第五十六夜 裏ビデオ
「なあ、こっちは知ってるんだよ。あるんだろう、とっておきがさ」
笹山はにやにやと笑いながら言った。
カウンターの奥の老人は、相変わらず胡散臭そうな目を笹山に向けている。
「何の話だ」
老人は素っ気なく言っただけだった。
「ちぇっ、まったく」
笹山はため息をついたが、それで諦めるような男ではなかった。
笹山はカウンターに手をつき、顔を近づける。
「なあ爺さん。このビデオショップの地下で、とっておきの裏モノ、扱ってるのはこちとら知ってるんだぜ。表の流通に出せないほどヤベェ奴だって」
「知らんよ。ビデオならたくさんそこにあるだろう」
老人は後ろを指さした。狭い店内には、所狭しとアダルトビデオが並んでいる。世見町の片隅には、いまだこうした古いレンタルショップがいくつか点在していた。
笹山が仕入れてきたのは、その中のひとつ――この店の地下には「とっておきの裏モノ」があるという情報だった。無修正なのか、隠し撮りなのか、そもそも俳優でないものなのか、薬でもキメながらヤッているものなのか、そういうことは一切わからない。
「ガード堅いなあ。なんでダメなんだよ」
「そんなものは知らんよ」
結局、何度追いすがっても知らないの一点張りだった。笹山の後ろでこそこそとビデオを選んでいた男たちは、ようやく笹山がいなくなったことで、何もないふりをしながらビデオを借りていった。
しかし笹山はそんなものに興味はなかった。
アダルトビデオだってそうだ。それそのものに興味はない。どちらかというと、いわば都市伝説への興味というべきだろうか。
DVD全盛期の、(といっても、ブルーレイに変わりつつもある)このご時世で、いまだレンタルビデオなどと名乗る店の地下で、とっておきの裏モノが陳列されている――そんな時代錯誤だらけの都市伝説が実在しているなどと、誰が信じるだろう。
だが実際、地下らしき場所へ連れて行かれるところを目撃した人物もいる。
彼らは本当は業者の人間かもしれない。
地下といっても、単に倉庫かもしれないのだ。
だが、あの老人は地下の話ごと無かったことにした。
こうなってくると、笹山の中では真実味を帯びてきた。
果たしてとっておきの裏モノとは何だろう。
犯罪まがいのものだろうか。たとえば中学生や小学生だとか、連れてきた女を無理矢理だとか。世見町ならありえないことではない。
あるいはまったく違って、昔からあるSMショーかもしれない。今はともかく、昔はそういう地下で行われていたのかもしれないじゃないか。ぴっちりとした衣装に身を包んだ女が、裸の男の尻を打ち据える――笹山の中でもわもわと妄想が膨らんでいく。
笹山はしばらく様子を見ながら、地下に入れないかを調査することにした。
待った。
待った――。
それこそ一週間二週間ではない。一ヶ月単位で待った。
それなのに諦めなかったのは、時折地下に誰かが入っていくのが見えたからに他ならない。
謎を暴くという甘美な遊戯と好奇心との狭間で、笹山は時期を待った。
しかしてその尻尾すらつかめずにいたある日のこと、老人はカウンターにいながらすやすやと居眠りをしているのに気が付いた。まだ真っ昼間のことだ。
こんなことがあっていいのか?
本当に大丈夫なのか?
笹山は建築物侵入という犯罪の名さえ知らないまま、そっと地下へと続く階段へと足を下ろした。
足早に階段を下りていくと、そこには扉が一つあった。
鍵がかかっているのではと思われたが、扉はやや開いていた。
――しめた!
そっと扉を向こう側へ押しやると、向こうには薄暗がりの通路のようなものが続いていた。
老人が起きてこないことを祈りながら、通路へと入り込む。灯りはついていなかったが、非常灯がついているのでまったく見えないこともない。
荷物の類もまったく無く、世見町でよくある裏路地やバックヤードとは違っていた。妙にこぎれいにされている。
――なんだここ?
