第15話

 校庭には急いで駆け付けてきたであろうソフィアがいた。そしてソフィアと対峙するのは殺意を丸出しにしている赤竜(せきりゅう)だ。圧倒的な巨躯に口に煌々と燃え盛る業火を溢れさせているその出で立ちはなかなかの威圧感がある。

「ソフィア」

「遅いわよ」

「悪い。で、さっきの揺れの原因はこいつなのか?」

「分からない。本当はゲルギオスの有無も含めて周囲を調べたいけど……」

「そうはさせてくれないみたいだな」

 赤竜は鋭い目をふたりに向けて雄叫びを上げる。竜自体、いったいどこから出現したのか気になるところではあるが、今それを調べている暇はない。学校にいる人間は眠らせてあり、赤竜も結界の中にいるので混乱は抑えられているものの、相手は竜だけあって侮れない。結界が破られる前に決着をつけなければならない。

「エレナは?」

「あの子なら学校の防衛を任せてる。異変が起きているのはこの学校だけみたいだから」

 無関係の人間がいないのであればエレナも加勢していただろうが、万が一の事態に備えてエレナを防衛に回しておくのは悪くない選択だろう。

「ギャアアアアアス!」

 話している間にも翼を大きく広げた赤竜がふたりを押し潰さんと襲い掛かる。

「ぐずぐずしている暇はないわ」

「言われなくても!」

 赤竜の押し潰しを避けるように二手に分かれる。そのまま勇人とソフィアは同時に能力を解放する。

「炎雷剣!」

 聖剣より分与を受けた魔素で勇人は能力を行使する。

「撃ち抜け!」

 勇人は炎と雷を纏った聖剣で赤竜に斬りかかり、ソフィアは漆黒の炎で巨大な弓を作り出して赤竜の首元を狙って撃ち放す。 竜はアルカディアに存在する種族の中でも上位に属する存在であり、体全体を覆う鱗は非常に強固で並の攻撃では傷を付けることは難しい。とはいえ、勇人もソフィアも指折りの実力者だ。相手が竜であっても渡り合えると思っていた。

「これは……」

 あまりの手応えのなさに勇人は赤竜から距離を取る。明らかになにかがおかしい。そう思わせる違和感のようなものがあった。ソフィアも似たような違和感を覚えたのか、怪訝な顔をして赤竜の動向を見ている。

「ソフィア、手を抜いたわけじゃないよな?」

「当たり前よ」

「となると……」

 いくら竜が上位存在とはいえ、相対する勇人やソフィアも能力では引けを取らない。一撃で仕留めることは難しいにしても、ダメージが全く入らないというのはあまりに妙だ。まるで鉄を枝で叩いているようである。勇人は考えられる可能性を口にし思考する。

「魔素で鱗の強度を強化しているのか」

 魔素は能力を行使する際に消費するが、用途はそれだけではない。肉体強化に魔素を使うのも立派な活用法のひとつだ。人間が肉体強化をすれば身体能力が飛躍的に向上するが、元から強力な人外がそれを行ったときの向上の振り幅は比にならない。

「ギィギャアアアアアアアアス!」

 ふたりの攻撃はまるでなにもなかったかのように意に介していないようだ。ただそれでもふたりを脅威であると認識したのか、さらに強烈な雄叫びを上げる。赤竜は戦意高揚状態になり、さらに厄介な相手になるだろう。手が付けられない状況になるのも時間の問題だ。

 威嚇するように赤竜が大翼を羽ばたかせ旋風を巻き起こす。暴力的な風がふたりを襲う。

「どうする、ソフィア!」

「どうもこうも、やるしかないでしょ!」

 そもそもここで退くという選択肢は端からない。ゲルギオスを追うという大目標があるが、だからといって赤竜を見逃す理由にはならない。

「これが大悪魔の差し金だって言うのなら、もうこれ以上思いどおりにはさせない!」

 ソフィアは覇気とともに魔素を収束させて黒き大斧を生み出す。校庭で勇人と一戦を交えたときでも使ったものだが、そのときは大きさも刃の鋭利も段違いだ。鱗が強固だというのなら、重さに任せて叩き切る算段だろうか。

「勇人! 誰ひとりとして犠牲にはしないわよ!」

「ああ。こっちもそのつもりだ」

 さきほどの攻撃が通用しなかった事実を物ともせず、ソフィアが先行する。彼女の迫力に背中を押されて勇人も続く。

「ハァアアア!」

 ソフィアは強化した身体能力で赤竜の背後に素早く回り込む。大きく跳躍し振り下ろす。渾身の一撃は赤竜の翼に直撃する。落下に自身と大斧の重さが加わった一撃はなかなかに強力なはずだが、それでも赤竜の鱗はそれを上回る。

