第3話

 とりあえず、ソフィアの空腹を満たすために向かったのは、勇人の帰り道から程近いファーストフード店だ。

 時刻はすでに八時を回っていた。社会的にまだまだ守られる立場であり、多感な高校生が出歩くには少々遅い時間だ。場合によっては補導されることも珍しくない。精神年齢的な意味合いでいけば、勇人もソフィアも多感とは程遠いが。とはいえ、補導されるのも面白くない。

 そこで勇人は駅前にある予備校に併設された店舗を選んだ。予備校の近くにある店舗なら、予備校生に紛れることができるし、この時間に外をうろついていてもある程度理由が立つ。その目論見どおり、予備校帰りの学生に紛れることができた。

「あー、お腹いっぱい」

 満足げな表情でソフィアはお腹を擦る。ソフィアの目の前にあるテーブルでは、三度の追加注文を経てハンバーガーの包み紙が小山を形成していた。それだけではなく、付け合わせと称してポテトやチキンといったサイドメニュー類も小山の形成に一役買っていた。

「お前には限度っていうものがないのか」

 軽くなった財布の中身を気にしながら、勇人は少し不満げな声色で言う。徒歩通学のため財布の中身については直近の問題ではないが、そもそもはこんなとんでもない食欲のために使われるお小遣いだったわけではない。安くて美味いが売りのファーストフードだが、ものには限度がある。

「ほら、戦いのあとには腹が減るって言うじゃない」

「それを言うなら、腹が減っては戦が出来ぬ、だ。順番が逆だし、引用として正しくないぞ」

「微妙に違ったわね」

 微妙どころかかなり違うと思うのだが。国語のテストなら問答無用で減点だ。まあ、それはどうでもいいとして。

「これで今回は引き分けってことにしてあげたんだから、安いもんじゃない」

 フライドポテトを囓りながら言われても全く以て説得力がない。というより、それは奢った側が言う言葉であって、間違っても奢られた側が口にしていい言葉ではない、と思う勇人である。

「今回はって……、これからもやるつもりなのかよ」

「当然じゃない。それにあんた、負けるわけにはいかないって言ってたじゃない。引き分けのままでいいわけ?」

 フライドポテトの最後の一本を食べ終えて、ソフィアは挑発するような口調で言う。確かに負けるわけにはいかないと言った。正義が悪に屈することなどあっていけない。

 そうは思う一方で。

「戦わなくて済むのなら、そのほうがいい」

 戦いという行為は当人同士の問題では済まない。規模次第でいくらでも周囲を巻き込むし、なにより戦いによる疲弊、損害を最も多く被ることになるのはなんの罪もない人々だ。アルカディアではそれを幾度となく味わった。そして、今いる世界は戦いの文字すら見えない平和な世界なのだ。自分やソフィアがこの世界にいる以上、同じように転生した他の七大王やそれらに準ずる能力を持つ存在が戦いの香りを嗅ぎ付けてきてもおかしくない。強大な力は存在するだけで戦いを呼び寄せるのだ。

「……あんたがそんなことを思っているとは意外だわ」

 勇人の回答がソフィアの意表を突いたのか、少し驚いたような顔をして彼女はつぶやいた。

「そんなに意外だったか?」

「いえ、……あんた、悪は滅されるべきって考えだけど、滅される側の都合とか想像したことある?」

「あるわけないだろ。どうしてそんなことを考える必要がある? 悪の都合なんて知ったことか」

 悪が裁かれるに相応のことをして、正義が断罪を実行する。ごく自然の流れであり、古来より受け継がれる正義と悪の構図だ。悪がどれだけ強大であろうとも、最後は正義が勝利を手にする。それはこの世界でも同じようで、人々の娯楽のひとつであるゲームでもこの構図はよく使われている。そんな当たり前のことをなぜ考える必要があるというのか。

「そう……よね。あんたは正義の代弁者だもんね」

 俯き気味にソフィアはそんなことを言った。勇人は自分をそこまで高尚な存在だとは思っていないが、聖剣を預かり人類の代表として戦ったという行為はそう形容できるのかもしれない。

「それより、ソフィアの知っている情報を教えてくれ。お前だって色々調べていたんだろ」

「知っている情報?」

「この世界のことやどうしてこんなことになったか、だ。周囲の人間に相談しようにも、誰も彼も最初からこの世界にいるみたいに前の世界のことを覚えていない。こんなふうに話し合えるのはソフィアが初めてだ」

 敵同士ではあるが引き分けで手打ちになったので、今は一時休戦だ。そもそも目下の課題は勝ち負けではなく、現状の把握とこれからの方針である。

「知っている情報って言っても、目新しい情報はないと思うわよ。あんたと同じように相談できる人が近くにいなかったし、そもそもひとりでは調査にも限度があるし」

 そう前置きしたうえでソフィアは手持ちの情報を開示する。しかし、やはり情報のほとんどは勇人と同じで、これといった新情報は得るには至らなかった。

「記憶があるとないとでは、どんな違いがあるんだろうな?」

 勇人は疑問に思ったことを口にする。目新しい情報は得られなかったが、共通項を見つけることはできた。それはどちらも大半の人がアルカディアの記憶を覚えていないということだ。かなり漠然とはしているが。

