第七夜 三〇四号室

「俺があそこのラブホテルで働いてたのはもう二十年くらい前になりますけどね、やっぱり変な話っていうのはありましたよ」


 Tさんは昔を懐かしむように言った。


「といっても、バイトですけどね。今は再開発が進んで、普通のビジネスホテルもだいぶ増えたみたいですけど、当時はほんとにラブホテルばっかりでしたね。オンリーと言ってもいい。まあ、周りがそういうお店ばっかりなんで当然ですけど」


 世見町のラブホテル通りは有名だ。

 ちゃんとした名前もあるのだが、此方のほうが有名だし通じるだろう。

 少し奥まった通りにラブホテルがずらりと並んでいるのだ。Tさんの言うように、今はビジネスホテルが進出しているが、通りについては今でもラブホ通りと暗に呼ばれている。


「ラブホテルって意外と出るって噂なんですよ。なんででしょうね。俺もはっきり原因を追及したわけじゃないんですけど。うちの場合は三〇四号室でした」


 Tさんは姿勢を正し、一度息を吐いてから話し出した。


「俺の仕事は深夜の受付でした。


 カウンターは硝子で仕切られてて、お客さんからはお互いが見えないようになってます。実は受付側からはちゃんと見えてたんですけどね。終電逃したサラリーマンとか、男同士で来る人たちも結構いましたよ。そういうの嫌がる所もあるんですけど、俺のところは明らかに変な客じゃなければ通してましたね。

 で、まあ空いてる部屋を確認して鍵をお渡ししたら、あとはご自由にという感じです。

 お客さんたちもあれこれ聞かれたくない人たちも多いんで、鍵を渡したらそそくさとエレベーターに向かっちゃうんです。


 それでまあ、その日もいつものように受付に座ってたんです。

 そしたらね、内線が掛かってきたんですよ。 

 珍しいなと思ったんですけど、お客さんからなら取らないといけないし、こういう時って割とすぐ反応できました。


 フロントの仕事ってね、結構暇なんですよ。特に深夜なんかは暇です。携帯とかゲームとか持ち込んでも黙認されてたくらい。コトに及んでるのにフロントに電話する人も早々いませんし、でも、何かのタイミングで電話してくる人もいますから、いないといけない。


 で、まあ速攻取って、ハイ何のご用件ですか、って言ったんです。

 相手はしばらく無言でした。後ろからシャワーのような、サアアァ、みたいな音が聞こえていました。


 何のご用件でしょうか。


 俺は繰り返しました。

 それでも返事はありません。

 一言断って、いい加減電話を切ろうとしたときです。


『う……ううう……う……』


 引きつったような声でした。

 ばたん、ばたん、というような、壁を掌で叩いているような音もしました。


 うわ、と思いますよね。

 だって事件の可能性とかありますからね。入る時は普通でも、変なヤクでもキメられてたら面倒じゃないですか。一時期問題になったでしょ、薬キメながらヤるってやつ。


 それで俺、どうしましたか、大丈夫ですか、お名前は言えますか、そこにどなたかいらっしゃいますか。

 パニクってそう尋ねました。


 電話の向こうでは、うう、うう、と苦しそうな声が聞こえます。

 とにかく焦ってました。

 するうちに、ふっと声がやみました。


 大丈夫ですか!?

 そう尋ねた俺の耳に……。


『ここから出してええええ!!』


 ドンドンドンドン!


 ……。


 壁を思い切り叩く音がしました。


 そりゃもうぎょっとするやら、頭からつま先までサーッと血が引いていきました。

 慌ててどこの部屋からなのか確認しましたよ。

 見たことありますかね?

 カラオケとかにもありますけど、結構大きめの機械で、内線が掛かってくると対応する番号が光るやつ。

 その瞬間、更に真っ青になりましたね。


 なんでかって?


 ……実は、三〇四号室なんて存在しないんです。


 四号室って、四が死につながって縁起が悪いからって存在しないんです。

 病院とかだと無いのは有名ですよね。うちのラブホも作ってなかったみたいなんですよ。

 でも内線用の機械のほうは、三の次が五になってると混乱しちゃうんで、敢えて四番を作った上で運用してるんです。でも、どこの内線ともつながってないから、光がつくはずがない。

 だけど光っているのは確かに三〇四号室でした。

 本来、つくはずのない存在しない部屋。


 俺は勢いよく受話器を下ろして、離れました。テレビも無い静かなフロントが急に気持ち悪くなって、もうガクガク震えてました。

 次のシフトの人間が来るまで、もう仕事になりませんでした。


 三階も一応見回ったんですけどね、何かあったような痕跡も無いですし。

 結局、俺が夢でも見たんだろうってことになりました。


 あんな夢、ちょっと遠慮願いたいんですけどね」


 Tさんはため息をつき、そこで言葉を切った。

 その当時のことを思い出したのか、少しだけ目を閉じる。だが、急に目を見開いたかと思うと、身を乗り出した。


「あ、そうそう。そういえば面白い話を聞いたんですけどね」


 そう言うTさんはちょっとだけ意地悪そうな顔をしていた。


「そのラブホテル、今は潰れて無いんですけど。改装して、今はビジネスホテルになってるらしいですよ。だいぶ綺麗になってて、サラリーマンや外国人客が結構いました」


 件のホテルでは現状どうなっているのか、気になるところだ。

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