第17話

 勇人がゲルギオスの居場所にようやっと目星を付けたのは、夜に行動を開始してから数時間後のことだった。

 ソフィアのスマートフォンに飛んできたメールを見る限り、どうやらソフィアの両親はどちらも今日は帰ってこないらしい。好都合ではあるが、明日になれば学校に登校していないことが両親にも伝わるだろう。こちらも抜け出しているので、タイムリミットは夜明けだろう。それまでにゲルギオスを退け、ソフィアを救出しなければならない。一筋縄ではいかないだろうが、やり遂げる以外に道はない。

「魔素の反応は……あそこ廃墟からだな」

 可能な限り最小限の魔素で身体能力を底上げし、虱潰しにマップアプリを頼りにながら廃墟という廃墟を転々とした結果、魔素の反応があったのは軍事施設の廃墟だった。かなり山奥にあり、人里から離れていて身を隠すには打ってつけと言える場所だ。

「なるほどな。そりゃ誰も近付かないな」

 廃墟の外観はいかにもな感じであり、ネットで心霊スポット的なものとして紹介されていてもおかしくない。鉄柵や有史鉄製に、鎖で雁字搦めにされた門は不気味さだけでいえば、これまで転々としてきた廃墟の中でも随一だ。

「中にいるのは幽霊とかよりも恐ろしい奴だけどな」

 ひとりで冗談を言って気持ちを落ち着かせる。アルカディアでの一戦では辛くも勝利したが、魔素に制限があるこの世界では苦戦は必至だ。

「……よし。行くか」

 自分を鼓舞するように勇人は声にして気合いを入れる。気持ちから負けていては勝つことはできないだろう。

 勇人は廃墟の入り口にある扉に手をかける。錆びた鉄製の扉が重たい音を伴って開いていく。さながら禁忌の扉を開けるようである。

「地下に続いているのか」

 部屋があると思っていた勇人は少し面食らった顔で地下へと続く長い階段を見遣る。壁に頼りない明かりが疎らにあるだけの階段は、この先が異質な場所であることを表しているかのようだ。

 これから先はなにが出てきてもおかしくない相手の領分だ。勇人は気を引き締める。

 聞き耳を立てて、目を光らせて、少しの異変も見逃さまいと神経を尖らせる。不意討ちを食らって余計なダメージを負うのはできるだけ避けたいところだ。

 見た目以上に長く感じた階段をようやく下り終えて、ついに地下へと足を踏み入れる。

 軍事施設の廃墟だけあって、雰囲気は今までの廃墟とは全く別物だ。どんな研究をしていたかは知らないが、風化したかつての道具たちが散乱している。

「結構な広さだな」

 警戒しつつ複数の部屋を行き来したが、未だソフィアの姿は見えない。軍事施設という名に恥じず、それなりの規模はあるようで、迷子の一歩手前だ。魔素の気配はあるが、ここまで近くなると逆に分かりづらくなるのもそれに起因しているのかもしれない。

 とにかく廃墟を歩き回って、最奥と思われる部屋に繋がる扉の前まで辿り着いた。意外なことにここに着くまでの道中で一度も邪魔が入ることはなかった。罠の可能性もあるが、ここまで来てしまった以上、気にしてもいても仕方ない。いずれにせよ、こちらがやるべきことはなにひとつ変わらないのだ。

「この扉の向こうに……」

 かなりの時間、廃墟内を歩き回って一度もゲルギオスにもソフィアにも出会わなかったことを踏まえると、この先にふたりがいる可能性が高い。目の前の扉の向こうに本当の意味での最終決戦が待ち構えているのだ。