「記憶のありなしの相違点を見つけるより、まずはあたしとあんたの共通点を見つけるほうが早いんじゃない?」

「それは考えるまでもないだろ……って、そうか」

 勇人は自分で言っていて気が付いた。勇人とソフィアの共通点。それは互いに強大な能力を有していることだ。

「あたしの周囲にも前の世界のことを覚えている人はいなかったし、記憶の薄さに比例するみたいに能力持ちもいなかったわ」

「俺のところもそうだ。となると、前の世界での能力の強さに応じて記憶を受け継いでいるって感じか」

 思い返してみれば、先日絡まれた柄の悪い三組もアルカディアの記憶や能力を持っていないようだった。この推測はなかなかに的を射ているのかもしれない。

「おそらくはね。とは言っても、母数がまだあたしとあんたのふたり……と、もうひとりいたか。まだ三人しかいないから、ただの偶然の可能性もあるけどね」

「まあそりゃそうだけど。ところで、もうひとりって、俺たち以外に記憶を覚えている奴がいるのか?」

 自分たち以外にも記憶を保持している人がいるとは初耳だ。こんな状況だ。考える頭数は多いほうがいい。

「いるわよ。でも、あんたとは合わないと思うわよ」

「……まさか」

「エレナ・ランドール。覚えてるでしょ?」

「お前にご執心だった、あいつな」

 嫌な思い出だというように勇人は苦い顔をする。エレナ・ランドールといえば、最期までソフィアの側近として死力を尽くした悪魔だ。その実力はソフィアのお墨付きで、実際ふたりの連携は勇人を苦しめた。そんな実力のある悪魔だったのだが、些かソフィアへ傾倒しすぎている節があったようで、エレナがソフィアを気にかけた際のわずかな隙を衝かれて勇人に倒された。

「あいつもこの世界に来ているのか」

「とは言っても、あたしもエレナと再会したのは最近だけど。エレナのほうはあたしより記憶が薄いみたいね。あたしのことだけは隅々まで覚えているのにね」

 ソフィアとエレナの能力を比べたとき、当然のことながらソフィアほうが実力は上である。能力の差が記憶の濃さに影響を与えるというさきほどの仮説どおりだ。

「お前に関することだけは正確に覚えているっていうのは、あいつらしいな」

「まあね。それで近いうちに紹介できると思うけど、どうする?」

「いや、しなくていい。ていうか、あいつがいて、よくひとりで来られたな」

「なんとか撒いてきたのよ」

 ソフィアのことになるとかなり危うくなるエレナがこんな密会まがいの光景を目の当たりにしたら、どうなるかは想像に難くない。勇人は少し身震いした。

 近くの席に座っていたふたり組の高校生が席を立つ。それに釣られて勇人が周囲を見回すと入店時よりも席の埋まり具合が疎らになってきた。そろそろ引き際だろうか。

「さて、人もはけてきたし、今日はいったんお開きにする? 補導されても面倒だし」

「それは一理あるが、その前にひとつだけ答えてくれ」

「なによ、そんな改まって」

「お前、なんでファーストフードすら買う金がないんだよ?」

 完全に予想していた範囲外からの質問だったのか、ソフィアはしばし面食らったように口を開けていた。

「あんた、そんなことが訊きたかったの?」

「いや、重要なことだ。いくら中学生とは言ったって、今日日ファーストフードも買えないくらい金欠とは思えない」

 勇人はぐいっと身を乗り出して逃がしはしないというようにソフィアを凝視する。最初は視線を逸らしていたソフィアだったが、根負けしたようにひとつ息を吐く。

「この世界って色んなものがあるじゃない。漫画とかアニメとかゲーム、それと服とか。そういうのが面白くてつい……」

 なぜが気恥ずかしそうに言うソフィア。つい、の先は言わずもがなだ。

「めちゃくちゃ堪能してんじゃねえか!」

 勇人は思わず声のボリュームを間違えて突っ込んでしまう。店員が確認のためにやってくるが、なんでもないですと言ってその場を取り繕う。

「こっちはずっと真剣に前の世界に戻る方法を考えてきたってのに……」

「あ、あたしは悪くないわよ。楽しすぎるのがいけないのよ!」

 必死に自己弁護するソフィアだが、現に軽食すらできないくらいに金欠なわけで、なにを言っても墓穴を掘るだけある。

「と、とにかく今日はこれでお開きにしましょ!」

 逃げるように言って、ソフィアは立ち上がってそそくさと去っていこうとする。

「あ、ちょっと待て」

 慌てて店を出ようとするソフィアの手を掴む。

「お開きなのは別に構わないが、今後のことも考えて連絡先くらいは交換しておかないか?」

 そう言って勇人は自分のスマートフォンを差し出す。

 それを見たソフィアは刹那の沈黙のあと、勇人の要求に応じた。

「そ、そういうことなら仕方ないわね」

 この世界の技術はすごいもので、少しの操作で互いの連絡先の交換が完了する。これでこの四角い機械さえあれば、どこにいようとも会話ができるのだから非常に便利だ。アルカディアでは遠方とのやり取りには苦労したものだ。

「これでよし。引き留めて悪かったな。今後は新しい情報とかが手に入ったら互いに共有しよう。ソフィアだって元の世界に帰りたいだろうしな」

 この世界ではなに不自由なく生活できているし平和でもあるのだが、それでも元々自分たちがいた世界はアルカディアだ。この世界がどれだけ素晴らしくとも元の世界に帰りたいという思いは変わらない。

「……そうね。また、なにか分かったら連絡するわ」

 そう言って、今度こそソフィアは店をあとにした。彼女に続いて勇人も外に出ると、すでに辺りには完全に夜の帳が下りており、ソフィアの背中が闇に消えるのに時間はかからなかった。

「ソフィアも元の世界に帰りたい……んだよな?」

 見えるはずもないソフィアの背中を見るようにして勇人はつぶやいた。そのつぶやきは誰の耳にも入ることなく、夜の闇へと吸い込まれていった。

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