 すぐさまソフィアは距離を取る。

「勇人、このままだと埒が明かない。まずは奴の魔素を枯らすわよ」

「分かった」

 勇人はソフィアからの指示を承諾する。

 竜にも魔素を生成する器官は存在する。ゆえに魔素の利用に制限はないが、それは魔素が枯れないという意味にはならない。いっけん鱗の強度を増してソフィアの一撃を防いでいるように見えるが、正確にいえば鱗の表面に集めた魔素によって衝撃を緩和または無効化しているのだ。

 では、その状態で波状攻撃を行えばどうなるか。竜は衝撃を緩和するために魔素を絶え間なく鱗の表面に集めるはずだ。魔素生成もそれに引きずられるようにフル稼働する。その状態が長く続けば、要となる生成器官が生成異常(オーバーヒート)を起こす。生成速度を超える魔素の過剰使用で生成器官が機能不全に陥るのだ。そうなれば、いかな竜といえど弱体化せざるを得ない。

 とはいえ、機能不全に陥るほどの波状攻撃を仕掛けるにはこちらもそれ相応の魔素の消費を覚悟しなければならない。提案者であるソフィアも賛同した勇人もそれは理解している。理解したうえでそうするしかないと判断したのだ。

「行くわよ!」

 ソフィアは大きく飛翔して、上空から大斧を無数の槍に変形させて一斉に赤竜に向かって放つ。さらに超巨大な矢を生み出し限界まで引き絞って解き放つ。槍の雨の中を矢が突っ切って赤竜と衝撃する。与えるダメージが大きければ大きいほど無力化するためにより多くの魔素を必要とする。

 赤竜も負けじと翼による風圧で槍を落としにかかる。それと同時に口内に魔素を収束し、炎を蓄える。風圧を抜けてきた槍が赤竜を襲うが、特に防ぐ素振りは見せない。おそらく本命は超巨大な矢のほうだろう。一番ダメージが大きいと気付いているのだ。その対処は決して間違っていないが、それが隙を作ることとなる。

「がら空きだ!」

 ソフィアの矢の対処に注意を割いている隙に勇人は赤竜の背後に回り込む。聖剣の力を全開で斬りかかる。複数の属性を付与して威力を増幅させることも忘れない。

 上空ではソフィアの矢を狙って赤竜が口内で溜めていた炎を解放する。真っ直ぐ放出された炎は矢とぶつかり合う。矢はしばらく持ちこたえたが、かつて勇人の攻撃が溶かされたように赤竜が放った圧倒的な熱量によって溶解していく。直線状に突き進む炎は衰えることを知らず、結界に直撃する。どんな攻撃を受けてもびくともしないはずの結界がわずかに揺れた。その事実にソフィアは瞠目する。これは思っている以上に時間はない。

「勇人、悪いけど、また作戦変更よ」

 赤竜の動向を窺いつつ、ソフィアは勇人のそばに寄る。

「今度はどんなだ?」

 急な作戦変更に文句を言うことなく勇人はソフィアの次の言葉を待つ。状況が状況だ。倒せる算段があるならなんだっていい。

「内側から奴を破壊するわ。鱗はいくらでも強化できても体の中まではそうはいかない」

「なるほどな。外がダメなら強化しにくい体の内側を狙うというわけか」

 万能な魔素は肉体を強化することができるが、体の内側となれば話は変わる。大質量の魔素を赤竜の体内に打ち込むことができれば内側から崩壊するはずだ。だが、そんなことを赤竜が易々とさせてくれるわけがないのは百も承知だ。

「具体的にはどうするんだ?」

「奴がさっき炎を放ったみたいに口を大きく開けたタイミングで強引にでもねじ込むわ」

 口にすればいっけん単純明快な作戦だ。だが、実践するとなればそれは命がけだ。さきほど赤竜が炎を放ったのはソフィアの矢に対して一番ダメージを警戒したからだ。言い換えれば、赤竜はソフィアの攻撃を相殺できるほどの炎を放ったということになる。

「失敗すれば、ソフィアどころか結界も破られて大惨事になるぞ」

「分かってる。こうなってしまったのは……きっとあたしのせい。このままだと遠からず結界は破られてしまう。なら、ここで一気に片を付ける」

 決意の固さはその瞳が物語っていた。まだソフィアのせいと決まったわけではないと言いたいところだったが、ここでなにを言ったとしても意志を変えることはないだろう。ならば、今ともに戦う者として手を貸す以外に選択肢はない。

