第五夜 入ってきたもの

 Kさんはいわゆる”視える人”だ。


 何が、といわれれば幽霊に決まっている。

 といっても、ぼんやりとした人型のようなものが煙のように見えるだけで、ハッキリは見えないのだという。


 そんなKさんが一番「ヤバい」と感じたのが、意外にも世見町のコンビニでバイトをしていた時のことなのだという。


 世間の目はたかがコンビニバイトと思われるだろうが、やることはレジ打ちだけではない。品出し、発注、清掃にいたるまで、結構な重労働だ。

 おまけに、客にいたっては柄の悪い男など日常茶飯事で、常に視線が一定でなくぶつぶつ呟いている女、明らかに親子ではない年齢差のある男女、入り口でじっと立ちすくんでいた男など、短いバイト期間に濃い話は多々ある。血まみれの男が助けを求めて入り込んできたときは、さすがのKさんも肝を冷やした。

 こうまで並べ立てると怪談など無いのではないかと思われるが、そんなことはないらしい。


 夜まで明るい町では、客はひっきりなしにやってくる。だが、その日に限って言えば珍しく客がいなかった。こういう日はほとんど無い。Kさんも一応立ちすくんでいなければならなかったが、気軽で良かった。毎日こうならいいのに、と思うくらいだ。


 ――昨日なんか、事故で大変だったもんな。


 目の前の弁天通りで人が轢かれ、結構な騒ぎになったのだ。それも、ついさっきコンビニから出ていった客だった。弁天通りは車の往来も多く、酔っ払い客がそのまま事故にあうことも珍しくない。だが、その日は車も数台絡むようなかなりの大事故だったらしく、しばらくは警察が現場検証に勤しんでいた。コンビニにも事情聴取に現れたほどだ。

 しかしまあそれに比べれば遙かにいい。

 だが、Kさんがあくびをかみ殺していると、急にガラス扉が開いた。


「いらっしゃいませー」


 慌ててKさんは言う。

 だが、誰も入ってきた気配が無い。


 ガラス扉はコンビニによくある自動ドアだし、すぐ目の前は通りになっているから人が通るのも見えるはずだ。

 だが、妙なことに通りを行く人もいない。

 不気味な夜が広がっていた。


 なんだ、どうしたんだ?

 そう思って少しだけ覗き込んでも、相変わらず自動ドアは開いたままだ。

 おかしいな、と思って視線を戻す。


 すると、煙のようなものがスッと棚の向こうへと消えていった。


 ――あっ、ヤバい。


 こいつは生きていない。

 Kさんは直感的に判断した。


「なんだよ、悪戯か。まったく」


 Kさんは敢えて口に出した。

 そうすることで、自分はあなたの存在に気が付いていませんよとアピールするのだ。下手に気付いていると知られては、面倒なことになる。

 Kさんは素知らぬふりをしながら、ぼんやりと立ち尽くしていた。

 だが、棚の向こうでは、ゆっくりと黒い煙のようなものが立ち上っていた。その途端、Kさんは今までにない悪寒が背中を駆け上がってくるのを感じた。


 ――こ、こいつは……。


 ぶわっと熱がこみあげてきて、だらだらと汗が流れる。

 黒い煙は、コンビニを一周するように歩いていた。見ないようにしていても、ぺたり、ぺたり――とゆっくりとした足音が居場所を知らせてくる。あまりに異様な状況に、Kさんも背中がぞくぞくとした。

 ぺたり、ぺたり。


 次第にコンビニの奥から、壁面の弁当コーナーを回って歩いてくる。


 ――早く、早く、早く出てってくれ……!


 さすがのKさんも祈るように視線を落とした。

 だが、ちらりと確かめるように顔をあげた瞬間、その姿を明確に見てしまった。


 そいつはまず、ぼろぼろの男だった。

 体を引きずるように、ぺたぺたと歩いている。だけども異様なのはそれだけじゃなかった。むしろそれだけであったなら、すぐそこで事故に遭った人がやってきただけかもしれなかった。

 その男は、様々な年代の人々とくっついていたのだ。腕が完全に融合していたり、頭がくっついている者もいた。場所によっては引きずられて、叫び続けている女もいた。そんなものがコンビニの中をふらふらと歩いているのだ。


 Kさんは信じられない気持ちで、必死に見ないふりをした。

 男がレジの前へとやってくる。


 むっとする異臭と、ぎょろりとした目がKさんを覗き込んだ。それでもKさんは、知らぬ存ぜぬを押し通さねばならなかった。ここで反応してしまえば、何が起きるかわからない。

 ふう、と生臭い息が鼻をかすめていく。


 ――目を合わせちゃダメだ!


 するうちに、そいつはまじまじとなおもKさんを身ながらも、ずる、ずる、と他の人々を引きずって歩いていった。再びガラス扉が誰もいないのに開き、その向こうへと歩いていった。

 Kさんは一気にトイレに駆け込むと、胃の中のものを全部吐き出した。


 そのあとの記憶は定かではない。

 どうやってバイトを乗り切ったのか、どうやって家に帰ったのか、Kさんからは記憶がすっぽり抜け落ちてしまっていた。


「いやもう、あんなのはこりごりっすね」


 そう軽く言いながらも、Kさんは緊張した顔をしていた。


「あれ、たぶん事故った連中が全員くっついてたんだと思うんすよ。弁天通りって事故も多いっすからね」


 Kさんは今もはっきりと覚えているのだ。

 あのとき、コンビニで覗き込んだ男。


 あの顔は、確かに昨日事故にあった男だったと。

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