幕間三
幕間三
勇人は夢を見た。
それはまだ自分が勇者として選ばれる前。村をたまたま訪れた親子の少女と過ごしたほんの一時の記憶だった。
「ユーティス!」
村の広場で人を待っていた青年――ユーティスは駆け足気味で近寄ってくる少女に目を向ける。服装こそ昨日と変わっていないが、彼女の表情は初めて会ったときよりも目に見えて明るくなっていた。
「ごめん、待った?」
「いや。そんなことない」
実際には先に集合場所に着いていたので待っていたが、年下の少女にそんなことを言うのは大人気ないだろう。
「行く前にもう一度だけ訊くけど、本当に俺の訓練に付いてくるのか? 面白いことなんてなんにもないぞ」
以前、少女との会話の中で近隣の森の巡回もかねて修行をしていると伝えたら、彼女も付いていきたいと言ってきたのだ。近隣の森には最近になって魔物が増えてきた。魔物とは人類側を襲う他種属のことを指す。今のところ村への被害は出ていないが、万が一ということも考えて巡回をしているのだ。当然危険が付きまとうので、できれば同行してほしくないのがユーティスの本心なのだが、
「大丈夫です! あたし、今までずっと色んな場所を転々としてきたから、母親以外の誰かとどこかに出掛けたことがなくて……。だから、面白くなくてもいいんです。誰かと一緒にどこかに行きたいんです」
それはとても切実な願いだった。普通の人なら経験することに難がないようなものでも、少女にとってはそれすらも困難だったのだ。その困難だったもののひとつが今、叶うかもしれない。それを叶えてあげることはそんなにいけないことだろうか。もちろん、危険があることは承知している。だが、いつまでこの村に少女が滞在できるか分からないのだ。自分が傍にいることでそのささやか願いを叶えてあげられるのなら、それはきっと少女にとって財産になるはずだ。
「……分かった。そこまで言うなら止めないよ。けど、俺の傍を離れないようにしてくれ」
「分かりました!」
元気よく返事をする少女。彼女とはまだ会ってからそれほど経っていないが、それでも本当に表情が豊かになったと思う。だからこそ、勇者を志す者としても彼女を決して危険に晒すものかと、ユーティスはひとり決意した。
「綺麗ですね」
森に入ってしばらくして、少女が感嘆の声を漏らした。森とはいえ、比較的開けている場所は陸路としてある程度整備されているため、景観も悪くはない。天空から差し込む木漏れ日は確かに自然の優美さを感じさせるものだ。
「そう言ってもらえると、地元の人間としては嬉しいな」
自分にとっては見慣れた光景だが、それを見て喜んでいる人を見るのは新鮮でこちらまで嬉しくなってくる。
「どこでいつも修行しているんですか?」
歩きやすい道を先行する少女がそんなことを聞いてくる。少女からしてみればどれも新鮮に映っているだろう。ユーティスがどこでどのような修行を積んでいるのか気になるのも無理からぬ話だ。
「ここからもう少し奥に行った場所だ」
そう言ってユーティスは歩く道の奥を指差す。樹木の生える間隔が短いのか、陽の光はあまり差し込まず、ここより薄暗い。
「え、あそこに行くんですか……?」
さすがに好奇心旺盛だった少女も少し気後れしたような声を出す。事前に伝えていた魔物が出没することを思い出したのだろう。
「はは、さすがに怖いか」
少しからかうような口調で言うと、ムッとしたように少女が言い返してくる。
「そ、そんなことないです! 行きましょう、今すぐ行きましょう!」
反抗期の子供のようにどんどん先に進んでいく彼女。その様は微笑ましい限りだが、とはいえ万が一のこともあるため、ユーティスは彼女に追い付いて横に並んでともに歩みを進めていった。
ふたりが辿り着いたのは、森の奥まった場所だった。
「意外と広いんですね」
今にもなにかが飛び出しそうな鬱蒼とした森の小径を抜けると、思っていたよりも開けた空間がふたりを出迎えた。木々によって円形状に切り抜かれた空から陽光が降り注ぐ。爽やかな微風が頬を撫でていって、耳をくすぐる梢の音が心地好い。
「たまたま見つけてさ。剣を振り回すにはちょうどいいし、周囲の確認も容易だから、気が付けばここを修行の場所にしてたんだよ」
「ここではどんな修行をするんですか?」
新鮮な空気感に魅了されていた少女がくるりと踵を返して、思い出したように訊いてくる。
「そんなに大層なことはしてないよ」
