第6話
六月の下旬も過ぎ、七月の上旬。この時期になると、あともう少しで夏休みなだけあって、クラス内ではどこに遊びに行くだの、なにをするだのという話で持ち切りで、つい先日、一学期の期末試験が終わったことも手伝って学校全体が賑やかになる。
そんな学生にとってはやることなすこと自由な甘美の夏休みであるが、世界の真実を少しだけ知っている者たちにとっては違った意味を持つ。
(人の目を気にせず調査できる貴重な期間だからな。無駄にはできない)
これまでも夏休みは何度もあったが、小学生や中学生では行動範囲に制限があるし、不用意に出歩けば親切に声をかけてくる人も多い。ゆえに自由に調査とはなかなかいかなかった。
だが、高校生となればどうか。もちろん完全に自由とまでいかないが、それでもある程度の自由は認められている。加えて、下手に能力を行使できない現状で学生割りという金額が安くなる制度はありがたく、なにかと調査にはお金がかかるため、まさに渡りに船だ。
「むっ」
などと、今後の展望を考えていると、スマートフォンが震えた。確認してみると、メールの受信を報せていた。送り主はもちろん先日連絡先を交換したソフィアだ。
『放課後、例の教室に集合』
例の教室というのはおそらく以前一戦交えることになったあの旧校舎の教室だろう。
このあとはホームルームがあるが、それ自体はものの数分で終わる。すぐに行くとだけ返信して、勇人はホームルームが始まるのを待った。
「ソフィア、いるか?」
呼び出され勇人は例の教室の扉をがらりと開けた。勇人は呼び出された側であり、当然呼び出した側のソフィアもすでにいるだろうと思ってその名を呼んだ行為はなにもおかしくはない。しかし、そこにいたのはソフィアではなく、さらに名を呼ぶ行為はそこにいた人物の逆鱗に触れてしまった。
「その声はまさか……!」
思わずといった表情で振り向くのは、ウェーブのかかった桃色の髪の少女だ。黄金色の双眸が勇人を捉えて逃がさない。
「貴様……! 馴れ馴れしく女帝様の名を口にするとは」
「な、なんでお前がいるんだよ。ここの生徒じゃないだろ、エレナ」
「ここの生徒じゃない? 貴様、この制服をちゃんと見ろ」
桃色の髪の少女――エレナ・ランドールはこれ見よがしとばかりに制服を強調する。見れば、確かにエレナの着ている制服は勇人の通う中高一貫校の中等部のものだ。襟元のワンポイントのようにある徽章も間違いなく中等部の二年であることを示している。
だが、おかしい。エレナもソフィアに負けず劣らず顔立ちは良いほうだ。もし、この学校の中等部にいたのなら、名前くらいは噂で聞いていてもおかしくないはずだが、今までの学校生活でエレナの名は一度も聞いたことはない。
「私も女帝様を追ってこの学校に転校してきた。私のこの身体は女帝様とともにあるのだ! ああ、女帝様……」
ソフィアのことを想像し、いつものやつが発症してしまったようで、エレナは恍惚した表情で身体をくねらせる。
「せっかく女帝様と感動の再会ができると思っていたのに……。とんだ邪魔が入ったものだ」
緩んでいた瞳を鋭くしてエレナは勇人を睨み付ける。
「邪魔ならどうするって言うんだよ?」
「この学校は女帝様と私が感動の再会をする楽園(エデン)だ。そこにユーティス……いや、今は勇人だったな。貴様の居場所はない。よって――今ここで消す!」
教室の少し黄ばんだ椅子が勢いよく倒れる。エレナが飛び掛かるための踏み台にしたからだ。
飛び掛かると同時に硬質化したエレナの右腕が黒々と鈍い光を放つ。
「お前っ!? 場所を考えろよ!」
とっさに顕現させた聖剣で右腕を受け止める。あと少しでも反応が遅れていたら、凶器と化したエレナの右腕が勇人の喉元に食い込んでいただろう。
「そうだな。貴様を消したところで、ここを私と女帝様のふたりだけの空間にするには人が多すぎる。貴様を消す前に他の奴らから……」
「そうじゃねぇよ!」
ぶつぶつと言いながらより危険な考えに行きかけているエレナ。これだから厄介なのだ。ソフィアの参謀役として側近を務めていたそうだが、当の彼女のことになると見境がなくなる。
「ふたりとも、意外と良いコンビなんじゃない?」
睨み合う勇人とエレナの間に割って入るように呼び出した張本人の声が聞こえてくる。
「女帝様!」
扉の近くのソフィアを見るや否や、エレナは彼女に飛び込んでいく。
「ああ、女帝様……。生まれ変わっても、そのお姿、その匂い、その全てが至福のものですわぁあああ……」
さきほどまで勇人を敵視していた顔はどこへやら。すりすりとソフィアの頬と自分の頬を擦り合って、エレナはこれ以上ないというくらいの喜びを身体と声で表現している。完全に口調まで変わっているのはいつものことだ。
「ちょっと、エレナ。くっつきすぎよ。離れなさい」
「ええー、も、もう少しだけ……」
「ダメよ。離れなさい」
「……はい」
さすがに本人から言われてはやめざる得ないようで、残念そうにしながらエレナはソフィアから身体を離す。名残惜しそうに手の残り香を嗅ぐ様はさすがとしか言いようがない。
「ソフィア、説明してくれ。どうして、エレナがここにいるんだ?」
勇人は改めてソフィアに説明を求める。馴れ馴れしく呼ぶなという視線がエレナから飛んできているが、今は無視しておく。
「エレナから聞いてないの? 見てのとおり、エレナも転校してきたのよ」