「分かった。魔素が少ない俺が奴の動きを止める。おそらくチャンスは一度きりだ。確実に決めてくれ」

「言われなくてもそのつもりよ」

 勇者が魔王に命運を託すなどアルカディアではあり得ないことだったが、ここ数日間ソフィアとともに過ごしてみて、彼女がこの世界を大切に思う気持ちは本物だと断言できる。だから、勇人は彼女に託す。同じくこの世界を守りたいと思う人として。

「グギャアアアアスッ!」

 こちらが止まっているのを好機と見たのか、赤竜は再び炎を口に滾らせる。零れる炎の燐光が蓄えられた魔素の多さを物語っている。

「奴はあたしを危険視してるから、さっきにみたい飛べばあたしを狙ってくる。勇人はそこを狙って動きを封じて」

 この作戦の要はソフィアだ。魔素の総量で劣る勇人には決定的な一撃を打ち込むことができない。赤竜が放つ攻撃を押しのけて体内に打ち込むということは、ソフィアにもそれなりの時間が必要だろう。ソフィアの準備が整うまで自分が動きを封じるための余力を残しながら、赤竜の気を引く必要がある。簡単ではないだろうが、やるしかない。

「俺もいつまでやれるか分からないが、できるだけ時間を稼ぐ。準備が整ったら合図をくれ」

 その言葉を残して勇人は先に動いた。能力を行使して赤竜の気を引く。赤竜は滾らせた熱線を一気に放出する。空気を震わせる勢いで貫いていく熱線を勇人は真正面から受け止める。

「土壁!」

 地面よりいくつもの土の壁を作り出し、少しでも威力を減衰させる。まともに受ければダメージを負うどころでは済まない。ここぞというときに赤竜の動きを封じる役目を担っていることもあって、ここでやられるわけにも必要以上に消耗するわけにもいかない。

 幾重にも重なる土の壁を熱線は容赦なくぶち壊しながら貫いていく。少しでも威力が削れていることを願うしかない。

「くっ!」

 可能な限り威力を減衰させて、そのうえで聖剣に満ちる魔素を使って熱線を迎え撃つ。凄まじい熱風が勇人を襲う。

(ソフィアが準備完了するまで持ちこたえられるか……)

 勇人は聖剣による障壁を展開する。完全に熱線を無力化するまではいかなかったが、土壁で威力の減衰には成功した。とはいえ、それでも暴力的な威力なのに変わりはない。じりじりとMPが減るように魔素が削られていくのが分かる。このまま押し切られれば、作戦がおじゃんになるだけでなく、学校もただでは済まない。なんとしても、持ちこたえなければ。

「勇人!」

 徐々に魔素に限界が見え始めて押されかけてきた頃、ソフィアから準備完了の合図が来る。一刻も早く離れたかった勇人はそのまま熱線から離脱する。ぶつかる相手を失った熱線は猪突猛進ごとく結界と衝突する。勇人が威力を減衰させたおかげで結界に然したる影響はなさそうだ。

「もう少しでこっちがやられるところだったぞ」

「その軽口が出るうちはまだ大丈夫そうね。もう一踏ん張りしてもらうわよ」

 今までのは作戦の前段階に過ぎない。本番はここからだ。一度きりしかないチャンス。失敗は許されない。緊張感を共有したかのようにふたりはほぼ同時に一呼吸する。

「行くわよ!」

 掛け声ともにソフィアは空へ飛翔する。手を構えて能力を行使する状態に入る。彼女の手に集まっている圧倒的な魔素を感じ取ったのか、赤竜が首をソフィアに向けて、同じく熱線を放つため口内に魔素を収束させる。赤竜が迎撃態勢に入ったところまでは想定どおりだ。

「グギャアアアアススススッ!」

 耳を劈くほどの咆哮とともに赤竜は溜めきった魔素を一気に放出する。

「――勇人!」

 待ちに待った赤竜が口を開けた瞬間。ソフィアの呼び掛けを聞くよりも早く勇人は動き出していた。

「ソフィア! 打て!」

 地より複数体の地竜を顕現させ赤竜の自由を奪う。そのタイミングでソフィアも必殺の一撃を放つ。極大の魔素で作られた矢が空を切って突き進む。さきほどよりも激しいぶつかり合いで空気が振動する。

(――お願い、届いて)