 静かに勇人は聖剣を顕現させる。

 ゆっくりと勇人は扉を押し開けていく。

「待ちくたびれたぞ」

 扉を開けてすぐに声が飛んでくる。嘲笑するニュアンスが孕んだ声だ。

 声の反響具合からして部屋は思ったよりもかなり広そうだが薄暗いせいで、相手があの大悪魔であること以外の情報は掴めない。

「てっきり魔王を見捨てたかと思ったよ」

「こんな山奥の地下に閉じこもってるなんて、お前らしくないな」

 軽口には軽口で返す勇人。

 気味の悪い笑みを浮かべる男――ゲルギオスは古ぼけたベッドに腰を掛けている。

「こっちにも色々と段取りがあってな」

 いったいなんの段取りだというのだろうか。ろくでもないことは決まっているが。

「ソフィアはどこにいる?」

 正面の敵を見据えて勇人は聖剣を構える。少しでも妙な動きをすれば、いつでも斬りかかれる状態だ。

「そう急かさなくても、すぐに分かるさ」

 それはまるで一歩遅かったとでも言っているようだった。すでに目的を達したようなゲルギオスの満足げな表情は勇人を不安にさせる。

 そして、次の瞬間、その不安は現実のものとなった。

「お望みのものなら、あそこにいるだろ」

 鶴の一声で一気に部屋が明るさを取り戻す。

 ゲルギオスに誘導されて視線を向ける先。

 勇人は大きく目を見開く。

 この世界ではまず見かけることのなかった不気味な魔法陣の中で意識を失ったままで磔にされた少女――ソフィアの姿があった。

「あいつになにをしたっ!?」

 凄まじい剣幕で怒号を上げる勇人に、ゲルギオスはなおも楽しげな表情で答える。

「必要な魔素を確保するまではよかったが、集めた魔素を束ねる媒体が足りなくてな。七大王クラスならちょうどいいと思って使わせてもらった」

 事実を淡々と述べるその様は己の行為に一切の罪悪感を抱いていないようであった。どこが間違っていると言いたげだ。

「なんのためにこんなことを……!」

「言葉で言わなくても、じきに始まるさ」

 直後、突然の揺れが勇人を襲う。

「な、なんだ」

「始まったか」

 状況を把握しきれていない勇人だが、それでも良くないことが起こり始めたことは直感で分かった。そして、反射的にソフィアのほうを振り向いていた。

 磔にされているソフィアの地面にある魔法陣が怪しげな光を放ち始めた。

「ソフィア!」

 事ここに至って静観することはできなくなった。ゲルギオスがソフィアを媒体にしてなにかを起こそうと――いや、起こしたのだ。犠牲になってしまう前になんとかしなければ。

「まだ、話の途中だろうが」

 ソフィアに接近しようとして、それを立ちはだかったゲルギオスに阻まれる。勇人は警戒して大きく飛び退く。

「お前もこの世界にいる人間がアルカディアから転生したことは知っているだろ。つまり、この世界の人間は大なり小なり魔素を有しているってことだ」

 こんな下らないお喋りに付き合っている暇は微塵もないが、一切付け入る隙がないことに勇人は歯噛みする。

「俺やソフィアならともかく、記憶どころか能力も受け継いでいない人の魔素なんて、お前にしてみれば取るに足りないものなんじゃないのか」

「普通に考えてみればそうだな。だが、たとえひとつひとつが微弱でもそれを百、千、万と束ねていけば――どうなると思う?」

 揺れがいっそう酷くなる。

 ソフィアの足元の魔法陣も光の強さを増す。

「ゲルギオス、お前……まさか」

 勇人は焦りを募らせつつ、最悪の結論に辿り着いていた。

 同時多発的に無差別に起きていた集団睡眠障害。その原因はゲルギオスが呪術を仕込み、様々な媒体を通して発信された広告だった。現在も覚醒する者はおらず増え続けている。その事実とさきほどゲルギオスが言ったことを加味すれば、おのずと見えてくるものがある。

「この世界に冥界の門を開くつもりか!」

「やっと気付いたか。魔王のほうはお前より先に勘付いていたみたいだがな。だから、オレとの取り引きにも応じたってわけだ」

「なにが取り引きだ。あんなのただの脅しだろ」

 最初から選択肢がないものを取り引きとは言わない。相手がそうせざるを得ないと分かってうえで選択を迫るのだから本当に悪質極まりない。大悪魔らしい手段といえばそうだが。

