したのなら、残された自分たちにはそれを守る義務がある。そのうえでソフィアを救い出すのだ。
「……ずるいわよ。女帝様を引き合いに出されたら、私が強情になれないことを知ってるくせに」
「腐っても勇者なんでね」
「まだ私が腐れ勇者って言ったこと、根に持ってるわけ?」
「ちょっとムッとしたこともあったけど……、まあ事実、ずっとソフィアのそばにいたのに、あいつの気持ちに気付いてやれなかったからな。そう言われても文句は言えない」
「勇人……」
「だから、今度こそあいつを助けてみせる」
あのとき、ソフィアと交わした約束を守るために――。
「絶対連れて帰って来なさいよ」
エレナの眼差しに勇人はこくりをうなずいた。
エレナと別れたあと、勇人は人目に付きにくい夜にこっそりと抜け出し、行動を開始した。
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