第十一夜 ストーカー

「おい、また来てたぞ」


 同僚の言葉に、田代はうんざりしたようにため息を吐いた。

 田代は世見町のホストクラブで働くホストだ。店の永久指名している客もかなりいる、ナンバーワンホスト候補だ……候補だった。


 ……むろん、店では田代なんていう野暮ったい名前じゃない。

 シンプルだが、ツカサという名前を使っている。


 田代は元は客だった女につきまとわれるようになっていた。

 女はエミという名前だったが、性質はその名前と真逆だった。


 人間というのは多少ぽっちゃりしていても、身綺麗にさえしていれば見た目など気にならないものだ。

 だがエミは小太りなのを差し置いても、髪の毛はボサボサ、化粧もせず、風呂に入っているのかすらわからない臭いをさせていた。妙に膨らんだ顔はいつも無表情で、どこかを睨み付けている。極めつけは常に小学生のような服を着て、それがまた体型と見事に合っていない。実際は三十代なのに、もっと歳が言っているように見える。あらゆる点でちぐはぐなのだ。

 おまけに、話しかけると吃音とも違う妙などもり方をした。


「ひえっ……ひゃ、ひゃい。ひゃふっ」


 ……というような。それがあまりに特徴的なので、田代は裏で笑ったものだ。けれども金だけはどこからともなく出ていたので、いつしかエミはエースの一人になっていた。

 しかしそれだけならばまだいい。ファッションのセンスが最悪だろうが、人見知りだろうが、ツケも無いし、客は客。優良な客でいられたはずだ。


 だが、田代が店で目立つにつれて、その存在が徐々に鬱陶しくなってきた。

 加えて、エミの嫉妬深さも影響した。

 ホストクラブに来ている客は、ライバルである他の女の子を歓迎することが多い。無論全員がそうではないが、他に女の子が多ければ多いほど自分の担当のホストは店で目立っていくというのがわかっているのだ。客にとってのホストは「推し」だ。

 だがエミは反対に、田代が他の女の子の相手をするのを嫌った。もちろん小突いたり睨んだりというレベルのことだったが、問題になる程度ではなかった。それくらいならままあることだ。

 田代は変わらず金を出すエミに甘い言葉を吐いたが、今度は他の女の子たちの中にも金ヅルが出始めると、次第にエミのことを鬱陶しいと思うようになった。

 同じ金を出すのなら、自分の好みのほうがいい。


 やがて田代はエミの嫉妬深さに目をつけた。

 そこを煽って傷害すれすれの事件を起こさせたのだ。

 こうなっては、他のホストや客の安全のために出禁にするしかない。田代はあっけなくエミを捨て去ると、目当ての女の子たちと変わらず盛り上がった。


 これで平和になる。

 田代はそう思ったが、そうは簡単にはいかなかった。


「この間なんて、掴みかかられそうになったしなあ」

「ツカサ君はどこ~~って言ってた」

「もうほんと、いい加減にしてほしいよ」


 同じ店の同僚たちはこれ見よがしに言い合った。

 最初は田代も気にしていなかったが、知らないところでエミの行動はますますエスカレートしていたらしい。

 イライラは接客にも出てしまったようで、女の子の指名は見る間に減っていった。


 それが余計に苛々を募らせるばかりだった。

 そんなある日のことだ。田代が仕事を終えて裏口から出ると、


「……!」


 ぎょっとした。

 裏口から出た田代の視界に入ったのは、エミの姿だった。

 でっぷりとした体躯は忘れるはずもない。それから、小学生みたいな服装も同じだ。水玉模様の安いスカートに、横縞模様のピンクのシャツ。センスのセの字も無いような組み合わせ。