 ここで届かなければあの頃に逆戻りだ。誰も救えず、他者を傷付けることしかできなかったあの頃に。この世界で色々な人の温もりや優しさに触れて、心の底から変わりたいと願った。ここで誰かを救うことができれば変われるかもしれない。そのきっかけになるかもしれないのだ。だから、諦めない。元凶であるゲルギオスを追うことももちろん大切だ。だが今は、目の前にある、手を伸ばせば届く距離にある命を救うことに全力を注ぐ。

「絶対に……倒す!」

 ソフィアの気持ちに呼応するように矢は少しずつ熱線を押し返していく。危機を悟った赤竜が回避行動を取ろうとするが、それを勇人が許さない。

「――行けっ!」

 一瞬の強い輝きを放って熱線に完全に打ち勝ち、矢はついに赤竜の体内に到達する。

「――爆ぜろ!」

 ソフィアがそう発した瞬間、急速に赤竜の体が膨らんでいく。赤竜の体内に入り込んだ矢という名の極大の魔素が膨張を始めたのだ。

「ギャアアアアアアアスッ!?」

 悲鳴のような甲高い鳴き声を上げる。必死の抵抗も虚しく赤竜の体は際限なく膨張していき――ついに限界というタイミングで溶けるように赤竜の体は消えていった。

「……ど、どうなったんだ?」

 束縛という役目から解放されて勇人はその場で片膝をつく。赤竜の姿は消えた。なんとか結界が破られる前に決着をつけたことで周囲にも目立った影響はない。勝利には変わりないのだろうが、いったいなにが起きたのか説明が欲しいところである。

「きっとあたしの攻撃に対抗するために、限界まで魔素の生成を行ったのかもね」

 無理に魔素を捻り出そうした結果、体まで魔素生成の糧になってしまったというところだろうか。こちらも命懸けの戦いで手段を選んでいられなかったとはいえ、なんとも悲劇的な最期だ。

「とりあえず、危機は脱したな」

 眠っている学校にいる人々もいずれ目を覚ますだろう。

「……そうね」

 脅威を排除できたというのにソフィアの顔は暗い。確かにゲルギオスを追い詰めたわけではないが、少なくともすぐそこまで迫っていた脅威から学校を救うことができたのだ。それは喜ぶべきことだろう。それともなにか他に気になっていることもでもあるのだろうか。

 そう思ってソフィアに尋ねようとしたところで、ぞっとするような気配を感じ取り勇人は振り返る。

「そこそこ強い奴を使ったつもりだったが、それでも倒されてしまうか。さすがは七大王。こっちでも力は衰えていないか」

 声を発する直前まで一切気配を悟らせず現れた謎の男。ソフィアが展開した結界はまだ健在だ。本来結界で覆われた空間には基本的に外部から侵入できないようになっている。それを強引にこじ開けて内部に侵入できるのは、強力な力を持つ存在だけだ。例えるなら――かの大悪魔のような凶悪な存在。

「ゲルギオス……」

 勇人は憎々しげな目をゲルギオスに向ける。それに釣られるようにソフィアも視線をゲルギオスに移動させる。

「久しぶりだな。いや、この世界でお前と会うのは二回目か」

「できることなら、二度と会いたくなかったんだけどな」

 嫌悪感を露わにし、剣呑な視線を送る勇人。かつて戦った相手であり、辛酸を嘗めさせられた仇敵だ。もう会いたくないと思うのは当然だろう。

「あの竜を寄越したのはお前なんだろ」

「そう怖い顔するなって。ここにいる奴らなんて、能力も記憶もない雑魚ばかりだろ。ひとりやふたり死んだところで大したことない」

「大したことないだと?」

 人の命をなんとも思っていないゲルギオスの一言が勇人の中にある勇者の矜持に障った。使える魔素にあまり余裕はないが、聖剣を構えて戦闘態勢を取る。

「そんなに急くなよ。ここでお前と再戦するのも一興だが……、今日は魔王のほうに用があってきた」

 そう言ってゲルギオスは彼にとっても仇敵である勇人――ではなく、ソフィアに視線を向ける。そこで勇人はおかしなことに気付く。

――どうして彼女は黙ったままなのか。

 ソフィアにしてみれば、目の前にいる者は自分の友人を巻き込んだ張本人であり、打ち倒すべき相手である。この世界に来てから終始戦いに否定的だったとはいえ、友のために協力を申し出てきたことも踏まえれば、とても黙ったままでいるとは思えないのだ。