「褒め言葉として受け取っておくぜ。まだ、説明の途中だったな。その様子だと、ふたつの世界を繋いだあと、オレがどうしたいかも分かっているんだろ?」

 あまねく存在の魂が死後に還る場所――それが冥界だ。その冥界から強引に魂を引き出し、自分の配下とする能力をある種族が有していることをどこか聞いたことがあった。それがソフィアを筆頭とする悪魔たちだ。

 もし、冥界の門が開けば、この世界に大量の人外たちが流入することになる。そうなってしまえば、大惨事は免れない。

「ゲルギオス、この世界をお前の自由にはさせない。下らない計画をぶっ壊して、ソフィアも返してもらうぞ」

 勇人は聖剣を構えて、いよいよ以て戦闘態勢に入る。ゲルギオスは冥界にいる人外たちを配下にするつもりなのだろう。食い止めるなら今しかない。

「一度負けたくせによく言うぜ。まあでも、今邪魔に入られても困るし、暇つぶしになる程度には楽しませてくれよなぁ!」

 両者ともほぼ同時に駆け出した。

 カキンと剣戟の音が反響する。

 ゲルギオスはいつの間にか蒼の剣を所持していた。やはりソフィアと同じ種族だけあって能力は似ているようだ。

「おいおい、前よりも弱くなってんじゃねぇのか」

 辛くも受け流せてはいるものの、徐々に後退しつつある勇人。無限に等しい魔素によって作り出された剣と身体能力の強化による相乗効果で、攻撃は苛烈さを増す一方だった。手心を加えられていない分、攻撃に容赦がない。防戦するので精一杯だ。

「人類初の七大王とはいっても、やっぱり人間じゃ限界があるよな。雑魚は雑魚らしく外野から自分の無力さを嘆いてろ」

 ゲルギオスが一際大きく振りかぶった。その一瞬の間隙を見逃さず、勇人は射程外に逃れた。

直前まで勇人がいた場所が大きく穿たれた。

「こっちだってここで退くわけにはいかないんだよ!」

 かつて少女と交わした約束が勇人を鼓舞する。

「勇ましいな。だが、これはどうかな」

 蒼色の炎が蛇の姿に変化する。何体もの蛇があらゆる角度から勇人に迫る。

 数体を躱して、残りを水の壁で受け止める。

「雷炎撃!」

 聖剣から激しい炎と雷がほとばしる。赤と黄色の一筋の線が軌跡を描く。さらに間髪を入れず勇人は次なる攻撃を放つ。盛り上がった床がいくつもの鋭い槍となる。魔素の影響を受けた槍はより強固に、より鋭利になってゲルギオスの急所を狙う。

「諦めが悪い奴だ」

 迫りくる多様な攻撃を前にしてもゲルギオスは動揺を見せない。その絶対的自信を表すかのようにゲルギオスの能力によって炎や雷はかき消され、槍は破壊されて塵と化した。そもそも攻撃が届かないことを分かっているのだから動揺する必要もないということか。

「お前にソフィアの想いを踏みにじらせるわけにはいかないんだ!」

 ソフィアは己の大切なものを守るために自分自身を犠牲にすることを選んだのだ。それなのに、守るどころか媒体に使われ、敵の目論見に加担してしまうことになるなんて、あまりに報われない。

「想い? なにを馬鹿なことを。強い力を持つ者に付いて回るものがなにか知ってるか。戦いだよ。オレもお前もあの魔王、戦いから逃れることはできない。だから、オレたちはこうして相見えた」

 それはかつて勇人が思っていたことでもあった。力のある者が争いを引き寄せてしまうことは、ソフィアも勇人も痛いほど経験している。

「強者が強者たり得るには争いが不可欠だ。平和な世界じゃどれだけ強い力を持っていても評価されることはない」

 勇人は魔素を全身に巡らせて強く地を蹴る。ゲルギオスの懐に潜り込むためだ。ゲルギオスも手足のように硬質な蒼炎を操り応戦する。

「確かにお前や俺のように強さに意味を見出している者はそうかもしれない。だけど、ソフィアは違う」

 数本を砕いて、捌ききれなかった数本が頬を掠める。

 それでも勇人は止まらない。

「あいつは自分が強いかどうかなんて求めてない。ただ、誰かを守れるだけの強さを持ち、守れるようになりたい――ただそう願っただけなんだ」

「それだって同じだ」

「違う!」

 強引にゲルギオスに接近する。湧き起こる怒りの感情を聖剣に込め、大きく振りかぶる。ゲルギオスの蒼色の炎はまるで自動防御のように振り下ろされた勇人の聖剣を受け止める。激しい激突音が木霊する。

