第9話
三人が調査という名のショッピングを行ってから数日後。
「それでさー」
暑い夕暮れの日差しが降り注ぐとある日の帰り道のことである。いつものように勇人が帰路に就いていると、中等部の女子生徒たちによる賑やかな声が聞こえてきた。それだけならよく見る光景であり、取り立てて気にするようなことでもなかったのだが、不意に気に留めたのは視界の端に見覚えのある姿を見かけたからだ。
「ソフィア……?」
思わず声に出して、女子生徒たちを目で追う。三人組で歩く女子生徒たちの真ん中にソフィアの姿を見つける。楽しげに両脇にいる女子生徒と話しながら歩いている。いつもエレナがべったりとくっついて一緒にいるだけに、その様はやけに新鮮に映った。
「じゃあ、私たちはこのあと塾があるからまた明日ね。ソフィアちゃん」
「うん。また明日」
互いに言って手を振り合う。しばらく小さくなっていく彼女たちの背中を眺めたあと、ソフィアはひとりで歩き出した。勇人が見ていることに気付いたのはそれから少し進んでからのことだ。
「……見てたの」
「それは、まぁ……」
なんとなく気まずくなって勇人は目を逸らす。こちらはただ帰っていただけなのに、なぜ気まずくならないといけないのか。
「今日はエレナと一緒じゃないのか?」
気まずさをごまかすように、そんなことを訊いてみる。実際、いつも一緒にいるイメージがある。
「エレナならクラスメイトから部活の助っ人を頼まれてそっちに行ってるわよ」
「助っ人? 意外だな」
てっきりソフィア以外には興味がないと思っていたのだが。
「ああ見えてあの子、人当たりは良いからね。それに私を介してのお願いだったから、むしろ張り切って飛んでいったわよ」
「ああ、それなら納得だな」
いくらソフィア以外に興味がなかったとしても、そのソフィアを通してのお願いとなれば断るわけにはいかないだろうし、張り切るエレナの姿が容易に想像できる。能力持ちである彼女なら身体能力も常人より優れているので助っ人として申し分ないだろう。……むしろ、過剰戦力すぎて相手のチームは少し可愛そうだが。
「それでお前は友達と帰っていたわけか」
「……やっぱり見られてたのね」
しまったと思って、思わず口に手を当てるが時すでに遅し。
「まあいいわ。どうせふたりとも帰りだし、少し歩きましょ」
どうやらそこまで気にはしていないらしい。勇人とソフィアは並んで歩き出した。
夏の季節も徐々に本気を出し始めてきて、夕方でも肌に薄らと汗が滲む。
勇人とソフィアは舗装された川沿いの道を歩いていた。しばらくは川の流れる音が目立つくらい互いに黙ったままだったが、おもむろにソフィアのほうから切り出してきた。
「この世界のこと、どう思う?」
どう思う、とはまた抽象的な質問である。
「どう思う……ねぇ」
勇人もソフィアも同年代とは比較できないほどの経験があるが、だとしてこの世界ではまだ十年と少ししか生活していない。言い換えれば、その程度の時間でしか世界を俯瞰できていないのだ。経験を生かそうにも勝手が違いすぎるため、あまり参考にはならないだろう。
「正直言って、まだ分からないことだらけだけど……平和ってことだけは分かるよ」
それは何度も思ったことだ。争いもなければ、戦いによって無関係の誰が命を落とすこともない。自分のせいで無関係の人の命が削られるというのは、肉体に傷を負う以上に辛いものがある。平和であればそれを味わわなくて済む。
「平和……そうね、確かに平和ね」
道に沿って流れる川が心地よい音を運んでくる。向かいから自動車が来て横を通り過ぎていく。それからまた黙ってしまったソフィアは、通りがかった橋の欄干に身体を預けてつぶやくように口を開いた。
「さっき、クラスメイトと一緒に歩いてたでしょ。みんな、あたしが困ってると助けてくれるの。それ以外にもあたしがひとりでいると声をかけてくれて仲良くしてくれる。両親だってそう。あたしのことを第一に考えて優しく接してくれる」
橋の欄干から顔を出すソフィアはずっと水面を見つめていて、彼女の表情を窺い知ることはできない。今までになかった彼女の雰囲気に勇人は固唾を呑んで次の言葉を待った。
「……みんな、ほんと馬鹿よね。あたしは女帝で魔族の王で、誰かの助けなんか必要ないくらい強い存在なのよ。それなのに、みんなあたしが誰とも知らずに優しく接してくれる。まるで本当の家族や友達のように……」
ほんと優しくてお人好しよねみんな、と最後に彼女は言う。
橋の欄干で立ち止まっている勇人たちを気にしつつ、自動車が背後を過ぎていく。にわかに静寂が訪れる。勇人にとってソフィアが初めて秘めたる想いを吐露した瞬間に思えた。
「あのとき、あんたは元の世界に帰りたいって言ってたわよね」
「ああ、言ってたな」
「……あたしは正直今でもどうしたいのか分からない。この世界のことはすごく気に入ってる。周りもいい人ばかりで……」
視線を水面から勇人に向けてソフィアは告げる。
「あんたは今でも帰りたい? 戦いだらけの日々に戻りたい?」
いつになく真剣さを帯びたソフィアの言葉。どこか気圧されるものを感じつつ勇人は答える。
「……俺は今でも帰りたいと思っている。もし、元の世界がまだあるのなら、今頃はきっと大混乱だ。だから、俺は少しでも早く帰る方法を見つけたい」
この思いは己の意志によるものなのか、それとも勇者として使命感がそうさせているのか。いずれにしても、アルカディアには自分を必要としてくれている人がいる。その人たちのために一刻も早く帰らねばならないのだ。
「そう……。あんたは帰るスタンスなのね。……あたしには分からない。自分がどちらの世界にいるべき存在なのか」
混乱を表すようにソフィアの声は少し震えていた。
「じゃあこれからはもう調査はしないのか?」
つい先日、調査――という名のショッピング――をしたばかりだが、あれはソフィアからの提案だったはずだ。
「……少しだけ考える時間をちょうだい」
とても魔族の統率する女帝から出たとは思えない弱々しい言葉。アルカディアでしのぎを削り合った存在とは思えない。
「時間を取らせて悪かったわね。あたしはもう行くから」
いつの間にか空は夜になり始めていた。
小さくなっていくソフィアの背中に勇人は声をかけることができなかった。彼女の背中は次第に見えなくなった。
とある真夜中の山中にひっそりと佇む今はもう使われなくなった軍事施設の廃墟。日陰者が身を潜めるには打ってつけの場所に、その男はいた。口許には不気味な薄い笑みを湛えている。
「舞台は整った。あとは動力となる素材が必要だが……」
そう言うと男は一言二言呟いたあと、白い壁面に映像を映し出す。そこには黒髪の男子高校生と腰まである銀髪を揺らして歩く女子中学生の姿があった。
「まさかこうも、ぴったりの素材が来てくれるとはな。……勇者、魔王。このオレ様から逃れられると思うなよ」
男は手近にあったコンクリートの破片を壁面の映像に向かって投げ付ける。二回続けて投げられた破片は尋常ならざる速度で壁面に激突し、ふたりの顔の位置を穿つ。
「この世界はオレ様のものだ」
月明かりの下の薄暗い廃墟に男の不気味な笑い声が響いていた。
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