「ソフィア、あいつがなにを考えているか知らないが、今がチャンスだ。一気に攻めるぞ」

「…………」

 どんな理由があるにせよ、向こうから現れてくれたのなら、追っていた身として好都合だ。この好機を逃す手はない。それなのにソフィアの反応は妙に鈍い。

「ソフィア、どうした?」

 憎き相手を前にしても敵意を示さないソフィアに困惑する勇人。それを口許に怪しい笑みを浮かべながら見ていたゲルギオスが勇人に見せ付けるように訊く。

「先日の答え、聞かせてもらおうか」

 いったいなんのことかと勇人が思っていると、ソフィアが静かに一歩を踏み出し、そのまま歩き出していく。攻撃を仕掛けることはなく、能力を行使することもせず、ただ無防備の状態でゲルギオスに近付いていく。まるで自分が無抵抗であることを示すかのように。

「ソフィア!」

 もう様子見はしていられないと、ソフィアを追うため勇人が飛び出そうとする。

「来なくていい」

 冷たく拒絶する声。追いかけてきた勇人を一瞥することもなく、背中でそう言った。思ってもみなかった彼女の反応に勇人の足が止まる。

「なにを言ってるんだ、ソフィア! やっと向こうから姿を現してくれた千載一遇のチャンスだぞ。ここで戦わないでいつ戦う!」

 ソフィアだってあれだけ友人を巻き込んだ首謀者を憎んでいたのだ。ここで黙っていることなどできないはずなのだ。

「……勇人、あんたと初めて会ったときの帰り道のことは覚えてる?」

 ソフィアとこの世界で初めて会ったときといえば決闘まがいの一戦を交えたことだろう。その帰り道のことといえば、彼女が場違いなお腹を鳴らしてファーストフード店に寄ったことを思い出す。だが、今この状況でそれががなんの関係があるというのか。勇人は彼女の真意を測りかねた。

「あんたは――戦わなくて済むならそのほうがいい――そう言ったわよね。あたしもそう思う。だから……あんたとはここで別れようと思う」

 今度こそ勇人は絶句した。なにを言っているのか分からなかった。自分は勇者であり、ソフィアは魔王である。確かに敵対している中ではあるが、この世界では休戦することを約束し、互いにそれを承諾したのだ。なにより目的を同じくしてゲルギオスを追ってきた。ここまで来ていまさら袂を分かつ理由が分からない。まさかとは思うが裏切るつもりか。

「ソフィアがなにを考えているか知らないが、俺が取る行動はひとつだけだ」

 能力の行使に使える魔素は赤竜との戦いでほとんど使い切ってしまった。聖剣の自動回復でもとても間に合うとは思えない。それでも連れていかれそうになっているソフィアを目の前にして退くわけにはない。聖剣を構え直して突貫する。

 だが――。

「くっ……!」

 身体が動かない。いや、正確には能力を行使しようとすると、今まで自由に動いていた身体が途端に鉛のように重くなるのだ。

「つーわけだ。お前も勇者なら物分かりはいいほうだろ。仲間ごっこは終わりだ」

 片膝をつきながら勇人はゲルギオスを睨む。どうしていまさらソフィアがゲルギオス側に寝返る必要があるのか。それが解せない。真実を知っているはずの彼女は勇人に顔を見せないように背けている。

「くそ……!」

 能力の行使で動けなくなるならもう能力なんて使わなくていい。再び勢いを盛り返して勇人は特攻を仕掛ける。

 猪突猛進のごとく突っ込んでくる勇人をゲルギオスは片手間で吹き飛ばす。魔素の奔流が勇人を蹂躙する。無限に等しい魔素を持つ人外だからこそできる芸当にして、制限のある人間には防ぐ手立てがない攻撃。それは生身で荒れ狂う濁流に身をさらすことと同義だ。

「――カハッ!?」

 魔素の奔流が勇人の身体を蹂躙したあと、彼は苦しげに咳き込んだ。ずっと水中で息ができなかったような感覚だ。

「あれを耐えるか。さすがは勇者様といったところか」

 ボロボロになりながらも、それでもなお立ち上がろうとする勇人にゲルギオスは不機嫌そうに口許を歪める。

「……勇人。これでさよならね。少し間だったけど、今まで一緒にいられて楽しかった。……ありがとう」

「ま、て……。ソフィア」

 ゲルギオスとともにソフィアの姿が空気に溶けるように薄くなっていく。最後の力で伸ばした手は彼女に届くことはなく、勇人の意識は遠ざかっていく。

 ソフィアが消えたことで結界が消失した。それに気付いたエレナが勇人を見つけるのは、しばらくあとのことだった。

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