第8話

 昼を過ぎると、完成してから間もない商業施設だけあって、多くの人が訪れていた。本日は休日なのでそれもこの人の多さに一役買っているのだろう。これだけの人がなにも心配することなく、楽しめているというのは、改めてこの世界にアルカディアのような争いがないことを勇人に認識させる。

「女帝様! 次はこの店に行きませんか?」

「ここもいいけど、あっちも捨てがたいわね」

 適度に配置されている三人掛けのソファーに腰をかけて、ソフィアとエレナは地図に入り込みそうな勢いで見入っている。昼前に商業施設へ入ってから時間は経ち、すでに陽は沈みかけていた。

「なあ……」

「目移りしてしまうわね」

「そうですねぇ」

 勇人の声は彼女たちには届いておらず、完全に女子だけの世界だ。主導権は完全に彼女たちに握られていた。ソフィアはともかくとして、ソフィアのこと以外には興味がないと思っていたエレナも興味津々というのは意外だった。

「なあ!」

「びっくりした」

「おい、腐れ勇者。ここは公共の場だぞ。声のボリュームには気を付けろ。女帝様の鼓膜にも傷が付くだろ」

 なぜか怒られてしまった。悪いのは自分ではないし、鼓膜もそんなに柔いわけないと思うのだが。

「大声を出して悪かった。で、満足できたのか?」

 さりげなくスマートフォンで時間を確認する仕草を見せながら、ふたりに問いかける。それを見て我に返ったふたりは同じように時間を確認する。

「思ってたより時間が経ってるわね」

「そうですね」

 どうやら本当に時間を忘れて楽しんでいたようだ。楽しむのは大変結構なことだが、同行者がいることを忘れないでいただきたい。

「女帝様。私はもう少し女帝様との買い物を楽しみたいところですが、暗くなってきましたし、そろそろ帰り支度をしましょう」

「そうね。あんまり遅くなって心配をかけたくないし」

 能力持ちの三人にとって昼でも夜でも心配なことはほとんどないが、今は両親を持つ子供なので、帰りが遅くなれば心配もされるだろう。

 帰宅する方向で話がまとまったところで三人は立ち上がる。三階から二階、二階から一階へと下りていく。朝と同じ出入り口に向かうため、一階の家電量販店の前を通ったところで不意にソフィアが立ち止まった。

「どうした?」

「女帝様?」

 疑問に思った勇人とエレナが同時に声をかける。

「あれが目に入ったから」

 ソフィアの指差す先には旗のようなものがあった。吸い寄せられるようにソフィアがそちらに向かって歩き出すので、ふたりも付いていく。

「これがどうかしたのか?」

 辿り着いたのはゲームを取り扱うコーナーだ。新品のゲームから中古品まで、幅広いジャンルを取り揃えている。その中からソフィアは近日発売予定の予約受付中のゲームソフトを手に取ってまじまじと見つめる。

「勇者と魔王……?」

 若干、片言気味にエレナがゲームソフトのタイトルを読み上げる。凝った名前のゲームソフトも多い昨今ではかなりシンプルな名前だ。ジャンルもタイトルから想像できるとおり、ファンタジーのようである。

「私、これ好きなの」

 おもむろにそう言って、ソフィアは笑みを浮かべている。好きなゲームソフトを見て笑っているだけなのに、なぜかその笑みはなにかを隠しているように見えた。

「名前くらいは聞いたことがあるな」

 エレナのほうはこの手のものにさっぱりのようだが、勇人は少しばかり見覚えがあった。確か元々はスマートフォンの買い切り型のアプリで出ていて、それがコンシューマーに新要素を加えて移植されたらしい。既存の勇者と魔王の関係性に一石を投ずる意欲作という評価がどこかのゲーム雑誌に載っていたのを見たことがある。

「このゲームの勇者はね、魔王を倒さないの」

 ソフィアの語り口はどこか楽しげだ。好きと公言しただけあって、すでにアプリのほうはクリア済みなのだろう。

「簡単にまとめると、もちろん魔王も悪役だから酷いことしてるんだけど、それにも理由があって、その理由を知った勇者が最終的に魔王まで助けちゃうって感じのストーリーなの」

 肝心の内容についてはプレイしていないので詳しくは知らないが、一時期ネットで話題になっていて賛否両論だったという覚えはある。他のゲームなどを見る限り、どうやらこの世界では勧善懲悪というのが主流らしい。そんな中で正義が悪を助けるという構図を受け入れるのはなかなかに難しいだろう。それでも一定層の支持を得たからこそ、コンシューマーでの発売までこぎつけたところだろうか。

「ここにいる腐れ勇者とは大違いですね」

 ソフィアに擦り寄りよながら恨み言のようにエレナは言う。そんなことを言われても自分は勇者であり、アルカディアでは人類代表として他の七大王に立ち向かったのだ。その自分が悪に手を差し伸べるなどしてはいけない行為だろう。

「…………」

 そんなエレナの言葉にソフィアは無反応だった。その代わりに手に持ったゲームソフトの表紙をずっと見つめている。まるで憧れているように、彼女たちとともに商業施設の店を回った中で、もっとも長く見ていたものは普通のゲームソフトだった。

 ソフィアのあまりの無反応っぷりにさすがに不安を覚えたのか、エレナが呼びかけようとしたところで、我に返ったようにソフィアが反応を示した。

「え、あ、ごめん。話聞いてなかった」

「女帝様! 私のことを嫌いにならないでください! なんでもします! だから、無視しないでください!」

「え? は?」

 突然のエレナの狂乱にソフィアは狼狽する。さきほど公共の場だと言っていたのはどこのどいつだったか。

「少し物思いに耽ってたぞ、お前」

 勇人が助け船を出して、ソフィアは状況を理解する。

「別に無視してたわけじゃのよ。ただ、ちょっと考え事してて」

「な、なんだ、そうだったんですか」

 心底ほっとしたようにエレナは息を吐く。

「ああ……、だったら女帝様の物憂げな横顔をもう少し眺めておけばよかった……」

 安心してエレナはいつもの調子を取り戻す。安心した途端にこれだ。どうしてそこで落胆するのか、本当に分からない。

「ごめん、寄り道しちゃったわよね。もう満足したから」

 そう言いながらソフィアは曖昧に笑う。帰宅に向かっていたが別に急を要していたわけではないので、別に謝ることでもないと思うのが。

「さ、帰りましょ」

 先導するようにソフィアは先を行く。その後ろを忠犬のごとくエレナが付いていく。

(しかし意外だな。ソフィアがあんな内容のゲームに興味を持つなんて)

 本物の魔王であったソフィアにしてみれば、敵である勇者に助けられるなど絶対に許さないはずだ。少なくともソフィアは魔族としてそれだけの矜持を持って戦っていたと思う。きっとあくまで娯楽は娯楽として割り切っているのだろう。

「おい、遅いと置いていくぞ」

 少し先でエレナの急かす声が飛んでくる。少し考えながら歩いていたので、無意識のうちに速度を落としていたらしい。これ以上、エレナに偉そうにされても癪なので、早足で彼女たちに合流する。

 帰宅のため解散になったのはそれから間もないことだった。

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