そう言いながらユーティスはその辺に転がっている木を指差す。転がっている木には剣で斬ったような傷があった。
「勇者審査会で選ばれたと言っても、人外と比べたら、まだまだ天と地ほどの差がある。だから、より効率的な魔素の扱い方を覚えないといけないんだ」
日々鍛錬を積んでも常軌を逸した強さを有する人外たちに追い付けるかどかは分からない。それでも修行を積まなければ、さらに水をあけられてしまう。鍛錬を積む以外に彼らに食らい付く術はないのだ。
「だから、俺はこいつをしっかり扱えるように日々練習してるんだ」
ユーティスは腰に携えていた剣を握る。よく見ると剣の柄に特殊な模様が彫られている。
「それは?」
少女が楽しげな足取りでユーティスに近寄っていく。物珍しいものを見るような目でまじまじと剣を見ている。
「正式に勇者に選ばれれば王都から聖剣を扱う許可を貰えるんだ。けど、許可が貰えるだけで実際に聖剣を手に入れるには厳しい試練を受けないといけない」
聖剣は人類が埒外の人外たちと対等に渡り合うために長年の研究の末に完成した武器だ。人外たちが体内に持つ魔素の生成器官を徹底的に研究し、それを同等の機能を持たせた優れものだ。しかも、無能力者でも能力が行使できるよう人類と友好関係にあった種族から授かった技術を施してある。まさに人類側の切り札と言っていい。そんな貴重な武器を預ける人材を選別するのだから、試練も相応のものになるのは自明の理だ。
「その試練を潜り抜けるためにはこいつが不可欠なんだ。なんでも聖剣と似た能力が使えるらしい。とは言っても、性能的にはかなり劣化みたいだから、実戦向きじゃないみたいだけどな。王都としてこいつを適切に扱える奴に聖剣を預けたいんだろうな」
性能的には劣るとはいえ、聖剣を模した劣化版ですら適切に扱えないようでは話にならないということだろう。試練も剣を適切に扱える前提に組まれていると考えるのが自然だ。
「じゃあ木にある傷は……」
「少しでも早く上達したくて、王都から帰ってきてからずっと練習してたんだよ」
横たわる木々に見受けられる傷はそのためだったのだと少女は得心する。周囲に気を配らないといけない練習だけに、森のこの奥まった場所は試し斬りをできるものに困らず打って付けだ。
「そういうわけだから、早速練習――」
そのときだった。ユーティスの背中を悪寒が駆け抜けた。森が異質の存在を恐れるようにざわめいている。言い知れぬ殺気を感じてユーティスは反射的に剣を構えていた。
「な、なんですか?」
ただならぬ雰囲気を感じ取って、少女も顔を強張らせる。
「――来る!」
カキン――。とっさに合わせた剣がなにかを弾いた。その直後、近くの木に激突し一本を破壊した。木の倒れる音が森全体に轟いた。
「ちょっと俺の後ろに隠れてろ」
「ひょ、ひょっとして魔物なんですか……?」
「分からん。ただ、こちらに敵意を抱いていることだけは確かだ」
自分か。少女か。あるいはその両方か。いずれにせよ、無事に帰してくれるつもりはなさそうだ。そもそもこのまま襲撃者を連れて村に戻るわけにはいかない。最低限、上手く撒く必要がある。
(まだまだ付け焼き刃だけど……)
襲撃者が人間以外なら苦戦は必至だ。聖剣の劣化版の剣でどれだけ戦えるか分からない。とはいえ、現状で他にまともな武器がない以上これでこの場を凌ぐしかない。
(どこから来る……)
神経を尖らせる。この場所は開けていて見晴らしがいいが、裏を返せば襲撃者からこちらの位置がバレバレということだ。対してこちらからは襲撃者が見えない。一瞬の油断が命取りになる。
きらりと森の中でなにかが光った。素直に狙うべきか。もちろん陽動の可能性もある。
だが――。
「ただの的になるつもり毛頭――ない!」
剣の能力を解放する。剣より炎が顕現する。紅の一筋の線が光を放った場所に向かってほとばしった。
光る場所が移動する。襲撃者も炎に対応しているのだろう。姿が見えなくても位置が分かれば対策を講じられる。
(姿を引きずり出してやる)
面を拝みたいというのもあるが、とりあえずは襲撃者が身を隠したまま攻撃をできる状況を打破したい。
「そこだ!」
次に光るタイミングで溜めた魔素を込めた高速の一撃を放つ。今までよりも規模の大きい規模の大きい炎弾だ。これで姿を現してくれるといいのだが。
炎弾は着弾と同時に爆発を起こす。
爆風が木々を揺らしていく。
驚いた小鳥たちが飛び去っていく。
爆風に煽られて襲撃者がついにその姿を露わにした。
(……悪魔?)