「ならば、お前は助けるというのか? 勇者が魔王を? とんだお笑い種だな」

 それは滑稽だと言わんばかりだ。

「滑稽でも構わない。それにこの世界には勇者が魔王を救う物語もあるらしいからな。俺は俺が果たすべきことをするだけだ」

 せっかく近づけたこの好機を無駄にはしまいとさらに力を込める。じりじりと蒼炎の障壁を削っていく。

「突き飛ばせ!」

 突如勇人の脇腹を衝撃が襲う。どこからともなく現れた炎が勇人を突き飛ばす。とっさに反応できずそのまま壁に直撃する。肺腑から強制的に空気が出る。

「アルカディアで対等に渡り合っていた相手がここまで弱体化しているのを見ると、さすがのオレも悲しくなるな」

 とてもそう思っているとは思えない厭味な笑みのまま、ゲルギオスは言ってのける。

「こっちもそろそろ大詰めだ。どうしても邪魔するっていうなら、ここで消えてもらう」

 名匠が作り上げたようなすらっと伸びる刀身の刀がゲルギオスの手元に形成される。これで斬られればひとたまりもないだろう。

(くそ……。どうすれば、勝てる……?)

 ソフィアにも指摘された魔素量の差が最後まで勇人を苦しめる。相手は無限に等しい魔素を持っている。もし、こちらに勝てる方法があるとすれば、反撃を与えないほどの連続攻撃だ。どれだけ魔素を持っていようも反撃に能力を行使できなければ無意味になる。

 しかし、どうすればそれが可能になるのか。

(考えろ。考えろ。思考を止めるな)

 必死に思考をまとめ上げようとするが、それとは裏腹に魔素を使いすぎた反動で頭がうまく働かない。身体が動かない。意識が遠のいていく。

「――終わりだ」

 刀身を振り上げる。

(……俺はここまでなのか)

 結局、約束を果たすことはできなかった。勇者などとご大層な肩書きに人々を守る使命を背負っていると自負しておきながら、一番近くにいた本当に助けを願っていた少女の気持ちにすら気付いてあげられなかった。今もこうして、目の前にいるにもかかわらず己の不甲斐なさのせいで助けに行けないのだ。こんな自分にはお似合いの最期なのかもしれない。

 刀身が振り下ろされる。

 勇人が諦めかけた――そのとき。

 本来、聞こえるはずのない甲高い音が響き渡った。勇人は自分がまだ生きていると自覚する。

 重たい瞼を開くと、すんでのところで刀身が止まっていた。否、止められていた。

「……なんだと」

 驚いた声を出しつつも、ゲルギオスの顔は不愉快そうに歪んでいた。

 まだ頭がうまく回らず、勇人はなにが起こったのか即座に理解できなかったが、刀身が直撃する直前で己を守る盾になってくれていたものを見て理解する。

 蒼色の刀身を防いだのは漆黒の障壁。それが誰のものであるかは考えるまでもなかった。

 反射的に視線はソフィアに向いていた。ソフィアに目覚めたような素振りはない。ゲルギオスの驚いた顔を見るに本来なら決して起こるはずのなかった状況であることは間違いない。

(お前も戦っているのか、ソフィア)

 意識を失い、媒質になったとしても。彼女の意志までは消えてはいなかった。戦うことを諦めていなかった。

(そう、だよな。お前は誰かを助けられるように、守れるようになりたいって、本気でそう思っていたんだよな)

 消えかけていた意識を引き戻す。

 身体全体が熱くなっていく。

 闘志が戻っていく。

「邪魔をしやがって」

 ゲルギオスがもう一度刀身を振り上げ、己の邪魔をしたものを破壊する。

(だったら、お前はもう、とっくになれてるよ)

