第十五夜 カプセルホテルの夜

 三田が世見町のカプセルホテルに泊まった時のことである。

 カプセルホテルというのは、カプセルという名の通り、人一人が寝られる空間に寝具があるだけの箱が並ぶ宿泊施設である。箱の中に入るだけあって狭いが、その代わり格安に泊まることができるものだ。

 今では新しいものもどんどんできあがり、寝る場所だけでなく小さな部屋のような空間が確保されているものもある。ただしそれは空港などにある新しい施設の場合だ。


 まあ安いし休める場所があればいい、くらいの軽い感覚で、三田は指定されたカプセルへと赴いた。

 廊下に面して二段のカプセルがずらりと並んでいる様は、古いとはいえ独特の近未来感さえある。近未来といってもディストピアのほうだが。


 ――へえ。狭いって聞いてたけど。


 二段になっているうちの下のカプセルに潜り込むと、中の空間を見回す。家にあるベッドよりは少し横が広いくらいで、もちろん狭いことには変わりないのだが、思っていたよりは余裕があった。胡座をかいて座れば頭もつかないし、休めばちょうどいいくらいだ。

 三田は別階にあるシャワーを浴び、アメニティをいくつか失敬すると、自販機でペットボトルを一本買ってからベッドに戻った。

 最初は少しくらいスマホゲームで遊ぼうかと思ったが、少しプレイすると、疲れもあって早々に眠気がやってきた。せめて今やっているクエストを終わらせてから、なんて思っている内に、いつの間にか眠ってしまったらしい。

 ふと気が付いた時には、三田は目を覚ましていた。


 ――なんだ、今、何時だ?


 スマホを探そうと手を動かしていると、やがて妙な音がすることに気付いた。


 ぺたっ、ぺたっ、ぺたっ


 音は廊下からで、誰かが裸足で歩き回っているような音だった。そこでようやくスマホを手に取ると、時刻は夜中の二時をさしている。せめてもう一度眠ろうと布団の中に潜り込んだが、今度はあの足音が気になって眠れない。

 今の時分まで起きているなんて、なんて客だ。


 ぺたっ、ぺたっ、ぺたっ


 音はまだ続いていた。しかもよく聞くと、どうやら歩いては立ち止まり、歩いては立ち止まっているようだ。


 ――ちっ、誰だよまったく。何してんだ?


 音は次第に此方へ近づいているかと思えば、また通り過ぎていく。そうかと思えばまた引き返してきて、ずっと廊下を行ったり来たりしているのだ。


 ――場所がわかんねえのか? というより……。


 廊下はホテルと違って消灯が無く、電気がついているから番号が見えないなんてことはない。だから窓にカーテンがついているのだし、せめて自分がどのあたりのカプセルだったか覚えていないなんてことはないだろう。

 となると相手は、ただただ廊下を歩き回っているということになる。

 ごそごそと起き上がり、どういう奴だとこっそり見てみようと思った。頭のおかしな奴を覗いてやろうというのだ。見つからないように、そっとカーテンの端を掴んでほんの少しだけ開ける。半目をこらす。


 ぺたっ、ぺたっ、ぺたっ


 向こうから音が近づいてくるのがわかる。

 よーしよし、もう少しだ。もう少しでどんな奴かわかる。


 ぺたっ、ぺたっ、ぺたっ……


 左のほうから足が見えたと思うと、目の前でぴたりと止まった。

 思わず息を呑んだ。その足は泥まみれで、長いスカートはすり切れて妙に汚かった。


 ――うわ、ホントに頭のおかしい奴かよ。こいつ、何してんだ?


 足はそこで立ち止まっていて、それ以上何かしてくることもない。さっきまで歩き回っていたのに、ずっとそこで立っている。さすがに変だなと思って、視線をゆっくりと上にあげていった。

 すると、垂れ下がった髪の毛の更に上に、女の逆さまの顔と目があった。

 そいつは人間業じゃないくらいに腰を折って、カプセルを覗き込んでいたのだ。カッと見開いた目は血走り、三田を凝視していた。、


 ――やっべえ!


 ぎゅっと目を瞑り、慌てて寝たふりをする。


 ドンドンドンドンドンドン!


 ――うっ!?


 カプセルが外側から叩かれる音が響く。こんな音出したら他のカプセルの奴らも起き出してくるはずなのに、誰も起きる気配はない。


 ドンドンドンドン!

 ドンドンドンドンドンドン!


 ――くそっ、何だよこいつ……!


 布団を頭からかぶり、聞こえないふりをするが、音は更に強くなっていく。フロントへの連絡はどうするのか、警察を呼んだほうがいいのか、頭の中でぐるぐると考えが渦巻く。


 ――くそっ、イチかバチかだ!


 目をかっと見開き、カーテンを勢いよく開け、箱の入り口を開けた。


「やめろ! うるせえぞ!」


 だが、そこには誰もいなかった。

 三田の声だけが廊下に反響し、跳ね返ってきた。


「えっ……」


 念のためにあたりを見回したが、女も、それらしい影もなかった。

 結局朝までろくに眠れることができず、三田は眠い朝を迎えた。


 あれは夢だったのかと思っているが、それでも三田は忘れることができない。

 あのとき、カプセルの中を覗き込んできた女の目を。

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