目の前に現れた姿にユーティスは見覚えがあった。以前王都に赴いたとき、見せられた資料の中で見たような気がした。
「まさか、本物と相見えることになるとはな」
修行のつもりが、まさか実戦になってしまうとは。こうなる可能性は予測できていたのに、少女を連れてきてしまったのは自分の落ち度だ。彼女だけはなんとしても生きて帰らせる責任がある。
「お前がなんのために俺たちを襲っているのか知らないが、生憎こんなとことでやられるつもりはない。覚悟しろ」
ユーティスは正眼に構えて悪魔の動向を窺う。勇者審査会で選ばれたとはいえ、戦闘は理論で学んだだけで実戦は初めてだ。
「グギィ……」
威嚇するように目の前の悪魔は気味の悪い重低音の声を出す。強い悪魔の中には人間と対話できる者もいるらしいが、この悪魔はそうではないようだ。低級ならまだ可能性がある。
「ハッ!」
ユーティスは地を蹴って駆け出した。魔素で身体能力を強化したことで瞬く間に悪魔に肉薄する。
ユーティスの一振りを悪魔は容易く回避する。そのままユーティスに反撃を加える――のではなく、横を素通りしていく。その先にいるのは――少女だ。
「狙いはあっちか!」
いよいよ以てユーティスは少女を連れてきた行為がどれだけ軽率だったかを痛感した。だが、悔いるのはあとだ。
「近付かせるかよ!」
身を翻して、振り向き様に剣を振るう。剣の軌跡に沿って生まれた三日月の雷撃が悪魔に襲い掛かる。
背後から攻撃を察知にして悪魔はとっさに雷撃を弾く。雷撃を弾かれるとは思っておらず、一瞬動揺を見せるユーティスだが、一瞬でも相手が止まった隙を見逃さず追撃する。
「グギィイイイッ!」
さすがにユーティスを鬱陶しく思ったのか、威嚇しながら迫ってくる。気が引けたのなら好都合だ。
「お前の相手は俺なんだよ」
少女に近付く暇を与えないというようにユーティスは切れ間のない斬撃を浴びせる。炎がほとばしり、雷撃が轟く。まだ使い慣れていないので能力の行使は大味だが、それゆえに一撃一撃が大きい。低級の悪魔も相まってこちらに分があった。この好機を逃さまいと、ユーティスはさらに追撃する。
「グギィイイイイイイッ!」
予想以上にユーティスが厄介な相手であると感じたのか、悪魔は魔素の暴力でユーティスを一気に遠ざける。
「くそっ!」
大質量の魔素を前にユーティスはバックアップする。聖剣の劣化版ではさすがに捌ききれる量を超えている。相手の思惑どおりになってしまった。
「きゃあっ!?」
少女の悲鳴が木霊する。ユーティスが距離を取らされた間に悪魔に連れ去られたのだ。みるみるうちに距離を離していく。このまま逃がしてなるものかと、即座に追いかける。
悪魔は少女を抱えたまま森に逃げ込んでいく。
「森に逃げ込む気か」
視界が悪くなれば当然追うのも困難になる。完全に見失う前に決着をつけるしかない。
「絶対――逃がさないっ!」
悪魔の速度に追い付くため、魔素でさらに肉体を強化する。これ以上の魔素による身体能力の強化は未経験だ。どのような跳ね返りがくるか変わらない。が、今それを気にしている場合ではない。
「ユーティスッ!」
必死に助けようと追いかけてきてくれているユーティスを見て、少女が手を伸ばす。
「おりゃあっ!」
溜めた魔素を一気に解放する。周囲の木々を傷付けながら衝撃波が悪魔を追走する。枝葉を撒き散らして、砂埃を起こしてあっと言う間に距離を縮めて悪魔に直撃する。派手な音を立てて悪魔が地面をバウンドし、投げ出された少女は宙を舞った。
地面に落下する直前でユーティスは少女を受け止める。
「大丈夫か?」
腕の中にいる少女は涙目のままこくりとうなずいた。とりあえず、無事ではあるようで一安心だ。あとは目の前の悪魔をどうにかするだけだ。
起き上がった悪魔とユーティスが睨み合う。再び激突するかとユーティスが強く剣の柄を握り締めたとき――悪魔は少しずつ後退して、そして森に姿を消していった。
「……助かったのか?」
突然のことに戸惑うユーティス。能力をぶつけ合い、あれだけ睨み合いで火花を散らしたのに、その相手が急に去っていったのだから当然だろう。いちおう周囲を警戒しているが、気配はない。
森が心地良い静けさを取り戻していく。呆然としているふたりを葉擦れの音が包み込んでいった。
「まさか本当に遭遇するとは思ってなかったな」
ユーティスは急遽巡回をいったん切り上げて、少女を村に帰すことにした。帰り道でも警戒は怠っていないが、今のところは襲撃は受けていない。