 聖剣の柄を強く握り締める。

「邪魔が入ったが、今度こそこれで最期だ」

 刀身が高く振り上げられる。

(校庭で竜と戦ったときも、今もお前は――ソフィアは俺を守ってくれた)

「くたばれッ!」


(――だから、今度は俺が、ソフィアを守る番だ)


 稲光が轟く。

 暴風が吹き荒れる。

 煌々と輝く炎が燃え広がる。

 ゲルギオスの蒼色の刀は宙を舞い、ゲルギオス自身も複数の攻撃を回避しようとした拍子に暴風に巻き込まれ、勇人との距離が大きく開いた。

「どこにそんな余力を残して……、お前まさか」

 苦悶の表情を浮かべながらも、勇人は地を踏み締めて立っていた。

 考えてみれば単純なことだった。どうすればこの絶望的な状況を覆すことができるのか。そもそもの原因は魔素の圧倒的な差だ。だから、魔素を無理やり捻り出してその差を埋めればいい。

「命を賭すわけか。勇者には相応しい選択だな」

 自身の魔素ではゲルギオスに遠く及ばす、聖剣の自動回復も追い付かない。それでもどうにか差を埋めるために勇人が至った結論が命そのものを魔素に変換することだった。

「その選択のおかげで視界は悪くなるし、頭痛も吐き気だって強烈だ。……でも、ソフィアが受けた仕打ちに比べたらどうってことはない」

「ふん。そんな状態でオレを倒せると思ってるのか?」

「倒せるかどうかじゃないんだよ。――倒すんだよ、お前を」

 おそらく今の状態でやっと互角になれたくらいだろう。

 無理やりに魔素を生み出し、複数の属性を同時に扱う負荷は想像以上にきついものだ。今の状態を長く維持するのは不可能だろう。

「今度こそ止めを刺してやるよ!」

 ゲルギオスは一度横やりを入れられ仕留め損ねたことに苛立っているのか、少々冷静さを欠いているように見える。こちらが一撃をお見舞いできる隙が少しでも生まれるかもしれない。

(短期決戦だ。的確なタイミングで確実に仕留める)

 地面から無骨な片手剣を生成し、さらに強化した身体能力と突風で急速に加速する。

 縦、横、斜め。ありとあらゆる角度から途切れることのない素早い連続攻撃。今までの魔素では不可能だったことだが、まだゲルギオスを追い詰めるには至っていない。

「強くなって大見得を切った割にその程度かよ」

「そんなわけ……ねぇだろうが!」

 己の命を削ってでも勝つと決めたのだ。いまさら出し惜しみなどするつもりなどない。今の激しい剣戟はブラフだ。本命は他にある。

 無数の槍はゲルギオスに襲い掛かった。

「どれだけ数が増えても同じだ!」

 硬質化する炎の自動防御は相変わらずだ。勇人の槍が際限なく特攻し、そのたびに破壊されていく。

 いっけん無意味のように見えるが、槍によって一撃を加えることが目的ではない。

「氷雷波!」

 勇人はいったん距離を取って、かつてソフィアと校庭で戦ったときでも使った技を発動する。そのときは規模も苛烈さも桁違いだ。

「焔竜! 地竜!」

 巨大な炎と地の竜がうねりを伴いながらゲルギオスに突貫する。

「やけくそか!」

「ああそうだよっ!」

 戦略性もなにもない手当たり次第に能力を行使しているだけだ。やけくそと言われればそのとおりだ。

 だが、それで大切なものを守れるのなら――。

「雷炎剣!」

 今までの最大量の魔素を以て剣に炎と雷を纏わせる。炎の燐光と激しい稲光が部屋を全く別の空間に作り変える。

 手当たり次第に能力を行使して総攻撃を仕掛けたおかけで、ゲルギオスも少しずつであるが防御に間に合わなくなってきている。押し切るなら今だ」

「くそっ! 鬱陶しい」

 いい加減に辟易としてきたようにゲルギオスは苛立ちを露わにする。本気で勇人の数多の攻撃を蹴散らしにかかる。

(チャンスはこの一回だ)