「それはさっき聞いた。そうじゃなくて、どうしてこの教室にいるかって話だ」
「ああ、それならあたしが教えたからよ。言ったでしょう、近いうちに紹介できるって」
ファーストフード店での会話を思い出す。確かにそう言っていたが、それはこのことだったのか。
「一回、三人で集まったほうがいいと思ってね。今後の方針も決めておきたいし」
ソフィアは窓際の近くまで移動し、背を向けてふたりと向き合う。今後の方針については以前も話したが、そのときはこれといって決まることはなかった。
「なにか名案でもあるのか?」
こうして能力も記憶も保持している三人が集まったのだ。アルカディアのことを覚えていない無能力者が圧倒的に多数な世界においては、むしろ自分たちが異分子だと言っていい。そんな中で三人の足並みを揃えるというのは悪いことでないだろう。
「名案というほどのものでもないけど、やっぱり現状の調査がいると思うのよ」
「現状の調査?」
「そう。こうしてあたしたちがこの世界にいることを踏まえると、他の強い奴らがいないとは考えにくい」
勇人やソフィアだけでなくエレナもいるとなると、いよいよ仮設の段階ではなくなってきたのは確かだ。
「そこで三人でおかしなことが起きてないか調べてみるのはどうかしらと思ったのよ。もし、なにか手掛かりが見つかれば、元の世界に戻る足掛かりになるかもしれないし」
強力な力を有する存在は得てしてなにかを企てるものだ。かつてアルカディアの統治を巡って争いを繰り広げた七大王がその最たる例だろう。その争いに身を投じた勇人だが、そこまでは思いつかなかった。人類を守ることを考えていただけに、その考えは女帝ならではの視点と言える。
「というわけなんだけど、ふたりはどう思う?」
話の主導権はソフィアからふたりに移る。
「俺は構わないが」
「女帝様! その考え自体に異論はないですが、この腐れ勇者と行動をともにするのは嫌です!」
誰が腐れ勇者だ、と言いたくなるのをぐっと堪えて勇人は静観を貫く。ここで変に刺激してエレナが暴走しても困る。
「そうは言っても、現状この三人しか記憶のある人はいないし、別々で行動するほうがむしろ不都合があると思うわよ」
「で、ですが……」
さすがのエレナもやはりソフィアには逆らえないのか、困ったようないじけた顔をする。そもそもソフィアの言っていることはかなり現状に即した考えで、それを拒否できるほどの代案は難しいだろう。
「……分かりました。ですが、女帝様。条件がひとつ」
しばしの逡巡のあと、まるで生死に関わるような重たさでエレナは口を開く。
「この腐れ勇者と一緒にいるのは嫌ですが、女帝様と勇者をふたりっきりにするのは嫌どころか我慢できません! 女帝様と私とおまけでそこの勇者の三人でなら、賛成します」
鋭い視線が勇人に向けられる。
「よし、それじゃそれで決まり」
どうやら話はまとまったようだ。というか、結局最初の案に戻っただけのような気もするが、それでエレナが渋々ながらも納得してくれたというのなら、これ以上言及するのは危険だ。エレナの気が変わらないうちに勇人も賛同しておく。
「じゃあ方向性は決まったことだし、今日はこのくらいで」
気が付けば、旧校舎の教室の窓から見える校庭では、どこかの運動部が片付けを始めていた。そんなに話し込んでいたつもりではなかったが、そろそろ帰る頃合いだろう。
「あの条件で手打ちにしてあげた私の慈悲に感謝するんだな」
ソフィアにべったりとくっつきながら、なぜかエレナは偉そうに言う。ソフィアのことになると盲目的になり過激な言動も多くなるエレナだが、そんな彼女の性質も勇人にとってはもう慣れたことなので適当に受け流す。
「ああ、そういうことにしておくよ。俺はソフィアからの連絡を待っていればいいんだよな?」
「ええ、あたしからふたりに連絡を寄越すから」
「分かった。後日、宜しく頼む」
そう言って、勇人は教室を出る。このままいてもエレナの視線は離れそうもないので自主的に出ていくことにしたのだ。案の定、教室を出るその最後までエレナの視線がまとわりついていた。
深夜の某大手掲示板。そこではある事象がをちょっとした騒ぎを呼んでいた。
息子が目を覚まさなくなった――そんなスレッドが立てられたのはまだほんの数日前のことだ。スレッドを立てた人曰く、何日経っても息子が部屋から出てこないので、気になって見にいくとパソコンの前で息子が倒れていた。そのパソコンのモニターには赤い文字で『残り5000人』と意味不明な数値が出ていたという。数多の病院に駆け込んだが全て匙を投げられ、インターネットでもろくな情報が得られず、藁にもすがる思いで最後の最後に行き着いたのが大手掲示板だった。
そのスレッドに集まった人からは、なぜ何日も息子を放っておいたや他に症状はないかなど、責める人や親身になって考えてくれる人で白熱していた。
そんな深夜に議論が繰り広げられるスレッドに、突如場の雰囲気には全く合わない書き込みがされた。
――新しい世界を見てみませんか?
あまりに場違いな書き込みゆえ、特に真剣に考えていた人からは非難囂囂だった。場違いな書き込みを行った人からそれ以上の書き込みはなかったが、不思議なことにその書き込みを境にしてスレッドの勢いは半分ほどになっていた。
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