4マス目 「ストロングスタイル」


 はっと我に返った時には、事態はもう手遅れだった。

 スマホの画面が割れていた。

 電源は着いてロック画面が表示されるが、液晶ガラスにヒビが入っている。割れた画面をいくら指で擦っても、液晶はその指示に従ってくれない。

 乱れた息を整えながら、俺は頭を抱えた。

 スマホの画面をバチン、バチンと何度も叩いた記憶と、掌に残るヒリヒリとした痛み。そして、心に渦巻く絶望感と自己嫌悪。


 俺はスマホを修理に出さなくてはならない。


 全ての発端は半年ほど前の事。俺はとあるゲームを始めた。昔ながらのカードゲームをスマホで遊べるという内容のものだった。感染症の流行で外出自粛が求められ、日々の楽しみがめっきり減っていた当時、退屈しのぎのためにアプリをインストールしたのだ。子供の頃によく遊んでいた馴染みの深いゲームだった事も、始めたきっかけの一つだ。

 しかし、スマホゲームには実際のカードゲームと異なるシステムがあった。ゲームコインの存在だ。他のプレイヤーとの対戦に勝つと相手からコインを奪え、負けると相手にコインを奪われる。大差で勝てば奪えるコインの数も増えるが、大差で負ければより多くのコインを奪われる。コインを多く集めると便利なボーナスアイテムが貰え、逆にコインが尽きてしまうとゲーム自体に参加できなくなってしまう。

 ゲームをやり進めるうちに、俺は負けると強いストレスを感じるようになった。「ゲームを楽しみたい」よりも「コインを失いたくない」「負けたくない」が強くなり、負けた時に感じる怒りもどんどん強くなった。やがて俺は、負けたイライラが頂点に達した時、衝動的にスマホの画面を叩くようになった。鉄砲水でダムが決壊するように、力を込め、場所も弁えず、何度も叩いてしまう。自宅だけでなく、電車やバスの中だろうと、飲食店の席だろうと。偶然近くにいた人に変な目で見られてもお構いなしだった。

 そんな習慣を繰り返しているうちに、俺は定期的にスマホの画面を割るようになった。今日もそうだ。ゲームで連敗を重ねて大量のコインを失い、勝っても少ししかコインが貰えない状態が長く続いた。挙句の果てに一気に二千枚のコインを失い、ついに発作が起こった。頭の中が真っ赤になって、気付いた時には怒りを暴力に変換しているのだ。


 初めて画面を割った時はとても落ち込んだものだ。どうして自分はこんな愚かな事をしたんだと酷く落ち込んだ。もう二度としないようにしなきゃと反省した。しかし喉元を過ぎた熱さは、ゲームに負けた怒りにかき消された。しばらく経てば、また画面を叩く習慣が元通りに復活している。画面を殴らずには、どうしても腹の虫が収まってくれないのだ。

 気付いた時には、俺はループから抜け出せなくなっていた。画面に八つ当たりする度に、たかがゲームで負けたくらいで癇癪を起こす自分が情けなくなる。画面を割る度に、折角働いて稼いだお金を無駄な修理代に充てている事の愚かしさも身に染みて感じる。いい加減こんな習慣を直したいと何度も思った。しかし、俺にはこの歯車の止める方法がわからなかった。試しに衝撃吸収機能のある画面保護フィルムを貼ってみたが、効果は今一つだった。


 割れたスマホを机に置いて、顔を両の手で覆う。その時、ある考えが思い浮かんだ。

 いっそ、ゲームを辞めたらいいんじゃないか?

 そうだ!もうこんなゲームしなきゃいいんだ。そもそも俺は、楽しみを求めてこのゲームを始めたのに、そのゲームでイライラしているなんて本末転倒じゃないか。今やスマホゲームなんて五万とあるんだし、やりたくなったら別のゲームを始めればいい。よし、決めた!こんなクソゲー、もう二度とやるもんか――。


 そこまで頭の中でつぶやいた時、心の中のどこかがズキンと痛んだ。

 不意に、小学生の頃の記憶が脳裏に甦った。俺は友達の家に遊びに行く時、決まってあのカードゲームを持っていった。あの時の俺は、負けてもこんなに強い怒りを感じる事はなかった。むしろ、楽しく遊んだ覚えしかない。

 あの頃の俺は、どうやってこのゲームを楽しんでいたっけ?あの頃の俺は、一体どこに行ってしまったんだ?

 純粋な心でゲームを楽しめていた少年が、十数年の歳月を経て、ゲームに負けてキレるダサい大人になった。そう思うと、今までの自分の人生が途轍もなく虚しいものに見えた。


 俺は一体、どこで何を間違えてしまったんだろう?


 スマホを修理に出すには、ウェブサイトで予約を取らなくてはならない。パソコンを起動しながら、俺は溜息をついた。

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習作集 ―イチノメ― 伊場 敬@あれんすみっしー @McIver5cs

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