 足にぐっと力を込めて一気に解放する。

「あいつの行く手を塞げ」

 ゲルギオスは防御に割いていたうちの一部を勇人に向けて放つ。四方八方からの同時攻撃は逃げ道を封じながら襲い掛かる。

 それでも勇人は止まらない。止まるわけにはいかない。

 あらゆる攻撃を薙ぎ払い、回避し、活路を切り開く。赤と黄の線が彼の軌跡となる。

「こいつ……!」

 懐まで潜り込まれ、ようやっとゲルギオスの顔が焦燥に変わる。とっさに蒼炎の障壁を展開

する。

「ハァアアアア!」

 加速の勢いを乗せた大振りな一撃を繰り出す。勇人と炎と雷、ゲルギオスの蒼炎の障壁が激しく衝突する。

 火花が散る。

 電撃がほとばしる。

「たとえこの身を滅ぼしてでも――お前を倒す!」

 勇人の激情に呼応するように炎雷がさらに勢いを増す。

 障壁を融解させていく。

(ぼ、防御が追い付かない……!)

 勇人の命を込めた全身全霊の業火と雷は、阻むものを即座に溶かしていく。もはや誰にも止められない。

「うぉおおおおおおおおおおおおお!」

 限界以上の力を絞り出し聖剣を振り切った。

 落雷したような轟音と爆発の振動が部屋を駆け巡る。

 轟音が止み、再び世界が静けさを取り戻したとき、立っていたのは――勇人だった。

「はぁはぁ……」

 聖剣の切っ先が力なく地に着く。立っていられるのが不思議な疲労感の中、全てを出し切ったように勇人は呆然と立ち尽くしていた。

 ゲルギオスの身体は勇人の決死の一撃を受けて灰燼に帰していた。灰だけが勇人の目の前で積もっていた。

「……勇人?」

 聞き馴染みのある声が耳朶に届く。振り向く力もすでに残っておらず、首を辛うじて声の主に向ける。

「無事……だったか……。良かった――」

 まだ身体のほうが覚束ないのか座ったままではいるものの、しっかりと話す姿を見て安心し、勇人はそのまま糸が切れたように後ろへ倒れていく。

「勇人っ!」

 ソフィアはまだ本調子でない身体を無理やり動かして、勇人の身体が倒れる前に支えに入る。

「あんた! どんだけ無茶してんのよ……!」

 部屋の破壊具合と灰となった仇敵、そして目の前の満身創痍の勇人を見れば、勇人がいったいどんな方法で勝ちを掴んだのか考えるまでもない。むしろ、魔素に決定的な差があるからこそ、それがいかな方法だったのか容易に想像がついてしまう。

「俺にはこれくらいしか思いつかなかった……。でも、それでソフィアを助け出せたんなら、無茶した甲斐があったな」

 儚げな笑みを浮かべながら言う勇人。全てを出し切ったというように顔から生気が失われている。

「けど……さすがに無茶しすぎたな。喋るだけでやっとだ」

「もう喋らなくていいから。あとはあたしが責任を取ってあんたを家まで送り届けるわ」

「でも、ソフィアだって……」

「こんなボロボロになってまで助けてもらったんだもの。これくらいはさせて。むしろ、しないと罰が当たるわよ」

 ソフィアが初めて見せた優しい笑みだった。その後ろにかつての面影を見たような気がした。

「さあ、こんな薄気味悪い場所からはさっさと去りましょう。……立てる?」

 そう言ってソフィアが勇人の脇に腕を回して立ち上がらせようとしたときだ。

 今までにない振動がふたりを襲った。

「げ、ゲルギオスは勇人が倒したはずじゃ……」

 困惑するソフィアの横で勇人が怪訝な顔をする。

 ただの揺れにしては妙に違和感があったのだ。ただの揺れではなく、空間が揺れている、世界が揺れているような感じだったのだ。

「とりあえず、外の様子を見てみよう。嫌な予感がする」

 ソフィアも同じような違和感を覚えたのか、うなずいて外を目指した。

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