第十二夜 事故物件、住みます。

「おい、塩崎。お前ちょっとバイトしてみねえか?」


 世見町を根城にしている塩崎は、懇意にしている兄貴からの一言にすぐに頷いた。


「何っすか? 珍しいっすねえ。自分にやれることならやりますよ」

「なぁに、たいしたことじゃねえ。ちょっとある部屋に住んでもらいたいだけなんだ」


 二つ返事でオーケーしたものの、内容には首をかしげる。


「住んでもらうって……?」

「お前、事故物件って知っとるか?」

「えー、あー……事件とか幽霊とか出る部屋っすよね?」

「おう、そいつぁ次の借主には報告義務があるんだがな。やっぱり事件や自殺のあった部屋なんて、なかなか借りたくないだろう。でもな、一人借りて住んでもらうと、その次のやつには報告義務は無くなるんだ。つまり、お前にはその一人になってもらいたい」


 事故物件には誰かが一度住んでやる必要がある。そういうバイトだそうだ。


「とりあえず、一ヶ月くらい住んでくれ。借り賃はタダだ。バイト代は一日五千円。悪い話じゃあねえだろ?」


 塩崎は一も二もなく即決した。

 何しろタダで家が借りられる上、住んでいるだけで一日五千円と聞いては、事故だろうが自殺だろうが住んでやろうじゃないかと。


 件のマンションは世見町の中にあるとあって期待はしたものの、外見はごく普通のマンションと変わらなかった。

 なんだ、普通のマンションだなとがっかりしていたが、部屋の中は外観よりも綺麗だった。もしかしてと思った事件の痕跡も、見たところそれらしいものはない。床もカーペットになっていて、真新しい内装は不快感もゼロ。


 ――ほーん。こりゃあいい!


 塩崎は悠々と住み始めた。

 引っ越しして数日くらいは疲れもあってぐっすりと寝てしまった。事故物件といっても、別に何か出るわけじゃない。これで一日五千円。一ヶ月分だと幾らになるかを考えると、自然と笑みも出るものだ。


 ひとつ不便があるとすれば、隣の生活音が聞こえることだった。昼間の仕事をしているらしく、早朝と夜にガタガタと椅子を動かしたり、ちょとつまずいたくらいの音でも、家具が大きく傾けば音が聞こえてくる。

 事故物件とあって一瞬どきりとしたのだが、隣の生活音とわかれば怖いものはない。


 だが隣よりも、塩崎にとっては下からの音のほうが気になった。

 何しろ塩崎は布団を敷いて寝ているので、ゴン、ゴン、ガッ、ガッ、と結構な音が直接響いてくるのだ。


 ――なんだ、ここ下の床も薄いのかよ。ま、借り賃はタダだしな。


 我慢できないこともない。塩崎は気にせず眠ることにした。

 一、二週間ほど暮らしたあと、塩崎は友人と居酒屋で飲みながら今の住まいのことを話した。


「おう、そうだ。今オレな、バイトで事故物件住んでるんだ」


 声を潜めて、脅かすように言うと、友人は食いついてきた。


「へえ! よくそんなところ住めるな? バイトって、どういうことだ?」

「いや、何があったかは聞いてねえんだけどよ。事故物件ってな、次に借りる奴には報告義務ってのがあるんだけどよ、一人住んじまうと、その次の奴には義務はなくなるんだ。オレはその一人になってるってわけ」


 兄貴から聞いたことを受け売りで、頭の良さそうに話してやる。すると友人はますます面白がっていた。


「へええ、それで何が起こったところなんだ?」

「ああ、いやそれは聞いてねーっつうか……」

「なんだよ~、それじゃ脅かせねえだろ~?」


 それもそうだ。

 だが、普通に聞くのも怖かったと言ってもバカにされるだけだ。なんとかごまかしつつ、後で聞いておいたほうがいいなあなどと話をしていた。

 そんな風に盛り上がっていたのだが、その友人が、酒も進んだところでふと妙な顔をしてこう言った。


「……なあ、お前の家の床ってカーペットがあるんだよな?」

「おう、あるぜ」

「となると、それはマンションに備え付けになってるってことだよな。じゃあなんで隣や下の部屋からは椅子を引く音が聞こえるんだ?」

「ん? ……どういうことだ?」

「いや、だからさ。お前んちの構造からすると、隣とか下の部屋にもカーペットはあるはずだよな。だけど、それならどうして椅子の音が聞こえたりするんだ? お前の部屋だけにカーペットがあるなら、その下にまだ何か残ってるんじゃないか?」


 塩崎は、あっ、と思った。

 その日のうちに塩崎と友人は連れだって、件の家にすっ飛んでいった。


 部屋に敷かれた真新しいカーペットが急に不気味に見えてくる。

 酒で気が大きくなっているのもあって、二人して家具をどかし、カーペットに手をかけた。


「せーのっ」


 そう言って二人でカーペットを剥がす。

 てっきり血の跡でもあるのかと思っていたが、四角く切り取られた蓋があった。


「なんだこりゃ」

「こりゃあ地下収納だな。キッチンによくあるやつだよ。床と一緒になってるのさ。ほら、ここに指を引っかけてあげると……」


 友人の言葉に従って開けてみると、妙なむっとした臭いがした。人一人分がすっぽりと入れそうなほど深い。それどころか、収納のケースは白いのに、変に暗い。


「……でもよう、なんでキッチンの収納がこんな……部屋の真ん中に?」

「たぶん、元々キッチンだったところを改造して部屋にしたんだ。たぶん此処だけだぜ、こういう構造になってるの……うわっ!?」


 言葉の途中で友人が叫んだので、塩崎はびっくりしてしまった。


「な、なんだよ!」

「裏! 裏見てみろ!」

「えっ?」


 友人が指さしたのは、今しがた開いた収納の蓋だ。


 友人の言葉に気付いて蓋の裏を見てみると、そこには何かをひっかいたような跡が大量に残っていた。

 塩崎は既に酒も抜けて、真っ青になっていた。


 後から聞いた話だと、どうもそこは監禁殺人の現場のようだった。ここに住んでいたカップルが、金を借りようと知り合いの男を地下収納に押し込めて監禁し、そのまま使っていたのだという。やがて男は死んだが、しばらく収納に押し込めたまま、周辺に臭いが蔓延して事件が発覚したのだという。


 そしてそこは塩崎が布団を敷いて寝ていた場所でもあった。

 つまり塩崎は下の階の音ではなく、収納から響く音を聞いていたのだ。


 助けを求めて、体をぶつける音を。

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