しばらく行くと、扉がいくつか見えた。
なぜこんなに部屋があるんだろうと思っていると、ふと自分の後ろに気配があることに気が付いた。
慌てて振り返ろうとした時にはもう遅かった。
笹山の頭にはごちんと衝撃が走り、小さなうめき声を出した時には、口を塞がれていたのだった。最後に見えたのは冷たい床だった。
だがほどなくして、笹山は目を覚ますことになる。
一瞬、何が起きたのかよくわからなかった。何か薬品のようなものを嗅がされた気がするのは、何となく覚えている。
体を起こそうとして、がちりと何かに固定されているのに気付いた。
「……え? な、なんだこれ」
どうやら椅子に固定されているようだ。
足や腕だけでなく、指先まで細かな固定具がついている。座り心地だけはそこそこいい椅子なのが理解に苦しむ。
部屋はシンプルなもので、正方形に近い形に、照明は豆電球のようなものがぽつんとあるきりだ。部屋の四隅にはカメラのようなものが設置されている。視線を動かすと、横には手術室にあるようなワゴンが置いてある。
だがその上に乗っているのは、およそ手術とは関係がなさそうな道具ばかりだ。
「……なんなんだよこれ……? おおい、だれかあっ! だれかー!」
叫ぶと、急にがちゃりと鉄の扉が開いた。思わずぎくりとする。
中に入ってきたのはレンタルショップの店員である老人と、黒い頭巾で顔を隠したスーツ姿の――おそらく男――だった。
「ふうん、こいつは生きが良さそうだ」
男は少し首をかしげたあとに言った。頭巾のせいでくぐもっていて、正体は知れない。体つきやスーツから中年の男だろうとは推測できるが、それ以上のことはわからない。
「ああ、そうだろうとも。そろそろ始めるから、いい加減視聴室に戻ったらどうかね」
老人がそう言うと、頭巾の男はひとつ頷き、鉄扉の向こうに下がっていった。
扉が閉まると、老人は笹山へと近づいてくる。
「お、おい、いったいなんのつもりで――」
「あんな噂な、知っていたとしてもなかなか来る奴なんていないんだよ。尋ねてくる奴はいるが、たいていそこ止まりだ」
老人は隣に置かれた器具を手にとって、ひとつひとつ確認しだした。
「……な、何に使うんだそれ」
「必要なのは、ここまで首を突っ込む奴。その上で、いなくなってもわからない奴が必要なんだ。世見町ではいなくなる奴も多いからな」
老人はペンチとアイスピックをそれぞれ一通り確認したあと、笹山の斜め前でしゃがみこんだ。そこはちょうど、笹山の左手の指先だ。
「とっておきの裏モノは今から作るんだよ。視聴室でも見てるがな、これから撮影もするんだ。まずは爪から始めよう。なあに、恐れることはない。それじゃあ、撮影を開始するからな」
「や、やめ……」
なんとか腕をはずそうともがくが、指先まで固定されていて、震えることすらできない。
その爪の先にペンチの冷たい感触があった。軽く何度か引っ張られる感触がある。笹山は血の気が引いていた。そもそもどうして誘拐犯が口を塞がなかったのか、今になって理解した。
悲鳴を聞くためだ。
ペンチが上に引き上げられたと同時、小さな、しかし聞いた事のない音がして、体中の痛みがすべて左手の薬指に集中した。
「あがあああああっ」
これほどの痛みが世の中にあるのか。爪のあった場所からぷつぷつと一気に赤い水玉が噴き出したかと思うと、だらりと広がる。
ペンチのつまんだ先には、今しがた剥がされた爪がてらてらと小さな光に照らされていた。
老人はその悲鳴に満足そうに頷いた。視聴室でも同じだった。その悲鳴に恍惚の表情を漏らしながら、これから先に行われる悍ましい惨事を期待していた。
その期待に応えるべく、老人は器具をペンチからアイスピックに持ち替えた。右手側に移動する。これはまだほんの始まりに過ぎないのだ。
まさしく地の底からの悲鳴は、鉄扉の向こうで虚しく響いた。
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