第12話
「……と。ゆ……と。勇人っ!」
誰かの呼び掛ける声と身体を揺さぶる感覚が徐々に鮮明になって、張り裂けるような声が勇人の意識を今度こそ覚醒させた。ここでないどこかではない。勇人が今いる世界でだ。
「……ここは?」
視界が徐々にはっきりしてきて、勇人は身体を起こす。霧がかかったような意識を完全に覚醒させるために軽く頭を振る。
「良かった……。目が覚めたのね」
心配そうに勇人の顔を覗き込んでいたソフィアは、ほっと安堵の声を漏らす。
おもむろに周囲を見ると、どうやら旧校舎の教室ではなく、白色で揃えられた棚や机が目を引く学校の保健室のようだ。どうやら意識を失ってからは保健室のベッドで寝かせられていたらしい。
「俺は……例の広告を見て気を失っていたのか?」
「ええ。突然、なんの前触れもなく倒れたときはさすがにびっくりしたわよ。先生には適当に理由を付けて保健室を使わせてもらってるわ」
「そうか……。手間をかけた。志願したくせに面目ないな。ソフィアがここまで運んでくれたのか?」
勇人がソフィアにそう尋ねると、彼女はかぶりを振った。
「エレナが運んでくれたわ」
「あいつが?」
少し意外だったのか、勇人は目を丸くする。見る限り、運んでくれた当の本人はここにはいないようだが。
「あんたに感謝されるのはごめんだって、席を外してるわ」
「あいつらしいな」
おそらくソフィアから頼まれてのことだろうが、それでもエレナが自分を運んでくれたのは普段の彼女からは想像できないことだった。
「身体のほうは大丈夫なの?」
「ああ。見た感じも体感的にも違和感はないな」
「そう。それならよかったわ」
ソフィアは念入りに確認する。勇人が自ら志願したこととはいえ、彼女なりに思うところがあったのだろう。
「それで……なにがあったの?」
勇人の安否を確認できたソフィアは笑みを潜ませて、真面目な顔つきになる。彼女としても気になるのはやはりそこだろう。女帝であるソフィアと互角に渡り合える勇人が数時間とはいえ、意識を失って倒れたのだ。なにかあったと考えるのは当然のことだ。
「気が付いたら、この世界じゃない場所にいたんだが、そこに……ゲルギオスがいた」
勇人が少し間を置いて告げた以上にソフィアは次の言葉を紡ぐのに時間を要した。
「げ、ゲルギオスって、あの大悪魔の? でも、それっておかしいじゃない。だって、あいつはもう……」
狼狽するソフィアに勇人も同調する。
「俺も確証はない。なんせ姿形はまるで違うからな。でも、俺もソフィアもかつての姿と異なる外見でこの世界に転生しているんだ。それがあの大悪魔の身に起こっていても不思議じゃない」
冷静に考えてみれば当然のことだ。どうして今まで考えもしなかったのだろうか。もしかしたら、無意識のうちにそうなってほしくないと、可能性から除外していたのかもしれない。
「もし、本当にゲルギオスがこの世界にいるとしたら、早く手を打たないと大変なことになるわ」
大悪魔――ゲルギオスの危険さは勇人を含め、七大王ならよく知っている。かつてアルカディアで一戦を交えたことがあるからだ。
まだ、勇人が七大王の地位を手に入れたばかりの頃。七大王を目の敵にしていたゲルギオスは彼らに戦いを挑んだ。その戦いに勇人も身を投じたこともあり、ゲルギオスの強さは身に染みて覚えている。
「あいつのことだから、そう易々と尻尾は掴ませてくれないだろうが……手をこまねいているわけにもいかないしな」
勇人自身、そう簡単に足取りを追えるとは思っていないが、少なくとも現状で大勢を巻き込んでいる呪術だけでもなんらかの手を打つ必要がある。
「そういえば、含みのある言い方をしていたな」
ゲルギオスと思しき人物と交わした短い会話の中で気になったことを口にする。
「含み?」
「今は、っていうのを強調していたな」
相手が相手だけに含みを持たせた発言は軽視できないだろう。しかも、あの発言は勇人が警戒を露わにしていたことへのものだ。いずれはこちらになんらかの攻撃を仕掛けてくるというようにも取れる。ゲルギオスの好戦的な性格も踏まえると、あまり時間は残されていないのかもしれない。
「なにか狙っているものがあると考えるべきね。それも目的のものの場所の目処が立っているとみていいと思うわ」
少し思案するように目を伏せたあと、ソフィアは自分の見解を述べる。
「あるいは、もう手の届くところにあるのか。いずれにしれも悠長にはしていられない」
すでに後手に回りつつある以上、さらに先手を打たれることはなんとしても防ぎたいところである。
「ひとまずは、例の呪術の調査もしつつ、ゲルギオスの動向を探る感じかしらね」
「なら、呪術のことはソフィアとエレナに任せるよ。俺はゲルギオスを追う。あいつとは因縁があるからな」
ゲルギオスとの戦いでは、勇人も七大王の新参ながら参戦した。七大王を潰すことを目的としていたゲルギオスは真っ先に勇人に狙いを付け、圧倒的な能力を以て勇人に襲い掛かった。聖剣の加護と能力でなんとかゲルギオスの力を削りに削って、最後は参戦していた七大王の手によって葬られた。いつもなにかといがみ合うことが多い七大王ではあるが、あのときばかりは共同戦線を張っていたのだ。
「そこまで言うなら、あんたに任せてもいいけど……大丈夫なの? あんたの身体とあたしたちの身体の違いを忘れたわけじゃないわよね」
もっともなことである。どれだけ強くなろうとも、人間と人外の根本的な身体の構造の違いは覆らない。この世界でソフィアと一戦を交えたときに経験済みのことだ。もちろん、勇人もそのことを忘却していたわけではない。
「それは分かってる。ただ、さっきだって数時間とはいえ意識を奪われていたことを考えると、俺に呪術の解読は難しいと思う。それなら、奴を追うほうがまだ可能性があると思ったんだ。見つけていきなり奇襲するわけじゃないし、そのあとのことはソフィアやエレナに相談するつもりでいる」
侮れない相手に無策で突っ込むというのは賢明な選択ではない。こちらにはソフィアやエレナがいる。彼女たちと共闘してゲルギオスに挑むことができるのなら、それに越したことはない。
「分かってるならいいけど。危険な相手だし、無闇に突っ込むのは禁物よ」
「ああ。ふたりに協力を仰ぐことになるだろうし、そのときは宜しく頼むよ」
そう言って勇人は保健室のベッドから立ち上がる。念のため、軽く身体を動かして違和感がないことを確認する。
「俺はこのまま帰ろうと思うが、ソフィアはどうする?」
「あたしはエレナを呼びにいくわ。どこかで暇を潰していると思うから。実際にどう動くかはまた明日、エレナも交えて話し合いましょう」
「まさかこんなことになるとは思ってもいなかったが……、早く奴の尻尾を掴まないとな」
ふたりの意識の向く先は、いずこで暗躍するゲルギオスだ。本格的な戦争になる前に解決しなければ、本当に取り返しが付かないことになる。
かつてしのぎを削り合った勇者と魔王は絶対にこの世界を守ってみせると固く誓った。
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