第20話選択


「お、おぼえて……ない?」



 その目は何かを訴えており、不安であった。どうしてそんな顔をする。


「わ、悪いが人違いじゃないか?」


 そう伝えると、白い少女は大粒の涙を零しながら、弱弱しく手を解いていく。


「うそぉ……ほ、ほんとうに、何も覚えていないの!」


 白い少女は泣きながら俺の胸倉を掴み、必死に訴えてくる。

 何度もなんどもなんども繰り返し訴えられ、その都度に大きく揺さぶられる。フードが剥がれ顔が姿を現しても白い少女は訴える。


 泣きながら。何度も。叫ぶように。


「もぉいいだろ! 離せ。俺はお前の事なんか知らん」


 暗い顔を沈める白い少女、それをあやすように慰める黒い少女がいた。


「もういいよ――ちゃん。きっと人違いだって……ね?」


 人目が集まるも気にせず、その場から立ち去った。




 去り際に黒い少女が言っていた言葉。きっと名前なのだろう。どこかで聞いたことのある名前。忘れてはいけない名前。明るい名前。笑う名前。涙を流す名前。憎たらしい名前。頼れる名前。優しさを感じる名前。日常になりつつある名前。気の置けない名前。


 咽返るように記憶のようなものが溢れていく。涙があふれてくる。ああ、違う。ここに居ちゃいけないんだ。


 どうなってんだ。何が何だかさっぱりだ。



 足を引きずるようにあの丘へと戻り、町が寝静まる頃に眠る。夜空に浮かぶ月はどこか懐かしく、慰めてくれているように感じた。だが、あの二人の少女のことが気になり、寝るに寝付けず、うなされるような夜であった。



 翌日、痛い腰をさすりながら目覚めた。


――町は一変していた。


 文字は読め、話す言葉も理解できれば、会話することも可能なようだ。


――何が起こった?


 自身で設定したタイムリミットを思い出し、一番印象の良かった飲食店に働けるか頼みこんだ。店主のおばちゃんはにっこりと微笑み、受け入れてくれた。

飢えと理性の危機を逃れ、この世界に生きている証が作られ始める。



 一通り仕事を覚え、いざ店の開店時間になろうというころ。


 あの二人が店に入ってきた。


 ウェイトレスの女性が開店前のため、二人を引き返そうとする。


 何かを話している白い少女。困った顔をしたウェイトレスが俺を見てきた。しかたなく店の裏手へと行き、話を聞く。


「こんなところで何しているの?」怪訝な面持ちの白い少女は顔を合わせない。


「ここで生きていくつもりなの?」俺が必死にあがいていたこと、全てが否定された気分だ。


「もう帰る気はないの?」何かを忘れている気がした。


「忘れちゃったんだね」……。


「あっそ……」無言でいたのが癪に障ったようだ。


 目の色が変わっていた。泣いてはいなかった。

 ただ、怒っていた。


「いい加減にしてよ! わかっているんでしょ、これが試練だって。私たちにとっての修行だって、だったら、さっさと終わらせてよ! 私が一人前になれるようにちゃんと協力してよ! それで済む話なんだから、こんな思いしなくて済むんだから!」



 止め際を失った黒い少女が寂しそうに見えた。

 悲しそうであった。



「俺は、わからないんだ。何処に生きているのか。生きていたのか。何か大切なものを忘れてしまっても、こんなに他人事のように自分だけで生きていこうとしているんだ。きっとあんたが探していた人とは違うんじゃないのか? きっと、何かの間違いだ――」



 ばちんっ。

 平手があった。――は泣いていた。


 ――は走って立ち去り、それを追いかけるように黒い少女が後を追った。

 この気持ちは一体なんだ。どこから来ているんだ。



 店に戻り、店主のおばちゃんに一言誤りを入れる。かけられた言葉に申し訳なさを覚えるが、今はやめてほしい。

 この葛藤を忘れてしまえば、何もかも終わってしまう。否が応でもこの葛藤を続けなければならない。


 咽返るような。何かを吐き出したい気持ち。いい加減にしろ。


 ――に言われた言葉が、頭を巡り巡り悶えるように屯する。

「こんなところで何しているの?」

「ここで生きていくの?」

「もう帰る気はないの?」

「――――」


 頭がパンクしそうになりながら仕事を終え、あの丘へと帰る。

 おばちゃんが言ってくれていた、


「そんなに無理しなくていいんだよ?」


 なぜ優しくする。

 なぜそんなに情を移す。

 どうしたっていうんだ。


 ふらふらになった俺を思ってか、「店の上に泊まれるスペースがある。どうだい? 住み込みで働くのは。あんた、筋はいいし仕事の覚えもいいし、いてくれるんなら助かるけどね」


 そのヤサシサに溺れそうだった。

 他人の情に浸り、大切なものを捨て、理性に溺死する寸前であった。


 これは、俺の物語か? この世界に来た時、何も覚えていなかったという事は、前にいた世界がこことは違うという事だ。新しい、まったく違う日常を手に入れることができるのだ。


 時期に平穏となるだろう。

 何もかも忘れ、迷うこともなくなるだろう。

 優しくしてくれるおばちゃんもいる、働ける場所も衣食住を提供してくれることも確約だ。


 これは、俺の物語だ――。




 翌日、おばちゃんに住み込みで働かせてもらおうと、話を持ち掛けに行った。

 店は準備中で中からは、商いを始める音が聞こえていた。


 勇気を出して扉を開け――。


 息が詰まった。

 突然分からなくなった。

 きっと違う、

 何かが違う、

 店の外装を見渡しても、町の様子を見渡しても、答えはない。

 ただ、違う。



 ――ここじゃない。いるべきは。謝るべきは。頼むべきは。

 ――待っている人がいる。

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