「おい、待てクソ女ァ!」


 田代は叫んだが、すぐにエミはぱっと建物の影に隠れていなくなってしまった。追いかけて一発ぶん殴ってやりたいと思ったが、慌てて追いかけて捕まるのも面倒だ。


「……ちっ」


 田代は近くにあったゴミ箱を勢いよく蹴り上げた。


 そんなことがあってから、極力寄り道を繰り返しながら帰るようになった。家を悟られないためだ。

 エミはエミで諦めきれないらしく、店の近くで突っ立ってじろじろと監視していることが多かった。にやにやと笑いながら、田代が出てくるとすぐにどこかに行ってしまう。


 それどころではない。

 受付で永久指名を変える女の子もかなり増えた。

 この店では永久指名制の変更はできなかったのだが、あまりにも申し出が多いので田代に限って変更できるようにまでなってしまった。


「あの……永久指名、変えたいんです」


 ホストの仕事はしない受付担当にも、事情はだんだんと理解されるようになっていた。


「ああ、もしかしてツカサ君?」

「はい……」

「なら大丈夫だよ。他に指名したい人はいる? いないなら外すだけでも大丈夫だよ」

「ありがとうございます。ここ最近、此処に来るたびに妙な視線を感じてて……すごく怖くて。他の子に聞いたら、ツカサから変えたら大丈夫だって言われて」

「ああ……」


 店としても客を逃したくなかったがゆえの処置だった。

 次第に田代は指名をされる回数まで減っていき、見るからに肩身の狭い存在と成り果てた。


「まー、先輩の時代はそろそろ終わりなんですよ」


 後輩が田代の肩を叩いた。


「ねー?」


 覗き込んでにっこりと笑った後輩の顔面に、思わず拳が伸びた。

 ガタンガタンと激しい音がホールにまで響き、あとからやってきた同僚たちに抑えつけられるまでそれは続いた。軽率にぶち切れて顔面を殴ったのが運の尽きだった。

 いくらナンバーワン候補だったとはいえ、過去の話。今は落ちぶれた奴が、エース級の客を何人も抱えた稼ぎ頭を殴って問題にならないわけがなかった。

 結局、田代は店を辞めさせられることになった。


 数日後、田代は一人、夜の町を歩いていた。


「……くそっ、くそっ!!」


 早く次のバイトなり店なりを探さないと、マンションからも追い出されてしまう。一度は上り詰めたプライドが、下手な飲食店でのバイトですら拒否した。

 何もかもエミのせいだ。

 あいつのせいで今こんなことになってるんだ。


 あいつさえいなかったら。

 殺してやる。

 絶対に殺してやる。


 ふつふつと沸き起こってくる殺意は、突然の電子音でかき消された。携帯電話が鳴っている。ポケットに入ったそれを渋々手にとると、やや不機嫌な声で応答した。


「ね、ね、ねえ、ツカサくん」


 思わずびくりとした。

 ねっとりとする声が電話の向こうから聞こえ、田代はぞくりとした。

 エミの声だった。

 いったいどうして。

 電話番号は交換してなかったはずだ。

 だが、驚きは次第に怒りへと変わった。思えばこいつのせいで店を辞めることになったんだ。


「いい加減にしろよブス! 誰がてめぇみたいなバケモノ相手にすると思ってんだ!」


 田代は思いつく限りの罵詈雑言を浴びせた。

 お前のせいだ。殺してやる。二度と外に出れねえようにしてやる。


「ひえっひゃひ」


 電話の向こうからは、そんな声が聞こえた。あの特徴的な声。

 思わず携帯電話を叩きつけようとしたところで、なんとか耐えた。


 殺す。殺す。殺してやる。

 殺してずたずたにして、あいつの腹についた脂肪を引き裂いてやる。


 ぶるぶると震えながら、肩で息をする。それでもなんとか自分を抑えきって、ため息をついた時だった。


「まさかツカサのやつ、あんなに取り乱すなんてなあ」


 聞き覚えのある声にハッとして、思わず背を向ける。

 同じ店の同僚達だった。

 元同僚たちは田代がいるのにも気付いていないらしく、道を歩いていた。


「あのエミって女がいたとはいえ、次代のナンバーワン候補とか言われていい気になってたみたいだからな。ちょっと脅してやっただけだろ。あんなに効くとは思わなかったけど」

「トラウマだったんじゃねえの? あの女が自殺してたことも知らなかったみたいだし。確か出禁になったすぐ後くらいって噂じゃなかったか」

「はー。そりゃあの女に取り憑かれてたんじゃねえか?」


 はははっ、と笑い声が遠のいていく。

 田代は呆然とその様子を見送った。

 ただの嫌がらせだったんだ。田代はそれに気が付くと、呆然としたまま家に帰った。


 それから真っ暗な家の隅で、にやにやと笑いながら膝を抱えているエミを見た。エミは暗がりの中で、ようやく自分だけのものになった田代に喜んでいるようだった。ようやくはっきりとした姿を見ると、小学生みたいな服は真っ赤に染まって、頭からは中身がぼろぼろとこぼれている。

 カーテンを閉めると、そこだけ闇が濃くなった気がした。

 田代は生活の基盤を狭いキッチンに移し、居間を完全に締め切った。


「ひえっ……ひひ、うひひ……」


 時折聞こえてくる笑い声に、田代は耳を塞いだ。

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