「さっきのはなんだったんですか?」
やっと気持ちが落ち着いてきたのか、少女の声の調子が戻ってきている。
「人じゃなかったし、明らかに敵意があった。魔物と見て間違いないな」
「や、やっぱりそうだったんですね……」
あのときの恐怖を思い出してしまったように少女は顔を俯かせた。滅多にない状況どころか、無事にやり過ごせたこと自体が奇跡みたいなものだ。思い出してしまうのも無理はない。
そんな彼女の表情を見ていると、ユーティスは自分の行動の愚かさを改めて身に染み実感した。
「無事で良かったよ。今回は俺の考えが甘かった。怖いを思いをさせてすまなかった」
「そ、そんなに謝らないでください! 最初に危険って言われたのに無理してお願いしたのはあたしのほうだし……」
「けど、下手したら、今頃は連れ去れてしまっていたかもしれないんだ。それを思うと、謝罪くらいはさせてほしい」
結果的に助かったとはいえ、もっと強力な悪魔なら撃退できていたかも怪しい。実力で退けたというよりは運が良かったと言えるだろう。だからこそ、謝るべきだとユーティスは思った。彼女の望みを叶えてあげたかったのは本心だが、己の実力を適切に把握できず、少しでもあった危険性を軽視したことはこちらの瑕疵なのだ。
「じゃあお互いに悪いってことで!」
そう言って少女は手を差し出してくる。握手をして、もう互いに言いっこなしということだろうか。自分には思い付きもしないであろう提案に面食らうユーティスだが、手を差し出されて微笑まれては無下にはできない。ユーティスも手を出して握手する。
「これでこの話はもう終わりですね。それでですね、ユーティスさん。あたし、実はひとつ決めたことがあるんです。聞いてもらえますか?」
「決めたこと?」
あんな怖い経験をして決めたことというのは、いったいどんなことだろうか。まさか、危険な目に遭わされたことを親に報告するのだろうか。
そんな内心少しどきどきしているユーティスを知らずに、少女は己の思いの丈を吐露し始めた。
「……あたしもユーティスさんみたいに勇者を目指します!」
「はっ!?」
思いも寄らない少女の発言に素っ頓狂な声を上げるユーティス。当然である。怖い思いをしておいて、いったいどこから勇者を志すことになるのだろうか。
「よし。あそこで休憩しよう。きっとまだ気が動転してるんだ」
座らせようとしてくるユーティスに少女は慌てて言葉を付け足す。
「だ、大丈夫ですよ! あたしは正気です」
「本当か?」
「本当ですよ! ……怖かったけど、ユーティスさんに助けてもらったとき本当に安心しました。誰かを助けるのって、かっこよくて、すごいことだって思ったんです。だから、あたしも守られるだけじゃなくて、誰かを助けられるように、守れるようになりたい――そう思うのは、そんなにおかしなことですか?」
その瞳はこれまでにないくらい澄んでいて、胸中の熱い想いが伝わってくるようだった。
「おかしいとは思わない。でも……本気なのか?」
ユーティスは少女に真意を問うた。決して正気を疑っているわけではない。彼女から本物の熱意を感じたからこそ、本当にその覚悟があるのかを知りたかったのだ。熱意だけでやっていけるほど甘くはない。それこそ、さきほどの悪魔のような人外と刃を交えることも珍しくない。
「本気です。あたし、今までずっとどこかを転々としてばかりで、誰かに助けられても、助けることはなかったんです。危険が付きまとうことは身を以て知りました。それでも、こんなあたしでも人を助けられるようになりたいって――あたしを助けてくれたユーティスさんを見て本気でそう思いました」
真っ直ぐにユーティスの目を見て語るソフィア。そこに嘘偽りは感じられない。もし、少女が初めて己の目指すものを見出したのだとしたら、それを否定できる権利は誰にもない。
「分かった。本気なんだな。けど、道程は厳しいぞ。俺だって、必死に食らいついていってるくらいだからな。生半可な努力じゃスタート地点にも立てないぞ」
「き、厳しいですね……。でも、頑張りますっ!」
村への帰路。少女は嬉々として青写真をユーティスに語る。これからの未来に思いを馳せる。
しかし、まだ彼女は知らない。このあとに待ち受ける己のどうしようもない過酷な運命を。
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